先のエントリで三重県松阪市の山中光茂市長が集団的自衛権行使違憲確認訴訟を提起した問題について若干の異議を述べましたが、そのついでにということでもあります。 集団的自衛権容認の閣議決定に反対する演説をした後に自殺を図ったとされる焼身自殺未遂事件の一件についてもひとこと私の異見を述べておきたいと思います。
 
一部の人たち(私は率直なところ「軽薄な人たち」と呼びたいのですが)は集団的自衛権行使容認が閣議決定された日の2日前の6月29日に新宿の歩道橋で焼身自殺を図ったある初老の男性についても、集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議するために焼身自殺を図ったと一義的に断定し、死をもって抗議を表明しようとしたプロテスタントとして英雄視します。
 
しかし、実のところ、自殺未遂の直前に集団的自衛権に反対する演説をしたとされるその男性の演説の中身についてはよくわかっていません。メディアの記事は私が見る限りすべて「・・・・という」と伝聞調の記事になっていて、実際の事実関係は不明。客観的な報道とは言い難いものがあります。法政大学名誉教授の五十嵐仁さんはその中でも比較的丹念にメディアの報道を拾って「火を付ける前、この男性は(略)『70年間平和だった』『戦争しない』『政教分離』などと話し、『君死にたもうことなかれ」と与謝野晶子の詩の一節を口にした後、火を付けたそうです」(「五十嵐仁の転生仁語」2014年6月30日)と書かれていますが、五十嵐さんの紹介される自殺未遂者の「話し」を反芻してみても、ほんとうに男性の「話し」が集団的自衛権に反対する演説だったのかどうかはよくわかりません。「政教分離」という言葉が発せられているところをみると、もしかしたら創価学会、公明党批判が主眼だったのかもしれない、とも読みとれないこともありません。ともあれ、一義的に「演説」の内容が「集団的自衛権に反対する演説」だったと決めつけることはできないでしょう。理由のわからない自殺未遂の原因を「単一のストーリー」として描くことはWHOが2008年にまとめた自殺に関する報道のありかたを提示したガイドラインにおいても厳しく戒められているものです。
 
また、THE NEW CLASSIC編集長のKEN ISHIDA氏も「男性が自殺に至った経緯などが不明瞭なままで、報道が先走ることこそが危険である」と警鐘を鳴らしています(THE NEW CLASSIC 2014年6月30日)。また、左記の記事では、「自殺がメディアなどで報じられることで模倣を呼ぶこと」の危険性(ウェルテル効果)も指摘されていますが、日本でも1986年にアイドル歌手の岡田有希子が18歳で自殺すると30余名の青少年の模倣自殺が相次いだという事件がありました。傾聴に値する指摘だと思います。
 
この件についてNHKがまったく報道しなかったことについて批判がありますが、NHK新会長の籾井氏が会長就任時に「放送では政府批判をしてはならない」旨述べた点との関連のみをクローズアップしてNHK批判をするのは(もちろん、籾井氏批判及びNHKのときの権力におもねたジャーナリズムとしての主体性を欠如した政治報道のありかた自体は大いに批判しなければならないし、また、批判に値するというべきですが)自殺報道のありかたの本質に目を背けることになりはしないか、と私は危惧するものです。この際、その私の危惧も表明しておきます。
 
最後に以下に掲げる文章は私は何度も引用しているものですが、「社会は人の死をどんな形でも利用してはいけない」という池澤夏樹の言葉を共感をもって再度引用しておきたいと思います。ここで話題になっている「人の死」は直接的には1960年の安保闘争で死亡した樺美智子の死を指しています。
 
池澤夏樹 夏のかたみに10「亡き伯母との会話」(要旨):

「死んだ人はもう死んでいるわけだから、後から出てきて弁明もできない。死んだ者の気持ちはわからない。それなら、社会は人の死をどんな形でも利用してはいけないでしょう。もともと人は決して大義のために死ぬわけじゃなくて、それぞれにひっそりと小さな個人の死を死ぬのよ。そこに生者の勝手な都合を上乗せしてはいけない。誰かの死をテコにして、社会を変えようとしてはいけない。死の瞬間だけでその人の人生を意味づけるようなこともやっぱりいけない。共感をもってその人の生を見なおすことしか、残った者にはできないし、それで充分なんじゃないかな。」(朝日新聞文化欄 1993.8.18)
 
池澤夏樹 夏のかたみに10「亡き伯母との会話」(全文):
 
かつて、伯母が一人いた。大正半ばの生まれ。戦前、現在のお茶の水女子大で数学を学び、一度卒業してからもう一度北大に学士入学して、植物学を勉強しなおした。そのまま大学に留まって、生涯の大半を生化学の研究者として過ごした。チェコスロバキアに一年間留学、仲間たちとよく山に行き、甥(おい)にはたくさん本を買ってくれた。
 
ずっと独身だったが、淋しいようには見えなかった。定年を待たずに退職し、海辺に小さな家を買って、温室でハイビスカスを育てたり、草木染をやってみたり、優雅に遊んで暮らした。いささか頑迷な面もあって、周囲の者を時おりあきれさせたが、よく考えてみれば言うことは一々筋が通っていた。隠居してから数年で病を得て、長く患うことなく死んだ。享年六十四歳はいわゆる平均寿命をずいぶん下回るが、それは一つの人生を評価する上でさほど重要なことではない。
 
