今日、「朝日新聞」に関して2つの記事が目に止まりました。1本目は「池上彰さん4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転換」(毎日新聞 2014年9月3日)という記事について論じた想田和弘さん(映画監督・ジャーナリスト)の twi
tter発言。もう1本は元朝日新聞記者の松島みどり新法相の初閣議後の記者会見の際の「死刑執行に署名することも覚悟して、この職を引きうけました」という絞首刑執行宣言を論じた辺見庸(作家)の「日録1-1」(2014年9月4日)。2本の記事はまったく別々の記事です。が、私にはいまの「朝日新聞」というメディアの殺風景をよく象徴するスナップショットのように思えました。
 
池上彰さん:4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転換 - 毎日新聞:朝日新聞の池上氏のコラムを巡る騒動は拙作『選挙』上映中止事件とも重なり興味深い。コラム掲載中止や上映中止を判断した人は、組織を守るつもりで中止したのだろう。そのことが公になればかえって組織を炎上させかねないという想像力が欠落している。たぶん担当者には、コラムや上映を中止することが、言論や表現の自由の抑圧になるという発想そのものが欠落していたのだと思う。もしその点を十分に認識していたら、僕に言わせれば極めて無謀にみえるあんな対応は採れないはずだから。逆に言うと、それだけ言論や表現の自由の抑圧が日常茶飯事で、感覚が麻痺しているのではないか。今回の朝日にせよ、「デモを規制せよ」と言った先日の高市発言にせよ、9条の会を締め出した国分寺まつりにせよ、「表現や言論の自由を抑圧することは一大事だ」という認識や緊張感が感じられない。だからこそ私たちはこういう事件が起きるたびに騒がなくてはならない。言論や表現の自由を抑圧すると大変なことになるぞ、というメッセージをその都度発しなくてはならない。そういう意味では、今回の件でSNSを中心に批判が起こり、朝日新聞が方針転換をしたことには意義があると思う。まあ、そもそもこんなことは、よりによって言論機関である新聞で起きてはならないんだけどね。今回原稿をボツにしようとしたデスクの人は、現場の記者の原稿を直したりボツにしたりすることに慣れ過ぎて、外部の人間にまで無意識に強権をふるってしまったのではないかと、勝手な想像をしている。(想田和弘twitter 2014年9月3日
 
ぞっとした。松島みどり法相(元朝日新聞記者)が初閣議後の記者会見で「死刑執行に署名することも覚悟して、この職を引きうけました。議論は必要かもしれないが、国民の考えにもとづいた制度として必要だと考えています」と語り、死刑制度に肯定的な意見をしめした、というよりも、テレビで見ると、死刑執行をこれからもバシバシやります、といふ口ぶり。谷垣前法相は計11人の絞首刑執行を命じ、つまり、11人を国家の名において次から次へと縊り殺し、「死に神」として自民党幹事長に。松島は特定秘密保護法(実質上の治安維持法)の具体的運用にものりだす。およそファシスト政権で死刑と思想・言論統制に不熱心だった党などなかった。(略)コビトがきて、(略)唖者なので念波で問うてくる。「あの女って、吸血鬼に、バンパイアに似てません?」。真っ赤な新法相マズシマのことだ。そう、似てる。いやな顔だ。が、ここは諭す。「そんなことを言うものではないよ。マズシマさんもひとりのヌングェンなのだよ……」。コビト「あいつ、きっと来月までに死刑執行やりそう……。殺す気マンマンだよ。カクリョーたって・・・・(略)」(辺見庸「日録1-1」2014/09/04) 
 
「池上彰さん4日朝刊にコラム掲載へ 朝日新聞が方針転換」に関しては「kojitakenの日記」(2014-09-03)の次のような批判もあります。
 
実は朝日新聞も、(略)「アジア女性基金」を積極的に評価する論調をずっととってきていて、その点をリベラル側から批判されている。その朝日が、「保守」(実際には「右翼」あるいは「極右」)のご機嫌を取ろうとやらかしたのが今回の「検証」ではなかったかと私はにらんでいる。それで、朝日は「政治的には最悪の判断」をしたと考えているのである。この問題に関する言論空間の偏りから思い出されるのは、1972年の「西山事件」であって、あれも政府(佐藤政権)の意を受けた週刊新潮による問題のすり替えが世論のマジョリティになってしまった。今回の朝日の「検証」も同じであって、毎日新聞やTBSまでもが、「右翼にもご機嫌を取る」、「右にも左にも配慮した」報道をして、極右的マジョリティの形成に手を貸しているていたらくである。西山事件の教訓が生きていれば、そんな報道はできないはずなのだが。そして、極右的マジョリティに迎合したジャーナリストとして池上彰の名前が挙げられる。(略)ここでは、「国際派ジャーナリスト」のはずの池上彰が、国内のガラパゴス的世論に迎合した態度を取ろうとしたことがまず批判されるべきだ。右翼のみがこだわる吉田清治証言」なるものを針小棒大に扱う議論が、いかに国際標準からかけ離れているかという問題意識を、ジャーナリストであれば持たなければならないのではないか。さらにいただけないのは、原稿の掲載を拒否した朝日新聞である。朝日としては「なぜ右翼のご機嫌取りをしてやっているのにこんなに叩かれなくてはいけないのか。俺たちは『アジア女性基金』を評価してるために『左』からも批判を受ける立場なのに」と思っているかもしれないが、池上彰から批判を受けたなら、原稿を掲載した上でに堂々と受けて立つ態度が、日本を代表する新聞社には求められるのではないか。最悪のタイミングでの「検証」記事の掲載といい、池上彰の原稿の掲載拒否といい、朝日は自らを犠牲にして右翼的マジョリティの言論が確立するのを助けるという倒錯した行いばかりをしているように思われる。(「『慰安婦検証記事』をめぐる池上彰と朝日新聞、それぞれの愚行」kojitakenの日記 2014-09-03
 
