キョウ うちだじゅ3

Blog「みずき」:内田樹はいまの日本の社会状況を次のように言います。「いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである」、と。

この内田樹の現在日本社会の見立ては、真実を穿っているようで、実はそうではありません。内田によれば、「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認している」のは「日本人」であって、「政府」ないしは「政治家」ではありません。しかし、「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認し」、日米安保条約の第5条や第6条を根拠に対等な同盟関係にあることを強調してきたのは歴代の自民党政権であり、歴代の自民党をはじめとする保守政治家であったことは歴史的事実として明白です。内田は「日本人」という一般的な概念を持ち出し、ここに「日本政府」という固有概念を含ませない。 ここに内田の見立ての大きなまやかしがあります。

そうした誤った論理を展開した上で、内田は自らに「どうやって国家主権を回復するのか」という課題を立て、その課題解決のために模範とすべき政治家として鳩山一郎や石橋湛山や吉田茂というかつての保守政治家を例示します。ここに内田の論理の矛盾があります。「日本はアメリカの属国で」ある「事実を否認している」のが「日本人」一般であるならば、その課題解決のために模範とすべき人物も「日本人」一般の人でなければならないはずです。なにゆえにここでは「日本人」一般ではなく、保守政治家なのか? その答は内田が本質的には保守の「思想家」であるからにほかなりません。冒頭で「日本人」一般を持ち出したのは人を惹きつけるための、あるいはまた真の属国否定者=政権、または保守政治家から目をそらせるための内田のレトリックにすぎないのです。

こういう人がいわゆる民主主義陣営のリーダー然としている。保守政治のきわみといえる安倍右翼政権に真に対峙しえない風潮、政治の右傾化の風潮を創り出し、とりわけ革新を退化させているのは(そういう革新退化の論を見抜けない勢力も勢力だが)こういう人の論というべきではないのか。

また、こういう人だからこそ、72年の沖縄の施政権返還を「対米自立」の果実として一面的に評価したりもする。しかし、実際は沖縄を「捨て石」とする「対米従属」政策は「沖縄の施政権返還」以後も留まることなくいまも延々と続いている。この人には辺野古の惨劇も、高江の惨劇も、政府の政策にまつろわぬ者たちへの剥きだしの国家暴力そのものとしての逮捕・勾留劇もなにも見えていない。その惨劇の数々をこの人は「戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである」と言ってのける。それがこの人の「『属国』直視」という説の本質です。


【山中人間話目次】
・内田樹のいう「『属国』直視」の意味
・澤藤統一郎さん(弁護士)はなぜ端的に共産党を批判しえないのか?
・中野敏男さん(東京大大名誉教授)の加藤典洋の『「戦後」の誕生』書評の書評――「歴史主体論争」とはなんだったか?
・NHKスペシャル「憲法70年“平和国家”はこうして生まれた」はNHKという国家への忠誠(安倍政権の下僕)を旨とする「国営」放送局の新趣向の「天皇礼賛」番組と言うべきではないか
キョウ しゅうきんぺい

Blog「みずき」:朝鮮(北朝鮮)と中国の軋轢について。 中国の習近平のトランプのお先棒担ぎは甚だしく愚劣なところまで進行しており、習近平はついにはトランプのつくられた「北朝鮮脅威」説にまで加担し、「血を分けた友誼」の関係にあった朝鮮(北朝鮮)から激しく名指し批判されるまでに到っていますが(「北朝鮮 中国を異例の名指し批判 米に同調し圧力」 NHKニュース 2017年5月4日)、元外交官で政治学者の浅井基文さんによれば、中国にもそうした習近平の愚行をよしとしない「朝鮮の立場に深い理解を示す」相応の地位にいる論者や良心的な勢力はいるようです。

浅井基文さんは次のように言っています。

「5月2日付人民日報海外版WS(海外網)は、海外網コラムニストである千里岩文章「米韓に付き従って朝鮮を倒すことが中国にとって利益になるか 独立した意志を持つべし」を掲載しました。私にとってはかなり衝撃的な文章でした。といいますのは、このコラムで紹介してきた環球時報社説の主張とは、力点の置き所が明らかに違う内容の主張が、環球時報の姉妹紙である人民日報に、そのコラムニストの執筆で掲載されたからです。その内容はむしろ、私が度々紹介してきた、朝鮮の立場に深い理解を示す李敦球の考え方を彷彿させるものです。(略)しかも注目されるのは、千里岩文章が傅瑩(全国人民代表大会外事委員会主任)という公的見解を代表しうる立場にいる人物の文章(浅井注:私はまだ見つけていません)に依拠しながら議論を展開しているということです。米中首脳会談を受けて中国の対朝鮮政策が「変化」したことは明らかですが、その「変化」の程度・ニュアンスなど、対朝鮮政策のあり方については、環球時報が代表する主張の方向で完全に収斂されたとみるのは早計かもしれません。」

この5月3日に朝鮮中央通信に掲載された北朝鮮高官の金哲氏の中国批判(上記NHKニュース)はそうした中国国内の良心的な勢力によって反省的に受容される可能性は1や2の少ない可能性ではありません。北朝鮮情勢と中国情勢、さらにアメリカの政治情勢は複眼的視点で見る必要がありそうです。


【山中人間話目次】
・朝鮮(北朝鮮)と中国の軋轢について
・私たちの「国」の現在の位置 ――太田昌国さんの的確な安倍政権批判ないしは批評
・中野晃一上智大教授(政治学)の「正面突破で来るかもしれないが、民進党が最大野党で踏みとどまり、大きな力を作れるか。一人ひとりの気概が問われている」という安倍批判について
・「みどりの日」という実質的なもうひとつの天皇誕生日の日に思う
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乗松聡子さん(左)と新垣勉さん

