キョウ こうしつ

Blog「みずき」:本日づけ(8月27日)の毎日新聞に天皇の「生前退位発言」に関する「本格的論評の代表格というべき」(澤藤統一郎さん評)原武史さんと北田暁大さんの対談が掲載されているようです。私はネットでしか毎日新聞を読んでおらず、かつ、「無料で読める今月の上限10本」制限を超えているので、澤藤統一郎さんの論評を通して同対談の要旨をご紹介させていただくことにしようと思います。

【「平成天皇制」――これはむき出しの権力だ】
8月も終わりに近い。8月は戦争を語り継ぐときだが、同時に天皇制を論ずべきときでもある。71年前の敗戦は、軍国主義と戦争の時代の終焉であったが、同時に野蛮な神権天皇制の終焉でもあった。しかし、軍国主義と臣民支配の道具であった天皇制が廃絶されたわけではない。日本国憲法下、象徴として残された天皇制は、はたして平和や人権や国民の主権者意識に有害ではないのだろうか。今年(2016年)の7月から8月にかけて、天皇の「生前退位発言」が象徴天皇制の問題性をあぶり出した。歯の浮くような、あるいは腰の引けた俗論が続く中、8月も終わりに近くなって、ようやく本格的な論評に接するようになった。本日(8月26日)の毎日新聞朝刊文化欄の「原武史・北田暁大対談」は、そのような本格的論評の代表格というべきだろう。ネットでは、下記URL(
)()で読める。これは、必見と言ってよい。この時期、この二人に対談させた毎日の企画に敬意を表するが、見出しはいただけない。「中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下」「踏み込んだ『お気持ち』 天皇制を再考する時期」。この見出しでは読者を惹きつけられない。しかも、対談の真意を外すものだ。もとより、原も北田も「陛下」などと言うはずもないのだ。見出しは、対談の毒を抜いて砂糖をまぶして、読者へのメニューとした。しかし、対談の中身はそんな甘いものではない。歯ごたえ十分だ。全文を読んでいただくとして、私なりに要約して抜粋を紹介したい。

対談者の関心は、まずは今回の天皇発言の政治性にある。このような政治的発言を許してしまう、象徴天皇制というものの危うさと、これに的確な批判をしない時代の危うさに、警鐘を鳴らすものとなっている。冒頭の北田発言がその要約となっている。北田「天皇の『お言葉』で皇室典範改正につながるかもしれません。実質的に天皇が法を動かすということは日本国憲法の規定に反する明確な政治的行為でしょう。しかし右も左もマスコミも、心情をくみ取らないわけにはいかないという論調。立憲主義の根幹にかかわることなので、もっと慎重に議論が進むと思っていたのですが……。」さらに、中心的なテーマは、象徴天皇制がもはや憲法をはみ出すものになっているという批判である。原は、今回の天皇発言を「玉音放送」に擬してこう言う。原「今回のお言葉の放送は、いろんな意味で1945年8月15日の『玉音放送』と似ています。玉音放送は臣民という言葉が7回出てくる。今回も国民という言葉が11回出てきた。…昭和天皇が強調したのは、ポツダム宣言を受諾しても、天皇と臣民が常に共にある『君民一体』の国体は護持されるということ。今回も『常に国民と共にある自覚』という言葉が出てきます。玉音放送の終わり方は「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体(たい)セヨ」、つまり臣民に向かって自分の気持ちを理解してもらいたい、と。今回も「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」で終わっています。」これに、北田が共鳴し、さらに原が敷衍する。北田「政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今、天皇が憲法の規定する国事行為を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、象徴天皇制の完成を見た思いがします。」原「今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀と行幸こそが『象徴』の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。」北田「憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。」 北田「天皇の政治的な力を見せつけられました。『空虚な中心』どころではない。」原「より能動的な主体として立ち上がってきた。」

対談者の批判は、左派・リベラルにもおよぶ。北田「左派リベラル系の人の中にも、天皇制への視点が抜け落ち『この人なら大丈夫』と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。」原「実は国体が継承されているんじゃないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていくというか、強化されているのではないか。こうした行幸啓を続けることで、いつの間にかそれが皇室の本来の姿のように映るようになった。北田「すごい発明ですよね。平成天皇制。自戒を込めていえば、私も天皇について断片的に本を読むくらいで、強い関心を持っていませんでした。しかし今回のお言葉で目が覚めました。『これはむき出しの権力だ』と。天皇家、天皇制とは何なのかを徹底的に再考する時期だと思います。」若い北田の「すごい発明。平成天皇制」「これはむき出しの権力だ」という感性を私も共有したい。そして、原にも北田にも、世論を覚醒せしめる本格的な論稿を期待する。(
澤藤統一郎の憲法日記 2016年8月27日

【山中人間話目次】
・永原純さんの東京新聞天皇賛美社説批判
・高江の機動隊投入問題。アリの一言氏の翁長知事と沖縄地元紙琉球新報、沖縄タイムス批判。
・崔勝久さん(OCHLOS)の「慰安婦問題に対する、ある韓国人のコラム」紹介
・会長への立候補は認めないー岩手県海区漁業調整委員会の暴挙-澤藤統一郎の憲法日記
・非常勤医師逮捕の不当性について――柳原病院[東京都足立区]の訴え

キョウ どくさい

Blog「みずき」:「民主主義が独裁への道を開くことになりかねない」という藤原帰一さんの危惧については、「『喝采』による『民主主義的な感情』による独裁の民主的正統性による権威付け」の過程を考察したドイツの法学者、カール・シュミットを引いた弁護士の森川文人さんの短評もあります。合わせて参照されれば「民主主義と独裁」がなにゆえに関係するのか。その関係性についての理解も深まるものと思われます。

【民主主義は独裁への道を開くことになりかねない】
小学校の先生に教わった民主主義とは、要するに多数決のことだった。ほんとうに多数決がいちばんよい制度なのか、その頃から疑問だった私は、どうして多数決がいいんでしょうと先生に質問したことを覚えている。先生は質問に答える代わりに、どこがいけませんかと私に質問を返した。民主主義と多数決を同じものにすればどんな問題が発生するのか、小学校五年生の私は答えることができなかった。半世紀経ったいまも自信はない。でもあえて答えるなら、多数決だけの民主主義から取り残されるのはマイノリティーの問題だと思う。多数決によって選挙や議会の投票結果が決まったとしても、負けた側がその決定に従わなければ制度は成り立たない。今度は負けても次の機会には自分が勝つことが期待できるのであれば、自分に不利な決定を受け入れることもできるだろう。だれが多数派で誰が少数派かが固定していない場合、多数決は必ずしも不合理な制度ではない。それでは、国民の一部に過ぎない少数民族とか宗教など、人口が少ないために国内社会の多数となることができない人についてはどうだろう。民族や宗教によって差別されることがなく、それが政治の争点となっていなければともかく、民族や宗教の違いによる差別が厳しい場合には紛争の発生は免れない。政治社会の決定が多数決によって行われ、その多数決が多数派の考えばかりを反映するなら、少数派が迫害の排除を求めても成果は期待できない。制度によって解決ができないのであれば、力に訴える人も生まれてしまう。多数決だけに頼る民主主義だけでは多数派と少数派が共存する社会をつくることは難しい。欧米諸国における民主主義は、決して多数決だけを指すものではなかった。森政稔氏が「
変貌する民主主義」(ちくま新書)で触れているように、現代の民主主義は自由主義を源流として、そこに民主政治という統治の仕組みが加わったものとして捉えることができる。もし民主主義が政治権力を多数派の手に委ねるだけのものであるなら、民主主義が独裁への道を開くことになりかねない。民主政治の前提は多数派と少数派の別を問わない自由な公共社会である。(略)既に自由主義は、自分の自由とともに他者の自由を認める制度ではなく、国家が市場から出て行けば自由な社会が保たれるという観念となって久しい。いま民主主義は、自由な公共社会における統治の仕組みではなく、多数派が少数派を排除する制度の別名に変わろうとしている。(藤原帰一「朝日新聞 時事小言」2016年8月24日

