今日の朝日新聞の『天声人語』の冒頭の書き出しは「私雨」。今回の滋賀県知事選では民意の雨が降った、という内容です。「民意の雨」とはなにか? なにを「民意」と言っているのか? 比較的短いので全文を引用してみます。
 
「私雨」と書いて「わたくしあめ」と読む。限られた区域にだけ降るにわか雨をいい、山間部では麓は晴れているのに山中だけ降ることが多い。ものの本によれば「鈴鹿の私雨」や「比叡の私雨」がよく知られる。旧東海道を西へ向かい、鈴鹿峠を越えれば湖国・滋賀である。比叡山の東にもあたる。滋賀県に日曜日に降った雨は、この地方に限られた私雨だったのか、それとも安倍政権への全国レベルの不信が降らせた雨だったのか。知事選で自公系の候補が敗れた。自公系の小鑓隆史氏が有利とされたが、中盤になって前民主党衆院議員の三日月大造氏に風が吹いた。集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたころだ。その前だが原発事故をめぐる石原環境相の「金目」発言もあった。「一強多弱」の政界を、自民党はガリバーよろしく大股で歩む。こんなときこそ丁寧であるべきところ、「得意傲然(ごうぜん)」が目立つ。サッカーに例えれば、ボールを蹴りたい方向にゴールを担いで動かすような。その一つが集団的自衛権だった。原発の再稼働も同様だ。ゴールを広げるかのような原子力規制委の人事もあった。「これでいいのだ」式のもろもろに、驕りを正したい広範な民意が、投票の機会を得た滋賀で噴き出たともいえる。そのあたりの分析は難しいが、政権への不安は薄雲のように広がりつつあると思われる。さらに上昇気流が強まれば、私雨にとどまらず雨は降るだろう。土砂降りの民意の怖さを政治家ならご存じのはずである。(天声人語 2014年7月15日)
 
この『天声人語』の滋賀県知事選の分析は私もそうだと思います。同知事選における前民主党衆院議員の三日月大造氏の勝因(逆にいえば自公系候補の敗因)は、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に象徴される安倍政権への全国レベルの不信にあっただろう、というのが『天声人語』の滋賀県知事選の分析です。
 
しかし、多くのマスメディアは、今回の同知事選の選挙の結果を「『卒原発』を前面に掲げた三日月氏が当選したことで、安倍政権の原発政策に対する根強い批判が示された」(朝日新聞 2014年7月14日)、「三日月さん『卒原発』に支持」(毎日新聞 2014年7月14日)などと報じています。しかし、こうしたマスメディアの報道のありかたはミスリードというべきではないか。私がミスリードという理由のひとつは、上記にあげた『天声人語』の滋賀県知事選の分析に示されています。そのつもりで私は『天声人語』を引用しました。私がミスリードという理由になる別の次のような報道もあります。
 
同知事選告示日の前日の先月25日付けの東京新聞は「『脱原発』かすむ 滋賀県知事選 選挙戦略、争点回避」という記事で「原発問題は今のところ大きな争点になっていない。いったい、なぜなのか」という問いを発した上で、「原発問題は大事だけど、一番じゃない」「原発に賛成か反対か、判断基準が分からない。事故が怖いから今すぐやめろ、とまでは言えない」「僕らは震災の影響が少なかった。事故から3年以上がたち、ちょっとした過去の出来事になっているのかもしれない」などと言うふつうの市民の声を拾っていました。
 
また、投票日直後の14日付けの同紙は、「滋賀県知事選で自民、公明両党が推薦した小鑓隆史氏が敗れた背景には、十分な議論のないまま集団的自衛権の行使容認を閣議決定したり、自民党議員による女性蔑視やじが相次いで発覚したことをめぐる安倍政権への不信がある。選挙戦は原発政策が焦点になるとの見方があった。だが、論争は低調なまま、序盤は小鑓氏が有利とみられていた。自民党が六月に行った情勢調査でも高い政権支持率をバックに小鑓氏がリードしていた。だが、安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更を選挙期間中の七月一日に閣議決定すると、潮目が変わった。戦後の歴代政権が維持してきた憲法解釈を、国民的な議論のないまま変更したことに対する有権者の不信が、選挙情勢の変化に表れたといえる」という選挙分析も掲載しています。
 
「安倍政権の原発政策に対する根強い批判が示された」(朝日新聞)、 「三日月さん『卒原発』に支持」(毎日新聞)などというのは、なんとか「争点」をつくって記事らしくしたいという記者の思惑(別の言葉でいえば功名心)が優先し、三日月氏が同知事選出馬にあたって嘉田前知事の「『卒原発』を継承する」と後継指名者として当然の礼儀として語った言葉でしかない「政策」をことさらに争点化して記事をつくったというだけのことにすぎないのではないか。
 
事実は、上記の東京新聞の記事にあるように「選挙戦は原発政策が焦点になるとの見方があった」が、「安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更を選挙期間中の七月一日に閣議決定すると、潮目が変わった」。「戦後の歴代政権が維持してきた憲法解釈を、国民的な議論のないまま変更したことに対する有権者の不信が、選挙情勢の変化に表れた」というものだったでしょう。私が多くのマスメディアの報道はミスリードというべきではないか、とメディア批判をいうゆえんです。
 
さて、報道のミスリードはこれまでなにをもたらしてきたか。かつての小泉劇場。その結果としての自衛隊海外派兵法(イラク特措法)の制定、小泉構造改革という名の日本型格差社会の創出。民主党神話。その結果としての民主党=第二保守政党の本質の露呈。さらにその絶望の結果としての国民の自民党一強体制へのシフト。安倍、アベノミクス礼賛。その結果としての日本の戦前化。戦争国家への突入。
 