最近、この死んだ伯母と話すことが多い。生きているうちに話したいことはたくさんあったが、ぐずぐずしているうちに伯母はあちら側へ転居してしまった。今ならば対等に話もできるし、聞きたいこともある。こちらが書いた物の感想も聞きたい。そういう気持ちでいると、たとえ死者とでも話はできるものだ。このところ死についてよく話す。なにしろ一度死んでいるのだから、この話題で議論になると伯母の方がずっと有利だ。
 
振り返ってみて、どういう人生だった、と聞いてみる。
 
「人と比較して差ばかりをあげつらえばともかく、素直な目で見れば、そう悪くなかったんじゃない」と彼女は言う。「好きな研究をずっと続けられたのが一番よかった。独り者だったけれど、あんたたちの成長は見ていた。大学という旧弊な場で女であることは大きなハンディキャップだったといっても、その不満だけを抱えて生きるほど料簡が狭くはなかったしね。生化学がどんどん発達して、生命観が速やかに変わった時期に、それを研究者として間近で見ているのはおもしろかったわよ」
 
時代については?
 
「若い時はともかく、社会人になってからは戦争がなかったから。戦争中の生活の不自由や、非常時のあの落ち着かない雰囲気も嫌だけど、国が個人に死を強制して、しかもその死に特別の意味を上乗せするのが戦争というものの一番嫌な面でしょ。そういうことが四十年以上なかったんだから、その点ではよい時代だったと思う。死刑を別にすれば、国は国民を死なせはしなかった」
 
じゃ、死と国家はいかなる意味でも無縁なわけ?
 
「そう、死んでみると、人にとって死とは何か、よくわかるのよ。生物学的な死生観で言えば、死とはかぎりなく個人的なことなのね。その個体にとってだけ意味があること。生れたこと自体が祝福だって、生物はみんな知っている。この世に一日生きることは一日の幸福、十年生きることは十年の幸福。人間だってそれがわかっていれば、他人との比較で自分の人生を評価しないで済む。はるか昔、人間は自然に背を向けて生きることに決めて、人生を構成する要素の大半を文化で置き換えた。だけど、生まれることと死ぬことだけはどうしても自然に任せるほかない。だから、死も幸福」
 
普通はそこまで達観できないと思うけど。
 
「生命それ自体が虚無の海に浮かぶ奇跡の島でしょ。朝、目を覚まして、日の光を目蓋(まぶた)の裏に感じとること、枝を揺する風の音を聞き取ること、それだけで生はもう充足している。そういう目で死を見れば、すべての死は、状況がどうでも、いくつで死ぬんでも、後にどんな影響を残すんでも、一つの成就だってことがわかる。人はついつい死を中断だと思いたがるけれど、でもどんなに唐突にやってくる死だって生を中断するわけじゃない。すべて死は生の完成だと思えばいいのよ。
 
私は個人として生きて、個人として死んだ。これは大事なことだった。社会生活は人間にとって大事なものだけど、でも社会が立ち入るべきでない部分も人生には少なくないんだから」
 
なるほどね。でも、社会が死に意味を与えることもあるでしょ。個人の死に社会が意味を乗せてしまうことは少なくなかったよ。米兵に撃ち殺された農婦の死や、警察官によって殺されたデモの参加者の死は、どうしても一人の死という以上の意味を持ってしまう。いわば死よりも葬儀の方が大きい。
 
「そう(と、死んだ伯母は言うのだ)、残された人の立場は死んだ当人とはまた違うから。自然の災害で死ぬんならばまだ納得するけれど、他の人間の悪意や過失による死は、残された者としては受け入れにくいかもしれない社会が死を大きく仕立てなおしてしまう。自分の死に過剰な意味を乗せた上で自殺する人さえいる。それでも、死の意味は死んだ当人の中にとどまるんじゃない? 遺族といえどもそれを肩代わりするはできない。それが死の救いってものなんだけど」
 
それじゃ、残された者はどうすればいいわけ?
 
「死んだ人はもう死んでいるわけだから、後から出てきて弁明もできない。死んだ者の気持ちはわからない。それなら、社会は人の死をどんな形でも利用してはいけないでしょう。もともと人は決して大儀のために死ぬわけじゃなくて、それぞれにひっそりと小さな個人の死を死ぬのよ。そこに生者の勝手な都合を上乗せしてはいけない。誰かの死をテコにして、社会を変えようとしてはいけない。死の瞬間だけでその人の人生を意味づけるようなこともやっぱりいけない。共感をもってその人の生を見なおすことしか、残った者にはできないし、それで充分なんじゃないかな」
 
こういう問題を残して、伯母はまた向こう側の世界に帰ってゆく。ぼく自身について言えば、達観はまだ遥(はる)かに遠い。
 
いけざわ・なつき
1945年北海道生まれ。埼玉大理工学部中退。『スティルライフ』で第98回芥川賞受賞。『真昼のプリニウス』『タマリンドの木』などのほか、最新作に『マシアス・ギリの失脚』。小説のほか書評集やエッセー集も多い。(朝日新聞文化欄 1993.8.18)
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