【山中人間話目次】
・国民の自信と誇りを高めるオリンピック報道?~NHKの国策翼賛体質はここにも~ 醍醐聰のブログ
・自称「民主主義者」の呆れるばかりの目の不確かさについて 
・WPはトランプ支持を表明したジュリアーニ元NY市長の言動がおかしく、陰謀論満載の話ばかりをするので「お医者さんに行くべきだ」と諭している
・サンダースが「私たちの革命」という新しい組織を立ち上げた
キョウ もりかわすいめい

Blog「みずき」:「今日の言葉」は森川すいめいさんの言葉と森川文人さんの言葉のアンサンブル。その中に言葉と言葉をつなぐ私の説明が少し入り混じっています。モザイク模様。モザイクも一葉の絵画。その絵画の価値は、それこそ「自分はどう感じ、自分はどう反応するか」で決まる、と思っての「今日の言葉」です。


【三宅洋平と安倍昭恵の「対話」は対話たりえるか
弁護士の森川文人さんは森川さんの甥の森川すいめいさんの『
その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』という著作から以下の言葉を引用しています。

「相手のことば、行動、変化を見て、自分はどう感じ、自分はどう反応するかが決まる。それによって相手をどうこうしようとはしない。自分がどう変わるかである。その変わった自分を、またその相手は見ることになる。その相手はまた、変化した自分を見て、それに反応するようにして変わっていく。「自分がどうしたいか」それだけである。それだけでいい。「この島のひとたちは、ひとの話をきかない」と、外の島からきた若者は言ったのだが、それは、この島の本質と思われた。対話をしていくこと。ただ対話をしていくこと。相手を変えようとしない行動。しかし、結果として何かは変わるかもしれない。ただ対話する。変えられるのは自分だけである。」

そして、森川さんは、甥の森川すいめいさんの言葉の対極にある言葉として安倍首相夫人の昭恵氏の以下の言葉を
引用しています。

「『どんなに甘いと言われようが、バカだと言われようが、私はどんな人とも仲良くなれると信じている。世界が平和になるためには、まずは日本のなかが、心ひとつに。和を以て貴しと為す。三宅洋平さん、公邸でお待ちしてます!』との投稿メッセージが安倍首相の夫人昭恵氏から発信され、そこから『対話』が始まったとのこと。」

そのうえで森川さんは「
三宅洋平さんと安倍昭恵さんの対話」を次のように批判します。

「対話」というあり方を否定するわけではありませんが、こと国家権力(そう、暴力を我々から取り上げ、合法的に独占している国家権力と、です。)とことを構えるのであれば、それなりの気構えと難事に当たっているという意識を持つべきであり、「なんでも対話で解決する」なんて抽象的に言われると、この「世界」の非和解的な不平等化の現実を知っているのかい?そして、さらには、厳しい刑事法廷での「対決的対話」を知っているのかい?と言いたくはなるのです。(
森川文人のブログ 2016-08-24

【山中人間話目次】
・この50年の間の社会の右傾化、とりわけサヨクの右傾化は凄まじい。
・TBS「報道の魂 米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」「カメジロー沖縄の青春」と加藤哲郎さんの「新たに発見された「沖縄・奄美非合法共産党文書」について」
・SEALDs関連問題についての核心をついた問題提起(ブログ評価は別の問題です)
・根拠不明な情報の発信の危険性について
・田中利幸さんの今年の広島、長崎の平和集会参加、広島現代美術館「1945年±5年」展見学などの報告。
・東村高江、地元紙記者強制排除問題。沖縄県マスコミ労組協議会が抗議声明
キョウ わかもののとうひょう

【生徒を現実の政治から遠ざけていたら投票率はどうなるか】
生徒会で国会解散決議 清陵高 一部はデモに参加〉1960(昭和35)年6月5日付の信濃毎日新聞社会面にこんな記事が載った。その約2週間前。
日米安保条約改定が衆院で強行可決された。抗議する多数のデモ隊が連日、国会周辺に押し寄せていた。記事によると、長野県内の高校で政治問題についての生徒集会開催は諏訪清陵高が初めて。数日前からクラス別に安保問題を討議した。生徒集会は放課後、2日間開き、全校生徒の8割余の約700人が参加。「岸(信介)内閣の即時退陣。正しい民主政治を確立し、国会をただちに解散せよ」と決議した。当時の校長は「生徒たちが安保問題に強い関心を持っているので、時事問題研究ということで集会を許可した」などとコメントしている。この時、17歳で生徒会長だった中林正勝さん(略)は振り返る。「生徒会役員が主導したのではない。今の政治に黙っていられないという生徒の思いが自然に湧き上がった。先生に止められることはなかった」同年6月15日。デモ隊が国会構内に突入して警官隊と衝突、東大生の樺美智子さんが死亡する。集会やデモは県内の他の高校生にも広がった。総務省の年代別投票率統計(略)で最も古いのは67年の衆院選だ。この時、高校時代に政治の季節を体験した20代の投票率は7割近い。これをピークに低下傾向をたどり、直近の2014年選挙では3割にまで落ちたグラフ

下降のきっかけの一つが文部省(当時)が69年に出した
通知だ。〈国家・社会としては未成年者が政治的活動を行うことを期待していないし、むしろ行わないよう要請している〉70年の安保改定を控え一部の生徒の活動が過激化したのを理由に、全ての高校生に校内外を問わず政治活動を禁止した。憲法が保障する集会や言論などの自由には全く触れていない。授業についても、現実の政治的事象は個人的な見解が入り込む恐れがあるので「慎重に取り扱うこと」と教員に縛りをかけた。高校生の活動は「政治」から切り離され、先生は授業で現実の政治問題を取り上げることに消極的になっていく。生徒会がフランスの核実験に反対する署名活動をしようとして学校側に止められるという問題も起きた。あさって19日、改正公職選挙法が施行され、18、19歳が新たに選挙権を持つ。来月10日投開票の参院選から1票を行使できる。文部科学省は昨秋、69年通知を見直した新たな通知を出した。高校生の活動を「期待していない」から「期待される」に転換し、縛りを緩めた。それでもまだ、「禁止」や「制限」が多い。いわく、生徒会、部活動での政治活動は禁止。放課後や休日でも校内での活動は制限か禁止。校外でも学業や生活に支障があると認められる場合などは制限か禁止…。これでは、半世紀前の清陵高のような集会も開けない。
 