Blog「みずき」:同標題の昨日付(5月4日)の記事は、新着の新垣勉さんの論(沖縄タイムス「文化欄」5月2、3日付)とその新垣さんの応答の論の前提となる同じく沖縄タイムス紙「文化欄」(4月12、13日付)に掲載されたひとつ前の乗松聡子さんの論に的を絞ってフォーカスしたものでしたが、この「論争」にはさらにその前の段階での若干の議論のやりとりがあります(この問題に関する乗松さんの主張のはじめの論に新垣さんが応答してきたため結果として「論争」のようなものになりました)。ここにその前の段階からの議論のやりとりの全文を掲げることによってこの乗松さんと新垣さんのやりとりはどのように進展してきたかを見てみたいと思います。辺野古埋め立て承認撤回と県民投票をめぐるおふたりの主張の考え方の違い、力点の違いがいっそう明らかになるものと思います。
 
昨日の記事で述べておいた新着の新垣論考を読んだ私の感想を再度掲げておきます。
 
「さて、私は乗松さんの主張の立場と同じ立ち位置にいるものですが、そうした立場性の違いを私のつもりとしては抜きにして(立場性の違いは否応なく論に反映するものですから、ほんとうのところは抜きにはできないのでしょうが)新垣勉さんの論考についてひとこと感想を述べておきますと、新垣さんの論には自身の見解にあくまでも固執しようとする固陋なところがやや目立つように思われます。その分、対者の論をその論のままに公正に読みとることができない。対者の論を自己の主張に都合のよいように曲解して論を展開しているように私には見受けられます。そうした姿勢では決して第三者に対して説得的な論を構成することはできないでしょう。私は自身のFBの4月12日付の記事に「この議論が真摯な議論として発展し、大きな実りのあるものになることを私は切に望みます」と書いておきましたが、そうした真摯な議論とはほど遠い議論の展開になっていることを残念に思います」。
 
さらに以下は、上記の私の感想にいただいた沖縄在住の元裁判官の仲宗根勇さんのコメント。私が遠慮して言わなかったことを仲宗根さんはさらにずばりと指摘しています。
 
「勉氏は2015年5月1日行政法学者ら五名とともに記者会見をし、撤回可能との意見書も県に出した。そこで勉氏は県の第三者委員会の結論前でも撤回できると主張していた(沖縄タイムス5月2日)。主張の一貫性がないのは思慮の浅さゆえか、弁護士特有の悪しき法律家の変節か。今度の論は「弁護士が1番」的な裁判至上主義と裁判官に対する楽観論に彩られ、乗松さんをシロートと見て、高い目線で自説に反する相手の主張を唯我独尊的、一刀両断的に切り捨てている。撤回理由を留保事項と民意の2点のみとするその論の誤謬は言うまでもなく、民意が裁判において絶対的な力を持つかのような論はシロート以下の謬見だ。民意は撤回を基礎付けるたくさんの請求原因の一つになりうると言うに過ぎず、絶対的なものではない。これが広義の民事裁判の常識である。」
 
辺野古の海を守るためには一日も早い「埋め立て承認」の撤回しかありません。私のこの問題についての主張も繰り返しておきます。いまならまだぎりぎり間に合う、というのは、「撤回」を主張する多くの人たちが異口同音に言っていることです。逡巡している時間はないのです。
 
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沖縄タイムス 2017年3月1、2日付:

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沖縄タイムス 2017年3月21、22日付:
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キョウ ぎいんないかくせい

Blog「みずき」:この石川健治という東大教授(憲法学)は立憲君主制という政治制度を所与の前提として議院内閣制を語っています。しかし、議院内閣制は沿革的には18世紀から19世紀にかけて英国で王権と民権との拮抗関係の中で自然発生的に誕生し慣行として確立されるに至った制度であるということは言えても、立憲君主制そのものを所与の前提とはしていません。あくまでも議院内閣制とは、議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つで、議会と政府(内閣)とが分立した上で、政府は議会の信任によって存立する政治制度のことをいいます(ウィキペディア「議院内閣制」)。

その所与の前提としないものをさも所与の前提であるかのようにいう虚妄の論をつくり、この人は「天皇陛下は『多数決は万能ではない。数の力で乗り越えてはいけない何かがある』ということを示すための動きをしている」などと聞きなれない砂上の楼閣の論理を使って平成の天皇主権主義とでもいうべき民主主義にもとる論を展開しています。こういう人が山口二郎(法大教授)や小林節(慶大教授)、中野晃一(上智大教授)らとともに「立憲デモクラシーの会」のメンバーだというのです。自ずからほかのメンバーの民主主義の理念はほんものかどうか。疑いの目を向けざるをえません。

さて、ここで思い出されるのは、「イデオロギー」、あるいは「知識人」というものの性格について述べたチョムスキーの以下の言葉です。チョムスキーは次のように言っています。

「現代の事件の分析は、これに十分関心をもとうとする者ならだれにでも完全に手が届く。こうした問題の「深奥」とか「抽象性」とかいったことは、イデオロギーの取締り機構が撒き散らす幻想に属するもので、そのねらいは、こうしたテーマから人々を遠ざけることにある。人々に、自分たち自身の問題を組織したり、後見人の仲介なしに社会の現実を理解したりする力がない、と思いこませることによって、だ」(『チョムスキーとの対話 政治・思想・言語』大修館書店、1980年)。

