浅井基文さん(元外交官、政治学者)はこのところ日本の民主主義者(を自認する者)が受容、あるいは自らの判断の材料とすべき現在の国際情勢認識に関して次々と重要な論攷を発表されていますが、以下にご紹介する「ポツダム宣言と憲法、そして集団的自衛権」(2014.06.20)という論攷も基本中の基本ともいえる認識を提示するがゆえにかえって意表をつく感のある国際情勢認識というべきものです。現代政治地政学(自身の座標位置(立ち位置)を定める)のケーススタディーとして学ぶところの非常に多いものです。他者の論攷ながらあえてご紹介したいと思うゆえんです。
 
 
*以下に紹介するのは、5月17日にある集会で行ったお話しを主催者が起こしてくれたものをさらに加筆訂正を行ったものです。その内容は、拙著『すっきり!わかる 集団的自衛権』(大月書店)がもとになっていますが、お話しでは、二つのことにポイントを置いています。
 
一つは、集団的自衛権に関する判断・議論を行う出発点はポツダム宣言であり、憲法(第9条)ではないということです。憲法自体がポツダム宣言を履行するという本質を持っており、憲法第9条は、ポツダム宣言が日本に要求した徹底した非軍事化を体現したものです。そのことを踏まえれば、集団的自衛権行使云々などというばかげた議論をする余地はあり得ないことが直ちに分かるのです。しかし、戦後日本のあり方を根底からくつがえし、戦前日本への回帰を目指す安倍政治(を代表とする戦後保守政治)は、ポツダム宣言そのものに最終的異引導を渡そうとしているのです。
 
しかし、ポツダム宣言は日本が受け入れた国際約束ですから、日本が一方的に破棄することは許されるはずがありません。その点に関する自覚が私たち日本人の間にないこと自体が異常を極めることなのです。その点を強調することが私の一つの目的です。
 
もう一つのポイントは、自衛権行使の主体は主権者・国民であって、国家ではないということです。この点については、上記拙著では敢えて触れなかったのですが、お話しでは強調していることです。ここでは4.で詳しく話していますので、是非ご一読願います。
 
◇ ◇ ◇
 
基本的にそもそも集団的自衛権とはどういうものなのか。国内では、集団的自衛権に関する議論は、もっぱら憲法(第9条)を判断基準にして、それとの関わりという視点で議論されている。しかし、集団的自衛権というのは、もともと国連憲章で定められた概念であって、国際政治、国際関係あるいは国際法といった脈略でまず捉えないといけない。そこを明確にしたうえで、憲法との関係はどうなるのか、そしてなぜいま安倍政権がしゃかりきになって集団的自衛権の行使容認を言っているのか、という流れで見ないと物事の本質はつかめない。
 
今日の話は柱が二つあって、一つ目は「国際的な戦争違法化の歴史と現実」である。国際関係、国際法という枠組みのなかで、どのような経緯を経て集団的自衛権という概念が生みだされたのか、そしてそれが現実の国際関係の中でどのような変遷をたどって今日に至っているのかを話したい。それから、二番目の柱としては、そのことが安倍政権においてどのように利用されようとしているのか、ということを話したい。
 
1.世界史における戦争の定義の変遷
 
そこでまず、歴史的に流れを追いながら、国連憲章で集団的自衛権が定められるまでの経緯を説明する。
 
まず、戦争は人類が登場して以来ずっとあったわけだが、国家というものが登場し、そして戦争が非常に残酷さを増してきて、戦争というものを野放しにしておいていいのか、という考えが一〇世紀頃から出てくる。それが「正戦論」という形をとって論じられた。
 
戦争について国際法のなかで位置づけるという体系的な試みをおこなったのが、かの有名なグロティウスで、かれが一六二五年に書いた『戦争と平和の法』という著作がある。要するに戦争というのは好き勝手にやってよいものではない、そこには正当な理由がなければならない、とかれは言った。大義名分なき戦争はあってはならない、ということだ。
 
それからもう一つかれが行った重要な貢献は、「戦争における法」を論じたことで、それがいまわたしたちが言うところの戦時国際法である。つまり、戦争を始めた後は何をやってもよいということではない、やはり、最低限護るべきことがある、とかれは言った。その中身として重要なことを2点挙げると、一つは戦闘員と非戦闘員とを区別することだ。戦争というのは戦場で戦うものであって、いまで言う後方、非戦闘地域にいる、いわゆるシビリアンを巻き込んではいけない、という考え方だ。
 