愛媛県では昨冬、
全ての県立高校が一斉に校則を改定全ての県立高校が一斉に校則を改定し、校外の政治活動への参加に学校への届け出を義務付けた。「自分の意見を持つことが必要な状況になっているのに、その発信が制限されるのはおかしい」。今月、東京弁護士会が開いたシンポジウムで高校生から声が上がったのも当然だ。教員の言動にも制約が多い。今回の通知は繰り返し「政治的中立」を求め、教員用指導資料は特定の見解を述べることを戒める。違反した場合、罰則を科す法改正も自民党内で検討されている。山口県では昨年、安全保障関連法案を新聞2紙を参考に生徒が討論し、賛否を投票した高校の授業の中立性に疑問があると、自民党議員が県会で追及している。文科省は今週、全国の高校が昨年度行った主権者教育の状況を公表した。内容別(複数回答)では公選法や選挙の仕組みが9割。現実の政治についての話し合いは2割にとどまった。先生が二の足を踏んでいる様子が浮かぶ。生徒を現実の政治から遠ざけ、先生の言動を監視していたら、投票率はどうなるか。歴史が教える。高校で自由に政治を語り合う。そんな環境と文化を育みたい。(信濃毎日新聞 社説 2016年6月17日
キョウ のうといえる

Blog「みずき」:本文章は松岡正剛さんの「福島応援歌」といってよいものでしょう。本文章の最後は高村光太郎の『開墾』の一節の引用で締めくくられています。「北上川以西の此の辺一帯は強い酸性土壌であり、知れ渡つた痩せ地である。そのことは前から知つてゐたし、又さういふ土地であるから此所に移住してくる気になつたのである。野菜などが有りあまる程とれる地方では其を商品とする農家の習慣が自然とその土地の人気を浅ましいものにするのである。‥‥太田村山口の人達は今の世に珍しいほど皆人物が好くてのどかである。その代り強い酸性土壌なのである。(略)太田村には清水野といふ大原野があるが、此所に四十戸ばかりの開拓団が昨年から入り、もうぼつぼつ家が建ちかけてゐる。私は酪農式の開拓農が出来るやうに願つて、なるべくそれをすすめてゐる。そして乳製品、ホウムスパン、草木染に望みをかけてゐる。」


【国は被害者の味方にはならない】
2011年3月11日、新潟で会議をしていた著者がいた建物と部屋が大きく揺れた。みんなが立ち上がり、会議は中止。
著者は不安に駆られつつも、車でラジオの緊急ニュースを聞きながら自宅に走った。やがて福島原発が爆発したことがあきらかになり、周囲に放射能が洩れ出した。メルトダウンしたかどうかの報道はなかったが、チェルノブイリ以上の大事故かと思われた。さっそく日本有機農業学会を母体にした現地調査団が組まれた。5月6日、著者たちは澤登早苗を団長として相馬市・南相馬市・飯舘村・二本松市東和地区に入った。(略)これらの地域では、水田面積12600ヘクタールのうち、津波で冠水して塩害を受けた水田が4321ヘクタールになっていた。畜産家は364戸のうち僅か101戸が残っただけだった。牛や豚もあわせて4864頭がいたのだが、その後は2200頭を切った。相馬市山上では、水田土壌の放射性セシウムが1キログラムあたり640ベクレルを示した。南相馬市では積算空間放射線量が20ミリシーベルトになるおそれがあった。福島県有機農業ネットワークの前代表をしていた小高区の根本洸一さんを訪ねると、あの日から茫然自失の状態で、学校避難のあとは喜多方に一時避難し、その後は相馬市の親戚の空き家に暮らしていた。(略)

本書には農事と救済をめぐる活動がいろいろ紹介されているのだが、そのなかから「
農と言える日本人」ならではの発見や着眼がいくつも報告されている。たとえば「耕作することでセシウムの空間線量率が下がっていく」「落ち葉を食べるミミズにはセシウムがかなり濃縮される」「表面剥ぎ取りは土壌侵害をおこして水系の二次汚染をすすめる」「牧草の汚染は地上部に集中して根には至っていない」といったことは、ぼくのような素人から見ても画期的な観察結果なのではないかと思われた。著者の活動と研究は「農による知の統合」なのである。本書の後半には、足尾銅山の汚染問題水俣病の公害問題についての詳しい見解も述べられている。著者は栃木県葛生に生まれ育ったのだが、小学校の校舎の入口には田中正造の写真が掲げられていたのだそうだ。著者はやがて荒畑寒村の『谷中村滅亡史』や林竹二の『田中正造の生涯』、東海林吉郎・布川了の『足尾鉱毒・亡国の惨状』などを読み耽って、日本の農事・山村・漁村を襲う「侵害」に立ち向かえる研究者になろうと決意したようだった。本の終わり近く、著者は次のことを明言している。①国は被害者の味方にはならない。②県は被害者を説得しようとする。③しばしば「偽りの科学性」によって真実が歪められる。④「疑わしきは罰せず」によって科学的因果関係の決着が延ばされる。⑤「疑わしきは認めず」によって人命は軽視されていく。(松岡正剛の千夜千冊 2016年06月03日
キョウ やすまるよしお

Blog「みずき」:木村剛久さん(元編集者)は安丸良夫の『日本の近代化と民衆思想』を読んだ感想として「世界を切り開くには民衆は精神だけでは足りないこと、知が必要であること、さらには時に抵抗こそが変革をもたらすことを私たちはやがて自覚するようになったはずである」と述べます。木村さんがここで「はずである」としているのは実際には安丸良夫の「民衆」に関する洞察は私たち現代人に変革に必須な思想としてきちんと継承されていないことを指摘しておきたかったからだろうと思われます。私もかつてE.フロムを援用して次のように述べたことがあります。「変容の条件は、庶民性そのものの中にある。かつてユダヤ人精神分析学者のE.フロムは、その庶民性を「社会的性格」と名づけた。ドイツの労働者階級や下層中産階級の人びと、いわゆる庶民が、なぜナチズムのイデオロギーを支持し、自発的に服従したのかを問う中で、彼は「社会的性格」という概念に想到したのである。フロムによれば、社会的性格はひとつの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、それが社会制度の期待と矛盾するとき、社会制度に対する反発と対立を引き起こし、社会変動の起爆剤となる。庶民性はいつの場合も両刃の剣なのである」、と。そういうことだろうと思います。