【山中人間話目次】
・石川健治東大教授(憲法学)のは立憲君主制という政治制度を所与の前提とする議院内閣制論について
・憲法記念日に改めて右傾化した共産党の理念を批判する
・日本国憲法は、杜甫のような感慨を持って70年を生きてきたか
・澤藤統一郎さん(弁護士)の「連合への批判はあっても、期待は失わない」という認識は甘いというべきではないか?
・東京新聞の天皇・皇后礼賛記事。同紙は「現在のこの国の左翼リベラルを代表するマスコミ」などといえるのか?
・米紙ブルームバーグの「トランプは朝鮮(北朝鮮)の金正恩朝鮮労働党委員長との会談に前向きな意向を明らかにした」という記事
・なぜ敗北したのか? その原因の徹底的な解明こそ、われわれの「戦後」を始める出発点になるべき課題だった
・「北朝鮮の脅威が増大することは安倍首相にとって有益だ」と分析するイギリスのBBCの報道
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新垣勉さん(左)と乗松聡子さん

Blog「みずき」:ここで取り上げる論考は乗松聡子さん(カナダ在住、「ジャパンフォーカス」エディター)の沖縄タイムス紙4月12、13日付の「新垣論考を読んで――承認撤回と県民投票」(上・下)と同論考に対する応答、あるいは反論としての新垣勉さん(沖縄在住、弁護士)の同紙5月2、3日付の「乗松論考への応答――裁判勝利を見据えた『撤回』」(上・下)という論です。乗松さんが新垣論考に対して沖縄タイムス紙を通じて再度応答するのかどうかはわかりませんが、一応、乗松さんの主張と同主張に対する新垣さんの反論が出揃いましたので両論を併記してご紹介させていただくことにします。
 
さて、私は乗松さんの主張の立場と同じ立ち位置にいるものですが、そうした立場性の違いを私のつもりとしては抜きにして(立場性の違いは否応なく論に反映するものですから、ほんとうのところは抜きにはできないのでしょうが)新垣勉さんの論考についてひとこと感想を述べておきますと、新垣さんの論には自身の見解にあくまでも固執しようとする固陋なところがやや目立つように思われます。その分、対者の論をその論のままに公正に読みとることができない。対者の論を自己の主張に都合のよいように曲解して論を展開しているように私には見受けられます。そうした姿勢では決して第三者に対して説得的な論を構成することはできないでしょう。私は自身のFBの4月12日付の記事に「この議論が真摯な議論として発展し、大きな実りのあるものになることを私は切に望みます」と書いておきましたが、そうした真摯な議論とはほど遠い議論の展開になっていることを残念に思います。

各写真をクリック拡大してご参照ください。


乗松論攷への応答 ――裁判勝利見据えた「撤回」(上) 新垣勉

沖縄タイムス 2017年5月2日付:
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乗松論攷への応答 ――裁判勝利見据えた「撤回」(下) 新垣勉

         
沖縄タイムス 2017年5月3日付:

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Blog「みずき」:この記事の筆者のアエラ編集部の渡辺豪記者は「私も移住者として沖縄に17年間暮らし」「地元紙で主に基地問題を担当」したと言います。だからか。渡辺記者のまなざしには深いよどみの淵底に下り立った者だけが知る孤高の人の悲しみのようなものがあります。それはある意味で琉球人の悲しみに相似したものでもあるでしょう。その悲しみが透徹した眼になっている。また、その透徹した眼で選ばれた引用も優れている、というのが私の読後感です。私は渡辺記者の記事に深く学ぶところがありました。

渡辺豪記者は以下のように書いています。

『作家の目取真俊は辺見庸氏との対談(4月16日付沖縄タイムス、琉球新報など<共同通信配信記事>)で、こう問い掛ける。「沖縄が暴動寸前の状況になり、本当に米海兵隊が撤退する事態に至ったとき、ヤマトゥの人は『沖縄県民が望んだことが実現してよかった』と歓迎するだろうか」 さらに沖縄独立論に触れ、「まだ政治的力」はないとしつつも、「そもそも、日本政府が独立を認めることはあり得ないと思う」と悟り、こう予見する。「領土だけではなく、広大な領海も失う。そうなれば、自衛隊が出動し、県民に銃を撃つかもしれない」これは妄想ではない。歴史認識を欠いたまま、「本土」の人間が沖縄に対して当事者意識をもつとき、その振る舞いはより残酷になるリスクは確かにある。作家の姜信子は非常勤講師をしていた九州の大学で、石垣市在住の八重山戦史・芸能史研究の第一人者である大田静男氏を招いた特別講義でのエピソードを紹介している。「大田さんは講演の最後に学生たちにこう尋ねた。『沖縄が独立宣言をする、それを認めぬ日本国が沖縄を攻撃するとする、もし君たちが日本軍兵士ならば、国家の命令通り沖縄に銃を向けるか?』。そのとき、大教室にいた男子学生の多くが、銃を向けると答えた」(3月2日付琉球新報)これは10年余り前の出来事だというが、現在であれば一層酷い学生たちの反応に直面するのではないか。そう悲観せずにはおられないほど、沖縄と「本土」の亀裂は取り返しがつかないほど深まってしまった。』

ただ、記事中で渡辺記者は、この2月5日に那覇市内で開かれた「時代の危機に立ち上がる短歌」というテーマのシンポジウムに触れ、そこでのパネラーのひとりとしての「朝日歌壇」選者の永田和宏氏の発言を高く評価しているようですが、同シンポジウムでの永田発言の評価については歌人で短歌評論家の内野光子さんの以下のような批判、指摘があることをご紹介しておきます。内野さんは次のように述べています。
 
