キョウ やよい61

Blog「みずき」:辛淑玉にはこうしたデマゴーグとしての側面もあります。その辛淑玉の軽率な思想(と言ってよいでしょう)が左翼ゴロツキ暴力組織のしばき隊主宰者の野間易通や大学院生M君集団リンチ事件の加害者である李信恵(フリーライター)を擁護するという愚挙ともなり、また、のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)という差別撤廃運動や沖縄のオール沖縄運動にも少なくない負の影響ももたらしています。辛淑玉を人権運動のオピニオン・リーダーのように言うのは一面的なメディアの情報に誘導された大きな誤解というべきでしょう。(東本高志FB 2018年3月16日)

『辛淑玉氏がドイツで行った福島へのスピーチ。こうして海外に福島や日本に対する誤解と偏見、差別の種が蒔かれてしまっています。ドイツ二都市で開催された講演会で福島に関するデマを拡散 – Fact Check 福島』(林智裕Twitter 2018年3月15日)

『これはデマを広めて人々を扇動しようとする活動家たちに、海外の人々が利用されてしまった事例です。

ドゥッセルドルフでのドイツ語通訳付き講演会の様子は、デマ情報を数多く含んでいるにもかかわらず、内容が訂正されることも注意書きが加えられることもないまま、現在もインターネット上で共有されつづけています。

辛淑玉 (しんすご) 講演会 『反原発とヘイトクライム』前半
http://youtu.be/FlDldjp2yJI 
辛淑玉 (しんすご) 講演会 『反原発とヘイトクライム』後半
http://youtu.be/X14Zt3kHUq4 

以下、講演会中の発言のデマや印象操作を大まかに、(1)放射線量に関するデマ・印象操作、(2)甲状腺がんに関するデマ・印象操作、(3)妊娠・出産に関する放射線の影響のデマ、(4)被曝死・被曝を連想させる印象操作・デマ、(5)食品の放射線汚染のデマ・印象操作の五つの項目別に分類して引用し、検証します。 』(ドイツ二都市で開催された講演会で福島に関するデマを拡散 – Fact Check 福島 2018年3月16日)


【山中人間話目次】
・辛淑玉にはこうしたデマゴーグとしての側面もあります――ドイツ二都市で開催された講演会で福島に関するデマを拡散 – Fact Check 福島
・「内閣支持急落39%=不支持5カ月ぶり逆転-森友文書改ざんが打撃」(時事通信 2018/03/16)というニュースが飛び込んできました
・このNHKニュースは見応えがあります――自殺職員“1人の責任にされる”|NHK 首都圏のニュース
・こういう視点からのニュースがあってもいいのではないか――アサド政権軍の爆撃で傷ついた猫
・トランプが新CIA長官に指名したジーナ・ハスペルは「拷問のための拷問をおこなった」(CIAの内部告発者)人物だと言います
・加藤哲郎さん(元一橋大学教員)の昨日付の「財務省公文書偽造は「権力の私物化」を納税者が追いつめるチャンス!」という月2回掲載のコラムから
キョウ やよい48

Blog「みずき」:盛田常夫さん(在ブダペスト、経済学者)の「物価目標=金融緩和政策=アベノヨイショ政策」と俗物経済学者(この俗物経済学者の中には共産党系の自称マルクス経済学者(実態はアベノヨイショ学者)も多い)批判。

『世の中、根拠のない「非常識」や誤解でも、それが流布され蔓延すると、あたかも「常識」のようになってしまう。とくに経済学はその誕生から現在まで、精密科学であったことはなく、常に、経済現象の部分的で不正確な分析を行う学問に過ぎなかった。社会主義社会でも資本主義社会でも、為政者は経済政策をあたかも自然科学のような確実性をもつものと錯覚させ、国民支配の道具に利用してきた。ソ連型社会主義の「5カ年国民経済計画」や中国の「大躍進」、日本の「アベノミクス」などはその典型である。どれも皆、権力を維持するためのスローガン(国民への号令)の域を超えるものではない。』

『経済政策は常にイデオロギー的性格をもち、政策の有効性が実現しないまま、経済危機によって経済政策の無力さが露呈するまで堅持されるのが常である。しかも、無効になった経済政策をきちんと検証し、将来の政策に活かことなど稀である。経済政策が効かなかったのは、想定した条件に変化が生じたからと説明されるのが落ちで、それぞれの政策がきちんと総括された例(ため)しがない。それで済まされるのは、大仰な経済政策スローガンが時の権力の経済イデオロギーに過ぎないからだ。経済学者と称される人々もまた、権力に寄り添った提言を行うことによって、イデオロギー的な支援を与える。なぜなら、権力に歩み寄ることで政府の関係ポストを得て、それなりの社会的地位が獲得でき、経済的な利得も期待できるからだ。だから、この種の経済学者には俗物が多い。こういう人々は政治家と同類で、自らの提言が間違っていても、決して誤りを認めることはない。』


【山中人間話目次】
・盛田常夫さん(在ブダペスト、経済学者)の「物価目標=金融緩和政策=アベノヨイショ政策」と俗物経済学者(この俗物経済学者の中には共産党系の自称マルクス経済学者(実態はアベノヨイショ学者)も多い)批判
・太田昌国さんの川上徹(元民青全学連委員長)との思い出。なお、川上徹さんの査問事件の真相については宮地健一さんの「新日和見主義『分派』事件」という記事が詳しい
・【速報】森友文書の改竄によって「昭恵夫人」の名前を削除した事実を財務省が認めたと、ANNが報道
・安倍よ。お前の言うことなど私はまったく信用しない!――森友問題 首相「全容解明へ調査進めたい」 NHKニュース
・朝鮮半島情勢を読む(7)――浅井基文さん(元外交官、政治学者)の「米朝首脳会談」へと動き出した朝鮮半島情勢の見方(2018.03.11)
・「出版とは闘争である」との思想を実践されている未来社社長であり詩人でもある西谷能英氏の激烈な沖縄的状況論――いまこそ改めて読まれるべき論だと思います
・この記事は、大学院生M君集団リンチ事件の加害者である李信恵(フリーライター)らの暴力犯罪には頬かむりしたまま、いまだに李を擁護する毎日新聞と後藤由耶記者に対する強烈なカウンターパンチになっている
・木村剛久さん(元共同通信編集者)の橋本健二著『新・日本の階級社会』書評。私たちがいま住んでいる社会がどういう社会であるか、を改めて気づかせてくれる指摘だ
キョウ やよい43

Blog「みずき」:東日本大震災、福島第一原子力発電所の原子力事故(メルトダウン)から7年の月日が流れました。

私がもっとも嫌悪するのは、この間、「(東京が壊滅する日まで)タイムリミットは1年しかない」などの悪質な「放射能デマ」で日本の世論を誤誘導、扇動し、それを自らの金もうけの手段にしてきた武田邦彦や広瀬隆、上杉隆、岩上安身などのデマゴーグたちの存在です。そして、そのデマゴーグたちに加担して「福島差別」(デマを含めて福島の放射能汚染をことさらに強調する)を助長してきた「民主勢力」(共産党や社民党、労働・平和団体)、メディアの存在です。いま、日本の世論はそうしたデマゴーグとデマゴーグたちによって洗脳された「民主勢力」とメディアによって回復不可能なまでに分断されています。そのいまの日本の分断された世論の状況が安倍晋三の長期政権を許してきたともいえるのです。私はこのふたつの問題は「根はひとつ」だと思っています。すなわち、日本の社会と政治の右傾化の問題です。このふたつの事象のどちらにも日本共産党が大きく関わっていることがそのことをよく証明しえているでしょう。日本の社会と政治の右傾化がことさらに酷くなったのはこの7年のことです。