【日本の近代化の背景には変動期を生き抜こうとする民衆の強い精神があった】
安丸良夫(1934-2016)の名前を知ったのは、
奥武則氏(毎日新聞客員編集委員、法政大学教授)の追悼記事を目にしたときだ。安丸の最初の著書『日本の近代化と民衆思想』は1974年に刊行されたが、それを読んだときの「衝撃は大きかった」という。追悼記事はこうつづく。〈後に「通俗道徳」論と呼ばれる民衆史の発想に目からウロコが落ちる思いだった。勤勉・倹約・孝行・正直などの民衆的な諸道徳(通俗道徳)は、封建的・前近代的とされてきた。安丸さんはそれらにまったく別の光を当てた。通俗道徳は民衆の自己規律・自己鍛錬の様式なのであり、こうした形態を通じて発揮された膨大な人間的エネルギーが、日本社会の近代化の基底部を支えたというのだ。当時、脚光を浴びていた近代化論はもとより、マルクス主義歴史観が主流の戦後歴史学もとらえることができなかったリアルな民衆がここにいた。〉(略)安丸良夫が読者に衝撃を与えたのは、そこにこれまでとらえられていたのとはちがう、生き生きとした民衆の姿がえがかれていたからである。民衆というと、封建制のもとに抑圧された民衆、無知蒙昧な民衆を思い浮かべるかもしれない。しかし、それは上から目線による歪められた像だ。実際の民衆とは「勤勉・倹約・孝行・正直など」の道徳によって、自らを律し、人生を切り開いている人びとのことである。おそらく安丸の視点がユニークだったのは、封建的とされがちな道徳をもちあげたからではない。そうではなくて、道徳をみずからとりいれることで、忍従しているのではない自立的で活発な民衆の像をえがいたからである。(略)

ここで安丸が示している民衆の像として、ぼくが思い浮かべるのは、たとえば
金光教の信者でもあった祖母のことであり、墓参りで出会った篤実な老人の姿などである。だから、安丸の示す民衆像に、どこかなつかしさを感じるのかもしれない。しかし、それが民衆のすべてかというと、それだけではないような気もする。怒れる民衆も、消沈する民衆も、泣き叫ぶ民衆もいるだろう。(略)民衆といっても一筋縄ではいかないのである。(略)安丸は精神主義のあやうさを指摘することも忘れていない。こう書いている。〈こうした民衆思想に共通する強烈な精神主義は、強烈な自己鍛錬にむけて人々を動機づけたが、そのためにかえってすべての困難が、自己変革─自己鍛錬によって解決しうるかのような幻想をうみだした。この幻想によって、客観的世界(自然や社会)が主要な探求対象とならなくなり、国家や支配階級の術策を見ぬくことがきわめて困難になった。〉それでも、日本の近代化の背景に、変動期を生き抜こうとする民衆の強い精神があったことを否定すべきではないだろう。そして、その民衆は精神だけでは足りないこと、世界を切り開くには知が必要であること、さらには時に抵抗こそが変革をもたらすことを、やがて自覚するようになったはずである。(木村剛久「海神日和」2016-06-04
キョウ おぐまえいじ
小熊英二さん

社会学者の
小熊英二はなにゆえにいまさらに日本の国民を「二つの国民」に分断しようとしているのでしょう。

小熊によれば、「『第一の国民』は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの『正社員』『正会員』とその家族」であり、「『第二の国民』は、それらの組織に所属していない『非正規』の人々」です。
マルクス主義によれば社会集団は「資本家階級(ブルジョワジー)」と「労働者階級(プロレタリアート)」の2大階級に分類されますが、小熊のあらたな分類法にしたがえば生産手段の有無の問題や賃金雇用の存否の問題は捨象されていますから、マルクス流の分類を小熊流のあらたな分類法に類推的に適用すれば、企業・官庁などの正社員は「ブルジョワジー」の側に連なり、非正規社員はプロレタリアートの側に連なるということになります。だとすれば、非正規社員の「闘争」の相手は資本家ばかりでなく、同じ労働者としての正社員も含まれるということになるでしょう。小熊のあらたな分類法は従来の分類法での労働者階級をさらに分断させる役割しか果たさないというにしかならないのです。それは、「万国の労働者団結せよ」というプロレタリアートの「団結」の必要性を説くこれまでの国際労働運動(もちろん、日本国内も含まれます)のスローガンにあらたな亀裂を持ち込むことにしかなりません。労働運動にとっては「団結こそが力」なのですからこれでは無産者としての労働者は有産者としての資本家階級と有効に闘うよりどころとする最大の武器としての手段を奪われてしまうということになってしまうでしょう。小熊英二はその「団結こそが力」(「団結権」は憲法上の規定でもあります)の労働者階級に亀裂を持ち込んでなにをしようというのでしょう?

小熊は「彼らは所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。関係を作るのに苦労し、結婚も容易でない」と言います。それはそのとおりです。小熊はそうした非正規社員「が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない」とも言います。これもそのとおりです。しかし、その非正規社員をことさらに、いまなにゆえに「第二の国民」と規定する必要があるでしょう。要は労働組合運動の問題として非正規社員の困難をもっと直視する運動に転換せよと現在の労働運動の問題点を指摘することでよいのではないか。あらたに「第一の国民」、「第二の国民」という分断線を作って棚から牡丹餅式の利益を得る者は誰か。それこそ「第二の国民」を支配、壟断している支配者階級というべきではないか。

小熊は気の利いた論法を編み出してメディアや論壇界の気を引きたいようですが、そういうことに執心するよりも現実の「困難」はどうすれば解決できるか。そこに執心するのが学者のつとめというべきではないか。気の利いた論法を編み出すことに執心するから「困難」の解決とは相容れない逆立した論法を生み出してしまうのです。
キョウ ひろしま3

Blog「みずき」:しかし、一方で、オリバー・ストーン、ノーム・チョムスキー、ガー・アルペロビッツ、ダニエル・エルズバーグら74人の識者や運動家がオバマ大統領ヒロシマ訪問に際し被爆者と面会し、「プラハの約束」を果たすことを求めるオバマ大統領への手紙を出したという
報道もあります。連帯するべき、連帯しうる人たちはアメリカにも、世界にも、もちろん日本にもいるのです。
 
【原爆投下は日本敗北が決定的となった時に行われた】
このたび米オバマ大統領がサミットに参加するついでに広島を訪問するという。日本政府は日米関係強化の機会として大歓迎である。私はオバマが広島を訪問するなら、原爆投下について直接言及し謝罪するべきだという意見だが、ひとこと言いたい。中学生のとき、理科の木船清先生は、「ドイツがもう少し長く戦争をやっていたらアメリカは原爆を落しただろうか。落せない。日本人が黄色人種だからわりに気楽に原爆を落す決意をしたのではないか」といった。高校3年生のとき、幼稚な手段ではあるが原爆について調査し、木船先生のいうとおり原爆投下は、アメリカが日本の
ポツダム宣言受諾がまぢかいことを十分に承知したうえで実行したことを知った。これによって私は偏狭な反米主義者になった。私の場合、かたくなな反米意識を卒業するまでにはずいぶん時間がかかった。この点は中国人やほかのアジア人が反日感情を根強く維持するのと同じ経過である。(略)原爆投下によって日本が甚大な被害をこうむり戦闘力が低下したことは、日本に侵略されていたアジア各地の人々にとっては歓迎すべきことであった。原爆投下とポツダム宣言受諾はほとんど一緒にアジア各地に届いたから、多くの場合このふたつを区別することは難しい。(略)

