キョウ ハッコウ事件2

Blog「みずき」:原武史(放送大学教授・政治思想史)のツイッターによれば、昨日、原が世田谷市民大学(放送大学東京渋谷学習センターとの共催)で天皇退位につき講演し、三種の神器について説明しようとしたところ、開始早々、聴衆の一人が「そんなことはどうでもいいから早く先に進め」と発言。つられて別の一人も発言(おそらく同様の趣旨)したという。また、この発言者は休み時間にも「難癖をつけますが」と言って質問してきたという。ここまでは言論妨害とはいえても、言論弾圧でも暴力でもない。

しかし、私は、この原の報告を読んで、大正デモクラシーの時代の頭山満を代表格とする右翼、浪人会の起こした白虹事件を想起した。白虹事件は別名を村山龍平大阪朝日新聞社社長襲撃事件ともいう。大正デモクラシーや米騒動を擁護し、ときの寺内正毅内閣を激しく批判した大阪朝日新聞の報道に激怒した浪人会を含む右翼団体・黒龍会の構成員が村山社長の人力車を襲撃し、村山を全裸にしたうえ電柱に縛りつけ、首に「国賊村山龍平」と書いた札をぶら下げた。この事件を機にして報道機関は政治権力に屈服するようになり、大正デモクラシーも終焉したとされる事件だ。ここから昭和時代の軍部の台頭もはじまり、時を経ることなく、満州事変、太平洋戦争へと突入していくことになる。

この原の身に起こった「小さな」事件はあらたな右翼の時代の到来を予兆させる。現実にその予兆は至る処に見られる。東京MXテレビ「ニュース女子」番組問題もそのひとつだ。


【山中人間話目次】
・原武史(放送大学教授・政治思想史)の講演の言論妨害からメディアが権力に屈服していく契機となった頭山満を代表格とする右翼、浪人会の起こした白虹事件を想起する
・私はこういう一見もっともらしいことをいう「学者」たちのマヌーバーを許さない。この者どもは事あれば大政翼賛会に靡いていく者どもだ――安全保障関連法に反対する学者の会‏の「学者」たち
・笑福亭鶴瓶という落語家を問題にしたいのではありません。有名人をダシにして「平和」を語ろうとする民主勢力なるものの非見識、すなわち、愚かさを問題にしたいのです
・安倍政治の唾棄してもことたりない欺瞞と偽善体質はここにも如実に現れている。そして、それに群がる蛆虫どもがここにいる。まさに地獄図――女性を結婚・出産に追い込む危険な企業子宝率
・一緒に被害者の顔をして1%をちゃっかりやり玉にあげながら、実は甘い汁をたっぷり吸っているアメリカのアッパーミドルクラスたち――ル・モンド・ディプロマティークの記事
まつばらこうじ
松原耕二さん(TBSキャスター)

Blog「みずき」:リベラル・左派人気なるもので人気が急浮上しているらしいこのウーマンラッシュアワーという漫才コンビの「政治漫才」の笑い。あの上念司や猪瀬直樹がべた褒めしている。相手から褒められるのは人さまが勝手にすることだからしかたがないとしても、この褒められている側のウーマン村本なる漫才コンビの片棒は猪瀬や上念から褒められてなんとも嬉し気だ。 猪瀬直樹の劣悪性は説明するまでもないとして、この上念司なる人物はあの問題となった東京MXテレビ「ニュース女子」という番組でコメンテーターをつとめ、沖縄デマの流布に加担していた人物だ。私は下記の記事で上念らを「低級、最低のレギュラー、コメンテーター」だと指弾しておいた。こうしたやからに褒められて有頂天になっているようでは彼らの政治漫才なるもののお里も知れる(彼らは「沖縄差別」をテーマにした「政治漫才」でリベラル・左派の人気を得たようだ)。自ら政治漫才なるものの中身のなさを証明しているようなものだろう。彼らは「素晴らしい」どころかすぐに凋落してしまうだろう。それにしても、いまのリベラル・左派なるものの見る目のなさは手の施しようがない。

【山中人間話目次】
・最近の左翼・市民団体の右傾化スケッチ(小景編)41 ――ウーマンラッシュアワーは「素晴らしい」漫才コンビといえるのか?
・仲宗根勇さんの持続する志を私は共感をもって支持する――「翁長流『辺野古埋め立て阻止』マヌーバー路線」反対運動を振り返って
・内野光子さん(歌人、短歌評論家)の「とんでもない国に生れてしまったものである」という感慨に共感する
・戦後70年の意味を人間の内面の問題に位相を置いて考え直そうとしている半澤健市さん(「リベラル21」常連筆者)の問題意識
・超一流の読書家として知る人ぞ知るといったらよいだろうか。その木村剛久さん(元共同通信編集者、「海神日和」ブログ主宰者)の「ことしのベストスリー」
・原武史の山本理顕著『権力の空間-空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(2015)書評
かとうしゅういち キョウ おおおかしょうへい2
 
Blog「みずき」(1):加藤周一『夕陽妄語』1987年9月17日。加藤周一が大岡昇平に「化けて出てくれ」といっている。あるいは大岡昇平が「死んだ敗戦の日本軍部隊の仲間たち」に「化けて出てくれ」といっている。しかし、大岡や加藤がこの世に「化けて出て」きたとしてなにを思うか。おそらく呆れ果てて言葉も出ないだろう。しかし、大岡や加藤が「化けて出て」くるのであれば少しは希望は持てる。第二の大岡や加藤と手をつなぎたい、と私は思う。

Blog「みずき」(2):立憲デモクラシーの会(2014年4月結成)や安全保障関連法に反対する学者の会(2015年6月結成)に参加する学者たちの「天皇に期待する論」その2――樋口陽一(東大・東北大名誉教授)の場合として鬼原悟さん(「アリの一言」ブログ主宰者)の「樋口陽一氏の「天皇賛美」に異議あり」を援用します。この記事は2017年12月17日付記事(水島朝穂(早大教授・憲法学)の場合)の続編ということになります。いわゆる「リベラル」陣営のなし崩し的な(あるいは「壊滅的」とも言っていいでしょう)右傾化のさまを物語っています。ひとつ前の記事であげた加藤周一や大岡昇平との主張の差異は根本的と言ってよいほど明らかです。


【山中人間話目次】
・加藤周一が大岡昇平に「化けて出てくれ」といっている。あるいは大岡昇平が「死んだ敗戦の日本軍部隊の仲間たち」に「化けて出てくれ」といっている――加藤周一『夕陽妄語』1987年9月17日から
・立憲デモクラシーの会(2014年4月結成)や安全保障関連法に反対する学者の会(2015年6月結成)に参加する学者たちの「天皇に期待する論」その2――樋口陽一(東大・東北大名誉教授)の場合
・醍醐聰さん(東大名誉教授)は現代日本の市民社会批判(現有「リベラル」批判と言い換えてもよい。そうなのだ。その「リベラル」が「姑息な物言い」を流行らせている)を忘れない
・今朝、死刑が執行された。辺見庸は死刑を「骨の鳴く音」(『眼の探索』)と表現する。死刑とはなにか
・沖縄の事情を知らない本土のメディアは翁長知事を礼賛することが沖縄への連帯を示すことだと勘違いしている
キョウ しわす29
水島朝穂(左)と樋口陽一さん

Blog「みずき」:立憲デモクラシーの会(2014年4月結成)や安全保障関連法に反対する学者の会(2015年6月結成)に参加する学者たちの中でも平和憲法を遵守する姿勢を一貫して貫いてきた革新の正統派の憲法学者として人望の篤い水島朝穂(早大教授・憲法学)が先週の2017年12月11日付の「今週の直言」(自身のホームページ)に天皇に期待する論を書いている。

曰く、

「『生前退位』の表明以前から、天皇は安倍首相とは違ったメッセージを内外に発してきた。」「生前退位という形で異例の行動に出たのも、やむにやまれぬ危機感があったからではないか。」