【山中人間話目次】
・デマゴーグたちの「福島差別」デマに見る回復不可能なまでの日本の世論の誤誘導、扇動、そして、分断――日本の社会と政治の右傾化がことさらに酷くなったのはこの7年のことです
・やはり国税庁の佐川長官の辞任劇は官邸(安倍・麻生一派)が描いた自作自演のシナリオだった。そのトカゲのしっぽ切りの謀略劇の一端が下記の記事の流れからも読み取れる
・承前「森友問題決裁文書改竄」問題――私と同様の認識を「kojitakenの日記」と「広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)」も述べています
・安倍政権の庶民収奪の苛政政治(暴政。重税・重労働・超低賃金政治。「百姓と胡麻の油はしぼればしぼるほどとれる」政治)は到る分野、到るところに及んでいる
・「国際女性デー」の8日、スペイン各地で女性たちが男女の賃金格差や性暴力などに抗議してストライキを行い、労働組合によると全国で500万人以上が参加した
・原武史(放送大学教授・政治思想史)の早瀬圭一著『老いぼれ記者魂 青山学院春木教授事件四十五年目の結末』書評
キョウ やよい39

Blog「みずき」:内野光子さん(歌人、短歌評論家)の現代歌壇時評。というよりは、現代歌壇批判。歌誌『ポトナム』2018年3月号に掲載されたものという。

『もう数年前のことになり、歌壇では、忘れかけている人も多いかもしれない。作家の金井美恵子の「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」(『KAWADE道の手帖 深沢七郎』二〇一二年五月)という長い題を持ったエッセイが、痛烈な短歌批判をしているとして、歌壇を騒がしていた。エッセイのタイトルは、歌壇にいささかの関心のある人ならば、「たとへば(君)」が、河野裕子・永田和宏歌人夫妻が、妻の没後刊行された永田の『たとへば君 四十年の恋歌』(文芸春秋 二〇一一年七月)と河野の一首「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」に由来し、「告白」は、岡井隆の自伝『わが告白 コンフェシオン』(新潮社 二〇一二年一二月)を念頭に置いていることがわかる。

「『風流夢譚』は短歌について書かれた小説である。では、短歌とは・・・」で始まる、金井のエッセイは天皇賛美を繰り返し、歌会始選者から御用掛となった岡井とともに、夫妻で歌会始選者を務め、在任中に病死した河野への挽歌が新聞歌壇に溢れた現象を斬ったのである。彼らを「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」、「短歌という巨大な共同体的言語空間」をなす歌壇のなかに位置づけ、短歌批判を展開している。歌人による反響がかなり見られたのだが、その大方は、真っ向からの反論というわけではなかった。

私としては、かねてより、現代短歌が天皇や皇室から自立しないかぎり、文芸の一ジャンルとしては成り立たないと考えているので、金井からの問題提起は、刺激的でもあり、説得力があると思えた。

松村正直は、「短歌を作るものは、短歌の世界だけにとどまってはいけない。短歌の魅力や仕組みを多くの人に広めていく必要がある」(「短歌への嫌悪感」『短歌』二〇一二年九月)として、「金井の論考は、何よりもそのことに気づかせてくれた」という。島田修三は、「昨今の現代歌壇に対する洞察としては、かなり正確に中心を射ぬいている」としながら、「金井には短歌を同時代に文学として理解しようとする意思はほとんどなく、とりつく島のない高飛車な狭量に腹立たしさを覚えたりもしたのだった」と書く(「もの哀しさについて」 角川『短歌年鑑』平成25年版 二〇一二年一二月)。沢口芙美は「いつの間にか歌壇内だけの視野狭窄に私たちは陥っているのではないか」として、金井の論考に触発されて「うた全体に亘るきびしい自己批評の目をもたなければならないのではないか」と述べた(「今年の提言―きびしい自己批判の目を」『歌壇』二〇一三年一月)。

そんな中で、激しい口調で反論したのは、大辻隆弘だった。「金井の文章に底流するのは、文壇のなかに今も根強く残る短歌への蔑視である。それは、現代短歌を<和歌>とみなし、それを天皇制と直結させる偏狭で硬直した戦後左翼的な短歌観に他ならない」とするものだった(「短歌月評:歌否定論」『毎日新聞』二〇一二年一一)。現代短歌と天皇制とを直結させる「偏狭で硬直した戦後左翼的な短歌観」など、いまどこを探しても見出せないほど、歌人たちは、ものわかりがよくなって、ウィングを広げに広げてエールを送り合っている。金井の他のエッセイや小説を少しでも読めば、発想の自由さと表現の自在さに圧倒されることはあっても、「偏狭」「硬直」などとの批判は、むしろ的外れの感がある。真っ向から反論しなかった論者たちも、金井の指摘する具体的な歌壇の現象についてのコメントは避けて、配慮に満ちた、未来志向の模範解答に逃げ込んではいなかったか。』(内野光子のブログ 2018年3月9日)


【山中人間話目次】
・現代歌人の金井美恵子の「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」という長い題を持ったエッセイの読み方について
・承前「森友問題決裁文書改竄」問題――佐川氏辞任で麻生副総理会見 また、トカゲのしっぽ切りで終わってしまった
・NHKをハーフ・リタイアしたtoriiyoshikiさんの「忘却に抗う〜福島原発裁判・原告たちの記録〜」(Eテレ3月10日23時放送)の番組案内
・菅野完をRTしながら、#metoo と言う人に、言いたいこと――私はさらに辛淑玉を「リツイートすることの意味」、田中龍作を「リツイートすることの意味」・・・とつなげたいところです
・太田昌国さんの米朝首脳会談とその愚劣な政策路線ゆえに当然にも置き去りにされた日本国首相・官房長官・外相の狼狽ぶりについて別な視点からのアプローチ
・「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」――東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイの回想
キョウ やよい31
記事には「北朝鮮は依然、北東アジアの脅威である」とある
「赤旗」2018年3月8日

Blog「みずき」(1):『日本共産党「赤旗」のこの記事については、白々しさしか感じない。「制裁を、制裁を、なおいっそうの制裁強化を」と叫び続けたのは、どこの国の共産党党首だったのか。』(相沢侃FB 2018年3月8日)

さらに言おう。この志位談話は単に「白々しいウソ」というばかりでなく、うそで塗り固めた党史の「白昼の改竄」にほかならない。こういうのを「権力犯罪」というのだ。きさまらに安倍政権の「森友問題決裁文書改竄」問題を追及する資格など一片もない。攻守所を変えれば同じことをすることをきさまらは見事に証明しているのだ。共産党よ。お前たちはどこまで堕していくのか!

Blog「みずき」(2):「kojitakenの日記」の以下の認識を共有します。kojitakenさんの言う「『小沢信者』系『リベラル』」の相当多数が共産党系であったことが数々の例証からいまは明らかになっています。そうした政党群の連合(「野党共闘」というらしい)に期待できるわけがない、というのがさらなる私の認識です。安倍政権下でのツケは私のようなこうした徹底的な「リベラル」「左派」不信にも如実に現れている、というのがさらにさらなる私の認識です。

『「リベラル」たちの間に小沢一郎の威光がもっとも強かった民主党政権時代の2010〜12年頃、一部「リベラル」たちの間には、「55年体制の『保守』対『革新』に代わる新しい対立構図は『官僚主導』対『政治主導』だ」という俗説が流れていた。また、2012年に山本七平賞受賞歴のある保守の(というより民族主義派右翼に近いかもしれない)元外務官僚・孫崎享がその稀代のトンデモ本『戦後史の正体』で政治家を「自主独立派」対「対米従属派」に分け、岸信介・佐藤栄作・鳩山由紀夫・小沢一郎らを「自主独立派」に分類して、「小沢信者」系「リベラル」に馬鹿受けしたこともあった。 「リベラル」は今、当時のツケを安倍政権下で払わされているのではなかろうか。』(kojitakenの日記 2018-03-08)