この考え方はその後原則として守られてきたのだが、この原則が破られたのが第一次世界大戦だった。つまり、産業革命以後の科学技術の飛躍的発展を背景にして兵器が非常に残虐さを増す、あるいは飛距離を大幅に伸ばすことによって、必然的結果として戦場と後方との区別をなくしてしまった。
 
そして、この原則は第二次世界大戦で完全に無意味化させられた。即ち、日本軍がやった重慶大爆撃あるいは欧州戦線でのドレスデン空爆のような、「戦略空爆」という概念がまかり通った結果、戦闘員と非戦闘員とを区別するという原則は完全に蹴散らされて、むしろ非戦闘員を大量虐殺することが当然視されるに至った。その最終的な帰結が広島・長崎への原爆投下だ。
 
もう一つ、グロティウスが「戦争における法」(戦時法)において強調したのは、目的と手段とのバランスということだ。戦争においては何かを達成しようとする目的が設定される。しかし、その目的を達成するためには手段を選ばず何をやってもよい、というということであってはならない。つまり、目的を達成する上で必要かつ最低限の手段に限って認められるべきだ、ということだ。それが目的と手段とのバランスということだ。
 
後で述べる自衛権という概念においても、相手が攻撃を仕掛けてきたら、それに対して「あいつは常日頃憎いやつだと思っていた」という理由で、相手を叩きのめすということがあってはならない。あくまで相手が攻めてきたら、相手の攻撃を撃退するのに相当な範囲で、あるいは必要にして最低限度の範囲で反撃をするということでなければいけない、とされる。国内の刑法で正当防衛は違法性が阻却されるが、過剰防衛は許されないのと同じことである。したがって、グロティウスの考え方が自衛権にも継承されてきているということだ。. ただし、この原則も近代戦争において崩されてきている。それの極めつけが「抑止力」だ。「抑止力」とは何かといえば、俗な言い方をすれば、「お前が攻めてきたら、おれはお前の国を叩き潰すぞ。それが怖かったら戦争を仕掛けるな」というのが、「抑止力」の基本的な考え方だ。それは、目的と手段とのバランスという原則からは完全に逸脱している。けれども、その「抑止」という考え方が第二次世界大戦後にまかり通ってきた。安倍首相も盛んに「抑止」という考え方が大切なのだというけれども、その「抑止」の根源にあるのは、相手がなにかやってきたら、コテンパンにやっつけるぞ、ということだ。「抑止」という概念は、グロティウスの『戦争と平和の法』で言われた、戦時国際法の根本を否定する概念だということにもなる。
 
それはともかく、そのようにして国際法が登場し、それとほぼ踵を接して三〇年戦争、ウェストファリア条約によって、欧州に今日私たちがいう「国際社会」が登場した。「国際社会」における「社会」が成立するための基本的条件は何かというと、構成員(メンバー)である国家、具体的には君主が対等平等だということが同条約によって始めて国際的に承認されるということだ。国家の大小強弱貧富に関わらず、主権国家である限り対等平等であるとみなされた。
 
今日でもわたしたちは「国際社会」という概念を使うが、それは決して古い考え方ではなくて、国際法と同じく、一七世紀になってやっと登場したものである。つまり、国際社会にしても、国際法にしても、まだいわば未成熟であり、これからの人類史の歩みの中で成熟させていくことが人類にとっての課題なのだ。
 
2.自衛権の登場と成立の経緯
 
そういうことを踏まえて、それでは自衛権や集団的自衛権という考え方がどのように発展してきたのかについて話を進める。実は、グロティウスが『戦争と平和の法』を書いたときにも、戦争に大義名分があるかどうかが主要な関心対象で、自衛のための戦争あるいは侵略的のための戦争という問題は直接には問われなかった。
 
自衛権という概念が国際社会で問題提起された最初のケースが、一八三七年にアメリカとイギリスとの間で起こったカロライン号事件であった。この事件は、カナダの独立戦争時に、カナダ側に武器を輸送していたアメリカのカロライン号をイギリスが沈没させたというものだ。アメリカは、何を根拠にこの船を沈没させたのかとイギリスに対して説明を求めた。そのときに、イギリスが「自衛権の行使」だと言った。そして、自衛権の行使を正当化する根拠として、「切迫性・必要性・相当性」という三つの要件を満たしていると主張した。これが今日まで「自衛権行使の三要件」ということで使われている。
 