「美智子皇后もそうした天皇の意向を組んで、折に触れて発言している。とりわけ2013年の誕生日に際しての記者会質問に対する回答では、(略)GHQ民生局で憲法草案起草にあたったベアテのことをあえて触れることで、安倍首相の「押しつけ憲法論」との好対照をなしている。」

「30年にわたる現天皇の存在と活動について観察してきた結果、被災地の訪問や戦争の現場への慰霊の旅などには、十分に熟慮された場所や時の選択がなされていることを感ずるようになった。」

「天皇は象徴として政治的に中立であることが求められる。しかし、内閣が重大な憲法違反を公然としたとき、憲法尊重擁護義務が「天皇」に対して大臣や議員と並列で課せられていることは果たして無意味だろうか。」

これは明らかに天皇に期待する論であろう。

渡辺治(一橋大名誉教授・政治学、憲法学)はこうした天皇期待論について「今の天皇への共感から政治の暴走に歯止めをかける役割を期待する声もあるが、誤った危険な議論だ」(朝日新聞「平成と天皇」 2017年12月16日)と警鐘を鳴らし、その渡辺発言を紹介している谷津憲郎(朝日新聞編集委員)も「同感」(谷津憲郎Twitter 2017年12月16日)という声をあげている。

澤藤統一郎(弁護士)も自身への戒めとして次のように言っている。

「なんとなく、ものを言いにくい雰囲気ができつつある。安保条約批判、自衛隊批判、天皇制批判が典型3テーマ。現天皇の生前退位希望による法改正批判などは、その最たるものだろう。批判の言論の萎縮は、ものを言いにくい雰囲気醸成の悪循環を招くことになる。いうべきことを自己抑制してはならないと思う。特に気になるのは、共闘に支障が生じるからと共闘相手の主張に媚びた言論萎縮、世論に支持を得られないからと無用に世論に諂った形での言論萎縮。堂々と自説を述べるべきだろう。でないと、言論の重心がいよいよ右に傾いていくことになる。これから、2019年の天皇代わりまで、天皇制の存続や代替わり儀式のあり方、元号、祝日、そして政教分離原則についての議論が続くことになる。一人ひとりが、主権者として自覚をもって発言しなければならない。天皇やその親族に畏れいってはならないのだ。一言の遠慮することは、一歩の後退を意味する。一歩の後退が、その分だけ自分を発言の抑制に追い込むことになる。」(澤藤統一郎の憲法日記 2017年12月16日)

立憲デモクラシーの会に参集する学者たちは内田樹はあからさまに「天皇主義」を掲げ、いままた水島朝穂は天皇期待論を書く。彼らの掲げる立憲主義とはなにか。近代的な憲法原則に著しく反する前近代的なイギリス型の立憲君主制のことか。そうだとすればなにをかいわんやである。戦後の1946年6月に発表した憲法草案に「天皇制の廃止」と「人民に主権をおく民主主義的制度」を明記していたた共産党が昨年1月に天皇が臨席する国会開会式に出席し、天皇および天皇制(象徴天皇制とはいえ)に屈服した負の影響はいまや水島朝穂にも及んでいるという悲しい現実がこの日本にはある。


【山中人間話目次】
・水島朝穂(早大教授・憲法学)が天皇に期待する論を書くまでに到った日本の民主主義勢力の右傾化について
・かつて「革新」と呼ばれたいわゆるリベラル勢力の間でも天皇の戦争責任(ここでは南京大虐殺)を問うこうした当たり前の論説が通用しなくなった。そういう世の中になってしまいました。戦後72年とはなんだったのか。虚しい思いを抱かざるをえません。
・加藤周一『夕陽妄語』1991年6月18日。題に「アルチュール・ランボー(1854-1891)死して100年忌に」とある。現象の中にある本質を見る眼。あるいは見ようとする眼。加藤にはそれがあった
・安倍政権の「北朝鮮」バッシングと沖縄差別の本質を突く至言、あるいは名フレーズ
・東京MXテレビ「ニュース女子」問題をよく整理してまとめています。当時の動画(1月2日放送)も残っていて怒りをあらたにさせられます
キョウ おきなわ22

Blog「みずき」:昨日、内田樹のツイッターで見かけたのだが、志位和夫(日本共産党委員長)が次のようなツイートを発信している。『私は、米国の覇権主義の政策に反対しますが「反米主義者」では決してありません。人類で初めて民主共和国を創建し人権宣言を行った米国の偉大な民主主義の歴史と伝統には、強い尊敬を抱いています。ペリー氏の発言にも伝統の香りを感じました。私が求めているのは対等・平等・友好の日米関係なのです。』(志位和夫Twitter 2017年11月29日)

志位は「対米従属」という現在置かれている日本の政治の属性を述べないまま「私が求めているのは対等・平等・友好の日米関係なのです」という。限りなく日本の「対米従属」状態を「対等」と言っているに等しい。志位は「ペリー氏の発言にも伝統の香りを感じ」たとも書いている。が、ペリーは、先日のNHKのETV特集「ペリーの告白~元米国防長官・沖縄への旅~」 の冒頭で「沖縄には中核となる基地があり、対北朝鮮の紛争では最前線となります。ですから我々は基地の放棄は全く考えていませんでした。普天間問題はこれら全てを一つにまとめたものだったのです」と言っている。普天間が辺野古に移設したとしても普天間問題は変わらない。辺野古基地建設は対北朝鮮の紛争の最前線基地として粛々と続ける、と言っているのだ。その発言をしも「ペリー氏の発言にも伝統の香りを感じ」るなどと言うか。言えるのか。

志位には次のような発言もある。『ロシア政府が、シリア・アサド政権に化学兵器を国際管理下に置き廃棄するように求めた。オバマ大統領も、この動きについて「若干前向きの動き」と評価、アサド政権が実際に化学兵器を国際管理下に置き廃棄するなら、軍事行動は回避されるという認識を示す。戦争回避のこのチャンスをぜひ生かすべきだ。』(志位和夫Twitter 2013年9月10日)

上記の志位発言にはある人が次のように反論している。『戦争回避って2年前から戦争してる国に日本が直接影響する問題じゃなかったらいいんですか?戦争は未然に防がれた訳でもなく、子どもが6000人以上死ぬ戦争が起きてるんですよ。なにが戦争回避のチャンスだ。寝ボケたことを言うな。だから共産党は共産党を越えられないんだ!』(PRESS.JP‏ Twitter 2013年9月10日)

辺見庸も昨日付の「日録」に「墓場」と題して「『祖国防衛』の名のもとに党はどこまでも変質・堕落する」と書いている。ここでいう「党」とはむろん日本共産党のことだろう。まさにいま、日本共産党は真っ逆さまに転落している。根拠があるのかどうかは知らないが、またいま、「志位和夫が辞任」という噂が流れているらしい(世に倦む日日Twitter 2017年12月3日)。ゆえなしとはしない。


【山中人間話目次】
・内田樹のツイッターで見かけたのだが、志位和夫(日本共産党委員長)が限りなく日本の「対米従属」状態を「対等」と言っているに等しいツイートを発信している
・マルクスの晩年の貧窮がどれほどのものであったかは私は具体的には知りません。しかし、マルクスが病気で高熱の長男を病院に行かせられず、腕の中で抱きしめたまま死なせるほかなかったこと、困窮と不遇のどん底で死んだことは事実でしょう
・筆坂秀世は共産党を除名されて以後、反共主義者だが、以下の共産党論評は筆坂と同世代の元共産党員の私から見てもほとんど当たっている、というのが私の評価でもあります
・警察、検察、検察審査会だけでなく、国会の委員会もブラックボックス化している状況がよくわかる国会質問です。行政、司法、立法にわたって問題外、言語道断の状況が続いています。なんという国か
・辺見庸の「推薦本」10冊――私の場合は私を変えた本としてすぐに思いつくのは宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』とレーニンの『国家と革命』だろうか
・中上健次、そして、中上の育った新宮のまち
・大塚雅貴さんと鬼海弘雄さんという稀有な2人の写真家と写真展のこと――田中真知さんと高世仁さんのブログから
キョウ てんのう17