【山中人間話目次】
・日本共産党「赤旗」のこの記事については、白々しさしか感じない。「制裁を、制裁を、なおいっそうの制裁強化を」と叫び続けたのは、どこの国の共産党党首だったのか
・kojitakenさんは言う。「リベラル」は今、当時のツケを安倍政権下で払わされているのではなかろうか、と。当時のツケとは小沢一郎や孫崎享盲信のツケということです
・この鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の認識をも強く共有します――なぜ朝鮮にだけ「非核化」を求めるのか
・内野光子さん(歌人、短歌評論家)はまっとうな市民のいらだちであり、「野党やメディアも総力をあげて取材の上、さらなる事実を突き止めて欲しい」というのはまっとうな市民の声だ
・毎日も入手!もう逃げられない。(金平茂紀FB 2018年3月8日)――森友文書:別文書に「特殊性」の表現 国会開示にはなし - 毎日新聞
・原武史の四方田犬彦著『台湾の歓び』(岩波書店)書評。四方田犬彦はたしかに気になる存在ではある
キョウ きさらぎ54

Blog「みずき」:一昨日は小林多喜二の没後85年目の多喜二忌だったようだ。日本共産党副委員長の市田忠義が昨日付の自身のFBに「時代に向かう研ぎ上げた言葉を」と題された『民主文学』に所属する作家の浅尾大輔の小林多喜二を顕彰する一文を読んだ感想を書いている。

しかし、私は思う。

被害国の過半の国民が拒否し、いまは韓国の文在寅政権も廃棄を求めている「日韓合意」を「問題解決に向けての前進」(志位談話。しんぶん赤旗 2015年12月29日)と評価し(いまだに志位談話の過ちを認めていない)、天皇が玉座から国民代表の議員を見下ろして「おことば」を賜るという戦前の大日本帝国憲法下の国会開催の様式を遺す開会式の出席を決め、かつ、宮中の「歌会始」の選者を赤旗「歌壇」の選者に選定し、さらに「辺野古に新基地を造らせないとの思いにみじんも揺らぎはない」と口では言いながら、実際は辺野古埋立・新基地建設の促進に手を貸している翁長知事の二枚舌政治に加担し、支持するいまの共産党に小林多喜二を顕彰する資格などありはしない、と。

仮に多喜二がいま生きていたとして、いまの共産党の奈落のさまを見てなんと思うだろうか。自身を冒涜されたように思うに違いない。そして、「こんな党は共産党ではない」と断乎として言うだろう。いまの共産党に小林多喜二を顕彰する資格などありはしない、と。


【山中人間話目次】
・「辺野古に新基地を造らせない」と口では言いながら、実際は辺野古埋立に手を貸している翁長知事の二枚舌政治に加担し、支持するいまの共産党に小林多喜二を顕彰する資格などありはしない
・サンゴの特別採捕許可の撤回を求めて県との交渉――甘くみてはいけない。ここにいるのは承認取り消しの取り消しを擁護し、辺野古現場における翁長批判を分裂者呼ばわりした名うての翁長擁護者がほとんどだ
・昨日の記事から2本の関連応答を抽出する。ここにはいまこの時期に考えてみるべき大切な提言が含まれている、と私は思う。
・俳人の金子兜太が死去した。私は晩年の金子兜太を評価しないが、彼が郷里の秩父事件に深い関心を寄せ、同事件と自由民権運動を短絡的に結びつけようとする民主主義者たちの表層的な論の低俗性を喝破した時代の眼には深い敬意を持つ
・木村剛久さん(元共同通信編集記者、「海神日和」ブログ主宰者)が西部邁論(西部邁『ファシスタたらんとした者』を読む(1)~(6))をまとめた記事を書いています
・デジタル鹿砦社通信が「朝日新聞本社広報部・川野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃」という「リベラル」と世間的には認知されている現在の日本のメディアの虚妄と欺瞞を衝く記事を掲載しています
・承前。昨日19日、京都大学職員組合も「立て看板規制に対する声明」 を発表しました
キョウ きさらぎ13 

Blog「みずき」:詩壇の芥川賞とも呼ばれるH氏賞受賞(2003年)詩人の河津聖恵が今年から2年間の予定で「しんぶん赤旗」文化欄の「詩壇」を担当しているという。この1、2年彼女のブログ「詩空間」から遠ざかっていたので今朝、私はそのことをはじめて知った。河津は2年ほど前までは辺見庸の熱心な読者だった。その河津が辺見の熾烈な「赤旗」批判を知らないはずがない。が、その河津も「赤旗」の「有名人縋りつき作戦」に籠絡したかという思いが走る。河津は頻繁に辺見を引用していたが、実のところ辺見をちっとも読めていなっかったのだ。河津という浅薄な詩人の無残なさまを見る。内野光子さん(歌人、短歌評論家)の「短歌に限らず、最近の『赤旗』の「有名人縋りつき作戦」には、いささかゲンナリしている」という文章を再録しておく。

『来年に迫った生前退位を前に、様々な形での「平成回顧」報道は激しさを増すだろう。そして、天皇夫妻の短歌の登場の場も増えるだろう。いま、「生前退位」という日本近代史初の体験をするわけだが、平成晩年に至って、「右翼」ならずとも、保守は「尊王」を、リベラル派と言われる人たちも天皇期待論を、躊躇なく口にするようになった。これからは、天皇夫妻が、戦死者や遺族、被災者はじめ国民に寄り添い、平和を願い、祈り続けるメッセージを短歌に読み取り、思いを寄せ、期待する歌人や論者が続出するだろう。1月1日の『朝日新聞』は、朝日歌壇・俳壇の選者の新春詠を掲載した。馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の4人が2首づつ発表しているので、その1首目を記す。(短歌省略)また「歌会始の選者」を持ち出すとは、とクレームがつきそうだが、永田は、歌会始の選者だ。ほかの三人は、オファーはあったと思うが、踏みとどまっている歌人たちではないか、と私は推測している。(省略)1月1日の『赤旗』の「文化学問」欄は一面全部を使って、詩人・俳人・歌人・画家の作品が並んだ。歌人は、何と穂村弘の「ゆで卵」と題する5首で、そのうちの2首を記す。(短歌省略)穂村は1962年生まれだから、50代後半だろう。いまや「歌壇」をけん引する歌人でもある。ナンセンスにも近い印象が先に立ち、私は、短歌としての魅力を感じないのだが、エッセイやトークでの出番が多いらしい。三枝昂之とともに『日本経済新聞』の「歌壇」の選者も務める。穂村の起用で、『赤旗』が若い読者を増やせるとも思えない。短歌に限らず、最近の『赤旗』の「有名人縋りつき作戦」には、いささかゲンナリしている。』(内野光子のブログ 2018年1月3日)


【山中人間話目次】
・詩壇の芥川賞とも呼ばれるH氏賞受賞詩人の河津聖恵が今年から「しんぶん赤旗」文化欄の「詩壇」を担当しているという。河津も「赤旗」の「有名人縋りつき作戦」に籠絡したかという思いが走る
・内野光子さんの「ハンセン病対策に皇室がかかわったことによって差別が助長された」という天皇(制)批判と対比して読みたいのは、原武史のあまりに安易に皇室とハンセン病患者との関わりを肯定的に評価する書評の認識です
・大学の自治と学寮の自治を山極壽一京大総長以下の京大当局の「学内管理強化」という名の大学の自治破壊行為から守ろう!
・徐京植さん(ソ・ギョンシク。東京経済大学教授)のパブロ・ネルーダ論小景。そして、宋神道論小景
・浅井基文さん(元外交官、政治学者)の包括的な「朝鮮半島核問題」解決に向けての問題提起
・西部邁『ファシスタたらんとした者』を読む(4) 海神日和 2018-02-04
キョウ きさらぎ4
左から岩上安身氏、澤藤統一郎氏、梓澤和幸氏

Blog「みずき」:澤藤統一郎弁護士が同弁護士の「スラップ被害者に『同憂相救う』の連帯を呼びかける」 という記事を批判した私の1月26日付の「岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです」というFB記事に対する反論ないしは反批判を書いています。