メディアは三日月氏を嘉田現知事と同様に「卒原発」の人と持ち上げますが、その三日月氏の「卒原発」なるものは、「三日月氏が国会議員時代に、原発輸出を可能にする原子力協定調印に賛成した」(東京新聞 2014年6月25日)ことと矛盾しない範囲内の「卒原発」でしかありません(実際は矛盾することはいうまでもありません)。また、同日付けの東京新聞は、三日月氏の「原発反対の考えは、計24ページの政策提案集で17ページ目に登場するだけ。政策の中で、全面的に押し出しているわけではない。その内容も『実効性のある多重の防護体制が実現しない限りは、原発の再稼動には同意できない』と、防護体制次第では再稼働を許容するようにも受け止められる」、同氏が「推薦を受ける連合滋賀には、脱原発には否定的な関西電力労組も入っており、配慮したようにも見える」とも指摘しています。事実関係に照らして見れば、三日月氏を「卒原発」の人というのはメディアのミスリードというほかないでしょう。
 
そもそも三日月氏を後継者に指名した嘉田現知事自身がはじめは関西電力大飯原発の再稼働は慎重であるべきだ(すなわち「反対」)と言いながら、「2012年10月16日の定例記者会見で、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の稼働について『現状では認めるしかない』と述べ、従来の慎重姿勢を大きく軌道修正した」(読売新聞 2012年10月16日)前歴のある人です。また、1991年の青森県知事選で核燃サイクル推進派の現職知事を当選させるために剛腕を発揮したり、東電原発事故後も民主党代表選で海江田万里を推薦したり、さらに自らが率いる民主党在任当時の小沢派の議員が電力総連(東京電力労組)から多額の政治献金を受けている事実が判明しても(「AERA」 2011年4月25日号)同小沢派議員に対して派内からの除名はおろか、なんらの注意処分もしてこなかった実質非「反原発」の小沢一郎氏と手を組んで未来の党を創り、その後の選挙で大惨敗をした経歴を持つ人です。その嘉田現知事を「卒原発」の人というのもメディアの創出したミスリードといわなければならないでしょう。
 
広原盛明さん(元京都府立大学学長)は「嘉田新党(日本未来の党)はなぜ失墜したか~「極右第3極」の台頭、「保守補完第3極」の消滅~(「広原盛明の聞知見考」第27回 『ねっとわーく京都』 2013年4月号)という論攷の中で「卒原発」の人、嘉田現知事評価に関して次のように指摘していました。
 
「総選挙で『偽りの第3極=嘉田新党』を煽ったマスメディアは、深く反省して出直してほしい。『極右第3極=維新』を支援したマスメディアは、戦前の『「いつか来た道』をもう一度思い起こしてほしい。革新政党の存在を無視した政治部記者やデスクは、顔を洗って目の鱗を落としてほしい。マスメディアに迎合するだけの若手政治学者やその他の識者は、もっと勉強して主体性を確立してほしい。そして相も変らぬ選挙総括を書いた革新政党は、直面している政治情勢の厳しさを再認識してほしい。」
 
さらに広原さんは同論攷の中で民主党が先の衆院選で歴史的な惨敗・大敗を喫した「貴重な教訓」に触れて次のような指摘もしていました。
 
「この総選挙を通して得られた貴重な教訓は、目下進行中の保守大連立(独裁体制)への道は、同じ「第3極」であっても「保守補完第3極」では到底阻止できないということだろう。嘉田新党を天まで持ち上げた先の若手政治学者の言葉を借りるなら、『偽りの第三極』ではなく『真の第三極』でなければ安倍自民党・維新の極右連合軍には対抗できないということだ。そして『真の第三極』は、広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”以外には存在しないということなのである。」(同上)
 
上記のメディアばかりでなく(ここでは朝日新聞と毎日新聞の今回の記事を書いた記者の例。また、同じ朝日新聞の例でも、『天声人語』子はきちんと情勢を見極めた記事を書いていました)、そのメディアの論調に影響されてということもあるのでしょうが、あるブロガーは今回の滋賀県知事選挙の結果について「滋賀県知事選で自公候補が敗北した。重苦しかった気分が少し軽くなり、絶望の中で微かに希望の光を見出す心理状態になった」などと書いています。同様の感想を述べている人を私はメーリングリストのメールでもたくさん確認しています。
 
今回の選挙結果について、比較の問題として私もベターな選挙結果であったことを否定するつもりはありません。しかし、それはあくまでも相対としての問題でしかありません。彼ら、彼女らには広原さんが「『真の第三極』は、広範な護憲勢力が結集する“護憲第3極”以外には存在しない」と指摘する先の総選挙における革新の敗北から痛切に学びとった「貴重な教訓」の認識が決定的に欠如しているがゆえに上記のような単純な感想に陥ってしまうのだと私は思います。
 
真の政治革新の実現をめざすためにはまず事実をありのままに見るところからはじめなければならないでしょう。今回の同知事選の選挙の結果を「安倍政権の原発政策に対する根強い批判が示された」(朝日新聞 2014年7月14日)とか滋賀県民が「『卒原発』に支持」(毎日新聞 2014年7月14日)などという事実に基づかない評価は百害あって一利なしと強く指摘しておかなければならないでしょう。
 
滋賀県民は「戦後の歴代政権が維持してきた憲法解釈を、国民的な議論のないまま変更したことに対する」(東京新聞)ノーの声を先駆的に突きつけた。安倍政権の「『これでいいのだ』式のもろもろに、驕りを正したい広範な民意が、投票の機会を得た滋賀で噴き出た」(天声人語)と見るのが政治革新の実現につながる事実に即した見方というべきではないか。 
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