Blog「みずき」:「いまの天皇はもはや単なる権威だけでなく権力も持つような事態にいまなっている。それはある種天皇が権力を発動し、それに政府が抵抗できず、それに従うというような結果になっている」ということだと原武史(放送大学教授・政治思想史)は言う。その例として、原は、「そもそも政府が考えていたのは来年12月31日退位、再来年1月1日即位という日程だったが、それを宮内庁が難色を示した。天皇自身が1月7日の昭和天皇の30年式年祭を自分でやりたい、と言い出したからだ。結果として政府はその天皇の意向に逆らうことができなかった」例をあげる。(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」2017年12月4日放送)

【山中人間話目次】
・「いまの天皇はもはや単なる権威だけでなく権力も持つような事態にいまなっている。それはある種天皇が権力を発動し、それに政府が抵抗できず、それに従うというような結果になっている」ことだと原武史は言う
・授乳しながら天皇即位式を見物している女性にとって天皇はどういう存在であったのだろうか。少なくともその女性の前にいるのは生身の天皇であり、つくられた天皇ではなかった――原武史の書評から
・皇室御用達のアホ ミクリヤ。顔もひどいが、話はさらに最悪。希代の俗物。無教養。皇居の馬糞を常食するヌッポン産カバ――辺見庸「日録」「ゴリャートキン」ほか
・わが国のメディア(新聞・テレビ)はすでに天皇一色に塗りつぶされている。これがわが国の現在の烏滸なるメディアのさまである。南京アトロシティー(南京大虐殺)の際の戦前の日本の提灯行列の集団狂気のさまと寸分も違わない――辺見庸「日録」から
・戦後、天皇制を打倒し、日本に「人民共和政府」を樹立するのが可能だとまじめにおもっていたものは、昔時すくなからずいた。「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ」。その問いを「キ印」などとどうして言えるか?――同上
・イスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスと在日朝鮮人作家、徐京植の対談――NHKEテレ「こころの時代~宗教・人生~「紛争地から声を届けて 新聞記者 アミラ・ハス」
・NHKEテレ「こころの時代~宗教・人生~「紛争地から声を届けて 新聞記者 アミラ・ハス」(動画)
キョウ しもつき53

Blog「みずき」:共感する滞日27年というアーサー・ビナードさん(詩人)の「日本」観だ。いま、ビナードさんのように電車に中吊りされている「広告」類を見て嘔吐感を催す日本人はどれほどいるだろう? 私がいま日常的に関わっているインターネットの世界でもそうだ。自身でリベラルや左派を自称するブロガーが○○人気ブログランキングや○○ブログ村に登録して読者に「いいな」クリックを促している。そのランキングサイトなるものを見てみるときまって上位には右翼系やヘイト系のブログがひしめいている。そのランキングの隊列を見ただけで私は怖気立つ。反吐が出そうになる。このようなランキングサイトで仮に上位になったとしてもどのような意味があろう。右翼と併存してランキングを並べても彼(女)ら自称リベラル・左派はなんら恥とするところはない。ただ、ランキングさえ上がれば喜んでいる。もちろん、嘔吐も催さないだろう。私の「日本人」の感性は彼ら、彼女らの「日本人」の感性と相容れない。むしろ、アーサー・ビナードさんの感性に私の「日本人」の感性は共感する。

【追記】
辺見庸の2017年11月29日付「日録」。辺見のいうように現在という時代は「思想、葛藤、含羞」ということばの内実が失われて久しい。辺見の慨嘆は、右翼、ヘイトクライマーが割拠するランキングサイトにおのれのランキング入りを目指して「恥」とも思わない「感性」のリベラル・左派のブロガーが多い、という私の昨日の慨嘆ともおそらく符号しよう。また、そうしたことばの内実の喪失は、この4、5年来注目されるようになった共産党系のしばき隊やシールズなどの暴力性や幼児性的思考回路とも結びついていよう。


【山中人間話目次】
・共感する滞日27年というアーサー・ビナードさん(詩人)の「日本」観だ。いま、ビナードさんのように電車に中吊りされている「広告」類を見て嘔吐感を催す日本人はどれほどいるだろう? 
・辺見庸の2017年11月29日付「日録」。辺見のいうように現在という時代は「思想、葛藤、含羞」ということばの内実が失われて久しい
・阿部治平さん(中国在住歴11年。青海省青海師範大学講師など歴任)が「ロシア革命100年」に関して6つの視点からの赤旗及び不破哲三論評批判をしています。どの論点も私には共感、首肯できるものです
・原告のうち生存者は李さんを含め2人。李さんは証言後、記者会見し「強制連行は日本政府の責任。謝罪と賠償をしてほしい」と訴えた――花岡事件賠償訴訟:「飢えや寒さ虐待」94歳中国人が証言
キョウ しもつき35
再任拒否された宮本康昭判事補(当時)

Blog「みずき」:澤藤統一郎弁護士の第48回日本民主法律家協会・司法制度研究集会における内田博文教授(神戸学院大学・九州大学名誉教授)の講演とフロアー発言の紹介と宮本裁判官の再任拒否、裁判官任官希望者7人の任官拒否と続く70年代の「司法反動」の時代の回想。今日の司法の問題を考える上においても重要な問題提起となっているように思います。ただ、私として残念に思うのは、70年代当時、あれだけ「司法の反動」と闘ったはずの青年法律家協会もこの数十年来に及ぶ共産党の右傾化の影響を受けて同じく激しく右傾化しているように私には見えることです。論証はできるのですがここでの課題ではありませんので後の課題としてここではしないことにします。
 
『田中耕太郎後の60年代には、少しはマシになるかに見えた司法であったが、70年代には「司法反動」の時代を迎える。この時代を代表する人物が石田和外。そして、時代を代表する事件が宮本判事補の再任拒否だ。本日、宮本さんと同期の元裁判官が、当時の裁判所の空気についてフロアーから発言をした。「宮本裁判官の再任拒否が噂された時期、多くの裁判官がよもやそんなことはあるまいと思っていた。宮本さんの上司の裁判官も『そんなことはあり得ない』と言っていた。それだけに、宮本再任拒否の衝撃は大きかった。多くの裁判官が萎縮を余儀なくされた。以前は、自分の考えだけで判決を出すことができたが、宮本再任拒否以後は明らかに変わった。すこしでも政治がらみと思われる事件の判決に筋を通すには、身分上の覚悟を要することとなった。」』

『宮本さんが10年の裁判官生活を経て再任を拒否された1971年4月。時期を同じくして、23期の裁判官任官希望者7人が任官を拒否された。うち、6人が青年法律家協会の会員だった。我々にとっては明らかな、思想信条による差別だった。(略)いつの世も、まずお先棒をかつぐ輩がいる。当時の反共雑誌「全貌」が特集で青年法律家協会攻撃を始めた。自民党がこれに続き、石田和外ら司法の上層部はこの動きに積極的に迎合した。こうして、裁判所内で「ブルーパージ」と呼ばれた、青年法律家協会会員への脱会工作が行われ、これが宮本再任拒否、23期任官拒否となった。23期の修了式で任官拒否に抗議の発言をした阪口徳雄君の罷免という事態も加わって、「司法の嵐」といわれる時代を迎えた。(略)1971年以後、裁判官の多くは、青年法律家協会とは絶縁して無難にその職業生活を全うした。しかし、いつの世にも、どこの世界にも、少数ながら硬骨漢といわれる人物はいる。そのような裁判官は差別的な処遇に甘んじた。昇格昇給や任地で差別され、政治的に影響の大きな事件の担当からは排除され、合議体の裁判長からも外されることで後輩裁判官との接触を絶たれた。』