『比嘉美智子の開会のあいさつに始まり、鼎談は、三枝昂之、永田和宏と沖縄在住の名嘉真恵美子の3人によるものであった。進行は三枝で、永田の最初の発言は「今日の会は政治集会ではないので、短歌の表現を問題にしたい」というもので、「沖縄に基地が集中していることへの思いや考えはある。しかし、そのまま短歌にすると空々しくなるので、自己相対化が必要」とする。三枝は、遠く離れた沖縄は日本なのか、本土ともいえない戸惑いを感じる、とする。また、名嘉真からは、沖縄の短歌を本土のモノサシで批判する傾向にある、とする。このあたりのことを、『琉球新報』は、翌日の記事で、鼎談では「<沖縄>を詠む際の後ろめたさ戸惑いのようなものを含めて話し合われた」(「沖縄の表現模索 県内外の歌人集い討論」『琉球新報』2017年2月6日)と報じ、後の2月23日の記事では、3人の作品を通して「沖縄を詠うときの逡巡。<沖縄は日本か><日本はこれでいいのか>。他者そして自身に問いながら、答えの出ないもどかしさが見える」と報じた(「時代の危機に立ち上がる短歌 沖縄で問う<歌の力>歌人ら向き合い方議論」『琉球新報』)。

しかし、私が聞いていた限りでは、やや印象が異なっていた。永田は、自作の「どうしても沖縄は私に詠へない詠へない私を詠ふほかなく」(『現代短歌』2017年2月)などを引いて、時代の危機に際して、短歌は政治の言葉ではないので、安易に意見を言ってはならない歯止めが必要であることを強調していた。三枝も、自作「自決命令はなかったであろうさりながら母の耳には届いたであろう」(『それぞれの桜』2016年)とこの作品と対になっている、資料には出ていない「自決命令はあったであろう母たちは慶良間の谷で聞いたであろう」などを前提に、自決命令の有無については、簡単には結論が出ないとしての両論を踏まえるもどかしさを語っていた。鼎談後の沖縄県内外の10人の歌人たちのスピーチで、一番バッターの玉城洋子は、上記の鼎談を受けて「沖縄の短歌はどこへ行く、辺野古の海は、沖縄人のアイデンティティ」の思いを語った。私も、永田と三枝の逡巡と用心深さは、何に由来するのかを考えていた。自らの未知や無知について、謙虚で、慎重になることは大切なことだが、ためらい、戸惑い、自らの思いをストレートに語ることをしないうちに、現実は待ったなしで、進んでしまうのではないか、の疑問がもたげた。この「逡巡」は、現実逃避にも連なる気がした。同じような趣旨の質問が会場からも提出されたような報告があったが、質問の詳細も回答もなかった。』(内野光子のブログ 2017年3月2日)

渡辺豪記者には一考していただきたいことです。


【山中人間話目次】
・アエラ編集部の渡辺豪記者の「沖縄論壇と本土との亀裂は取り返しがつかないほど深い」という論
・仲宗根勇さん(元裁判官)の沖縄タイムス「識者評論」――承認の撤回 一刻も早く
・仲宗根勇さん(元裁判官)の沖縄タイムス「識者評論」――承認の撤回 一刻も早く(動画版)
・乗松聡子さん(カナダ在住。「ジャパンフォーカス」エディター)の「沖縄 4.28(屈辱の日)」考。「分断を超えて――今、本土からみつめる4.28」
・平安名純代さん(沖縄タイムス米国特約記者)のコラム想い風「辺野古埋め立て 致命的な結果に」
・チョイさんの沖縄日記――沖縄平和市民連絡会の総会では、平和市民連絡会として早急に翁長知事に埋立承認の「撤回」を求める申し入れをすることが決まった
・宮城康博さんは自分の感覚を大切にしてものを見ている。私はそういう視点をほんとうの意味で「民主主義」の視点というのだろう、と思う
・琉球新報社説の強い決意。「沖縄は屈しない、諦めない」
キョウ ぜねすと 
ブラジルで21年ぶりのゼネスト

Blog「みずき」:メーデーの日に。ブラジルで21年ぶりのゼネストがあったそうです。メーデーの日に集まったみなさん。あなたたちがいま第一に思わなければならないのはこのことではないか。

「一部市民が暴徒化」などという瑣末な目しか持たない報道に欺かれてはなりません。「暴徒化」したということはそれだけ労働者の怒りが凄まじかったということでもあるでしょう。メディアはなぜその「怒り」の本質に目を向けることができないのか。

連合の神津里季生会長は、安倍首相の裁定の下、先日、月100時間の労働時間延長可という「人が死ぬかもしれない」労働基準法改悪に経団連の榊原定征会長とともにに合意しました。こうした労働者の生を弄んで恥じない連合会長、榊原定征の暴挙を許したままのメーデーであってよいのか。

また、官公労働者や大手企業の労働者の多くはいまもって組合から交通費や日当という手当てを貰ってメーデーに参加しています。こうした非自発的な動員者に占領される集会をメーデーと呼べるのか。

私も20代、30代のときは毎年のようにメーデーに参加しました。そのときにはたしかにかすかにでも労働者の連帯のようなものを肌で感じることができました。しかし、いまは参加しません。バカバカしい、というよりも、反動に手を貸すことになる、という腸の煮えくり返る思いの方がずっと強いからです。