澤藤弁護士の反論の要点は、結論部分の「岩上の『知事である橋下が、大阪府の幹部職員を自殺に追い込んだ』というRTは(1) 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」(2) 「その幹部が自殺した」(3) 「自殺は橋下のハラスメントよって、追い込まれたものである」という3構成要素から成り立っている。(1)と(2)とは、直接間接の証拠によって挙証の対象となる『事実の摘示』であるが、(3)は(1)と(2)を結ぶ因果関係の存在という推論的判断でそれ自体が直接の立証対象となるものではない。が、この因果関係推論は、『意見・論評』の範疇として表現の自由が高度に保障されなければならない。とりわけ、府知事という権力者における部下に対する加害という批判の言論においては、最高度の尊重が要求される」(要約)というところにあるでしょう。

したがって、この部分の主張の論理の整合性を吟味してみることにしますが、第一に(1) 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」と(2) 「その幹部が自殺した」という因果関係の間には大きな飛躍があると言わなければなりません。「その幹部が自殺した」理由を第一義的に 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」からと即断することはできません。「その幹部が自殺した」理由はその他の理由だった可能性もおおいにありえるからです。私はその幹部の生活実態を知りませんから抽象的にいうほかありませんがその可能性は否定できないでしょう。だとすれば(1) だから(2) だということは当然には言えません。第二に第一と同じ理由で(2) 「その幹部が自殺した」から(3) 「自殺は橋下のハラスメントよって、追い込まれたものである」とも当然には言えません。澤藤さんは左記の関係性を「因果関係推論」と言われますが、ひとつの「因果関係推論」だとは言えても決定的な「因果関係推論」だとは言えないだろうと私は思います。そうした決定的とは言えない「因果関係推論」、すなわち、不確かな推論によって常識的に考えて「知事である橋下が、大阪府の幹部職員を自殺に追い込んだ」などと当事者の名誉を犯罪者でもあるかのように決定的に毀損する言辞を吐いていいものでしょうか。たとえRTであったとしてもです。私は岩上の行為はデマに相当すると考えます。この問題は裁判問題になっていますから当然この論点についても争われるでしょうからここではこれ以上のことは言うことはしません。

ただ、岩上安身という人物についていささかのことを言っておきます。岩上安身には以下のような批判があります(本文参照)。

【山中人間話目次】
・澤藤統一郎弁護士の弊記事批判に反論する――そして、岩上安身のデマゴーグ性とイエロージャーナリスト性をを改めて白日の下に晒す
・沖縄弁護士会の新会長選出と翁長知事礼賛の相関について
・仲宗根勇さんの「今辺野古埋め立て承認撤回の期は爛熟している」という論に「爛熟」という言葉に込められた翁長県政批判の「腐敗」への懸念と危機感を読み取る
・稲嶺進陣営(「オール沖縄」)の選挙ポスターの「市長と県知事が許可しなければ新基地は止められる。」という標語はどこかおかしくないですか?――「アリの一言」ブログの「名護市長選・稲嶺陣営は翁長知事に「即時撤回」要求を」
キョウ きさらぎ3

Blog「みずき」:半澤健市さんは言う。「このように安倍の属性をバカにして終わる自己満足は政権を延命させているのではないか」、と。私もそう思う。そして、「安倍の属性をバカにして終わる自己満足」をしているのはいまのいわゆる「リベラル・左派」だとも思う。彼(女)らが安倍「政権を延命させている」と思ってもいる。この点では半澤健市さんと私も認識は同じだ。だから、私は、「安倍改憲NO!」(新9条論者のいう「9条改憲」はOKの意)などという馬鹿げた論理で「共闘」しようとしている野党共闘路線は支持しないし、反対する。

『《バカにして終わる批判は利敵行為》安倍内閣の支持率は依然として高い。正面から攻める役割を担うべき、情報量の豊かな筈の、国会議員やマスメディアの攻撃は一向に突破力がない。そこで低水準の反発が始まる。同憂の知己・友人と話しても、安倍のキャリア―すなわち学歴、留学体験、企業経験―を取り上げて、個人的な能力のなさを嘲笑して終わる。字が読めない(「云々」を「でんでん」と読んだ)、字が書けない(「成蹊」の「成」が書けない)、憲法の原理を知らない(私は「立法府の長です」と言った)という話があり、安倍を教えた成蹊大学の加藤節氏らによる低い評価(青木理による『AERA』記事など)の話題がある。このように安倍の属性をバカにして終わる自己満足は政権を延命させているのではないか。一面的に過ぎるのではないか。安倍内閣のファシズム化は彼個人の思いつきなどで進んでいるのではない。(略)

安倍政策の立案、構造、実現は「知性なき坊や」の独走などではない。舞台裏に悪い奴がいるのであろう。軍産複合体・原子力村、グローバル資本主義者、無責任体制の官僚機構。これらが内外にいる。安倍一強は、彼らのシナリオに従ってで踊る人形である。これが私の推定だ。その当否は一つ一つ事実を露わにしていくしかない。9条2項に続く「自衛隊」項目挿入は、2017年5月に、右翼集会でのテレビ画面に現れた安倍発言に始まった。これを前提とするのが現在のメディア状況である。御手洗ビジョンを考えたり書いた者たちは、昨今の改憲論議を「非知性的」だと思っているに違いない。』(半澤健市「リベラル21」2018.01.31 )


【山中人間話目次】
・半澤健市さんは言う。「このように安倍の属性をバカにして終わる自己満足は政権を延命させているのではないか」、と――半澤健市「知性なき坊やという批判は一面的である」
・木村剛久さん(元共同通信編集記者、「海神日和」ブログ主宰者)の西部邁論(西部邁『ファシスタたらんとした者』を読む)を一歩ずつ遅れて転載しよう――西部邁『ファシスタたらんとした者』を読む(1)
・世界が震撼した『ゆきゆきて、神軍』から31年――原一男監督 待望の最新作 『ニッポン国VS泉南石綿村』
・日本で最大級の産業廃棄物不法投棄事件(1975年-1990年)が起きた豊島(瀬戸内海の東部)の事件現場を撮影した藤井光映像作品『暗唱の家』
キョウ むつき64
「沖縄」の視点からの野中広務批判

Blog「みずき」:小渕、森の自民党政権下で官房長官や自民党幹事長などを歴任した野中広務が92歳で死去しました。メディアで自らの戦争体験に基づく「戦争反対」論を再三語ってきたということもあり、晩年はいわゆるリベラル陣営からも「保守リベラル」などともてはやされることも少なくなかったのですが、しかし、野中広務はほんとうに平和主義者だったと言えるのか? その野中広務の「平和主義者」の真正の正体を目取真俊さん(沖縄在住、作家)が「沖縄」という視点からの目で告発しています。2010年の8年前の記事ですが、いま読まれるべき記事だと思います。

ところで、いまの「リベラル・左派」の右傾化を批判するリベラルとして知る人ぞ知るリベラル論者のkojitakenさん(「kojitakenの日記」主宰者)が目取真俊さんが野中広務批判の負の実例として引用している魚住昭著『 差別と権力』 (講談社文庫、2006)を「野中広務の『光』の部分としての『差別との闘い』はやはり記しておかなければならないだろう」として肯定的に紹介しています(kojitakenの日記 2018-01-27)。それぞれ「差別」と「権力」の部分に焦点を当てていて取り上げている論点は違うようなのですが、総じてリベラル論者というものの視力のなさ、あるいは思想の劣化というものを残念ながら私はここでも確認せざるをえません。


【山中人間話目次】
・野中広務の「平和主義者」の真正の正体を告発する目取真俊さんの視点と野中広務をただ礼賛するリベラルの節穴の視点
・いま改めて読まれるべき相沢侃さんの翁長沖縄県知事批判と日本共産党「赤旗」批判――忘れてはならぬ翁長発言とそれを隠蔽した「赤旗」
・いま、その辺野古の地元である名護市長選挙の真っ最中だ。この選挙を翁長知事の再選戦略に利用させてはならない――内閣府副大臣のヤジ辞任問題に関連して
・岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです――澤藤統一郎の憲法日記「スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける」
・柴崎友香著『千の扉』(2017年)のBOOKウォッチ編集部の書評――公営住宅の視点から見る『千の扉』の視点の清新さ
キョウ むつき56