【山中人間話目次】
・澤藤統一郎弁護士の宮本裁判官の再任拒否、裁判官任官希望者7人の任官拒否と続く70年代の「司法反動」の時代の回想
・いま、伊勢崎賢治(東京外大教授)や望月衣塑子(東京新聞記者)が山尾しおりを褒めたたえ、いわゆるリベラル・左派がさらに伊勢崎や望月東京新聞記者をもてはやすという悪循環の最悪の構図がある
・「米軍属女性暴行殺人事件」に関して、被告人の黙秘権を事実上否定する沖縄メディア(琉球新報、沖縄タイムス) の言論の暴力を指弾する「アリの一言」や沖縄弁護士会の沖縄メディア批判 
・そろそろ天皇は神嘉殿で新嘗祭夕の儀に臨むのだろうか。昭和天皇は85歳まで新嘗祭をやった。現天皇が新嘗祭を行うのは来年が最後になる
・原武史(放送大学教授・日本政治思想史)の『西太后秘録 近代中国の創始者』(ユン・チアン)の書評を私は。現在の天皇制批判に連なっていく1本の批評として読んだ
キョウ やまぐちじろう2

Blog「みずき」:田中宏和さん(「世に倦む日日」ブログ主宰者)の山口二郎批判と定見もなく、ひたすらその山口の口車に乗って自ら護憲を卑し貶めてきた左派(リベラル)、左翼(主に共産党)批判。同意する。

『山口二郎については、現在でも左派の論者という表象と通念が一般的である。山口二郎が著者として本を出すのは岩波書店であり、コラムを書いているのは東京新聞であり、左翼の国会前のデモにも頻繁に登場しているものだから、山口二郎を右派だとか保守派だとかと認識する者はいない。25年以上、山口二郎は左派の論客として評価されてきた。左派の論客として上のような反動の主張を堂々と吐いてきたのである。護憲派の意義を矮小化し、平和憲法を守るべく努めてきた革新勢力を貶め、改憲の立場がさも当たり前のように言い、護憲よりも政権交代の方が重要だと言い放ち、その主張で左翼の市民を説得してきた。そのため、山口二郎の上の言説は現在の左翼の中ではすっかり常識化していて、すなわち、護憲派=頑迷な旧主派というイメージが刷り込まれ、そのプロパガンダが奏功して固定観念になってしまっている。言っている中身は右翼の護憲批判と同じだが、東大岩波ブランドの威光があるため、権威主義に弱い左翼がそれを受け入れ、護憲を卑しめる不当な偏見が左翼の中で定着してしまった。小熊英二などが言っている護憲派批判も、この山口二郎の言説に沿ったもので、ほとんど今の左翼のメインストリームの思考と立場だと言っていい。左翼は自ら護憲を卑し貶めてきた。自己否定(転向)してきた。私はこの山口二郎の主張を聞いて、戦後政治の真実を知らない無知だと思うし、平和ボケとはこういう姿を指すのだと思う。ひたすら不愉快だし、山口二郎を崇めて拝跪する日本の左翼の欺瞞に憤りを覚える。』

『60年代から70年代の革新勢力(社共)は、まさに戦後民主主義を守ってきた主体であり、口汚い表現で不当に貶められなくてはならない理由はどこにもない。9条護憲の価値と意義について山口二郎は無知であり、それは戦後日本政治史についての認識の欠如に基づくものである。そうでなければ、ただ保守派の意見を口真似して垂れ流しているだけだ。どうしてこんな主張が岩波新書で刷られて販売されるのか、正直、私には理解不能である。なぜこれほど、護憲派は侮辱され貶下されなくてはならないのか。』(世に倦む日日 2017-11-22)


【山中人間話目次】
・田中宏和さん(「世に倦む日日」ブログ主宰者)の山口二郎批判と定見もなく、ひたすらその山口の口車に乗って自ら護憲を卑し貶めてきた左派(リベラル)、左翼(主に共産党)批判。同意する。
・私なら「無縁の存在とされる刑事司法」と直接話法ではなく、間接話法で書くでしょう――近畿財務局長背任告発問題
・若い男性の半分が、休日に外出していない」背後には外出したくてもできない凄まじいまでの現在の若者の貧困化があるだろうと思わざるをえません
・4人産んだから表彰とか,ふざけんじゃないわよ。まず保育園作れよボケって思うわよ――自民の山東氏「4人以上産んだ女性、厚労省で表彰を」 朝日新聞
キョウ あべちへい2

Blog「みずき」:阿部治平さん(青海省青海師範大学講師など歴任。中国在住歴11年)の今回の論をどのように評価すべきか。阿部さんという歯に衣を着せない正統派の革新の論客をしても、「現実」という定点のとりようによっては相貌も七変化するロジックに欺かれ、搦めとられてしまうのか? 阿部さんはいま、「現実に自衛隊が存在する」というロジックに搦めとられて9条改憲論を唱える新9条論者の改憲思想の地平まで退行しようとしているように私には見えます。阿部さん。日本にいま現に「自衛隊が存在する」ことが現実であるならば、憲法に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という第9条の条文が歴としてあることもまたまぎれもない現実です。物理的な現実だけでなく、理念的な現実というものもあるのです。問題は、われわれはどちらの「現実」を選択するか。どちらの「現実」を選択することが日本の恒久平和のために有益か、ということでしょう。自民党という政権が続いているという結局のところ政争の結果でしかない「現実」なるものに搦めとられてしまう愚は避けたいものです。私たちはそうして戦後70年間を闘い続けてきたのではありませんか?

【山中人間話目次】
・阿部治平さんという歯に衣を着せない正統派の革新の論客をしても、「現実」という定点のとりようによっては相貌も七変化するロジックに欺かれ、搦めとられてしまうのか?
・「日韓合意」を「問題解決に向けての前進」などと評価し、いまなお反省の表明をしていない日本共産党の非見識がいま改めて問われている――「最終的合意」に難色=慰安婦問題で韓国補佐官:時事ドットコム
・ここ数日来評判になっている「検証 民進分裂」(上・中・下)という朝日新聞記事のソース元はイエロー・ジャーナリストの上杉隆だったという論証(推測)記事
・「昭和天皇誤導事件」のときも天皇の乗る車両を先導していた警部の1人が責任を取って自決している。おそらく今回の「謝罪」はニッポン人の「切腹」の習慣と関係がある
・高林敏之さん(アフリカ国際関係史研究者)によるジンバブウェ・ムガベ大統領辞任問題最新情報と解説。大変参考になります
・2013年度の国連の指摘ですが、「日本の最低賃金は最低生存水準を下回っている」。いまはさらに下回っているのではないか?
キョウ しもつき26

Blog「みずき」:『奄美群島での奉迎風景を見て、原敬が皇太子の行啓に先立ち山陰を訪れた1907年5月16日の日記を思い出した。「人民の歓迎最も盛んにして殊に甚しきは両手を合せて余を拝するものあり。途上に土下座する者あり。内閣員に対してすら此くの如き次第なれば殿下の行啓に際しては其情況想ふべし」』

上記は、原武史(放送大学教授・日本政治思想史)の天皇夫妻の16日、17日両日の奄美群島行風景を見て、ふと思いだした感想である。私もこの風景をビデオで見た。島の老女が天皇夫妻の渡島に感涙に咽んでいた。いつもながらの庶民なるものの風景であった。

内田隆三(社会学者)は天皇制の問題を「路地」の視点から小説化しようとした中上健次の死にふれて、天皇制とは、この国の「恐るべき内閉性」の問題だと書いている。その「内閉性」の問題のひとつに島の老女のような涙があろう。しかし、この問題は、「まだ十分に開示され」ているとはいえない。その問題を解くのはこれからの課題である。その課題を解き終えたとき、新しい民主主義の地平も生まれよう。