kojitakenさんは「朝日が「右翼」あるいは「極右」のご機嫌を取ろうとやらかしたのが今回の『検証』ではなかったか」と今回の朝日新聞の「検証」の負のネライの本質をよく衝いているように私には見えます。辺見庸も先に朝日新聞の「検証」の負のネライをはっきりと見抜いた発言をしていました(辺見はかつての共同通信の外報部デスクです)。
 
従軍慰安婦問題について、朝日新聞がこれまでの報道を点検し、一部の誤りをことさら麗々しくみとめて、とり消した。いわゆる「真実の報道」のためにそうしたのか、歴史修正主義の怒濤に呑まれた世論と政治権力に屈してそうしたのか。後者であろう首相官邸、「日本会議」や右派系各紙週刊誌を大いによろこばしめ、従軍慰安婦問題などそもそもなかったという首相Aの思惑どおりの流れがこれでできた。歴史が崩壊している。事実が鋳つぶされている。この伝で、文化大革命報道を点検したら、とり消しに値する誤報・虚報が何万件あることか。なぜそれはやらないで、慰安婦問題なのか。朝日の記事とり消し騒ぎの後景には、理解をこえる嫌韓・侮韓のうねりもある。こうしたおぞましいセンチメントが歴史的与件を蹴ちらしている。(辺見庸「日録29」2014/08/06)。
 
しかし、辺見は、次のように右翼・右派メディアの朝日新聞攻撃、朝日の「検証」批判の不当性から朝日新聞を正当に擁護してもいます。
 
慰安婦問題にかんする1週間ほど前の神奈川新聞社説。論旨明快、阿諛便佞(あゆべんねい)の口吻毫もなく、姿勢毅然たり。まことに一読に値した。社説タイトルは「慰安婦報道撤回 本質は強制連行にない」。わた しはこの社説を支持する。情勢にかんがみ、以下、全文を紹介する。
 
「朝日新聞が従軍慰安婦の報道の一部が虚報だったと認め、記事を取り消した。それをもって、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹が崩れたと唱える論が横行している。『木を見て森を見ず』のような、稚拙な言説である。朝日が誤りだったとしたのは『強制連行をした』という吉田清治氏の証言だ。韓国・済州島で朝鮮人女性を無理やりトラックに押し込め、慰安所へ連れて行ったとしていた。30年余り前の吉田証言は研究者の間でも信ぴょう性に疑問符が付けられていた。旧日本軍による強制連行を示す証拠は他にある。日本の占領下のインドネシアで起きたスマラン事件公判記録などがそれだ。だまされて連れて行かれたという元慰安婦の証言も数多い。研究者による公文書の発掘は続いており、新たな史料に虚心に向き合わなければ、歴史を論じる資格を手にすることはできないだろう。
 
強制連行を否定する主張はさらに、誤った記事により日本がいわれなき非難を受け、不当におとしめられてきたと続く。しかし、国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小化しようとする態度にである。問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。
 
歴史認識の問題が突き付けるのは、この国が過去と向き合ってこなかった69年という歳月の重みだ。国家として真摯な謝罪と反省の機会をついぞ持たず、歴史修正主義を唱える政治家が主流になるに至った。朝日が撤回した記事について、自民党の石破茂幹事長は『国民も非常に苦しみ、国際問題にもなった』と、その責任に言及し、国会での検証さえ示唆した。過去の国家犯罪の実態を明らかにし、被害国と向き合う政治の責任を放棄し続ける自らを省みることなく、である。国際社会の非難と軽蔑を招く倒錯は二重になされようとしている」。
 
二重の倒錯。そのとおりである。朝日関係者の国会招致の動きに反対する。(辺見庸「日録30」2014/08/16
 
標題の「『朝日新聞よ、どこに行こうとするのか?~マスメディアよ、ジャーナリストたれ』その後」は私にもこれまで同紙について以下のような記事があることからつけました。私が朝日新聞に見切りをつけ40年近くとってきた同紙の購読をやめたのもこの時期でした。
 
教育基本法~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(1)(JANJAN 2006/11/
21)
筑紫哲也さんの由布院盆地でのメディア批判~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(2)(JANJAN 2006/12/02)
「言葉のチカラ」失った朝日~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(3)(JANJ
AN 2006/12/20)
朝日新聞よ、どこに行こうとするのか?~マスメディアよ、ジャーナリストたれ(4)(JANJAN 2007/05/12)
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/987-a6ef2fc3