Blog「みずき」:西部邁をただ追悼するだけでなく、ここで彼の保守主義者、保守主義思想の問題点も指摘しておくべきでしょう。下記のビデオからひとつの例をあげておきます。西部は「学者もジャーナリストも世の人はなべて既得権益はすべて悪いように言うが、よい既得権益もある。文化とはそもそも既得権益の積み重ねというべきではないか」と言います。しかし、ここには「文化」と「既得権益」という論の前提のすり替えがあります。誰も私たち人間の集団が長い年月をかけて形成してきた慣習=文化のすべてを悪いものだなどとは言ってはいません。そのうちの悪い慣習を既得権益と呼び習わしているだけのことです。それを西部は饒舌にまくしたてて白を黒と言いくるめてしまう。ここに西部の常套手段としてのすり替え論法のレトリックがある、と指摘しておかなければならないでしょう。他の西部の論断も推して知るべしと言っておきます。

【山中人間話目次】
・西部邁の自死をただ悼むだけでなく、ここで彼の保守主義者、保守主義思想の問題点も指摘しておくべきでしょう――西部のすり替え論法について
・内海信彦さん(画家、早大「ドロップアウト塾」主宰)の西部邁追悼――60年近くの時を経ても、死に至る呪詛が、西部邁には取り付いていたのではないでしょうか
・私には思いがけなかったのですが、柳美里も西部邁との思い出を綴っています――付:【動画】西部邁×富岡幸一郎×柳美里「人生にはやらなくていいことがある」
・沖縄県の南城市長選断想
・当然の道理だ。が、その当然の道理が当然の道理として通らない日本社会とはなにか? 私は暗澹とするほかない――朝鮮学校の差別・窮状はひとごとではない - アリの一言 
・小林はるよさん(長野県在住、有機農業家) の「私にとっての朝鮮(2000年の時空)-2 今日」の一節から
・弁護士ドットコムの記事は安易な「RT(リツイート)」は名誉毀損に当たるとした裁判例があることを示唆したもので、興味深い記事です
・加賀乙彦の作家による作家の1年後の『長崎の語り部、林京子さんの命日』という追悼文
キョウ むつき49

Blog「みずき」:澤藤統一郎さん(弁護士)の「澤藤統一郎の憲法日記」(2018年1月19日)を読みました。松井一郎(大阪府知事、日本維新の会代表)が米山隆一新潟県知事を550万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した一件はスラップ訴訟にほかならないという趣旨の記事ですが、日本維新の会絡みの訴訟ということで私はこの記事とは別件ですが作家の星野智幸さんが2年前に「橋下行政最大の負の遺産はヘイトスピーチの隆盛だ」として日本維新の会代表(当時)の橋下徹(前大阪府知事、前大阪市長)を批判した書評を思い出しました。その書評には次のように書かれていました。

『彼が政治家になった7年半で、ずいぶん荒っぽい言葉が社会に蔓延するようになった。それまではネットの中にとどまっていた攻撃的で排他的、汚い言葉遣いで誰かを罵るような人が増えた。彼の悪影響は大きいと思います」彼とは、橋下徹・前大阪市長。大阪のテレビ局で行政を取材してきたベテラン記者の感想である。橋下氏が大阪府知事選に出馬してから現在に至るまでの、メディアとの関係を詳細に検証した本書を読んで、私がまず思ったのも、橋下行政最大の負の遺産はヘイトスピーチの隆盛だということだ。(略)メディアは「『言葉』を橋下に乗っ取られてしまった」のだ。橋下氏をなぞるように暴力的な物言いをし、表現の自由だと主張する者たちも、それを黙ってやり過ごす私たちも、言葉を乗っ取られている。』(松本創著『誰が「橋下徹」をつくったか 大阪都構想とメディアの迷走』 書評 朝 日新聞 2015年12月20日)

その「罵り言葉」の氾濫はいま、さらにさらに氾濫を重ねて日本中を罵倒と暴言の溢れるすさまじいまでの荒涼の地にしています。そのことを端的に示しているのが金平茂紀さん(TBS『報道特集』キャスター)の「従軍慰安婦合意を巡る報道 感情に支配されていないか」という週刊テレビ評についたコメントの数々(毎日新聞FB 2018年1月19日)です。以下の如し(略)。

ヘイトスピーチや罵り言葉は「言論の自由」とはまったく関係がありません。というよりも、むしろ、「言論の自由」を蹂躙するものでしかありません。メディアはこうした似非「言論の自由」の傍若無人の狂奔を許してはなりません。自ら自滅の道を進むだけです。

【山中人間話目次】
・「罵り言葉」の氾濫について――作家の星野智幸さんが2年前に「橋下行政最大の負の遺産はヘイトスピーチの隆盛だ」として日本維新の会代表(当時)の橋下徹を批判した書評を思い出しました
・この国に「三権分立」など存在しない。恐ろしい日本の行政(内閣)と司法の支配と隷属の現実――捜査尻すぼみのリニア談合疑惑 ウラに官邸の“粛正人事”か
・ここで両者を並列的に対置して論ずることは結果としてメディアの総右傾化(非ジャーナリズム化)とでも言うべき権力迎合の朝鮮バッシングに加担してしまうことになってしまうのではありませんか?
・インディオは、人生の大部分を押し黙って、音のない所で過ごす――沈黙の世界の内側で人生を過ごすということ

キョウ むつき48

Blog「みずき」:日本のメディアと韓国、中国のメディアのフィリピンのドゥテルテ大統領発言報道は180度違います。韓国、中国メディアの報道はドゥテルテ大統領発言を「慰安婦像の設置は被害者とその家族の表現の自由」について述べたものとし、日本のメディア各社の報道はドゥテルテ大統領発言は慰安婦像問題について「しっかりとした措置取る」と述べたものとしています。この違いは日本のメディアのニュースソースは自民党総裁外交特別補佐の河井克行衆院議員発言であり、韓国、中国メディアのニュースソースはフィリピン当局ないしはフィリピンの現地メディアであるというところからきているようです。日本のメディアは第一次ソースの取材を怠り、第二次ソースでしかない自民党議員の発言に依拠しているさまが以下の記事から明瞭に読み取ることができます。しかも、自民党議員の発言には安倍政権サイドのバイアスがかかっていることも明らかです。また、そうしたバイアスのかかったいわば二次資料を根拠にして記事を書いているのですから日本のメディアの報道の方に信憑性がないことも明らかです。日本のメディアの嫌韓、嫌北体質、あるいは権力迎合体質はフェイクニュースをつくるところまで退嬰しているということです。日本のメディアはジャーナリズムと呼ぶに値しないことはここでも明らかです。私たちはなんという国に住んでいるのでしょう。

【山中人間話目次】
・日本のメディアと韓国、中国のメディアのフィリピンのドゥテルテ大統領発言報道は180度違います――日本のメディアの嫌韓、嫌北体質、あるいは権力迎合体質はフェイクニュースをつくるところまで退嬰している
・私は、朝鮮(北朝鮮)をバッシングする視点ではない尋常(ごくふつう)の視点で書いた大手メディアの記事をはじめて読んだ気がします――メディアはもっとこうしたまっとうな意見、主張、記事を発信するべきではないか
・抽象的な議論はさておいて、さて、現実はどうか? この記事にはおそらくそういう問いがある――日本版「否定と肯定」裁判で問われた南京事件(加藤直樹)
・まだまだ「闇支出」の一端にすぎませんが、大きな意義のある判決が出ました――最高裁が官房機密費文書の一部公開命じる NHKニュース
キョウ むつき43 