『天皇について論じることは、知らず知らずのうちにある歴史=物語の内部に誘われることである。それは天皇についての言説の宙空に吸いこまれ、その言説に固有の歴史にのめり込んでいく危険を伴っている。実際、天皇というより、記紀以来延々と続く天皇についての言説の拘束力のほうが重大な問題をふくんでいる。すなわち「日本人を呪縛する天皇制」というよりも、「日本人は天皇制論議に呪縛されている」と言うほうがより事実に近いのである。しかしながら、天皇の存在と天皇についての言説を分離できないことも事実である。考えてみれば、天皇の呪縛と天皇についての言説の呪縛とが等価であるような位相に、むしろ天皇という存在の実質があるのではないだろうか。天皇の存在は天皇についての言葉から不可分であり、その意味で天皇とは、天皇による統治の言葉に従属する普通の対象ではない。それはこの国の「自然」を生成させながら、それ自身は「自然」に属すことを逃れている何かなのである。天皇による統治の言葉から抜け出すことが可能だとしても、その試みが天皇の言葉を異貌の次元でだが模擬し、どこかでそれに似てくるのだとすれば、この恐るべき内閉性はどのように考えたらいいのだろうか。もちろん結論はまだ早すぎるのかもしれない。場所(=トポス)の言葉、日の光が沁みる言葉、雨に濡れて緑色に輝く言葉の世界は、まだ十分に開示されたとはいえないからである。だが残念なことに、中上はもうその冒険の場所(=トポス)を去ってしまったのである。』(内田隆三『国土論』2002)


【山中人間話目次】
・原武史(放送大学教授・日本政治思想史)の天皇夫妻の奄美群島行風景を見て、ふと思いだした感想である。私もこの風景をビデオで見た。島の老女が天皇夫妻の渡島に感涙に咽んでいた。いつもながらの庶民なるものの風景であった
・浅井基文さん(元外交官、政治学者)の紹介する「『朴槿恵弾劾』が市民が選んだ歴史的事件第2位に…では第1位とは?」というハンギョレ日本語版記事(2017年11月14日付)から学ぶこと
・朝日新聞の「ロシア革命100年」と題された不破哲三日本共産党前議長インタビュー。このインタビューではなぜか不破哲三著「レーニンと『資本論』第5巻、一九一七年『国家と革命』」(新日本出版社、2000.2)」にはあったレーニン批判は消えている
・横浜事件裁判は終わっていない。終わらせてはいけない。これだけ有意な弁護士たちが志を貫徹している以上、裁判は必ず勝訴すると信じている
・言葉を失う地平で考え続けるということ。生きるとは結局そういうことではないか。そういう作家をしか私は信用しない
・「私」の翁長県知事批判の重要性について
・李信恵さんの損害賠償請求訴訟勝訴。もうひとつの視点から問題点を考える
キョウ きょうさんとう35

Blog「みずき」:渡辺輝人弁護士の「息子とはいえ、他人」(人権は個々人にある)という視点はとても重要です。28年前の宮崎勤事件のときもこの「犯罪者家族責任」論とその論を大方が肯定する社会的風潮が宮崎の父親を自殺にまで追い詰めたのでした。日本社会はこうした前近代的な「家族」観からいい加減に卒業すべきでしょう。ここでも日本共産党は社会主義云々以前の問題として自らの政党が民主主義の理念すら理解していない前近代的な政党でしかないことを自白したようなものです。その党のいう「民主主義的中央集権制」とはなにか? 民主主義にほど遠いものであることだけはたしかだといえるでしょう。

注:この問題については柄谷行人(文芸評論家・哲学者)が『倫理21』(平凡社 2000年)という著書の第1章「親の責任を問う日本の特殊性」という論でカントの「批判論」(『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書)から説き起こして「犯罪者家族責任」論が成立しえないことを論理的に明らかにしています。柄谷行人にしてはわかりやすく平明な論です。17年前、私はこの論を読んで目を開かされました。

【山中人間話目次】
・最近の左翼・市民団体の右傾化スケッチ(小景編)39 ――共産党は社会主義云々以前の問題として前近代的な政党でしかないということ。または、渡辺輝人弁護士の「息子とはいえ、他人」(人権は個々人にある)という視点の重要性
・保立道久(歴史学者)の「(「議会制民主主義はもう機能していない」という論を)最初に明瞭かつ暴力的に主張したのが全共闘運動であり、それが今も現代思想のベースにある」という認識は正しいか?
・11月14日付の毎日新聞に掲載された内田樹(思想家)の我田引水の小選挙区制批判論の当を得た批判になりえていると思います――小選挙区制に八つ当たりして失敗の責任を転嫁する内田樹と中野晃一 世に倦む日日
・TPP11「大筋合意」の真実――大筋合意とは交渉が決裂した項目は外して、合意できた部分だけをもって合意を偽装する姑息な用語でしかない(東京大学教授 鈴木宣弘)
・またまた、翁長知事の沖縄県民の怒りをガス抜きさせるためのマヌーバー(策略)か? しかし、翁長知事が県民の凄まじい怒りに追い詰められていることは確かでしょう
・そうだとしても、中国の不当な圧力に抗議もせず、やすやすと従った安倍政権には渡りに船としてその圧力を逆に利用しようとする思惑があったのではないか――平和大使演説、圧力は中国 日本の被害強調嫌う? 政府、他国の同調恐れ見送り(西日本新聞)
キョウ うちのみつこ3

Blog「みずき」:内野光子さん(歌人、短歌評論家)の国立歴史民俗博物館に「<1968> 無数の問いの噴出の時代」という企画展を観に行った感想。私がいつも内野さんの文章を読んで共感を抱くのは内野さんの「人を見る」内省的な眼です。今回も内野さんは以下のような感想を書いています。「苦悩をしているふりをしながら、陽のあたる場所を歩いている人」とは誰か。「『元活動家』を売りにしている人」とは誰のことか。その内野さんの「見る目」の底には煮えたぎるような憤りが詰まっているに違いありません。

『最も関心のあった第2部は、東大と日大の闘争に焦点を当てた内容であった。東大は、医学部学生の処分問題が発端であったし、日大は、20億円の不正経理の発覚が端緒となった。首都圏や地方の大学も、各々独自の問題を抱えていたことがわかる。.大学管理だけがきつくなってゆく中、二大学の闘争の激化は、管理者との攻防という枠を超えて、周辺の市民たちにも大きな影響を与え、先行していたべ平連の運動や各地での同時多発的な住民運動と無関係ではありえなかったこともわかる。ただ、学生運動の一部は、突出した過激な闘争となり、内ゲバも激化、1970年6月には安保条約が自動延長になるなどすると、住民運動や市民運動は、多様化するが、個別の運動となっていくような沈静化みられるようになった、と私には感じた。

しかし、この時代の運動を担った世代の人々が、現在に至るまで、ジャーナリストになったり、出版社を自力で興したり、あるいは教職についたり、地域の住民運動のリーダーになったりして、独自の道を歩んできた人に出会ったりすると、旧友と再会したような気分にもなる。その一方で、見事に企業人になり切った人、ここまで変節・変貌できるのかと思える人、何かはっきりしないけれど、あるいは苦悩をしているふりをしながら、陽のあたる場所を歩いている人、「元活動家」を売りにしている人と様々だが、かける言葉を失う。持続し、継承することの難しさを痛感してしまう。』
 