「切迫性」とは、要するに急に相手が攻めてきたとか――日本の法制局は「急迫不正の侵害」と言っているが――非常に切羽詰まった状況になっていることだ。「必要性」とは、日本の法制局の言葉で言えば、「実力行使に訴える以外に、他に手段がない」状態にあることをいう。「相当性」は、グロティウスの「目的と手段とのバランス」、つまり、相手の攻撃を撃退するのに必要な限りでの武力行使であるということだ。これを日本の法制局は「必要最小限度の実力行使」と言っている。
 
話を戻せば、このカロライン号事件が、自衛権というものが国際法のなかで大きく取り上げられるようになった最初のケースだった。その後、一九二八年の不戦条約では、自衛権行使の戦争はいい、問題がない、しかし、それ以外の戦争はダメだとした。不戦条約は戦争を違法化はしなかったけれども、「非」とした。ここで「非」の戦争という考え方が国際法上に登場した。
 
集団的自衛権について考える上で重要だと思われることが、不戦条約の交渉時にあった。当時のアメリカはモンロー主義(前号の纐纈厚氏の報告参照――編集部)で、アメリカ大陸を全部自分の庭だと思っている。だから、自衛権をあまり狭く解釈されて、アメリカ大陸で武力行使をすることを縛られては困る、モンロー主義を適用する地域についての戦争を非とされては困る、とした。イギリスも、英連邦のなかの事柄は国際社会に関与してほしくない、と主張した。わたしは、この時のやりとりがアメリカが国連憲章に集団的自衛権を盛り込む際の一つのヒントになったのではないか、と考えている。
 
3.モンロー主義の延長としての集団的自衛権
 
不戦条約では、「非とされた戦争」、自衛権行使の戦争、そしてモンロー主義や英連邦などの特例と三つに分類された。国連憲章では、違法な戦争、個別的自衛権の行使、集団的自衛権の行使とやはり三つに分けられた。国連憲章によって初めて戦争は違法とされた。
 
集団的自衛権という概念はどのようにして出てきたか。第一次世界大戦が終わった後、「人類はそれほど愚かではないから、これほどの惨禍を二度と繰り返すことはあるまい」と楽観視した。ところが、第二次世界大戦が起こってしまった。しかも、その被害たるや、第一次世界大戦も顔色ないようなすさまじいものとなった。そこで、国連憲章は戦争を違法化した。不戦条約のように「非」とするだけでは人類は戦争をやめない。人類はそれほどに愚かであるということを認めた結果が国連憲章による戦争の違法化であるということでもある。
 
しかし、国連憲章をつくっている最中に(一九四三年につくりはじめて、一九四五年に完成)、米ソはかなり関係がギクシャクしはじめていた。とくに、国連憲章ができる直前の一九四五年四月には、ルーズベルト大統領が死んで、ルーズベルトとスターリンの個人的な信頼関係でもっていた同盟関係が崩れるのはもう目に見えていた。とくに、ルーズベルトの後を継いだトルーマンはごちごちの反共だったから、どう考えてもうまくいくはずがない状況になっていた。
 
そこでアメリカは、「自分で自分を護る」というのが固有の、あるいは個別の自衛権だが、それを、「自分「たち」で自分「たち」を護る」とする集団的自衛権をあみだした。要するに、自分が攻められなくても、自分と非常に密接な関係にある国が攻撃されたら、自分たちもその国と一緒になって反撃する、という考え方だ。
 
つまり、集団的自衛権という考え方、概念が挿入されるに至ったのは、戦争自体が違法化された結果従来の軍事同盟を作ることは法的に認められなくなることに対しての法的な抜け道づくりという意味がある。固有な自衛権しか認められないとなると、各国は自分で自分を護る以外にないということになり、けっきょく弱い国、小さい国はより強い国から攻撃されたら身を守れないことになってしまう。
 
また有り体に言えば、アメリカとしては、ソ連に軍事的に対抗することを正当化するための法的根拠がほしいという気持ちもあった。その考えはソ連も共有したから、いわば呉越同舟で、集団的自衛権という概念を挿入することに結びついた。アメリカが集団的自衛権という概念を発想した背景には、不戦条約交渉時のモンロー主義の特例という考え方が延長・発展されて、それが法的概念としての集団的自衛権という概念に至ったと言えはしないか。
 
