本ブログの「今日の言葉」の2014年6月11日から同年6月18日にかけての記録です。

アフリカの朝、または夜、または昼 

・「そもそも、わが〈国家〉の本質は、なぜ〈天皇(制)〉に収斂するように描かれるのだろうか。そしてなぜ、戦後になってこの収斂が一定の度合いまで断ち切られたとき、わが〈国家〉の本質は、〈天皇(制)〉を息の根がとまるところまで政治体制の外に弾きださずに、いわば不問に付するという形をとったのだろうか
?」。と、吉本隆明は1960年代に問題をなげかけ、「わたしたちは戦後において、〈国家〉の本質が、〈天皇(制)への収斂の過程を断ちきられたとおなじ度合いで〈公〉と〈私〉の生活関係が分離しきれないままで双頭化しているという事態に当面している」と書いている。「公」と「私」の双頭化はなんとなくわかる。だが、「〈天皇(制)への収斂の過程が断ちきられ」るなどということが、戦後の政治・社会状況のなかで一度でもあったであろうか。わたしたちは、いわゆる「國體」を不問に付すどころか、つくづく自照することもなく、白日のもとにさらけだすこともまったくせずに、ここまできたのではないか。〈天皇(制)〉というヌエは結局、無傷ではないのか。(辺見庸「日録20」2014/06/11

沖縄の現状に関心をもつ人でも(略)目下強行されている琉球弧(奄美・沖縄)への自衛隊派兵に対する関心はまだ低い。(略)「本土」の反戦運動では自衛隊の存在を根本から問わず、現に眼前で展開されている自衛隊の動きに目をそむける人が少なくない。それは「憲法9条を守れ」と主張しながら同条第2項に明記されている〈戦力不保持〉、すなわち〈非武装〉に触れない人が多いことと連動する事態であるにちがいない。過日、「自衛隊に触れるならまず『自衛隊さん、ありがとう!』と言いましょう」という声がある反戦・反基地グループから上がったという話を聞いて一瞬耳を疑った。東日本大震災時の自衛隊の災害派遣を評価してのことらしいが、こういう親軍論調が反戦運動内から浮上することは戦後反戦運動の著しい後退を象徴していると私は思う。しかし、反米軍には熱心でも自衛隊となると腰が引けるようでは、安倍政権・防衛省による〈琉球弧の要塞化〉を阻止し「尖閣」戦争を防止することはできない。5月15日、安倍〈好戦宰相〉が解釈改憲の強行を宣言したが、そのとき沖縄戦の体験者たちが「また捨て石か」とうめきつつ反応したことに「本土」の私たちはもっと敏感であるべきである。(井上澄夫 2014/06/12

・安倍晋三首相は、「国の交戦権は認めない」と明記している日本国憲法の根幹に反する集団的自衛権の武力行使容認をめざし、憲法を改正しないまま、あいまいな形で速やかに最終的閣議決定を行い、実施を強行しようとしています。私たちはこの動きに強く反対します。首相は、米国との絆を絶対視し、日本国内の米軍基地と無関係に日本周辺の米国海軍が攻撃されるとか、米国本土が攻撃されるなどの現実的でない事例を示して限定するかのように見せかけています。(略)一連の動きに対して、自衛隊員も含めて人を殺すことはいけないという規範の下で生きてきた国民の支持は得られていません。専門家集団である憲法学者は一致して反対しています。(略)首相の言動は、国民主権の下での三権分立に基づく法治国家としての日本を破壊し、日本が攻めてくることはないと信じてきた周辺諸国をはじめとする世界における日本の評価をおとしめ、近隣諸国の軍備増強に口実を与え、日本の危険を増大させるという取り返しのつかない汚点を歴史に残すことになります。黙っているわけにはいきません。今こそ主権者である日本の国民は、自らの考えを発言し、政府に誤りない日本の針路を選ばせるべきときです
。(
世界平和アピール七人委員会 2014年6月12日

・【
公明党と憲法―自民にただ屈するのか】集団的自衛権の与党協議で、公明党が行使容認を前提とした条件闘争に向かっている。憲法解釈を変える閣議決定に向けた安倍首相の意思は固い。一方で公明党は、連立離脱を自ら封印した。自民党の攻勢に耐えきれそうもないが、せめて厳しい条件はつけておきたい。そんな思いがうかがえる。だが、どんな条件をつけたところで、集団的自衛権を認めることに変わりはない。妥協は将来に禍根を残す。公明党はその重みを肝に銘じるべきだ。きのうの与党協議で、自民党の高村正彦座長が、日本が自衛権を発動するための新しい「3要件」の私案を示した。(略)自民党が主張する「限定容認」どころではない。集団的自衛権がかなり広範囲に認められることになりかねない。(略)公明党は反発する。なんとか一矢を報いたいということなのだろう。だとしても、政権が意のままに憲法解釈を変えることに手を貸すのは間違いない。そんな「法の支配」からの逸脱が許されれば、どうなるか。(略)公明党は、それでもついて行くというのか。自民党の力ずくの憲法改変に。(朝日新聞社説 2014年6月14日