【山中人間話目次】
・内野光子さん(歌人、短歌評論家)の国立歴史民俗博物館に「<1968> 無数の問いの噴出の時代」という企画展を観に行った感想。私がいつも内野さんの文章を読んで共感を抱くのは内野さんの「人を見る」内省的な眼です
・これまで翁長知事礼賛を続けてきたオール沖縄に変化が生まれる予兆か? ダイナミックな変化を期待したい――山城議長、知事を批判 新基地資材海運認可で
・辺野古基地建設・辺野古埋め立て反対運動にはこうした国際的な熱い支持がある――『辺野古基地建設反対のバナーに「I love fighters」とパレスチナのイヤード・ブルナートさんが支援のサインをしてくれました
・ロシア革命100年 若者に増える“革命肯定 ” NHKニュース  2017年11月7日
・ロシア革命100年。改めて「インターナショナル」(革命歌)を聴く。以下のワンシーンは映画「レッズ」から。背景に「インターナショナル」が流れている
・原武史の安藤礼二『折口信夫』書評。中学生のとき国語の教科書で釈迢空に出会って以来、折口信夫は私にとってもずっと謎の人である。長い間書架に眠っている『死者の書』 も読み解けずにいるままだ
ハンナ・アーレントと母

Blog「みずき」:辺見庸の読書感想は続く。「見なれ聞きなれて」いる言葉だが「あらためて、ふるえるべきだ」という。そうだ。私たちはいま、おのれの感性を総動員して「倦怠」の底にある闇の深さを思うべきであろう。あるいは知るべきであろう。1919年のとある日、ハンナ・アレントの母マルタは娘に向かって叫んだ。「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」。母の叫びは娘の記憶に残った。

『「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」「世界」12月号の笠原十九司さんインタビューに深く同感。タイトルは「戦争の〈前史〉と〈前夜〉」。戦争にはかならず〈前史〉と〈前夜〉があり、〈前夜〉までくると、戦争阻止は不可能。これはかれの近著『日中戦争全史』上下巻にもくわしいが、インタビューは要点をうまくまとめている。笠原氏は「政権中枢が南京事件などの史実を否定する歴史修正主義に染まっていることの異常性については、どれほど強調しても強調したりない・・・」とかたり、この歴史修正主義は、政権中枢からジャーナリズム、教育分野にかくだい、中国・北朝鮮脅威論をあおりたてていると指摘。笠原氏の結論は「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」で、戦争回避が不可能となる〈前夜〉になるまえに手をうたないとたいへんなことになる、と言う。必読!』(辺見庸「日録」2017年11月08日)

『笠原十九司さんは「安倍政権は、確実に、日中戦争に至ったかつての道を再び歩んでいると思います」と断言する(「世界」12月号)。安倍ー歴史修正主義ー憲法破壊ー戦争・・・の、ことばのならびは、もう倦怠をさそうほどに、見なれ聞きなれてはいる。だが、わたしは戦慄すべきだ。なんどでも戦慄すべきだ。あらためて、ふるえるべきだ。あしもとのリアルな戦争〈前史〉を見つめるべきだ。(同上 2017年11月09日)


【山中人間話目次】
・「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」。 「世界」12月号の笠原十九司さんインタビューに深く同感――辺見庸「日録」2017年11月08日付から
・辺見庸の読書感想は続く。「見なれ聞きなれて」いる言葉だが「あらためて、ふるえるべきだ」という。ハンナ・アレントの母マルタは娘に向かって叫んだ。「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」
・重要な指摘が続きます。鬼原悟「天皇明仁とトランプ大統領の危険な会話」(アリの一言 2017年11月09日)から
・トランプ大統領があからさまに米国製の武器の購入増を要求―― 死の商人トランプと「トランプの忠実な手下役を演じる」安倍晋三(1) ニュース・ワーカー2 2017年11月08日
・トランプ大統領があからさまに米国製の武器の購入増を要求―― 死の商人トランプと「トランプの忠実な手下役を演じる」安倍晋三(2) アリの一言 2017年11月07日
・トランプ大統領があからさまに米国製の武器の購入増を要求―― 死の商人トランプと「トランプの忠実な手下役を演じる」安倍晋三(3) Everyone says I love you ! 2017年11月07日
・トランプ大統領があからさまに米国製の武器の購入増を要求―― 死の商人トランプと「トランプの忠実な手下役を演じる」安倍晋三(4) ワシントンポスト記事
・トランプ大統領があからさまに米国製の武器の購入増を要求―― 死の商人トランプと「トランプの忠実な手下役を演じる」安倍晋三(5) NHKの海外記事紹介
キョウ しもつき8

Blog「みずき」:太田昌国さん(評論家)が東京タワーの展示室で開かれていた「山本作兵衛原画展」を観に行ってたまたま天皇・皇后と出くわした友人の話を書いている。「どこからともなくわらわらと大勢の黒い服の男たちが現われ、見る見るうちに会場を制圧した」。「その奥から、天皇・皇后の姿が現われた」、と。この後、太田さんは、筑豊の炭鉱の鉱山労働の様子を描いた山本作兵衛の原画展にまで出かける皇后の関心の広さ(あるいは、目配りのよさ)についての感想を述べた上で、友人の作兵衛画の鑑賞を突然断ち切った皇后なるものの存在について次のように書いている。

『だが、ひとりの人間として――というためには、他の人びととの在り方と隔絶された特権を制度的に享受する立場に立たない、という絶対条件が課せられよう。作兵衛展に出かけるにしても、一般人の鑑賞時間を突然に蹴散らしてでも自分たちの来場が保証されるという特権性に、彼女が聡明で優れた感度の持ち主であれば、気づかぬはずはない。自分たちが外出すれば、厳格極まりない警備体制によって「一般人」が被る多大な迷惑を何千回も現認しているだろうことも、言うを俟たない。「弱者」に対していかに「慈愛に満ちた」言葉を吐こうとも、己の日常は、このように、前者には叶うはずもない、そして人間間の対等・平等な関係性に心を砕くならば自ら持ちたいとも思わないはずの特権に彩られている。その特権は「国家」権力によって担保されている。この「特権」と、自らが放つ温情主義的な「言葉」の落差に、気が狂れるほどの矛盾を感じない秘密を、どう解くか。

凶暴なる国家意志から、まるで切り離されてでもいるかのように浮遊している「慈愛」があるとすれば、それには独特の「役割」が与えられていよう。彼女が幾度も失語症に陥りながらも、皇太子妃と皇后の座を降りようとしなかったのは、自らの特権的な在り方が「日本国家」と「日本民族」に必要だという確信の現われであろう。高山文彦に『ふたり』と題した著書がある(講談社、2015年)。副題は「皇后美智子と石牟礼道子」である。そのふるまいと「言霊」の力に拠って、後者の「みちこ」及び水俣病患者をして心理的にねじ伏せてしまう、前者の「みちこ」のしたたかさをこそ読み取らなければならない、と私は思った。「国民」の自発的隷従(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ)こそが、〈寄生〉階級たる古今東西の君主制が依拠してきている存立根拠に違いない。』(太田昌国FB 2017年11月4日)

石牟礼道子や水俣病患者まで「心理的にねじ伏せてしまう」その力とはなにか。それは「国民」の自発的隷従というものだろう、と。

【山中人間話目次】
・だが、ひとりの人間として――というためには、他の人びととの在り方と隔絶された特権を制度的に享受する立場に立たない、という絶対条件が課せられよう。彼女が聡明で優れた感度の持ち主であれば、気づかぬはずはない。
・金光翔さん(元岩波『世界』編集部員)のフリージャーナリストの安田浩一批判
・毎日新聞の伊藤智永記者(編集委員)は文章上の小細工を弄しながら結局のところ安倍首相を擁護する。こういう詭弁の論を「乾いた笑い」などと言えますか?
・57億円のイバンカ基金への拠出は正しいか――あまりに低賃金のため家族で暮らせない。子どもに月1回会えればいいのがイヴァンカが大事だというワークライフバランスの実態
・しかし、ここにも笑止千万な事態があります。これは弁護士団体すらもなし崩し的に右傾化=保守化(実は総右傾化=保守化と言いたいところ)しているいまのありさま
キョウ しもつき6