マレーシアの作家、イスマイル・フセインはこう語っている。「広島に原爆がおとされたとき、私自身は12歳でした。その時に、原爆に対して私の家族がどんな反応を示したかをよく憶えています。大変な興奮状態でした。原爆の投下をラジオで聞いて、家族は、大変な技術の進歩だ、三日間で長い間の戦争に終止符をうってくれた、と話していました。長い間のマレーシアの苦しみがこれで終わって、戦争から解放されたという興奮がマレーシアの村々を駆け巡ったのです。しかし原子爆弾の持つ意味については、誰も気がつきませんでした」(岩波ブックレット『
反核と第三世界』)。(略)日本の1930年代からの中国侵略、それに引き続くアジア侵略と、アメリカの原爆投下による殺人とは違いがあるかもしれない。しかし原爆投下が日本敗北が決定的となった時に行われたことを考えると、やはり無辜の人民の大量殺傷事件に変りがない。かりにオバマが広島で原爆の悲惨な結果を見て考えを変えたとしても、米大統領としては核廃絶をいいつつ、核不拡散条約と核兵器独占の擁護を唱えるだけだろう。そして安倍政権はオバマ広島訪問を日米同盟強化と参院選挙に利用するだろう。これではアメリカの対日戦争勝利記念行事に限りなく近い。それでも我国人民の多くはオバマの広島訪問を歓迎するだろう。可哀そうな日本人。(阿部治平「リベラル21」2016.05.24
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以下の小文を私の「今日の言葉」として当面フリーエリア欄に掲げておこうと思います。私の小さな政治的所感。しかし、けっして徒や疎かに書かれているわけではありません。

私には「野党共闘」と一般に呼ばれている政治的トレンドについて根底的な疑問があります。その「野党共闘」の謳い文句は「憲法違反の安保関連法を廃止するための立憲主義に基づく野党間共闘」というものですが、これらの政党の主張する「立憲主義」とは「新9条論」者の多い安全保障関連法に反対する学者の会の主張に立脚するもので、まず樋口陽一氏(東大名誉教授)らの主張する「立憲主義」についていえば金光翔さん(元『世界』編集部員)はその問題点を次のように指摘しています。樋口氏は「大日本帝国憲法を作った権力者らの掲げたキーワードが立憲政治だった。安倍政治は(略)その『戦前の遺産』さえ無視しようとしているのだ。だから私たちは、『憲政の常道』とも言える立憲主義を取り戻す必要がある」(週刊金曜日)と言うが、「大日本帝国憲法すら『立憲主義』の『遺産』」として評価されるならば、自民党の改憲案がなぜ「立憲主義」に反しているということになるのか私にはよくわからないのだが、(略)今日の「立憲主義」の政治的主張が、『戦後解放の意味』をあいまいにし、天皇制、『昭和天皇の戦争責任という問題』を捨象した上で成り立っているものであることを示唆していると言えよう」(私にも話させて 2016年3月6日)、と。また、「新9条論」者の主張を身も蓋もなく要約すれば単に「政府が強行採決した安保関連法は憲法違反である。だから、『憲法を現実に近づけませんか』」(斉藤美奈子本音のコラム』)というもので、安保関連法の指向する、すなわち、安倍政権の指向する戦争への道から脱却しようとするものではありません。だとすれば、なんのための「野党共闘」なのでしょう? 政党の顔ぶれや看板などの表装は変わったとしても安保関連法という内装が旧態依然のままであるならばそれは「廃止」の名に値しないでしょう。ふつうこういう状況を「実質的容認」というのです。これが私の根底的な不信感です。どうして安保関連法の実質的容認でしかない「野党共闘」に期待などできるでしょう! なにも変わりはしません。むしろ、市民に徒な幻想を抱かせる分より悪質性は高い、というのが私の評価です。私はこうした次代の政治展望に決定的な禍根を遺す「野党共闘」の理念の全面的見直しを求めます

こうした政党の総保守化=総右傾化とでもいうべき現象は実は戦前にもありました。後に十五年戦争と総称される戦争の端緒となった満州事変に始まる1930年代、「反資本・反共・反ファシズム」の三反主義の理念を掲げていた合法政党として唯一の左派であった社会大衆党はそれまでの「反共」以外の二反の主張はかなぐり捨てて自ら進んで国民動員体制の中核組織となる大政翼賛会に合流していきます。ここでは「自ら進んで」というところが肝要です。当時、思想・信条の自由と言論の自由はもちろん「法律ノ範圍内」という臣民の権利としての制約はあったもののまかりなりにも保障されていたのです。にもかかわらず社会大衆党は自発的に戦争遂行体制を支える側に合流していったのです。その戦前の社会大衆党の位置をいまは日本共産党が占めているといっても言いすぎではないと思います。「自衛隊合憲論や九条改憲論をためらいなく口にする人たちをリーダーとする団体が社会運動の中心に祭り上げられ、共産党すら自衛隊や日米安保を棚上げにした『国民連合政府』を唱えているいま、『戦後革新勢力』の末期の水をとらねばならない時が近づいているのだろうか」とは日本近代思想史研究者で東北師範大学(中国)教員の大田英昭さんの言葉です。(Blog「みずき」2016年5月20日
2016.05.16 ある雑感。
キョウ たねまくひと

私は「今日の言葉」として(1)(2)(3)と書き続けてきました。
 
Blog「みずき」 今日の言葉 ――安倍政治を演出する日本版戦争広告代理店?! DentsuとDentsuに従属した日本のメディアの劣化。日本の政治は、市民の批判と抵抗が弱まると、危機的局面に入ります。
Blog「みずき」 今日の言葉(2)――NHKは、「日本政府は非核三原則という政策を堅持している」と解説するが、密約を隠蔽していた佐藤首相がノーベル平和賞を受賞していたのだから、噴飯ものである。
Blog「みずき」 今日の言葉(3)――オバマの訪広を評価する国際的な動きは皆無といって過言ではない。むしろ、オバマ訪広について浮き足だった反応を示している日本国内の動き(特にマス・メディア)の異常さだけが突出している。
 
しかし、私の中にいまあるのは虚しさだけです。「今日の言葉」の(2)と(3)ではおひとりは内野光子さん(歌人)の言葉として、もうおひとりは浅井基文さん(元外交官)の言葉として私たちの社会の市民と市民運動の問題点をとりあげています。ひと昔前まではこの問題が問題であることの認識は政党としての日本共産党とも日本社会党(社民党)とも共有できたものです。しかし、いまは、それらの政党が率先してその認識を妨げています。すなわち、たとえばオバマの訪広問題のこととして、そのオバマ訪広について浮き足だった反応をそれらの政党が市民に率先して示しているということです。
 
この事態を私は日本の革新政党の右傾化と名づけていますが、これではたとえばオバマ訪広の問題性について私たち(と言っておきます)と認識を共有できるはずがないのです。すなわち、いま、この社会の根底的な変革を切望する者の連帯の輪は途切れているのです。これでは日本の社会と政治変革の展望は見出せません。私が虚しさしか残らないというのはそういうことです。ここまで人を絶望させる政治、あるいは政党とはなにか。もはや政治とも政党ともいえないでしょう。しかし、その政党に反省の兆しは見えません。絶望は深まりゆくばかりです。