【山中人間話目次】
・メーデーの日に――メーデーの日に集まったみなさん。あなたたちがいま第一に思わなければならないのはブラジルの21年ぶりのゼネストのことではないか
・メーデー断章。残業上限「月100時間」を政労使合意した「労」の張本人がよくぞ「長時間労働の撲滅」などといううそ平然とつけるものです(そのうそを看過したままにする連合組合員も組合員です)
・ブラジル・ゼネスト詳報
・辺見庸の「新・朝鮮戦争を望んでいるものがいる」
・水島朝穂さん(早大教授、憲法学)のつくられた「緊迫 北朝鮮情勢」批判――「新たな戦前」なのか
・わが国の愚かなること最悪の首相の愚かなる言(オルタナティブ・ファクト。すなわち、うそ)のファクトチェック。毎日新聞校閲記者のクリーン・ヒット

キョウ のりまつさとこ2
キョウ のりまつさとこ3
キョウ かねひらしげき2

Blog「みずき」:この金平茂紀さん(TBS「報道特集」メインキャスター)の元共同通信記者の松尾文夫氏の日本記者クラブ賞受賞を「壮挙!!」とする称賛はまったく当たらないのではないか。金平さんのFBにコメントを寄せている人たちの論もまったく的を外した見当違いのものです。 

共同通信発の報道によれば、松尾氏の日本記者クラブ賞受賞の理由は以下のようなものでした。

『日本記者クラブは28日、ジャーナリストの松尾文夫氏(83)に2017年度の日本記者クラブ賞を贈ると発表した。富山県のチューリップテレビ報道制作局政務活動費取材チームと歴史研究家の森重昭氏(80)に特別賞を贈る。贈賞式は5月29日。松尾氏は共同通信記者時代から米国報道に取り組み、日米首脳が被爆地広島とハワイ真珠湾を訪問することで真の戦後和解が生まれると訴えてきた。提言通り、昨年5月にオバマ大統領(当時)の広島訪問、同12月に安倍晋三首相の真珠湾訪問が実現した。 日本記者クラブ賞は1972年創設、ジャーナリズムの信用と権威を高めたジャーナリストに贈られる。(共同)』 (毎日新聞 2017年4月28日)

松尾文夫氏が共同通信記者時代から「日米首脳が被爆地広島とハワイ真珠湾を訪問することで真の戦後和解が生まれると訴えてきた」のだとしても、その松尾氏の訴えが実ってオバマの広島訪問が実現し、安倍晋三の真珠湾訪問が実現したというわけではないでしょう。松尾氏の日本記者クラブ賞受賞の理由には論理の飛躍があります。

また、オバマの広島訪問は、「人類史上最も重大な犯罪の一つである原爆無差別大量殺戮に対して71年過ぎてもその加害責任を認めようとしない米国大統領を、被害国のペテン師的な首相の肝入りで大歓迎するという愚行をおかした」ものでしかなく(吹禅 Yuki Tanaka 田中利幸ブログ 2016年9月10日)、安倍晋三の真珠湾訪問も、「トランプ氏に媚びを売り、日米軍事同盟のいっそうの強化を図るため」のものでしかありませんでした(「アリの一言」ブログ 2016年12月6日)。

金平さん。あなたは「現役のジャーナリストの中では最も左派のジャーナリスト」などと評価されているようですが、私は、あなたのジャーナリストとしての見識に大いに疑問を持ちます。そのことをお伝えしておきます。


【山中人間話目次】
・この金平茂紀さんの元共同通信記者の松尾文夫氏の日本記者クラブ賞受賞を「壮挙!!」とする称賛はまったく当たらないのではないか
・辺見庸が特別なのではない。ここで云われているのはふつうの人、ふつうの市井の人が持つふつうの感覚の怒りの言葉というべきだろう
・今朝も、朝鮮をめぐる事態が時々刻々と報道されている。トランプ、金正恩、安倍――と「先の読めない」政治家たちに、哀しくも、命運が握られているだけに、事態は予断を許さない
・「朝鮮半島で挑発行為を先に仕掛けているのはトランプ政権である」という鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の具体的な考証
・【北朝鮮情勢】サイバー攻撃で実験妨害か 米軍、北朝鮮ミサイル標的
・藤原帰一さん(東大教授、国際政治学)のトランプ政権の朝鮮(北朝鮮)への軍事的圧力(瀬戸際政策)に対する見方
キョウ くつじょくのひ

沖縄は今日、「屈辱の日」から65年。

「屈辱の日」と天皇メッセージ 沖縄切り捨て、差別の原点 - 琉球新報 2017年4月28日 

『ソ連侵攻の防衛線に 昭和天皇 48年、2度目のメッセージ

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効してから28日で65年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。その原点は昭和天皇が米側に対し「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した天皇メッセージだ。

米政府側が終戦直後に日本の占領政策を策定するさなかの1947年9月、沖縄の米軍占領継続の希望を伝えた昭和天皇の沖縄メッセージに加えて、翌48年2月に2度目の“天皇メッセージ”といえる考えが天皇側から米軍側に伝えられていた。皇室と連合国軍総司令部(GHQ)との連絡係を務めた宮内府御用掛の寺崎英成氏が、ソ連の侵攻に備え「琉球」を含む日本列島からフィリピンを防衛前線とする考えを米側に伝達していた。

共産主義国家による侵攻を懸念し、反共の観点から「日本」を守るとりでとして沖縄の軍事基地化を提案し、さらに「日本」の防衛を米軍に委ねるという施策を積極的に展開していた「天皇外交」の姿が浮かび上がる。

