本エントリは「川辺川ダム問題を追いかけ続けたジャーナリスト、高橋ユリカさんの死を悼む」の追記として書いています。高橋ユリカさんの友人だった保坂展人さん(現世田谷区長・前社民党衆院議員)の追悼文を追記としてご紹介させていただこうと思います。

写真:高橋ユリカさん(1998年撮影) 
   
高橋ユリカさん(1998年撮影)

人間中心の暮らし願ったジャーナリストの死 (Asahi Shimbun digital[and]保坂展人 2014年9月2日)
 
8月20日朝、「訃報」と題したメールを受け取ってドキリとしました。もしや、と思いながら開くと、やはり、ユリカさんが亡くなったという知らせでした。
 
<高橋ユリカさんは、長年ガンと闘って来られましたが、今年に入ってから体調が思わしくなく、自宅ならびにホスピスで療養を続けられました。しかし、今月に なって急に体力を落とされ、ついに今朝4時に静かに息を引き取られたそうです。 懸案の下北沢の本の原稿を最後まで執筆され、完成を楽しみにされていましたが、力尽きたという感じです>
 
発信元は、ユリカさんと一緒に『シモキタらしさ――まちと暮らしの未来を拓く』という本を執筆していた建築家の小林正美さんでした。
 
私はかつて、超党派の国会議員でつくる公共事業チェック議員の会の事務局長をしていたので、ジャーナリストのユリカさんとは議員会館でよく顔をあわせました。ユリカさんは熊本県の川辺川ダムを取材していて、国土交通省ヒアリングの時には、いつもその姿がありました。2008年に蒲島郁夫・熊本県知事が劇的な「川辺川ダム計画白紙撤回」宣言をするまでの42年間、巨大公共事業計画に翻弄(ほんろう)され続けた住民たちの声を拾い、『川辺川ダムはいらない 「宝」を守る公共事業へ』 (岩波書店)という本にまとめています。
 
久しぶりに再会したのは、世田谷区長に就任した2011年春のことでした。ユリカさんは下北沢に住むひとりとして、小田急線の地下化にともなう連続立体交差事業にからんで市民の側からまちづくりの提案をする活動の中心にいました。「小田急線の跡地を考える会」をつくり、その後に「グリーンライン下北沢」 の代表をつとめていました。ジャーナリストとしての活動のかたわら、民主主義を担う市民としても積極的に活動されていました。
 
ニューヨークの「ハイライン」について詳しく教えてくれたのもユリカさんでした。マンハッタンで古い貨物列車が通っていた高架線が、若者たちを中心にした「保存・活用」の声を受けて、いったん撤去が決まりながらも、人々が散策する公園として整備されたというのです。現地に飛んで取材してきたユリカさんがいつものように早口でまくしたてる報告を聞きながら、心を動かされたことを覚えています。
 
昨年3月。小田急線は地下にもぐり、地上の線路を走る小田急線の最終電車がニュースになりました。その日のことは、私も「カオスのまち・下北沢の変わらぬ魅力」(2013年4月2日)と題してこのコラムで書きました。
 
最終電車を待ち受ける人々の中に、こんなコピーが掲げられていました。「さよなら踏切、ようこそシモチカ」。もう2度と降りることのない踏切が最後に開くと、線路の両側から人々が流れ込み、ハイタッチを交わしながら祝ったそうです。思えば、あのコピーも、あのハイタッチも、ユリカさんが呼びかけたものでした。
 
8月26日、その小田急線の線路跡地(上部)をテーマにした、「北沢デザイン会議」が開かれました。代々木上原から梅ケ丘までの2.2キロに及ぶ空間をどのように活用すべきか。市民が意見交換する場を設けようと、世田谷区が主催したものです。
 
「何とか26日まで頑張ろうと思って。5分でいいから車椅子で会場に行って、一言だけ言えたら…」
 
亡くなる直前に私が訪ねた病室で、ユリカさんは小さな声でそう話していました。
 
「待ってますよ。その時、会いましょう」という私に、重ねるようにユリカさんは言いました。
 
「みんなに会えないけど、よろしく伝えてくださいね」
 
情熱を傾け続けたシモキタの未来について発言したいという思いの一方、みずからの死期を悟っているかのようでもありました。息を引き取ったのはそれから3日後、シンポジウムを6日後に控えた早朝でした。
 
葬儀には多くの人が参列しました。会場の一角には、ユリカさんの書いた記事や本が並べられていました。30代半ばにガンを患い、『キャンサー・ギフト ガンで死ねなかった私から元気になりたいあなたへ』『病院からはなれて自由になる』『医療はよみがえるか――ホスピス・緩和ケア病棟から』などの著書も残していました。
 
「北沢デザイン会議」には200名の参加者が集まり、シンポジウムの発言者として予定されていたユリカさんの席には、白い花が置かれていました。
 
「公園・緑が少ないので、公園や花壇を全地域で整備して緑を増やしてほしい」
「緑の連続性が大切だ」
「駐輪場は確保してほしい」
「歩行者が安心して歩ける通路にしてほしい」
「線路跡地から見える富士山の眺望を残してほしい」
 
そういった提案や要望から「道路計画を見直すべきだ」という意見まで、たくさんの声が寄せられました。1時間半を超える議論を、どこかでユリカさんが見ているように感じました。
 
人間中心の都市デザイン、ゆっくりと歩いて楽しいまちづくり。彼女が強く願い、握りしめてきたバトンは多くの人に引き継がれていくことでしょう。

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