4.自衛権を持つのは国家でなく人民
 
ところで、個別的自衛権、集団的自衛権というと、一般的には国家の自衛権、国家の集団的自衛権だと考えられている。確かに、国連憲章上では国家の自衛権、国家の集団的自衛権として扱っている。しかし、わたしは国家の自衛権という考えは根本的におかしいと思う。 自衛権を持っているのは、国家ではなくて主権者である人民だ。わたしはそこを強調したい。もちろん、カロライン号事件から国連憲章に至るまで、自衛権は国家の自衛権として扱われてきたことは事実だ。また歴史的に言えば、「朕は国家なり」とされた専制君主(君主主権)の時代には、「国家の自衛権=君主の自衛権」が当たり前とされていた。アメリカ独立戦争、フランス革命を経て君主主権に代わって人民主権が一国単位で主流になってきた後も、国際関係における主体は相変わらず国家とする伝統的考え方が支配してきたため、国連憲章もその考え方を踏襲して国家の自衛権として扱っているわけだ。

しかし、わたしが「国家の自衛権」という考え方がそもそもおかしいと思ったのは、民族自決権または人民の自決権と国家の自衛権とが概念的に結びつかないではないかという疑問を感じたからだ。

「民族自決権」なのか「人民自決権」なのかという問題にも考えるべき点は多々あるのだが、ここではそのことには立ち入らない。話しの便宜上、とりあえず同じものとして並列的に扱うことを断っておく。民族(人民)自決権は、第一次世界大戦の最中にレーニンとウィルソン(アメリカ大統領)が言い出して、一つの民族、一つのまとまったかたまりをなす人民はみずからの運命をみずから決める権利があるとする原則が確立するに至った。その基本的な考え方にしたがえば、人民主権の国家では、みずからを護る権利(自衛権)は国家にあるのではなくて主権者である人民になければおかしい。アメリカの独立宣言にも、人民には人民の意思に反する政府を廃止して新たな政府を樹立することができるとハッキリ謳っている。人民が最終的に政府を変える権利を持つのに、自らの国家を護る権利(自衛権)だけは相変わらず国家(政府)に委ねなければならないというのは、どう考えてもおかしい。

日本国憲法九条においても「日本国民は」で始まっているように、主語は国民なのだ。「日本国は」ではない。だから、わたしたちが戦争を放棄したのだ。それなのにどうして国家の自衛権の話になってしまうのか。問題はあくまで「われわれ主権者が自衛権を持つかどうか」ということなのだ。自衛権というのも自決権と同じように、人民に属するものだ。
 
以上のように考え方を整理することは、集団的自衛権を考えるうえで決定的に重要である。主権者である人民は自分で自分を護る権利は自然法としてある、とわたしは考える。わたしはいわゆる「非暴力平和主義」には立たないので、人民には自決する権利があるように、人民にはみずからを護る権利があると考えている。第九条は自然権としての人民の自衛権までも否定しているとは考えない。
 
ただし、人民が自衛権を行使する場合の方法としては様々な形があり得る。歴史的な実例としては、中国人民の抗日戦争、ベトナム人民の抗米自衛戦争がある。もっとさかのぼれば、たとえばナチス・ドイツに占領されたフランスやポーランドでレジスタンス運動が行なわれた。そのレジスタンスもまがうかたなき人民の自衛権行使だ。
 
だから、わたしたちの人民主権が外部から侵害され、わたしたちの人権・デモクラシーが犯される状況に対しては、あらゆる方法で抵抗することは認められる。それが人民の自衛権だ。
 
さらに二つのことを補足しておきたい。一つは、国際的相互依存が不可逆的に進行している21世紀においてはもはや日本に武力侵攻を本気で考える国家はあり得ない以上、以上に述べたことはあくまで法的、理論的に言えばそう考えるしかないという概念整理に過ぎないということだ。日本に攻撃を仕掛けることは、その国を含む世界経済全体が沈没に直結するわけで、国際相互依存という人類史の流れそのものが国家間の戦争を過去の遺物にしているということだ。
 
もう一つは、人民の自衛権という考え方は、民族(人民)の自決権だけではなく、個人の正当防衛の権利とも結びついているということだ。刑法上、個人の正当防衛権が認められているように、個人の集合体である人民には自衛権が認められるということだ。
 