寺崎氏は、GHQのウィリアム・シーボルト外交局長に対し「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、そして可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶ」のが現実的施策だとする考えを米側に伝えた。

寺崎氏の提案を受けシーボルト氏は、米本国への電文で「寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との議論に基づくものと考える理由がある」と説明し、天皇側の意向を反映したものだとの認識を示した。』

天皇メッセージ発見者・進藤栄一氏に聞く 「苛烈な現実 今も」 - 琉球新報 2017年4月28日 

『天皇メッセージを発見した進藤栄一筑波大学名誉教授に、その今日的意味などについて話を聞いた。(聞き手 滝本匠)

―対日講和条約発効では昭和天皇からの沖縄長期占領の提案内容を踏まえる格好で、日本独立の裏で沖縄の米占領が継続された。

「天皇メッセージは、1947年9月に宮内庁御用掛の寺崎英成が米国側に伝えたものを米本国に送った報告電文で、昭和天皇がすすんで沖縄を米国に差し出すという内容だった。昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏付けられた。昭和天皇実録でも確認されている」

―当時の背景は。

「まだ占領軍内で沖縄をどうするか意見が分かれていた。軍事化を進めて共産主義の対抗基地に使うというタカ派と、日本の民主化を進めることが平和構築につながるとするハト派が拮抗(きっこう)していた。そこへ天皇メッセージが出て来て、それを軸に占領軍内での沖縄の位置付けが反共拠点として要塞(ようさい)化すべきだというものへと明確化していった。それが天皇メッセージの歴史的意義だ」

「さらに翌48年2月に寺崎が2度目の天皇メッセージを届ける。その中で『南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含め』て反共防衛線をつくるべきだと提言する。最も恐るべきは日本の共産主義化だと。これは戦前以来の発想だった」

―沖縄は日本から切り離され米施政権下を経て72年に日本に復帰した。だが米軍基地の集中は変わらず、基地の自由使用など“軍事占領”ともいえる実態は今も続いている。

「沖縄が日本に復帰した後も米軍基地は残り、逆に強化されている。これは天皇メッセージに始まる沖縄の苛烈な現実の帰結だ」

―安倍政権は「辺野古が唯一」と米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の埋め立て作業を強行している。日本の沖縄に対する姿勢は今も天皇メッセージと通底しているようにも見える。

「まさにその通りだ。安倍政権の対米追随姿勢が象徴的に表れている。オバマ大統領に続いてトランプ米大統領とも『辺野古が唯一』と確認した。沖縄を米国に差し出すことが、昔も今も日米軍事同盟の結節点となっているといえる」』

【山中人間話目次】
・沖縄は今日、「屈辱の日」から65年。沖縄切り捨て、差別の原点。裕仁の「天皇メッセージ」を発見した進藤栄一氏に聞く
・「緊迫 北朝鮮情勢」(NHK)とメディアが率先して朝鮮(北朝鮮)の脅威を煽っています
・別の報道ではルペンの逆転を示唆するものもあります。そうであってもマクロンを積極的に擁護できないところがいまのフランス政治の最大の弱点です
・これは明確な国家の犯罪行為でしょう。その犯罪行為を財務局に指示、あるいは「忖度」させた安倍晋三、昭恵首相夫妻も当然、主犯というべき犯罪当事者といわなければなりません
・色平哲郎さん(医師)の「医師は認知症者の「パートナー」になれるか?」(日経メディカル 2017年4月28日)
キョウ へのこ34

Blog「みずき」:一昨日の4月25日、政府(沖縄防衛局)は辺野古埋め立て護岸工事を強行しました。翁長沖縄県知事はいうまでもなく即刻抗議の記者会見を開きはしましたが、私から見て、翁長知事の発言は、「護岸工事は始まったばかりで、2度と後戻りができない事態にまで至ったものではない」「撤回を視野に入れて、法的な観点や国の日々の動き、全体の流れを勘案しながらあらゆる動きを想定して弁護団と議論している」などとのらりくらりとしたもので、実質、政府(沖縄防衛局)の護岸工事の強行を容認するかのような発言でしかありませんでした。

その翁長知事の発言を聞いて、沖縄県島尻郡在住の宮城健さんは以下のような意見を述べていました。

『「知事が撤回しようとも工事は進むから、辺野古に人が集まるしかない」と言っている人々は、オナガが取り消しを取り消すまで、人が集まらなくとも埋め立て部分の工事が止まっていたことを知らんのか。県庁に押しかけ自ら選んだ為政者に阻止させる民主的で効果的な方法より、死傷者だしながらアピールする「ポーズ」を選ぶというのか。バカバカしい。もう絶対に現場には行かない。』

Makoto Yasuさんはその宮城健さんの記事に「これ最後のプレゼント やることを、それぞれの場所で 信じる道を切り開いていこう」というコメントをつけた上で阿部岳・沖縄タイムス北部報道部記者の「嘆かず依存せず黙々と」という「視点」の言葉を紹介していました。このコラムで紹介されている石原吉郎も目取真俊さんも私の好きな詩人であり、作家です。

私には宮城健さんの絶望の言葉もMakoto Yasuさんの「やることを、それぞれの場所で 信じる道を切り開いていこう」という希望を信じる言葉もどちらもよくわかります。ここには見かけほどの「対立」はありません。私にはどちらも同じことを言っているように見えます。共通しているのは安倍政権への弾劾はもちろん、翁長知事にも安易に信を置かない、ということでしょう。