広島原爆投下

Blog「みずき」:「日本人は本当に学ばない民だな」という浅井基文さんの慙愧の思いはほかの誰でもない日本国内の反核運動を担い、また、安倍政権反対運動を担う私たちに向けられているのであることを私たちはけっして聞き逃してはならないと思います。ほかの誰かではない私が〈私の問題〉として問われているのです。
 
【アメリカという要素を素通りしたいかなる世論・運動も内発的な力にはならない】
G7サミットで訪日するオバマ大統領が広島を訪問するということで、日本国内は再びオバマが2009年にチェコのプラハで「核のない世界へ」演説を行ったときと同じような、私から見ると「日本人は本当に学ばない民だな」という思いを再確認するしかない、浮ついた反応一色になっています。もちろん、プラハ演説のおかげでオバマはノーベル平和賞をもらったのですから、当時浮ついたのは日本人だけではなかったことは認めなければなりません。(略)

しかし、このような日本社会の浮ついた反応の根底には非常に深刻な問題が潜んでいます。すなわち、私は広島に滞在していたときから何度も確認せざるを得なかったのですが、「唯一の被爆国」、「核廃絶」は広島の人々を含め、圧倒的に多くの日本人にとっていわば呪文みたいな意味しかありません。その呪文を唱えさえすれば、後は「何でもあり」(略)というわけです。こうして、まともな国際感覚からいったらあり得ない、
非核三原則」を言いながらアメリカの「核の傘」(略)すなわち日米核安保を肯定するという摩訶不思議な国民世論状況がまかり通る状況が数十年にわたって続いてきたのです。

オバマの広島訪問は、こうした曖昧模糊とした国民的な核意識にとってはもっとも好都合なものとして歓迎されるわけです。なぜならば、オバマは「核廃絶」を願う「日本国民」の心情を理解した上で広島訪問を決断したのであり、その意味においてオバマは「核廃絶に対して真剣な気持ちを持しているに違いない」と多くの国民(ほとんどのマス・メディアを含む)は勝手に解釈するからです。しかもこれまた多くの国民(再びほとんどのマス・メディアを含む)は、政権末期のオバマが核兵器廃絶に向けて本気で取り組む意思も能力もないことを見極めており、したがって「世の中」が激変することはあり得ないことに日常保守的な安心感を抱くこともできるからです。

しかし、このような状況こそ日本社会の深刻な病理を浮き彫りにしているのです。より根本的に、オバマの広島訪問決定に対する国内の反応状況を眺めるとき、私は、安倍政権の
集団的自衛権行使「合憲」解釈及び安保法制(戦争法)強行に反対する国内世論状況がダブって見えてなりません。私にダブって見えてならないのは、アメリカに対する透徹した認識(眼差し)の意識的無意識的な欠落ということです。核兵器廃絶に真剣に取り組む意志がない日本政府を批判し、集団的自衛権行使に突進する安倍政権を批判するという点で、これまでの日本国内の反核運動と安倍政権反対運動とは共通しています。そして同時に、核兵器廃絶に対する根本的障碍であるアメリカの核政策を真正面から問いたださず、安倍政権の安全保障政策を支配し、牛耳っているアメリカの世界軍事戦略を真正面から問いたださないという点においても、二つの運動のアプローチは軌を一にしているのです。

しかし、これだけアメリカに首根っこをつかまれている日本の政治である以上、アメリカという要素を素通りしたいかなる世論・運動も日本の政治を根本から問いただす内発的な力を備えることは極めて困難であると、私は判断します。安倍政権に反対する私たちに必要不可欠なのは、安倍政権の安全保障政策を規定しているアメリカの世界軍事戦略を厳しく批判する視点の確立です。そして、核兵器廃絶を目指す私たちのオバマの広島訪問に対する態度決定に必要不可欠なのは、オバマが「広島・長崎に対する原爆投下はあってはならなかったこと」を認めることを厳正に要求する姿勢の確立です。(
浅井基文のページ 2016.05.14
キョウ ゆとりですがなにか2 

Blog「みずき」:ここでは政治家が直接の批判の対象になっていますが、もう少し拡げて言うと、ここにあるのは人をひとくくりにしたがる現代ニッポン人、あるいは現代日本という社会の弊への批判です。ひとくくりにされると当然そこからはみ出していく者が必ず生まれます。そのはみ出し者がひょんなことから少しばかり集まったあるコミュニティの場での議論上の宴が最近ありました。ご参考になるかどうか。ともあれご紹介しておきたいと思います。コメント欄をご参照ください

【クズだけど、それぞれ違うクズなんだから】
「だけどみんな違う。クズだけど、それぞれ違うクズなんだから『ゆとり』なんて言葉でくくらないでください」衆院北海道5区補選で自民党公認候補当選確実の報に触れ、そっか、でも勝ち負けとは関係ないところで、なんか、なにかが、表現された気がするんだよなあ……みたいなことを考えたり考えなかったりしながらドラマ「
ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)を見ていたら、1987年生まれ、「ゆとり教育」第1世代 の主人公がこんなセリフを吐くに至り、わが脳内でキンコンカンと鐘が鳴った。個のうごめき、個の躍動。くくるなナメるな勝手に決めるな。あんたにとっては無意味でも、みんなそれぞれかけがえのない毎日を必死に生きているんだぜ――。かすかに聞こえる。さびついていた個の歯車が、動き始めた音が。

「巫女(みこ)さんのくせになんだと思った」。自民党の大西英男衆院議員は、補選の応援で現地入りした際、神社の巫女から「自民はあまり好きじゃない」と言われたことを派閥の会合で紹介し、こう語った。一方、同党の赤枝恒雄衆院議員は「とりあえず中学を卒業した子どもたちは仕方なく通信(課程)に行き、やっぱりだめで女の子はキャバクラ行ったりとか」。子どもの貧困対策を推進する議員連盟の会合での発言だ。敵か味方か。役に立つか立たないか。人間を、世界を、二つの「箱」に仕分けしたがる人がいる。そんな人たちに「
1億総活躍」の旗を振られると、役に立て、味方になれと言われているようで、苦しい。政治家だったら教えてくれよ。世界はもっと豊かだと。君は君が生きたいように生きていいのだと。そのためにこそ、政治はあるのだと。

本当は隠しておきたいけれど、かく言う私も人間を箱に入れてしまったことがある。10年前、若年フリーターの貧困問題が顕在化し始めたころ、生活保護を受けている31歳の男性を取材した。2度目の取材だったか、お昼ご飯を食べながら、ということになった。お金がなくて10日以上何も食べられず、各所をたらい回しにされた末にやっと保護につながった彼。私は張り切った。ここはやっぱり肉だよね、肉。おいしいお肉をいっぱい食べさせてあげよう。だけど彼は申し訳なさそうに「すみません、僕、胃が小さくなっちゃって、重たいものは受け付けないんです」。あ、そうかごめんごめん。スパゲティに変更したが、麺を2、3本ずつ咀嚼する彼を見て、恥じた。己の善意を振りかざした私。「貧困」という箱に入れ、彼だけの生を理解していなかった私。

精密な受信器はふえてゆくばかりなのに/世界のできごとは一日でわかるのに/“知らないことが多すぎる”と/あなたにだけは告げてみたい。(茨木のり子知らないことが」)

ひとくくりにするな。人の生をナメるな。そう、知らないことが多すぎるのだ、私たちは。(高橋純子「朝日新聞」2016年5月1日
キョウ もりかわ2
 Everyone says I love you !