・1934年夏、16歳の
イングマール・ベルイマンは交換留学生としてドイツに行き、チューリンゲン地方の小さな村の牧師の家に6週間ほど滞在する。「私が牧師に、自分もみんなと同じように手をあげて『ハイル・ヒトラー』と言わなければいけないのかと訊くと、かれは『イングマールさん、それは礼儀作法のひとつと見なされているんです』と答えた。私は手をあげ、『ハイル・ヒトラー』と言ってみた。(略)「強制収容所についてはじめて知ったとき、私の頭は、目に映るものをほとんど受けいれることができなかった。(略)ついに真実を認めざるをえなくなったとき、私は救いようのない絶望におそわれ、そうでなくてもすでに心の重荷となっていた自己軽蔑の気持は忍耐の限度をこえるほどふくらんだ。何はどうあれ自分はほとんど無実なのだと思うようになったのは、かなり後のことである。(略)(『ベルイマン自伝』)。(略)〈多くのひとと同様…〉〈全員が…〉〈兄も父も…〉(略)実時間における絶対的多数者の共通感覚、ほとんど無意識の集団発声、唱和、共同行動、集団陶酔の記憶が、あのベルイマンにさえ、後々まで、恥の感覚とどうじに、存外に月並みな自己正当化と「言い訳」の気分を残しているのを、あっさりと見逃すべきではない。さほどに実時間は手ごわい。強力だ。そうじて恥じるということのなかったニッポン(ヌッポン)ではさらにむずかしい。(辺見庸「日録21」2014/06/14

・6月13日、自民・公明の与党協議において、高村正彦自民党副総裁は、集団的自衛権行使を認めるための「高村私案」として
「新3要件」を公明党に示した。1972年田中内閣のときの政府解釈(集団的自衛権の違憲解釈)をつまみ食い的に使って、まったく逆の結論を導いたものだ。もはや論理の世界の話ではない。法学部出身で弁護士資格をもつ高村副総裁は、「安倍的」なるものに「誠実」であるために、もはや「知的」ではない(注:「知的なナチスは誠実ではなく、ナチスに誠実な人は知的ではなく、知的で誠実な人はナチスにはならない 」『世界』2014年7月号水島論攷冒頭)。(略)公明党は、6月14日付各紙の観測によれば、「高村私案」に乗る方向だというが、どうなるだろうか。(略)憲法研究者としては、20条1項後段の理解は、「政治の宗教への介入の禁止」と「宗教の政治への支配の禁止」の両方向からのアプローチが必要だと考えている。しかし、『世界』7月号の拙稿でも指摘したように、「国会等における論議の積み重ねを経て確立され定着しているような解釈」については、政府がこれをその時々の事情で簡単に変更することはすべきでないだろう。その意味で、現段階において、公明党の執行部に対しては次のように言いたい。ここで、集団的自衛権をめぐる安易で簡易な憲法解釈変更に乗るならば、これが前例となって、やがて、宗教団体に関する政府解釈も「時の権力者の趣味や気分によって変更される」ことを覚悟しなければならない、と。(水島朝穂「今週の『直言』」2014年6月16日

・2013年1月25日に「
時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」が公表されました。(略)ところがその中には従来より反対を表明 し続けてきた通信傍受の対象拡大も含まれていますが、何故か日弁連執行部がこのような問題のある通信傍受の対象拡大にまで賛成しようとしているのです。日弁連執行部は狂ったとしか言いようがありません。(略)それにも関わらず、日弁連執行部がこのようなデタラメな根拠を主張して事務当局試案に賛成したいのは、法務省(検察庁)との間で、バーターが成立 しているからです。要は裏取引です。(略)そうしているうちに何と、産経新聞が「通信傍受捜査の対象犯罪、拡大が確実に 法制審」と報じました。(略)朝日新聞は、「全事件の可視化「日弁連主張を」冤罪被害者ら要請」と報じています。(略)当たり前のことです。冤罪被害者たちにとっては日弁連の対応は裏切りにしか見えません。日弁連執行部が権力に擦り寄り、刑事司法制度改悪に加担した汚点は将来に渡って消えることはありません。(「弁護士 猪野 亨のブログ」2014/06/16