私も最後にひとこと述べておきます。翁長知事よ。ご託宣はもうたくさんだ。即座に「埋め立て承認撤回」をしなさい、と。


【山中人間話目次】
・辺野古埋め立て問題――宮城健さんの絶望の言葉とMakoto Yasuさんの希望を信じる言葉と阿部岳・沖縄タイムス北部報道部記者の「嘆かず依存せず黙々と」という「視点」の言葉
・辺野古埋め立て護岸工事着手に関する翁長知事の抗議の記者会見全文
・「リベラル21」の常連執筆者の半澤健市さんが紹介する成田龍一さん(大学教員)と中村文則さん(作家)のおふたりの「若者考」が興味深い
・フランス大統領選――マクロン前経済相と右翼・国民戦線(FN)のルペンの戦いをどう見るか?
・国境なき記者団(RSF、本部パリ)26日発表 2017年報道自由度ランキング、日本72位
・シリア空爆の際のロシアとアサド政権の化学兵器(サリン)使用の真偽についてフランス政府は「化学兵器を使用したのは疑問の余地なくアサド政権側だ」とする調査報告書を発表した
キョウ へのこ32

Blog「みずき」:「全体の利益のためとして一部の者に犠牲を押しつける。その犠牲の押しつけを、多数決で正当化する。こんなやり口を民主主義とはいわない。これは多数の横暴であり、差別であり、人権の侵害であり、地方自治の破壊なのだ。アベ政権を支持する者よ、恥を知るべきではないか。」

上記の澤藤統一郎さん(弁護士)の指摘はそのとおりでしょう。しかし、「本日(4月25日)政府(沖縄防衛局)は無許可状態での本格的護岸工事着工を強行してきた。琉球新報が示唆したように、翁長知事は、仲井眞前知事の承認を撤回するだろう。そして、その撤回の効果をめぐって、県と国とは、またまた法廷で対決することになる。(略)沖縄は辺野古建設を拒否する翁長知事を支持し、全国は辺野古建設を強行するアベ政権を支持しているのだ」という澤藤さんの見方は誤まっている、控えめに言っても大甘だと私は思います。

下記の記事で私が指摘しているように翁長知事は政府(沖縄防衛局)による本格的護岸工事が着手されたこの期に及んでも「護岸工事は始まったばかりで、2度と後戻りができない事態にまで至ったものではない」「撤回を視野に入れて、法的な観点や国の日々の動き、全体の流れを勘案しながらあらゆる動きを想定して弁護団と議論している」などという日和見の言説をいまだに弄しています。

翁長知事のこの言説は「2度と後戻りができない事態にまで至」るぎりぎりまで「撤回」宣言はしないと言っているようなものです。しかし、そのときはすでに「時遅し」というべきでしょう。「工事が進めば、工事の差し止め訴訟は敗訴するのが、この種裁判の判例の論理。まして、仮の差し止めは即座に却下されるだろう」というのが実際の司法実務に通じている元裁判官の仲宗根勇さんの見方です。

また、澤藤さんは、「琉球新報が示唆したように、翁長知事は、仲井眞前知事の承認を撤回するだろう」などという楽観論も述べていますが、澤藤さんが引用する琉球新報社説は「知事は埋立承認権者として承認を撤回できるはずだ」「知事選で圧倒的多数の信任を得た辺野古新基地阻止の公約を実現するため、承認撤回のタイミングを逃してはならない」と翁長知事に一日も早く「撤回」宣言をするように強く促がしてはいるものの、「翁長知事は、仲井眞前知事の承認を撤回するだろう」などという楽観的な見通しは述べていません。

澤藤弁護士の言説は沖縄のニュースは主に「赤旗」に頼り、その「赤旗」が翁長知事とオール沖縄を無批判、無条件に支持しているのをさらに支持しているところからくる「井の中の蛙大海を知らず」的な謬論だというのが澤藤弁護士のこの論に関する私の評価です。


【山中人間話目次】
・澤藤統一郎さん(弁護士)の「沖縄の民意を蹂躙するアベ政権の支持者よ、君たち恥ずかしくないか。」という論への異議
・鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)の「『沖縄』『朝鮮半島』―『当事者』はだれか?」(2017年04月25日)
・現在のアメリカと中国の関係、さらに的を絞れば朝鮮(北朝鮮)問題を巡る米中の関係についてもっとも納得のいく田畑光永さん(元TBSテレビキャスター)の論評
・仏大統領選、パリで決選投票進出2候補へのデモ 逮捕者100人以上 - AFPBB News 2017年04月24日
・それにしてもフランス左翼の衰退についてはフランス社会党第一書記・大統領のオランドの責任は大きい
キョウ へのこ31

Blog「みずき」:翁長沖縄県政を糺す。「就任から2年半を迎えようとする翁長雄志知事の評価は、「支持する」が58%、「支持しない」が22%、「その他・答えない」が20%だった。性別や年齢別、地域別を問わず、まんべんなく支持を維持している。支持すると答えた人は、性別では男性の55%、女性の60%。」(沖縄タイムス 2017年4月25日)ということのようですが、このまま埋め立て承認の撤回をせずに安倍政権の「違法行為」を唯々諾々と許してしまうようでは翁長知事の支持率はこのままであるはずがありません。急激な下降カーブを描くことになるでしょう。すなわち、「オール沖縄」なる鵺(ぬえ)のような非存在に支えられた翁長知事の政治的な命脈も尽きるとき、と見てよいでしょう。