私も一応FB憲法九条の会の会員ということになっていましたので、今朝方はじめて森川弁護士のFB憲法九条の会退会処分に関連する記事を投稿してみました。すると即時に標題のとおりの同会フェイスブックの閲覧不可の措置を受けました。同フェイスブックを閲覧しようとしても「このコンテンツは現在ご覧いただけません。お探しのページは、メンテナンス等の理由で一時的に利用できなくなっているか、リンクの期限が切れているか、閲覧する権限がないため、表示できません」という表示しか出てきません。

おかしいですね。「閲覧する権限がない」と表示されるのですが、同会のフェイスブックの冒頭には「公開グループ」という記載があります。公開グループの記事を閲覧するのに「閲覧する権限」なるものがいるのでしょうか? さらに私の「閲覧する権限」を不可にする以上、私は同会会員の資格も喪失しているということにもなります。しかし、上記の記事を投稿して即時に退会処分などできるのでしょうか? 投稿してから1分も経たないうちに実質的な退会処分を受けたわけですから、この処分は同フェイスブックの管理者が恣意的かつ独断で行ったものであることは明らかです。しかし、管理者にそのような恣意的権限などあろうはずもありません。管理者の完全な越権行為といわなければならないでしょう。また、そのような最低限の民主的手続きさえ怠る人に、あるいはその必要性すらまったくわからない人に「護憲」や「憲法9条を守ろう」などと主張する資格もないことは明らかです。FB憲法九条の会の会員諸氏は同会を存続させる意志があるのであれば即刻このような管理者は解任するべきでしょう。いや、そうするのが私は「護憲」を掲げるグループに所属する会員の使命だと思います。私は会員諸氏の見識と聡明な判断力に期待したいと思います。
キョウ ていこくのいあんふ2
日本のリベラル陣営でも「帝国の慰安婦」めぐり激論
 
Blog「みずき」:
朴裕河著『帝国の慰安婦』評価といわゆる「知識人」の同著礼賛現象批判については金光翔さん(前岩波『世界』編集部員。現岩波社員)も言うように鄭栄桓『忘却のための「和解」――『帝国の慰安婦』と日本の責任』を読んでいただくに如くはありません。以下は付け足しにすぎませんが、私が書いた同著礼賛現象批判の記事も1、2挙げさせていただきます。2番目の記事では鄭栄桓さんなどの論を援用してのものですがやや具体的に高橋源一郎(作家)奥武則(法政大学教授)の論を批判しています。
Blog「みずき」 日本のメディアとことの本質を理解しないエセ知識人、批評家の愚かな批評眼について ――朴裕河の『帝国の慰安婦』が第27回アジア・太平洋賞特別賞(毎 日新聞主催)を受賞 
Blog「みずき」 弁護士の金原徹雄さんの「『慰安婦』問題に立ち向かう『強い意志』~大沼保昭氏と朴裕河氏の会見を視聴して」という論には共感しえない。 

【朴裕河『帝国の慰安婦はどれほど非学問的で、非論理的であるか】
日本の論壇・ジャーナリズム、言論界の惨状を、これほど実感させてくれる本も珍しいだろう。(略)
小谷野敦が新刊の『反米という病 なんとなく、リベラル』(飛鳥新社)で、政治・社会系の雑誌が売れなくなったのは論争をしなくなり、つまらなくなったからで、スマホの普及などは関係ない、ということを書いていたが、近年は出版界・書店界の関係者や研究者、ジャーナリストの思考が「なんとなく、リベラル」で画一化してしまって多くの読者が離れてしまい、似たような思想の読者向けの本づくり・ブックフェアが一般的になっているように見える(悪循環)。その意味で、非常に貴重な本である。(略)

本書は、数多くの(リベラル)知識人やジャーナリズムが絶賛し、各種の賞も受賞した
朴裕河『帝国の慰安婦』がどれほど非学問的で、非論理的であるか、被害者の尊厳を踏みにじる主張を展開しているかを異論の余地がないと思われるまでに徹底的に証明する。また、それに関連して、多くの著名な知識人をも批判する。読みながら読者は、朴の主張の支離滅裂さに呆れつつ、こんな人物の主張をよくここまで丁寧に検討できるな、と鄭氏に感心すると同時に、この『帝国の慰安婦』が絶賛されているという現実の事態に慄然とさせられるだろう。(略)
キョウ ムヒカ2

Blog「みずき」:ムヒカ前ウルグアイ大統領の来日とムヒカ・フィーバーとでもいうべき現象を見ていると私たちの国では「清貧」という言葉がまだたしかに生きていることを再確認することができました。「清貧」というものへの人々の尊敬の思い。その思いがまだ見失われていないところにこの国の将来への希望を見出すことができます。ムヒカさん、ありがとう。この国のありようにほとんど絶望しかかっていた私の心にもほんのりと小さな灯りがともりました。人は独りでは生きていけない、のですね。そのことにも改めて気づかされました。

【人は独りでは生きていけない】
60~70年代、ムヒカ氏は平等な社会を夢みて都市ゲリラのメンバーとなり、武装闘争に加わった。投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれて重傷を負ったこともある。軍の独房暮らしも10年。本さえ読ませてもらえない時期もあったが夜、マットが1枚あるだけで満ち足りることができた。孤独でなにもない中でも、抵抗し続け、生き延びることができたのは。「人はより良い世界をつくることができる」という希望があったから。そして、孤独を嘗め尽くしたからこそ「人は独りでは生きていけない。家族や親しい人と過ごす時間こそが、生きるということ。孤独は人生で最大の懲罰」と悟った。ムヒカ氏の「簡素に生きる尊さ」「国を信じすぎるな」「ファナシチズム(熱狂)は危ない」という教えは、筋金入りだ。ムヒカ氏は、いま日本でおきていることの中に世界の「これから」を占う手がかりがある、と考えている。そして問いかける。「日本は、経済も技術も大きな発展をとげた働き者の国だ。結局、皆さんは幸せになれたのですか?」 (色平哲郎フェイスブック 2016年4月14日
キョウ みずしま
水島宏明さん

Blog「みずき」:「湯浅誠が『いた』時代」というタイトル自体が大きな批評になっていると思います。水島さんの視点に同感する部分は大です。しかし、私は、湯浅誠さんが「変節した」とは思いませんが、彼のもともとの思想性の脆弱さを感じます。こちらはかつて書いた私のひとつの湯浅誠評です。ご参照ください。

【「湯浅誠は彼の言葉が届く範囲の限界を感じた】
── 2008年頃から2012年頃まで「
反貧困」という運動がとても盛り上がったという過去があります。ですがその後から今に至るまで「貧困の問題」は「子どもの貧困」のようなシングルイシュー以外においては地盤沈下し続けていると認識しています。(略)今回水島さんにお伺いしたかったのは、当時の「ブーム」の渦中にジャーナリストの立場からおられて、どのようにその盛り上がりを見ておられたのでしょうか?