Blog「みずき」:加藤周一は天皇制の探求を『記』『紀』の読み込みから始めている。

たとえばこうだ。

『 『記』・『紀』の内容からさかのぼって考えると、地方的な素材には、大きくみて、『記』・『紀』以前に、二つの系統が成立していたようである。出雲系は、カミムスヒ、スサノヲとその子孫(殊にオホナムチすなわち大国主)を主な神とし、大和系は、タカミムスヒ、アマテラスとその子孫を主な神とする。それぞれ出雲および大和の支配者家族の先祖神であったらしい。『記』・『紀』の神代が、その二系統を大和側の立場からまとめた体系であることは、その本文のなかで、両系統の神のつなぎ合わせ方に無理があることや、また『記』・『紀』と『出雲風土記』の記述にくいちがいのあることから、容易に察せられる。』

『 『記』・『紀』が地方的な神々を一箇の体系にまとめようとした原理は、一言でいえば、神代以来の血統による大和朝廷の王権の正統化である。正統化の必要は、『記』・『紀』の編纂を命じたといわれる天武天皇において、殊に大きかったにちがいない。天武帝は激しい王位継承戦争(壬申の乱、672)で勝利したばかりであった。(……)血統以外に王権を正当化する原理は、『記』・『紀』にはみられない。これは「天命」による正統化を重んじた中国の伝統と著しい対照をなす。また血統と関連して、姻戚関係においても、極端な近親結婚をみとめる『記』・『紀』的原則は、独特であって、儒教的中国の風習と大いにちがう。『記』・『紀』の近親結婚は、古代日本の少なくともある時期の慣行を反映していたはずであり、地域的に集中して住む一氏族にとって族外結婚が強制されなかったろうことを想像させる。もしその想像が正しいとすれば、それは日本における地域共同体の著しい閉鎖性を、またしたがって高度の組みこみ性を、支えてきた要因の一つと考えられるかもしれない。』(『日本文学史序説 上』1980年)

その天皇制批判の射程は長い。すなわち、根底的だ。むろん、あの戦争で多くの友を失った経験が彼をそうさせたのだ。


【山中人間話目次】
・加藤周一は天皇制の探求を『記』『紀』の読み込みから始めている。その天皇制批判の射程は長い。すなわち、根底的だ
・こういうときにこそ全労働者は団結し、一団となってゼネスト(闘争)に打って出るべきではないか。なんのための労働組合か。労働者は資本の側に完全にナメラレきっている
・田中宏和さん(「世に倦む日日」ブログ主宰者)の東京新聞の二枚舌を批判――「憲法公布71年 平和主義は壊せない」という文化の日の東京新聞の社説
・こういう政権(安倍政権)はいまからでも大規模な国民運動(韓国の「ロウソク革命」を見よ)で打倒する以外に道はありません
・トランプの朝鮮に対する認識に対して安倍首相が強い影響力を及ぼしているとする韓国・中央日報のワシントン総局長・金玄基(キム・ヒョンギ)のきわめて重要な指摘
・最近の左翼・市民団体の右傾化スケッチ(小景編)36 ――右傾化政党に転落した共産党とかつての小選挙区制論者、山口二郎との共闘とねじれ
・自称「護憲派」は「安倍9条改憲NO!」というまやかしのスローガンの有害性にいい加減に気づくべきではないか
キョウ しもつき5

Blog「みずき」:徐京植『民主主義の廃墟―大量消費の果てに』ハンギョレ 2017.11.03より。徐京植(在日朝鮮人作家、東京経済大学教授・現代アジア思想)は現在の日本の置かれている位置を「『全体主義』の状態とし、「『リベラル派の頽落』が、とうとうこの水位にまで至ったのだ」と日本の現在のリベラル派を強く論難しています。加藤周一が戦後すぐの1946年の時点に「「天皇制を論ず」という論を発表し、天皇制という制度の廃絶を主張していたことを例にあげ、対していまは「安保法制反対などを主張するリベラル派の論客(内田樹)までもが『「天皇主義者に変わった』と宣言した」。「これはフランス革命以来、人類社会が積み上げてきた人権、平等、自由、民主といった普遍的価値にたいする破壊行為ではないか」というのが徐京植の日本のリベラル派(というよりも、内田樹と共産党はいまは蜜月関係にありますからリベラル・左派と表現する方が正確でしょう)批判です。

20年ほど前までは11月3日の「文化の日」には決まって加藤周一や大岡昇平などの正真正銘のリベラルの論客が新聞紙面で論陣を張り、天皇制度と戦争の危険な関わりを説き、平和の重要性を訴えていたのですが、いまの様変わりは甚だしいものがあります。まさに「『リベラル(・左)派の頽落』が、とうとうこの水位にまで至ったのだ」というほかありません。


【山中人間話目次】
・徐京植『民主主義の廃墟―大量消費の果てに』ハンギョレ 2017.11.03より――20年ほど前までは「文化の日」には決まって加藤周一や大岡昇平などの論客が新聞紙面で論陣を張り、天皇制度と戦争の危険な関わりを説き、平和の重要性を訴えていた
・出会いとはそういうものかもしれない。あとから思い出すと私の場合も友というべき人との出会いの日にはいつもいましがた陽光の林の中を通り抜けてきたような透明な風が吹いていた
・9条に自衛隊明記、52%反対 共同通信世論調査。そして 内閣支持率54%に上昇 憲法に自衛隊明記、賛成44% 日経。同じ日の記事と思えん
・猪野亨弁護士(札幌市在住)の「野党支持者が野党に対する期待は憲法9条改憲に反対すること」という指摘は当たり前のことのようですが、とても重要な視点だと思います
・朝日対産経のメディア対決に期待したい――産経新聞コラムのウェブ版、「排他的」見出しに批判次々 朝日新聞
・平安名純代さん(沖縄タイムス米国特約記者)の翁長知事の「言動不一致」批判。平安名さんのペンの力に期待する
・安倍自民党の国会の議席比率による発言権云々などの屁理屈にまったく道理はない
・再び問われる政府の日本人救出の責任 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
キョウ かんなづき53

Blog「みずき」:田中宏和さんが本日付の自身のブログに「共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する」という論を掲載していますが、今回の共産党の総選挙結果分析として当を得た説得力のある優れた論説になっているというのが私の評価です。ツイッターやインターネットをはじめとするSNS界隈では今回の総選挙での共産党の敗因(議席の大幅減。ほぼ半減)を立憲民主党の選挙区での当選を助けるために候補者を降ろした共産党の自己犠牲の結果だとする美談づくりの俗説が流布していますが、田中宏和さんは、それは共産党サイドの自画自賛の謬論にすぎないことをこの8年間(2009年~2017年)の同党の得票率の推移の分析を通して説得的に論証しています。また、「誰も指摘しない問題」としては、しばき隊運動の盛衰と今回の共産党の敗因との関わりを説得的に分析しているのも本論の功績と見てよいものです。

『今回の衆院選で最も大きく惨敗したのは共産党で、議席を21から12へとほぼ半減させる結果となった。2013年から続けてきた党勢拡大が止まり、深刻な後退の局面を迎えている。比例得票数は440万票。ネットやマスコミでは、枝野幸男の立憲民主党に風が吹き、その影響を受けて比例票を奪われたためだという見方が一般的だ。共産党の支持者からは、立憲民主党の選挙区での当選を助けるために候補者を降ろした共産党の自己犠牲は立派だという類の、何やら敗北の真因を直視することから逃避する美談工作的な自画自賛の弁も横溢している。しかし、もし選挙区での候補者を降ろすことが比例区での得票減や議席減に自動的に繋がるのであれば、そもそも共産党の「野党共闘」作戦は最初から自滅の戦略だったということになり、戦略が間違いだったという結論になるだろう。昨年の参院選では全国32の1人区で「野党共闘」を実現させたが、共産党は比例で601万票を得ている。4年前の2013年の参院選での共産党の比例票は515万票で、このときは「野党共闘」はなかった。共産党は単独で全国に候補を立てて戦っている。2016年と2013年の二つの参院選を比較して言えば、「野党共闘」のために選挙区で候補を降ろしたことが、必ずしも比例の得票減を招いた原因だとは即断できない。』