Blog「みずき」:日本のメディアの朝鮮(韓国・北朝鮮)バッシングが凄まじい。その凄まじさの例証としてここでは「日本のメディアの凄まじい朝鮮(韓国・北朝鮮)バッシングに「怒髪天を衝く」怒りを感じる」の記事の中から「全員で韓国叩きに走った14日朝のサンデーモーニングの衝撃」について書いた天木直人の論を取り上げることにします。天木は「リベラル役を一手に引き受けている青木理ですら、奥歯に挟まったような言い方で、せっかく安倍政権は2年前に10億円の政府拠出をするという英断を見せたので、ここで日韓関係を悪化させるのはもったいない、などと、訳のわからない事を言っていた」と批判した上でさらに「いまや老醜が隠せなくなった田原総一朗に代わって電波芸者の後を継いだ観のする青木理の正体見たり」と批判を重ねています。私は天木直人もエセリベラリストのひとりとして評価しませんが、その天木の目から見ても日本のメディアの朝鮮バッシングはあまりにも常軌を逸しており、許しがたいということなのでしょう。日本のメディアとリベラル・左派の総崩れ(総右傾化)の様相がここでも見てとれます。

『およそテレビの政治番組は、読売、フジ、NHKといった御用番組はもとより、リベラルを売りにしているものですら、時の政権を正面から批判しなくなったが、きのう1月14日朝のTBSサンデーモーニングには心底驚いた。日韓合意の見直しを求めた文在寅大統領の韓国を全員で袋叩きした。民主党政権を相手にするな、と米国務省に伝えていた事がウィキリークスで暴露されて大恥をかいた藪中元外務次官が韓国批判をするのは当たり前としても、関口宏をはじめとした全員が韓国批判をした(ただひとり、女性の人権重視はいまや世界的な動きだ、と語っていた女性解説者を例外として)リベラル役を一手に引き受けている青木理ですら、奥歯に挟まったような言い方で、せっかく安倍政権は2年前に10億円の政府拠出をするという英断を見せたので、ここで日韓関係を悪化させるのはもったいない、などと、訳のわからない事を言っていた。いまや老醜が隠せなくなった田原総一朗に代わって電波芸者の後を継いだ観のする青木理の正体見たりだ。どうして、「あの日韓合意はいかさまだった。だから、朴槿恵政権の失脚と共に韓国国民の手で無効にされるのは当然だ」、と言い切る者がただの一人も出て来ないのか。そう思っていたら、今朝の読売新聞を見て驚いた。安倍首相の追加要求拒否を支持する世論が83%だという。韓国を信頼できないとする世論が78%であるという。読売新聞の世論調査であることを割り引いても、この世論調査の数字は異常だ。私のような事を言っている者は排除される事になる。まさしく一億総安倍首相化だ。安倍政権が、こんなに間違った政策を繰り返していても、それでも政権に留まっていられる理由がここにある』(天木直人のブログ 2018年1月15日)


【山中人間話目次】
・日本のメディアの凄まじい朝鮮(韓国・北朝鮮)バッシングに「怒髪天を衝く」怒りを感じる
・坂井定雄さん(龍谷大学名誉教授)の「朝日新聞がおかしいー「韓・米・日の結束強化」を主張して南北合意を攻撃する社説と紙面」という朝日新聞批判
・髙橋洋一の南北会談を徹底的に揶揄し、同会談をなんとかして決裂させようとしている悪意に満ちた朝鮮(韓国・北朝鮮)バッシング記事
・豊島耕一さんがやっとここまで踏み出した。――豊島さんの「共産党の「自衛隊活用」論は,伊勢崎氏の9条と自衛隊をめぐる論理的批判の100%の標的になる,つまり彼には全く反論できないお粗末な議論である」という論
・道場親信さんの『われわれの小田実』論と小田実の『被災の思想 難死の思想(上)』(全文)
キョウ むつき38 
安倍晋三年頭記者会見

Blog「みずき」:加藤哲郎さん(元一橋大学教員)の「『明治維新150年』で『戦争ができる国』に進む日本」(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2018.1.15)。安倍晋三の年頭記者会見は「いつもの三百代言・誇大広告」と一刀両断に斬り捨てています。その上での「『戦争ができる国』に進む日本」という警鐘です。「野党の非力につけこんだ、選別・分断と囲い込みが進められるでしょう」という指摘も重要です。加藤さんの指摘は「野党の非力」と抽象的ですが、こうした抽象的な批判(ほとんどなにも言っていないことに等しい)を打破することこそ今年の課題としなければならないだろうと私は思っています。この抽象的な批判を突破しなければ「『戦争ができる国』に進む日本」をストップさせることは不可能だろうと私は思うからです。具体的には共産党の右傾化路線、その右傾化からくる「野党共闘」という名の理念不在のなし崩し的共闘路線をどのように立て直すことができるか、が今年の最大の課題とならなければならない、いや、そうしなければならない、と私は決意しています。

『首相の決意は、はっきりしています。「戌年の今年こそ、新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示し、憲法改正に向けた国民的な議論を一層深めていく。自由民主党総裁として、私はそのような1年にしたいと考えております。2018年は、改憲の年と、位置づけられています。その準備も、着々と進められています。自民党内にも異論があり、与党の公明党との間にもなお軋轢はありますが、「ファシズムの初期症候」満載の 安倍内閣が続く限り、この路線は強まるでしょう。野党の非力につけこんだ、選別・分断と囲い込みが進められるでしょう。』(加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2018.1.15


【山中人間話目次】
・加藤哲郎さん(元一橋大学教員)の指摘は「野党の非力」と抽象的ですが、こうした抽象的な批判(ほとんどなにも言っていないことに等しい)を打破することこそ今年の課題としなければならないだろうと私は思っています
・承前。これから(今年)の政治展望、とりわけ「野党共闘」路線に関して以下のkojitakenさんの記事の結論部の政局認識にも同意します――立憲民主党への疑問
・盛田常夫さんは「それにしても、アベノヨイショにはどうしてこれほど屑が多いのだろうか」と自称経済評論家、自称ジャーナリストをクズとして片っ端からゴミ箱に葬り去っています
・ここにも「クズ」批判があります――この櫻井よしこもケント某も百田某もそうだが、「右寄り」だとか「保守派」だとか以前に「嘘つき」だからダメなんだよ、こいつらは~櫻井よしこの「名護市長選で内地から2000世帯の移動」デマについて
・この「発狂しそうな気分」は私も共有します。ほんとうにおぞましい。――朝日1面。安倍晋三が「新元号は日本人の生活に深く根ざすものとしたい」と発言
・岩谷和美さんが「翁長知事夫人に感動してる場合じゃないんですけどね」と言っているのは、いつものオール沖縄サイドの我田引水的、あるいは自画自賛的な翁長知事礼賛メッセージを指しているでしょう
・狭山事件 「脅迫状の筆跡は別人」弁護団が新鑑定提出 NHKニュース――石川一雄さんの冤罪は一日も早く完全に晴らされなければなりません
・ロヒンギャ問題:南アジアの多数派優位主義の歴史――ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス2018年1月 18日号掲載に掲載された歴史家ムクール・ケサバンの書評(Peace Philosophy Centre)
・明仁に火炎瓶を投げつけた2人は、真っ暗なひめゆりの壕に1週間にわたって潜んでいました。その闇の中の1週間を彼らが何を思って過ごしていたのかを想像すると、私は居ても立っても居られない気持ちになるのです(米津篤八さん)
キョウ むつき35 

Blog「みずき」:鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)の「『天皇明仁の沖縄訪問』の底流にあるのは何か」(2018年01月15日)。昨日の「今日の言葉」(引用)に続く重要な指摘です。沖縄県民はかつて昭和天皇の訪沖も現天皇(当時、皇太子)の訪沖も拒否していたのです。その沖縄の私たちの世代の父母、祖父母の心をいま改めて振り返ってみるべきではないでしょうか。