水島:その話をすると、当時その中心にいた
湯浅誠さん(現・法政大学現代福祉学部教授)の話になってしまいます。やはりあのブームは彼が作り、徹頭徹尾彼が中心だった。私はその様子をそばで観察し、彼が当時いったところをほぼ網羅しているのですが、それは学者であったり労働組合であったりあるいは政治家であったり、それはもうあらゆる人たちを引っかき回していきましたね。最初はほんとにド素人で、議員会館回るのも「背広着て行った方がいい?」とか訊ね出すぐらいの意識だったんですけれど、能力がある彼はあれよあれよという間にその辺の付き合い方を習得し、政治家たちも彼の言葉には耳を傾け、一種のスターになっていきました。その「湯浅誠」というスターがいなくなった途端にシュルシュルとしぼんでしまったわけです。彼以外にこの貧困を分かりやすく一般の人たちに伝える言葉を持っていたり、説得力のある人というのがいなかったし、今なおそれに近いような状態が続いている。
キョウ バラカ

Blog「みずき」:作家の桐野夏生さんは「理念の上にしっかり立つ、という姿勢」の重要性を言いながら「学生団体SEALDs(シールズ)」の活動を評価していますが、私はSEALDsが「理念の上にしっかり立」ちえている団体であるとは思いません。その点において桐野さんの評価は表層的なものでしかないと私は思います。理念の問題を言うのであれば、SEALDsは「日本社会の民主主義と東アジアの平和」についてどのような理念を語っているか。あるいは語りえているか。その理念の正否を見極める必要があるでしょう。しかし、残念ながら、桐野さんにその正否を見極めようとした節は見当たりません。それでは理念は理念と呼ぶに値しないでしょう。

【「理念の上にしっかり立つ」ということ】
――最新作「バラカ」で、東日本大震災の8年後の日本を想定されました。福島第一原発事故後の混乱に人生を翻弄される主人公の少女たちが、自分たちは「棄民」、国に見捨てられたと語ったのが印象に残っています。「取材で訪ねた仮設住宅にお住まいの方から、実際に聞いた言葉です。あれだけの大事故が起きても、経済成長を追い求め、五輪の夢に浮かれる、現在の日本の姿を映し出したいと思いました」「子どもが人身売買される現場として中東のドバイにも舞台を置きました。急速な経済発展の一方で、国境を越えた格差を生みだす、荒々しい新自由主義の最前線でもあると感じたからです」
キョウ どいつのあき
ドイツの秋

Blog「みずき」:辺見庸の言葉を私流に意訳すれば次のようになるでしょうか。辺見はこのところの日本の「左翼」と呼ばれる政党と市民団体の波頭も高らかないわば軍艦マーチ風の「右傾化」模様にとことん愛想を尽かしている。「いつまでもいつまでもひとびとは代をついでアホになっている」、「『テロにも戦争にも反対!』と叫ぶのに脳みそは1ミリグラムもひつようではない」、「善も悪と見まがうほどそらぞらしく反動的であり」云々の言葉の流砂はそうした辺見の憤懣遣る方ない思いの表現であろう、というのが私の解釈です。憤懣遣る方ない思いは私も同じですからそう思うのです。しかし、こちらの謝意の言葉を見ても辺見は本来決して非礼の人ではないことは明らかです。

【私たちは「鉛の時代」をいまだ生きている】
どうしたわけか、The Dancer UpstairsのこととかBaader Meinhofのこととかを、タールの海でおぼれるようにして、しばらくぼんやりとかんがえていた。

前者はSendero Luminosoの話だから、できごとと時空間をいっしょくたにはできないと言えば、たしかにそうだ。ただ、まったくことなる両者は、げんざいの描かれ方、イメージのされかたにおいて、ほぼおなじい。滑稽なほどに。凶暴、凶悪、冷血、短絡、無知、浅薄、無個性、無思考、思索ゼロ、そろいもそろってヘビースモーカー。ステレオタイプな世界観・人間観・国家観の、それらのおなじくステレオタイプな表裏のどちらかに、われわれは意味のない染み(番号)として張りついているようにしいられている
キョウ わだはるき
左が徐京植氏、右は和田春樹氏

徐京植論その(1)ーダブルスタンダードについて
http://oklos-che.blogspot.com/2016/04/blog-post_5.html

上記は「原発メーカー訴訟の会」前事務局長(現同訴訟・本人訴訟団)で「OCHLOS(オクロス)」ブログ主宰者の崔勝久(チェスング)さんの徐京植(ソキョンシク)氏批判です。

崔さんは同論攷で「晩年の護憲運動以外これといった社会的な活動をしてこなかった加藤周一を尊敬しながら、花崎皋平和田春樹上野千鶴子という行動的で影響力のある人たちを徹底的に批判する」徐京植の思想的なダブルスタンダードを批判しているのですが、私は崔さんの挙げる20年近く前の花崎皋平・徐京植論争、上野千鶴子・徐京植論争、最近の和田春樹・徐京植論争はほぼリアルタイムで読んできているのですが、そのとき読んだ私の印象では花崎・徐論争では花崎さんに軍配、上野・徐論争では徐さんに軍配。最近の和田・徐論争はまだ読みこなしていませんのでいまのところ評価未定というものです。

崔さんの「晩年の護憲運動以外これといった社会的な活動をしてこなかった加藤周一」という加藤評価についても異論があります。

そういう次第で崔さんの徐京植批判は相当に検討の余地があると思っているところですが、「在日」の問題と「慰安婦」問題に関わるひとつの議論の提起としてご紹介しておきたいと思います。崔さんの徐京植批判はまだ続くようですからこの機会に私もこの問題について改めて再考してみようと思っています。
キョウ ぶんかかくめい3

Blog「みずき」:60年代の終わり、私は「
文化大革命」という言葉を「造反有理」という言葉とともに知りました。造反有理とは「造反に理有り」という意味で当時は肯定的に用いられていました。まだ毛沢東は日本の革新勢力の中では神格化されていて、『毛語録』も盛んに読まれていた時代です。「造反有理」という言葉はその『語録』の中にあった言葉だと記憶しています。いまでは毛沢東の「大躍進」政策も「文化大革命」の扇動もともに誤りであったことは明らかですが(習近平は「『大躍進』は正しかった」と言っているそうですが)、ともあれ、あれから半世紀(50年)の月日を経たということです。私は私として思想上の問題を含めたこの時期の「青春の蹉跌」ということを思わざるをえません。それは個としては成長の糧ともなりうるのですが、「国家の蹉跌」はいったい治癒するのか? 50年の年月を経ても治癒していないというのが現実というのはなんとも悲しいことです。

【「文革」は毛沢東の狂気だった】
今年は中国で
文化大革命が始まって50年にあたる。現在中国では文革研究は低調だ。新事実の発見があっても公表は控える。文革だけではなく「大躍進」の研究についても有形無形の圧力がかかる。さいきん習近平中国共産党総書記が毛沢東の「大躍進」は正しかったといったそうだから、同じ毛沢東主導の文革では研究はますますやりにくくなっている。ところが、昨年12月の中山大学(広州市)の「文化大革命の反省」講座で、具体例をあげて文革の実態をリアルに語った教授がいて、関係者や学生の注目を浴びた。