集団的自衛権について考える上でもっとも重要なことは、自衛権というのはあくまで自分で自分を護るということであって、人様が犯されたらわたしがその人様のために戦う、などという発想を含むはずがない、ということだ。
 
自衛権という概念を主権者の自衛権と理解する考え方が確立すれば、集団的自衛権という概念は出てきようがない。国連憲章では国家の自衛権として考えられているから、国家の集団的自衛権という概念にまで膨らんでしまった。日本国内には「国連は正義の味方」とするいわゆる国連信仰が強く、国連そして国連憲章を絶対視する風潮が根強いが、国連、国連憲章を絶対視するべきではないことを皆さんには理解しておいてほしい。
 
5.集団的自衛権「拡大」の歩み
 
以上のことを頭に置いていたうえで、国連憲章に話を戻す。国連憲章は、国家の自衛権、国家の集団的自衛権として考える体制だから、それにしたがって、世の中が動いてきていることは否定できない。
 
国連憲章が想定する武力の行使は、先述のように違法な戦争、個別的自衛権行使、集団的自衛権行使の三つに分類される。一九四五年に国連憲章ができてから一九八九年までは、集団的自衛権行使については基本的に憲章制定当時の理解にしたがってあくまで限定的なものとして捉えられてきた。国連憲章が考えた許される自衛権の行使というのは、主として他の国から攻撃された場合にどう対処するのか、ということがほとんどだった。今日的にいえば、伝統的な国家から来る脅威を想定していたということだ。
 
ところが、一九九〇年に米ソ冷戦が終結し、ソ連が崩壊して今日に至る間に、アメリカが中心となって、集団的自衛権行使とするケースをどんどん広げてきた。その結果、本来ならば違法な戦争とみなされる領域が狭められるという結果を招いている。
 
どうしてそういうことが起こったのか。
 
最初のきっかけはブッシュ(父)の政権のときに起こった湾岸危機・戦争だ。湾岸戦争自体は国連憲章が禁じた戦争ということで説明がつく。イラクのサダム‐フセイン政権が隣国のクェートを侵略し併合したのだから、これは違法な戦争そのものだ。それに対して、ブッシュ政権が、アメリカにとって緊密な関係にあるクウェートを守るべく軍事力を行使してフセイン政権を撤兵に追い込んだことは、集団的自衛権の行使としてとりあえず「正当化」される。
 
しかし、国連憲章に即して考えるとき、違法な戦争をやったものを懲らしめるのは本来的には国連自体でなければならなかった。それが、憲章第7章が定めている「集団安全保障措置」というものである。つまり、国際的に違法なことをやったものを国連が自ら取り締まる、ということだ。
 
そこで問題が非常にややこしくなる。というのは、ブッシュ政権ははじめから国連の集団安全保障措置に委ねる気持ちはなく、自らイラク軍を撃退することを決めていた。そして、それを集団的自衛権の行使として正当化したのだ。しかも、「アメリカと志を同じくするものは集まれ」と史上最初の多国籍軍を組織し、NATO諸国やアラブ諸国が馳せ参じた。この多国籍軍の組織化及び参戦も集団的自衛権の行使として正当化した。
 
国連憲章は、集団的自衛権の行使は、国連が集団安全保障措置を発動するまでの間の一時的権利としてしか認めていない。アメリカ主導の多国籍軍の行動を一時的に認めるにせよ、いずれかの時点で国連がいわば「引き取る」のが筋だ。しかし現実には、国連としては自らの力でフセインの違法の行動を取り締まる実力を組織化できない。国連安保理はいわば苦肉の策として、ブッシュが組織した多国籍軍の行動を「集団安全保障体制のもとにおける措置」とするお墨付きを与えてしまった。こうして「集団的自衛権行使=集団安全保障措置」ということになってしまった。わたしはそれがつまずきの元だと思う。要するに、集団的自衛権の行使が集団安全保障措置と認定されることにより、本来一時的な権利としてしか認められていない集団的自衛権の行使が野放しで認められる先例となってしまった。
 