甘く見てはならない。高をくくってはならない。相手を見くびってはならない。前例はもうなにもあてにならない。これは、この機に自衛隊を「日本国軍隊」として、どうしても直接に戦争参加させたがっている、戦後史上もっとも狂信的で愚昧な国家主義政権およびそのコバンザメのような群小ファシスト諸派と、9条を守り、国軍化と戦争参加をなんとしてもはばみたいひとびととの、とても深刻なたたかいである。それぞれの居場所で、各人が各人の言葉で、各人が各人のそぶりで、意思表示すること。「日常」をねつ造するメディアに流されないこと。ことは集団的自衛権行使の「範囲」の問題ではない。そもそも集団的自衛権に同意しない、うべなうことができないのだ。9条に踏みとどまること。ひとり沈思すること。にらみ返すこと。敵と味方を見誤らないこと。いまを凝視すること。静かにきっぱりと、反対と告げること。「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性」をいま眼前にしている。(
辺見庸「日録21」2014/06/17

・「
こころ」の「先生」って、ダメですよね~。エゴイストにしてナルシスト。漱石作品のダメ男の典型です。この人、「私が」「私は」と、自分のことしか言ってない。プライドが高いから、自分のことしか考えられないんです。(略)「坊っちゃん」の主人公も自分勝手で甘ったれで困ったもんですが、(略)子どものまま大人になっているから、明朗で痛快ですらあります。(略)ダメ男ナンバーワンは「それから」の代助ですね。高等教育を受けたのに働きもせず、平気で実家にカネの無心をしている。いまでいうパラサイト。そのくせ他人をぼろくそに言う。(略)朝から風呂場で肌をぴかぴかに磨いて、鏡を見てうっとりする。すごいナルシスト。働かない理由がまたふるってて、「僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ」「日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ」。突っ込み所が多すぎて笑うしかないキャラです。でも、だから代助は、現代の私たちにとって等身大のダメ男なんですよ。上から目線のパラサイトで、「自分は何者なのか」をうじうじ悩んでいる。私たちの中にも見当たるダメさなんです。「先生」もずっと秘密を隠してきたけれど、結局、告白するわけですよ。プライドは高いんだけど、最後に弱さを見せるあたりが共感できる。(略)人間は多少ダメなほうが面白い。ものすごくダメだと困りますけど。漱石の主人公のような「ちょっとダメ男」くらいが一番いいんです。(朝日新聞 豊崎由美 2014年6月17日

・集団的自衛権とは、「同盟国が攻撃を受けた時に、反撃支援に参加する義務」があるということだ。安倍首相が示した架空の事例ではなく、具体的事例に照らしてみなければ、その意味することは理解できない。第二次大戦以後で最大の総力戦となった
ヴェトナム戦争が本格化したのは、1964年にアメリカが本格的に参戦してからである。この参戦の契機になったのは、ヴェトナム沖トンキン湾における米軍艦船への魚雷攻撃である。遠く母国を離れ、他国の領海近辺に威嚇出撃し、攻撃されたと「因縁をつけて」、アメリカは北ヴェトナムへの爆撃と南ヴェトナムへの地上軍派遣を決定した。「同盟国」の艦船が攻撃されたのだから、「同盟国」はこのような強引な侵略にも付き合う義務がある。およそ8年にわたるアメリカのヴェトナム侵略によって、北ヴェトナムの森林は廃墟となり、南ヴェトナムの地上戦ではアメリカは一時50万人を超える兵士を派遣 したが、そのうち5万人もの軍人が命を落とした。ヴェトナム人の軍人と民間人の死者は300万人とも400万人とも言われている。アメリカの参戦によって、膨大な人命が地球上から失われたのだ。(略)アメリカへの軍事的従属下の「集団的自衛権」の行く末は見えている。(リベラル21 盛田常夫 2014.6.17

産業革命を出発点とする科学技術の発展は、20世紀に情報通信革命を生みだし、(略)国際相互依存の不可逆的進行という流れを生みだした。そのことを劇的な形で示したのは、2008年にギリシャで起こった財政破綻(デフォルト危機)が一気に世界金融危機を引き起こした事実である。即ち、今やアメリカを含む世界のいかなる大国といえども、世界のいずれかの地域で発生する事件から無傷ではあり得ず、世界のすべての国々及び人々が運命共同体の一員になったということだ。これが国際相互依存の持つ人類史的意味 である。世界において軍事的一極支配を続けることに執着するアメリカですら、尖閣問題をめぐる日中間の軍事的緊張を前にして、「国際経済は脆弱なので、日中が仲違いをすることを見逃す余裕はない」という深刻な認識表明をせざるを得ないのも、正に国際相互依存の働きを認識するからにほかならない。(略)安倍政権の恐るべき好戦的態度を貫いているのは、この国際相互依存及びその国際関係に対して持つ意味に対する認識の致命的欠落である。(略)最近のIMFの安倍政権の経済政策に対する批判・勧告にも明らかなとおり、アベノミクスに対する国際的評価は極めて厳しい。アベノミクスに対する正面からの批判が一部の識者のレベルに押さえ込まれている日本の現状は寒心に堪えないものがある。(浅井基文 2014.06.18
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