【山中人間話目次】
・翁長さんはこの期に及んでも、「護岸工事は始まったばかりで、2度と後戻りができない事態にまで至ったものではない」などという日和見の言説をまだ弄している。
・翁長沖縄県政を糺す
・翁長知事よ、どうする?なおあらゆる手段を使って阻止するという言葉だけの空元気で逡巡するおつもりか!(仲宗根勇FB 2017年4月25日)
・政府が辺野古の埋立て工事に着手 - 琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス 2017年4月25日
・<社説>辺野古護岸着工へ 埋め立て承認撤回する時だ - 琉球新報 2017年4月25日
・日本政府・沖縄防衛局が25日午前9時20分、辺野古新基地建設・埋め立てにつながる護岸工事を開始したと発表した――沖縄タイムス「号外」
キョウ パノプティコン6

Blog「みずき」:私が否定的に評価する朝日新聞の「1強-第2部 パノプティコンの住人」という連載記事を水島朝穂さん(早大教授、憲法学)は「2017年4月18日付1面から始まった『1強、パノプティコンの住人』の連載はなかなか読ませる」と私とは逆に肯定的に評価しています(ただし、「日本のメディア(特にテレビ)の政権批判は鈍く、森友学園問題はほとんど取り上げられなくなった」という状況の中での相対評価としてではあります)。

水島さんと私のこの朝日新聞記事の評価の違いは、つまるところいわゆる「文春砲」をメディアを代表する記事であるかのようにみなす朝日新聞記者への違和感の相違ということになるでしょう。「極右の首相が草の根の支持をかなり受けているという、これほどばかげた時代」(太田昌国FB 2017年4月15日)を象徴するメディアの根腐れ状況を示す端的な事例として私は朝日新聞記者の「文春砲」評価を見ますが、水島さんにはその視点がない。その違いだと思います。しかし、この違いは、共産党が提唱している「野党共闘」や水島さん自身が所属している「学者の会」評価の問題とも絡んできます。私との認識の重要な違いです。


【山中人間話目次】
・私が否定的に評価する朝日新聞の「1強-第2部 パノプティコンの住人」という連載記事を水島朝穂さん(早大教授、憲法学)は肯定的に評価する
・朝日新聞「1強-第2部 パノプティコンの住人」(1~4)は昨日の第5回目をもって連載は終了した
・質問文に「テロ」という言葉があるかどうかで「共謀罪」に関する世論調査結果の賛否が大きく異なってくる、という朝日新聞記事の指摘
・これが正常な、というかふつうの安倍内閣評価。本土の世論調査結果の方が大異常というべきものです
キョウ うるましちょうせん

Blog「みずき」:沖縄県うるま市の市長選挙で自民党と公明党が推薦する現職の島袋俊夫が翁長知事とオール沖縄が推薦する元県議の山内末子を抑えて当選しました。これにより沖縄県内で今年に入って行われた3つの市長選挙のいずれも自民党が支援した候補が翁長知事が支援した候補を破る結果となりました。5753票差でした。投票率は60.7%で前回を1.85ポイント下回りました。

選挙結果として露れた以上の基本的指標を押さえただけでも、一事飛ぶ鳥さえ落とすがごとき勢いであった「翁長人気」「オール沖縄人気」に急速な陰りと衰えが見えていることは明らかですが、その敗因を元裁判官でうるま市在住(うるま市島ぐるみ会議共同代表)の仲宗根勇さんはさらに次のように分析しています。

『辺野古新基地問題を政策にも争点にも打ち出さなかった山内選対の戦略に敗因がある。候補者も応援の翁長知事も辺野古新基地問題は一切触れなかった。相手陣営の経済的利益誘導の公約のレベルでこちらも子供の養育問題など経済問題で争い、公約の違いを鮮明にしなかったのが痛い。公約の違いを鮮明にせよと、私は選対役員会で主張したのだが。現職勝利で、こちらが戦略的に争点化しなかった辺野古新基地建設問題をアベ官邸は「民意は辺野古OK」の世論操作をするのだろう。当分、うるま市の政治風土は変わらないことを思うと、個人的には、挫折感は払いようがないが、「オール沖縄」にとっては口に苦い「良薬」となれば、せめてもの幸いだが、、、。さて、「オール沖縄」はどう総括するのだろう。その総括をきちんとできなければ、「オール沖縄」の滅びの道が口を開けてそこに準備されていることは明らかだ。』(仲宗根勇FB 2017年4月24日)

しかし、私はさらに思います。「山内選対の戦略に敗因がある」というよりも、辺野古新基地建設反対、辺野古埋め立て反対、高江ヘリパッド建設反対という沖縄県民にとっての思想上のベースともいえる「革新」の大義をもって戦おうとせず、逆にその「革新」色を極力消すことが勝利の道(いわゆる勝利至上主義)だと大いなる勘違いをしている山内選対を含むオール沖縄の「思想」そのものに最大の敗北の要因があったというべきではなかったか。いまや「翁長知事讃歌」「オール沖縄讃歌」は百害あって一利なし、という状況さえ自らつくっているのだ、と。


【山中人間話目次】
・沖縄県うるま市の市長選挙での翁長知事とオール沖縄の山内末子さんの敗因について
・鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)もうるま市長選の開票結果について「オール沖縄」陣営の政治責任と沖縄メディアの報道責任を厳しく追及しています
・明日の選挙の結果のいかんに関わりなく辺野古湾の埋立承認撤回は速やかかつ即座に宣言されなければならない
・辺野古基地問題。平安名純代さん(沖縄タイムス米国特約記者)の視点
・石岡裕さんの新垣勉氏の県民投票賛成論攷批判
・衝撃の大きさという点で、本日読んだ記事の中で、この一行の記事に勝るものはない――内閣支持率、58%に上昇 - 共同通信 47NEWS