ブッシュ(父)の後を継いだクリントン政権は、アメリカが直面する脅威は国家だけからではないと言い出し、「さまざまな不安定要因」と規定した。つまり、国家から来る伝統的な脅威もあるけれども、その他にもテロリズム、民族紛争などがアメリカの安全保障に脅威を構成するとし、それらに対してもアメリカは軍事的に対処するとしたのだ。しかも、クリントン政権はアメリカの財政的不如意を踏まえ、アメリカが主導する多国籍軍方式で対処する方針を打ち出した。つまり、ブッシュ政権のときはまだアド・ホックで多国籍軍を組織したのだが、クリントン政権は多国籍運方式を戦略の中に組み込んだのだ。こうして、さらに集団的自衛権の中味を広げ、あるいは曖昧にすることにつながった。
 
クリントン政権の行った軍事力行使の極めつけがNATO軍によるユーゴ空爆だった。なにが極めつけかというと、NATO軍は少数民族を弾圧するミロシェビッチ政権に対する軍事力行使を正当化するために、「人道的介入」という概念を持ち出したことだ。「人道的介入」という概念は、19世紀以後しばしば侵略を正当化するために使われてきたが、今日もその法的正当性についてはなお非常に論争が続いている。ちなみに、安保法制懇の報告書でも、さすがに「人道的介入」までは踏み込んでいない。それぐらいに問題がある概念なのだ。しかし、ここで押さえるべきポイントは、アメリカは集団的自衛権行使の概念を限りなく広げていこうとしているということだ。
 
さらに、ブッシュ(子)政権は、二〇〇一年の九・一一を契機に「対テロ戦争」ということを言い出した。「国際的テロリズム」は、国際法においては、「国際犯罪」として位置づけ、扱ってきた。犯罪に対して、軍事力を行使するというのは、そもそもおかしい。犯罪に対しては警察力で対応するのが筋だ。ところが、ブッシュは九・一一に逆上して、「テロ戦争」と言い出した。そして、これまでも集団的自衛権の行使としたわけだ。
 
しかも、そのときの国連も完全にパニクってしまっていて、ブッシュ政権の対テロ戦争を承認してしまった。その対テロ戦争がその後のアフガニスタン戦争やイラク戦争につながっていく。この場合にも有志連合ということで、湾岸戦争以来の多国籍軍方式が利用された。こうして、何に対しても軍事力を行使してよい、それは集団的自衛権だと言えば皆が黙ってしまうという状況が生まれてしまった。
ブッシュ政権が起こした2003年の対イラク戦争においては、ブッシュはイラクを「ならず者国家」と決めつけることによって、自らの戦争を正当化した。「ならず者国家」という概念自体はクリントン政権が本格的に言いだしたという経緯がある。主な対象とされたのはイラク、イラン、朝鮮だ。しかしブッシュ政権は、「テロリストをかくまう国家」を「ならず者国家」と規定して、対テロ戦争の延長として対イラク戦争を正当化した。もちろん、それはその後の事態が示しているように、何の根拠もないことであった。大量破壊兵器をつくっていることも口実にされたが、それもなかった。今日では、「対テロ戦争」の正当性そのものが国際的に否定されていると言える。
 
一言だけ脱線すると、今回(2014年)の安保法制懇の報告では相変わらず、「対テロ戦争」をアメリカが戦う際に日本が参戦することを当然視している。いかに、かれらが「対テロ戦争」をやったこの十数年の国際的過ちの蓄積を吸収、消化していないか、故意に無視しているのかがこれでも分かる。
 
6.オバマ政権の軍事戦略
 
オバマ政権はブッシュが始めた「対テロ戦争」の終結に追われてきた。オバマはもはや「対テロ戦争」を口にしない。しかし、かれが平和の使者でも何でもないことは、リビア内戦に際してNATOが行ったいわゆる「反乱軍」を支援する作戦に同調し、あまつさえ、カダフィという主権国家の最高権力者を打倒するという、いまだかつてないようなことをオバマ政権は支持、支援したことでも分かる。
 
また、東日本大震災のときに、アメリカ第七艦隊が「トモダチ作戦」と称して被災地を支援し、被災者は非常に感謝したと宣伝されている。けれども、実は「トモダチ作戦」とは、オバマ政権が推進している、平時から戦時に至るまでシームレスに対応できる軍事態勢を構築するという戦略に基づくオペレーション、つまり軍事作戦行動でもあった。つまり、どこで何が起きても、アメリカが中心となって多国籍軍方式で対応するという軍事戦略の実践でありオペレーションだったのだ。そういうことで、オバマ政権も集団的自衛権行使の拡大に一貫して取り組んできている。
 