『もう一つ、誰も指摘しない問題だが、しばき隊の関与について論点に上げないわけにはいかない。2013年からの共産党の台頭と党勢伸張は、しばき隊の出現と勢力拡大と二人三脚の関係で、しばき隊運動によって媒介された政治現象と言っても過言ではない。しばき隊はネットと街頭で共産党を強力にサポートし、左翼のデモを流行させてマスコミ報道で公民権を与える活躍を演じた。この間、しばき隊は政治の世界でプラスシンボルの評価を固め、2015年から2016年のSEALDs運動も朝日(テレ朝)や毎日(TBS)が正義の英雄として賛美した。しばき隊は、自らを美称化して「3.11以後の社会運動」と呼んでいる。「3.11以後の社会運動」は、まさしくしばき隊運動のことに他ならないが、この運動の興隆が共産党の党勢を押し上げ、政治のプイレヤーとしての存在感を高める原動力となっていた事実は否定できない。私は、2012年の頃からしばき隊運動(反原連)を批判し、その運動の中身を分析して問題点を抉出する作業を続けてきたが、一貫して言ってきたのは、しばき隊と共産党との関係が嘗ての解同朝田派と社会党との癒着と同じだという主張である。社会暴力を政党の栄養分にして寄生していた問題に他ならない。(略)共産党の党勢拡大の槓桿だったものが桎梏となった。まさに弁証法における反対物への転化を示している。』

【山中人間話目次】
・共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する(最近の左翼・市民団体の右傾化スケッチ34)
・オール沖縄シンパで朝日新聞記者の谷津憲郎さんが「左折の改憲」という言葉を使っているのであれっと思った
・最近の左翼・市民団体の右傾化スケッチ(小景編。標題を一部改訂)33 ――私は、左派が無用だとは思わないが、こういうメッセージが、くだらない、情けない発信という批判と嘲笑を招くことに気づかないのなら、もうお辞めになった方がいい
・こちらのツイートには批評精神と怒りを感じます。福島みずほのツイートとの違いはそこ。福島みずほのツイートはポピュリズムそのもの、すなわち、怒りは感じられず、大衆迎合のみがある、というのが私の評価です
・山口敬之の「私を訴えた伊藤詩織さんへ」というあまりに卑劣な反論への再反論3本――核心からは逃げ、印象操作と陰謀論で詩織さんを攻撃
・サルトルの民主主義とはなにか、民主主義者とは何者か、あるいは人間とはなにか、という問い
・網野善彦のいう「現代の『無縁』の思想」とはどういうものか。関係はあるのか、ないのか。なぜか、カタルーニャという地のことに思いはゆく
キョウ かんなづき46
濱谷浩「怒りと悲しみの記録」(1960年)

Blog「みずき」:金光翔さん(元岩波『世界』編集部員)が自身のブログで「(主としてリベラル・左派系の)マスコミ(周辺の研究者や書き手)の集団思考・タコツボ化・同質化が進展している」ことを指摘している(「私にも話させて」ブログ 2017年10月21日)。

金さんの論攷は直接的には今般の民進党の実質的な分裂、解体にともなって急拵えされた立憲民主党の体質の旧民進党との本質的な違いのなさ(負の連続性)を指摘するものだが、私はその中でも、「(特に若年世代の)マスコミ批判は嫉妬・ルサンチマンが原因、という言説が、いま、マスコミやリベラル・左派系の界隈で共有化され、公然と表面化しつつある」という金さんの指摘に目がとまった。

金さんは「いま、マスコミで左派ということでいろいろ発言している著名言論人の中には、1990年代から2000年代初頭くらいまでは左翼や市民運動を『ルサンチマン』『怨恨感情』に基づくものとして嘲笑していた者が見られる」とも指摘している。重要な指摘だと思う。現在の左翼やリベラルの劣化はこういうところにも現れている。というよりも、彼ら、彼女たち(思想的には「保守」でしかない)は左翼とリベラルの劣化をこうして主導してきた。そういう者どもがいま、左翼やリベラルを公然と僭称し、これまでのいわゆる左翼、市民運動がそれを無批判に許容してきたところにいまの彼ら、彼女たちの増長があり、凄まじいまでの左翼とリベラルの劣化があるのだ、と私は怒りをもって思う。


【山中人間話目次】
・金光翔さん(元岩波『世界』編集部員)の若年世代のマスコミ批判は嫉妬・ルサンチマンが原因、という言説が、いま、マスコミやリベラル・左派系の界隈で共有化され、公然と表面化しつつあるという指摘について
・『ブラック企業』の著者、今野晴貴さんの立憲民主党批判とベーシックインカム論批判
・最近の共産党・市民団体の右傾化スケッチ(小景編)32 ――kojitakenさんの孫崎享批判とその孫崎を重用する共産党批判
・丸山健二(小説家)の大衆の投票行動批判――民主主義とは、つまり、愚者たちの犠牲になることです
・伊藤詩織さんのFCCJ(日本外国特派員協会)記者会見まとめ
・長男の専門学校進学を理由に生活保護減額という行政の理不尽について
キョウ かんなづき35

Blog「みずき」:今回の総選挙の結果で私がもっとも得心がいかないのは若者たちの自民党支持率の高さです。テレビ朝日が実施した衆院選投票直後の出口調査(22日)では20代の自民党支持率は49%(10代は47%)もあります。これはどういうことでしょうか? 従来、若者は革新(あるいは変革)志向がもっとも強い世代だとされてきました。

韓国のハンギョレ紙(2017.10.23付)は、「若年層の保守化傾向が強まっている原因としては、日本社会の全般的右傾化とともに、安倍政権になって雇用環境が改善されたという点を挙げる人が多い。求人者数を求職者数で割った有効求人倍率は、8月基準で1.52倍だ。企業が求める労働者数が職場を求める人員より50%以上多いという意味だ。実状を細かく見れば、非正規職の求人が多いという問題があるが、アベノミクスで雇用環境が改善されたことは事実だ。このため若者の間で相対的に安倍政権の人気が高いと解釈されている」と分析しています。

が、同じ問題についてジャーナリストの高世仁さんは、「私の周りの若い人も自民党支持が多いが、どうも彼らは自民党がさかんに使う「改革」、「経済成長」のスローガンに惑わされているのではと思う。今回の選挙でも、「改革」という言葉をもっともひんぱんに使ったのは自民党だったそうだ。若者は「保守」に惹かれているのではないのかもしれない」(高世仁の「諸悪莫作」日記 2017.10.23)と分析しています。

私はこの驚異的な若者たちの自民党支持率の高さの背景にはおそらく高世さんが指摘するような事情があるのだろうと思っています。

しかし、私は、それ以上に、これまでのいわゆる革新勢力(とりわけ政党)が現代の若者たちに希望の持てる未来像を提示できていないという事情の方が大きいというべきだろう、と思っています。いまのいわゆる革新政党は国会や地方議会における議員数の増大という目先の自党の勢力拡大の問題だけに目を奪われて、社会主義の理念はもちろん「生きるに値する」社会のありうべきあり方についての理念を語ることを忘れてしまっているからです。これでは若者たちを惹きつけることはできないでしょう。


【山中人間話目次】
・今回の総選挙の結果で私がもっとも得心がいかないのは若者たちの自民党支持率の高さです。テレビ朝日が実施した衆院選投票直後の出口調査(22日)では20代の自民党支持率は49%(10代は47%)もあります
・しんぶん赤旗の「きょうの潮流」の恭順的美智子妃讃歌と政治学者の原武史さん(放送大学教授)の美智子妃論の対比
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