辺見庸日録29」(2014/08/09)から。
 
けふ再読。「原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人はわかるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。……三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電気にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃたが、カラスは一番さきに長崎にきて、カラスは空から飛んでくるけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ン玉ばカラスがきて食うとよ」(石牟礼道子「菊とナガサキ―被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま―」『朝日ジャ―ナル』1968年)。
 
以下もけふ再読。「宮城御所が焼けたのは1945年(昭和20)年5月25日夜の大空襲の際だが、大宮御所は2度まで焼夷弾爆撃を防ぎ止め、3度目に乾き切った建物は防火用水の不足から、一瞬に炎上したのだった。……宮城御所は一瞬にして焼け落ちた。建物には香木が多く用いられていたし、また天皇・皇后の居間では絶えず香が焚かれて材木に沁み込んでいたから、それが炎上した時には、あたり一面に香がにおい、将兵たちは恍惚としてしばらく消火活動を忘れた、という。そしてその香しい炎のなかに多くの人々の命を呑んだのであった」(村上兵衛「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年、原文ママ)。
(辺見庸「日録29」2014/08/09)  

・中東における人道の危機なら、ガザでいやというほど発生したではないか。イラクに米軍が出撃したのは少数民族を守るためなどではあり得ない
――
内藤正典Twitter
(2014年8月6日~9日)から(追記)。
 
イラク北部で、イスラーム国ISによるヤズィーディやキリスト教徒の虐殺がトルコでも報じられているが、よく読むと、ISが殺したとは書かれていない。ヤズィーディは啓典の民とみなされず、虐殺されるのではないかという強い不安を抱いて山岳部に逃れ、餓死しているとのこと。(内藤正典Twitter 2014年8月9日) 

引用者注:
この内藤教授のツイットは、今回の米国の「イスラム国」の移動砲台の空爆は「宗教的少数派の保護などが目的」(
毎日新聞 2014年8月9日)という米国防総省発の情報を相も変わらず無批判に受容するのみの日本のメディアなどの報道に一矢を報いるという意があるものと思います。 

にもかかわらず、日本のメディアは外務省(大臣)発の情報をこれも相も変わらず無批判に報道するのみです。
 
東南アジア諸国連合(ASEAN)関連外相会議出席するためミャンマーを訪れている岸田文雄外相は9日午前(日本時間同日午後)、米軍がイラク北部でイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に対する空爆を行ったことについて「日本政府はイラク政府と米国政府のテロとの戦いを支持してきた。今回の空爆はこうした戦いの一環として、イラク政府の同意を前提として行われたものと理解している」と述べた。同行記者団の質問に答えた。岸田氏は同日午後(同)、米国のケリー国務長官と会談し、この問題について協議するとみられる。(産経新聞    2014年8月9日
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