『天皇の過去10回(皇太子時代5回)におよぶ沖縄訪問は、はたして「沖縄に心を寄せ続けてきた」ものでしょうか。最も注目すべきは(したがって最も政治的な意味を持つのは)、皇太子時代の第1回訪問(1975年7月17~19日、写真左)です。この時、皇太子明仁はなぜ、なんのために沖縄に行ったのでしょうか。

敗戦後、天皇裕仁(昭和天皇)は天皇制維持のため全国を行脚(行幸)しました。しかし、唯一行っていない、いや、行かれなかった県がありました。沖縄です。政府・宮内庁は裕仁天皇の訪沖のきっかけづくりとして、全国植樹祭(1972年)、国民体育大会(1973年)の沖縄開催を相次いで決定しました。いずれも天皇が出席するのが恒例とされていたからです。しかし、裕仁天皇はどちらにも行くことができませんでした。沖縄県民が出席を拒んだからです。「沖縄県からの出席要請はなかった。『何もまだ言ってこないのか』。昭和天皇は宮内庁長官宇佐美毅に何度も尋ねたという。両行事の開催は天皇の沖縄訪問を円滑にするための意味もあったが、県民は拒否反応を示したのである」(高橋紘・元共同通信記者『平成の天皇と皇室』文春新書)当時、裕仁天皇の訪沖に反対した「沖縄の労働組合代表」はこう述べていました。「先の大戦で、沖縄住民は天皇の名のもとに多大の犠牲をしいられ、その戦争責任があいまいなまま天皇のご来訪(ママ)を受け入れるには、あまりに住民感情が複雑であるということと、天皇を政治的に利用して沖縄住民の望まぬ復帰形態(核基地付き・自衛隊配備―引用者)があたかも住民祝賀のうちに迎えられたような擬装がなされることを警戒しなければならない」(72年1月26日付朝日新聞。藤原彰氏ら『天皇の昭和史』新日本新書より)

皇太子・明仁の訪沖は、こうして沖縄県民に拒否された父・天皇裕仁の名代に他なりませんでした。皇太子なら沖縄の抵抗は少ないだろうというのが政府・宮内庁の狙いでした。しかし、沖縄県民に歓迎されなかったのは、皇太子・明仁も同じでした。』

【山中人間話目次】
・鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)の「『天皇明仁の沖縄訪問』の底流にあるのは何か」――沖縄県民はかつて昭和天皇の訪沖も現天皇(当時、皇太子)の訪沖も拒否していたのです
・この世論調査の結果ほど日本人というものの具劣性を示しているものはない、というのがこの記事をはじめて読んだときの私の第一印象です。暗澹たる思いがする
・ここでも「暗澹たる気持ち」に陥っている人がいます。「困ったのは「左派」の人でさえもそう言っていることがある」という状況を見ていると一層、ということですね――「明治維新から150年」の年の知識人・文化人の言説について
・市民の抗議活動に、#ヤクザ を動員して対抗しろというこの橋本琴絵(前希望の党比例・中国候補者)のツイートはさすがに見過ごすことができないので、キャプチャしておきます
・原武史(放送大学教授・政治思想史)の星野智幸著 『のこった もう、相撲ファンを引退しない』書評。原の書評はナショナリズムの問題、天皇制の問題、日本人のアイデンティティーの問題にも及ぶ
キョウ てんのう18

Blog「みずき」:再掲「『1945-1946』は沖縄にとって『空白の1年』ではなかった」(アリの一言 2016年08月22日)。『20日夜放送されたNHKスペシャル「沖縄空白の1年~〝基地の島”はこうして生まれた」は、沖縄戦直後のアメリカ軍や連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の占領政策を描きました。それを象徴するのが、マッカーサーの「アメリカ軍による沖縄の占領に日本人は反対しない。なぜなら沖縄人は日本人ではないのだから」(番組では説明はありませんでしたが、1947年6月27日のアメリカ人記者との会見での発言)という言葉で、番組はそこで終わりました。マッカーサーの沖縄差別政策は事実ですが、番組には決定的な欠陥がありました。それは、「〝基地の島”はこうして生まれた」の核心的回答、すなわち沖縄を軍事基地化するうえで果たした日本、とりわけ天皇裕仁(昭和天皇)の責任をまったく捨象したことです。そもそも沖縄戦自体、戦争終結を提言した「近衛上奏」(1945年2月14日)に対し天皇が「もう一度戦果を挙げてから」と終戦を引き延ばし、「国体=天皇制」維持のための時間かせぎに沖縄を「捨て石」にしたものでした。そして戦後、初の帝国議会選挙(45年12月)で、沖縄県民は選挙権をはく奪され、新憲法の議論、採択から完全に排除されました。

天皇裕仁はマッカーサーとの第1回会談(1945年9月27日)以降、自らの戦争責任が東京裁判で追及されるのを回避し、同時に新憲法に「天皇制」を残すことに腐心しました。先のマッカーサーの「アメリカ軍の占領に日本人は反対しない」発言の約1カ月前(47年5月6日)にも、天皇裕仁はマッカーサーと会っていました。「彼(天皇ー引用者)は…安全保障の問題に強い関心を示した。元外交官の松井明によれば、天皇が最高司令官に『米国が日本を去ったら、誰が日本を守るのか』と尋ねたところ、マッカーサーは日本の国家的独立をあっさり無視して、われわれが『カリフォルニア州を守るごとく日本を守る』と答え、国際連合の理想を強調したという。…彼はすでに…日本は沖縄をアメリカの広大で恒久的な軍事基地にすることで守られると考えていたのである」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇(下)』講談社学術文庫)

マッカーサーの「日本人は反対しない。沖縄人は日本人ではないから」発言が、この時の天皇裕仁との会談(天皇の発言)と深くかかわっていたことは間違いないでしょう。それを証明する事実が、その3カ月後に露呈します。天皇裕仁の「沖縄メッセージ」(1947年9月20日)です。天皇は宮内庁の寺崎英成、GHQのシーボルトを通じてマッカーサーと米国務長官に次のような意向を伝えたのです。「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(『昭和天皇実録』)これがやがて「サンフランシスコ講和条約第3条」(1951年9月調印)による沖縄の軍事基地恒久化へつながったことは改めて言うまでもありません。「1945-1946」はけっして沖縄にとって「空白の1年」ではありませんでした。そこにはアメリカの軍事占領政策とともに、それと呼応した、いやむしろそれを誘導した天皇裕仁と日本政府・議会の沖縄差別・植民地政策が連綿と続いていたのです。天皇明仁の「生前退位」問題で、天皇制美化が強まっているいま、「国体=天皇制護持」のために沖縄をアメリカに売り渡して軍事基地化した天皇裕仁の歴史的責任(略)を忘れるわけにはいきません。』


【山中人間話目次】
・天皇の沖縄訪問は慶賀するべきことか?――シーボルト連合国最高司令官政治顧問が天皇の「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」という見解をまとめたメモ
・金平茂紀さんが昨日の自身のFBに「天皇陛下、3月沖縄訪問へ 4年ぶり、与那国島も」という同12日付の琉球新報の記事をコメント抜きでシェアしています
・人権問題です。 組合員であろうと、非組合員であろうと、差別をする臨港バスのドライバーを糾弾するものです
・こやつ、「ごまめの歯ぎしり」という自身のブログで散々リベラルぶった文章を書いてきた。その男がいまや安倍晋三の腰ぎんちゃくに成り下がっている
・退官したから「死刑判決は間違いでした」とか、退官間近だから原発の差し止めを決定できるとか。それっておかしくないですか?
・「ナチス思想の復活許すな」オーストリアで2万人が反政府デモ NHKニュース
・(動画)“侮辱発言” トランプ大統領の適性に疑問の声 相次ぐ非難 NHKニュース
キョウ むつき32
武井彩佳さん(ドイツ現代史)

Blog「みずき」:この指摘はヨーロッパの問題の指摘というよりも、いまのわが国が置かれている「危うい」状況を突く慧眼の指摘というべきでしょう。とりわけ以下の指摘は、本来、わが国の民主勢力がいま総力をあげて取り組まなければならない喫緊の課題というべきものでしょう。が、その民主勢力自体が「危うい」。私たちはどうすればよいのか。この危機はどうすれば乗り越えられるか――。この問いはいま、私たちに早急な答を求めているように思う。

『日本の若い世代は、現代史教育がタブー視される中で育ち、深く学ぶ機会を与えられていない。政治的な意図はなくても、きちんとした歴史解釈に触れる機会が少ないため、むしろまっとうな歴史像を「偏っている」と感じるようになっている。危惧すべきは、日本社会にじわじわと広がる、こうした「体験としての修正主義」だ。修正主義を社会が封じ込めることを怠ってきたがゆえに、「もう一つの歴史解釈」として受け入れる人が増えているのだ。』(武井彩佳 朝日新聞 2018年1月11日)

【山中人間話目次】
・危惧すべきは、日本社会にじわじわと広がる、若者のこうした「体験としての修正主義」だ。修正主義を社会が封じ込めることを怠ってきたがゆえに、「もう一つの歴史解釈」として受け入れる人が増えているのだ
・「日本国内の日本軍「慰安婦」研究の第1人者」の見解を韓国紙が真っ先に取り上げて、二番手でも三番手でもいい(先陣争いではないのだから)、なぜ日本のメディアは取り上げないか。ここに日本のメディアの「暗闇」が象徴されている、と私は思う
・白井聡の辺見庸・目取真俊著『沖縄と国家』(角川新書)書評。が、私は、白井聡を必ずしも評価するわけではない
・最近の左翼・市民団体の右傾化スケッチ(小景編)44 ――共産党系学者の「共産党病」はほんとうに嘆かわしい。というよりも、空恐ろしい
・陰陽師の生成に関して貴重な記録の紹介である。見出しには「かつて、神楽師(陰陽師)と瞽女の争いがあった。それは天保二年(1831)のこと。新座郡大和田の瞽女が、南秋津村の陰陽師」とある。
キョウ むつき23

Blog「みずき」(1):辺見庸は立憲民主党代表の枝野について「えだのとかいうやつの尾籠な舌ベロとデカ耳がきわめて目障りである。正月にだらしなく和服着てでてくるマヌケなおまえも、権力の補完勢力以上ではない。うせろ」(辺見庸「日録」2018年1月8日)と書く。ここに辺見の批評の正鵠性と徹底性を私は見る。しかし、昭和天皇について「国民への責任よりも神への責任を取ろうとした」(井上ひさし『昭和天皇』評)と指摘したはずの著者の原武史(放送大学教授・政治思想史)は枝野について「安倍首相がアマテラスを祭る伊勢神宮を参拝したのと同じ日に、枝野代表がスサノヲやオオクニヌシを祭る氷川神社に参拝したことの意味は大きいと思います」(原武史Twitter 2018年1月4日)と書いている。原のツイートからは原は枝野を安倍晋三に対抗する代表的なカウンターとみなしていることが読みとれる。ここに原の思想の非正鵠性とひ弱さを私は見る。その弱点は原は自著の『完本 皇居前広場』の解説を天皇主義者の御厨貴に書かせて痛痒を感じていないらしいところにも現れている。

Blog「みずき」(2):井上ひさしの原武史『昭和天皇』(2008)選評。原が司馬遼太郎賞(第12回)を受賞したときのもの。原の『昭和天皇』のテーマでもあるのだが、昭和天皇は「国民への責任よりも神への責任を取ろうとした」という指摘は鋭い。ものみな(「リベラル」も「左派」も)「天皇主義」に靡いている現在(いま)、誰がこういうことを指摘するだろうか。否、できるだろうか。原が同賞を受賞したときからまだ10年も経っていない。「天皇一家はこういう一家で、こういうことを信じて象徴となっているんだと考えてほしい」。この10年の社会と政党の変化、すなわち右傾化は、この井上の平易な問いが完全に無効化するほど凄まじい。その責任の所在が「リベラル」「左派」にあることはいまや明らかである。


【山中人間話目次】
・辺見庸の立憲民主党代表の枝野論の正鵠性と原武史(放送大学教授・政治思想史)の枝野論の非正鵠性あるいは惰弱性について
・井上ひさしの原武史『昭和天皇』(2008)選評――原が司馬遼太郎賞(第12回)を受賞したときのもの
・竹信三恵子さん(和光大学教授、元朝日新聞記者)のデマゴーグ(イエロージャーナリスト)を厳しく見咎める、あるいは見極めることができない目――リベラル・左派の右傾化のひとつの要因
・川西玲子さん(映画評論家、エンターテインメント評論家)と小浜逸郎(評論家)の西郷隆盛論
・この立岩陽一郎(ジャーナリスト)の評論の視点は大いに共感します――2018年、新聞は報じるニュースの根拠を明確にせよ
キョウ むつき15

Blog「みずき」:醍醐聰さん(東大名誉教授)の「日韓合意」評価に関する志位和夫・日本共産党委員長批判( 再度、志位和夫氏に問う~をめぐる談話の撤回が不可決~ 醍醐聰のブログ 2018年1月6日)。私も醍醐さんと同じくいまの共産党に「良心の北斗七星」を自負する資格などない、と思っています。共産党はこれまでの良心的な多くの同党シンパが雪崩を打つようにして同党を見限り始めていることにまだ気づかないのか。日本共産党史上最悪の事態だと言わなければならない。しかし、それでも彼らは自らの政党が最悪の事態に陥っていることにまだ気づかない。それはなによりもこの何十年の間に優秀な党員を次から次へと切り捨て、残された党綱領さえ理解しない理念不在の党員に支えられる前近代型の信仰政党に逆行していることに最大の原因があるでしょう。この数十年間共産党執行部をわがもの顔に支配してきた不破・志位体制の責任はきわめて重い。これは私の感想です。

『私は道徳に権威は要らないと考えているが、厳しい弾圧と圧迫が吹き荒れた戦中も、天皇を頂点にした国家権力に抗って、非戦と平和、人権と市民の生活擁護のために戦った党員の献身に畏敬の気持ちを持っている。現在の日本共産党がそうした伝統を自党の「強み」と自負するのなら、戦時に国籍を問わず、無垢の女性を従軍慰安婦に駆り出し、彼女らの人間としての尊厳を極限まで蹂躙した国家犯罪の解決を軽々に扱ったとしか言いようがない志位談話を撤回するのが不可欠である。それをしないで、良心の「北斗七星」を自認できるはずがないし、「他党にない道徳的権威」を自負する資格もない。』(醍醐聰のブログ 2018年1月6日)


【山中人間話目次】
・醍醐聰さん(東大名誉教授)の「日韓合意」評価に関する志位和夫・日本共産党委員長批判。私も醍醐さんと同じくいまの共産党に「良心の北斗七星」を自負する資格などない、と思っています
・安倍晋三は伊勢神宮を参拝した後の年頭記者会見では祖父岸信介の物言いを真似て「声なき声に耳を傾け、新しい国造りを力強く前に進めていく決意だ」と語ったとも言います――安倍首相が「年頭伊勢神宮参拝・記者会見」を繰り返す異常(アリの一言)
・ここで平安名記者の言う「『チェンジ』を追い求める市民たち」とは現在の沖縄の状況、現在の沖縄の市民たちの戦いの状況をも指しているだろう――平安名純代の想い風
・『死刑 その哲学的考察』(筑摩書房、2017年)の萱野稔人の発言は首肯できる。萱野を見直してみようかと思う。そういう気持ちにさせる太田さんの紹介記事だ
・戦後日本の「生」と「死」の境はここにあった、と改めて思う。その後の「高度経済成長」というバブル景気に私たちはいまが「戦後」であることを忘れて浮かれすぎた――60年安保闘争(動画)
・辺見は1996年に共同通信社を退社している。地下鉄サリン事件があった翌年の年だ。2004年に脳出血で倒れる5年前の「闇の味」の感想ということになる