しかし、最近、ウクライナ問題でアメリカは非常に大きな壁にぶつかっている。ロシアがクリミアの住民投票の結果を受け入れて、クリミアをロシアに編入したことに対し、アメリカは「ロシアの拡張主義」だとか「覇権主義」だとか、ロシアがけしからんことをやっている、と非難している。確かに、国家の主権尊重、領土の保全という国際法上の原則からすると、ロシアの行動は非難の対象となる。けれども、クリミアについては本当にその原則だけで杓子定規で測っていいのか、とわたしは思う。
 
というのは、国際法には「民族(人民)自決」という原則もあるからだ。詳しいことは省略するが、クリミア住民の行動は民族自決権の行使であるとロシアは主張している。また、ロシアは、かつてコソボがユーゴからの分離独立を求めたとき、アメリカ以下の西側諸国はそれを認め、支持したではないか、ロシアはその先例に従ったのだともしている。クリミアは元々ロシアの一部だったという歴史もある。 今回の場合、もしロシアが軍事的に弱小だったならば、アメリカはNATO軍を動員して、プーチンの動きを阻止しようとしただろう。けれども、オバマはやらないし、やれない。わたしが非常に興味深く思っているのは、けっきょくアメリカは、ロシアや中国のような、アメリカにはかなわないが、しかし、アメリカが攻めてきたときにすぐに白旗をあげるということではない、それぐらいの強大な軍事力、民族的気概を持った国に対しては、軍事力行使はできないということだ。
 
今度のオバマのアジア四か国歴訪のときの記者会見で明らかになったことは、そういう国々との間では軍事力行使というオプションはない、とはっきりと言っていることだ。日中間で緊張が高まっている尖閣問題に関しても、軍事的解決はありえない、と実に率直に発言している。
 
わたしは決してオバマ政権に対して幻想を持っているわけでない。むしろそうではなくて、オバマ政権は、軍事力行使ができる場合とできない場合とに線引きしているということなのだ。軍事力行使でいけると判断すれば今後もやるだろう。しかし、ロシアや中国が相手となると、せいぜいやれることと言えば、制裁までだ。
 
以上に述べてきたように、一九九〇年代以後のアメリカの軍事戦略は、①アメリカの軍事主導権は手放さない、しかし②アメリカの財政力・経済力の衰えをカバーするためにNATO 、日米同盟などをフルに動員し、多国籍軍方式で世界ににらみを利かせる、しかも③アメリカにとって死活的関心がある問題については自らが先頭に立って実力行使をためらわないが、自らの死活的利益にかかわらない場合は、アメリカとしては手抜きをし、国連の軍事機能や地域機構の軍事力を活用するという方向を追求してきた。日本に対する軍事要求はその一環としてある。このアメリカの軍事戦略に全面的に応え、アメリカ主導の軍事力行使にも、また国連の軍事機能にも積極的に参加していこうというのが安倍首相のいう「積極平和主義」であるということだ。そのために是非突破しなければならないのが第九条の壁であり、「集団的自衛権の行使はできない」とする法制局の憲法解釈である。
 
7.ポツダム宣言が戦後日本の原点
 
そこで、冒頭に話した柱の二番目、日本国憲法と集団的自衛権に話しを進める。
 
まず、吉田茂首相はかつて、日本国憲法を審議した国会答弁において、自衛権そのものを認めるのもおかしいと発言したこともある。それは当時としては当然なことで、アメリカが日本をポツダム宣言にもとづいて徹底した非軍事化をさせることを対日占領政策の中心に置いたのだから、自衛権についてまともに考える余地はなかったまでのことだ。しかし、中国が社会主義化し朝鮮戦争が起こると、アメリカは対日政策をドライに転換し、「日本は自分で自分を守れ。アメリカはそこまでかまっていられない」と日本に再軍備を要求するようになった。
 
このアメリカの要求に応じるため、法制局が、日本国憲法第九条は固有の自衛権まで否定したものではないとする理屈を強引に編み出した。本来であれば、第九六条改憲という手続きを踏むのが立憲主義からすれば当然なのだが、敗戦直後の国民感情は圧倒的に反戦・厭戦だったから、政府にはまったく成算がなかった。そこで第九条の解釈を変更するという「禁じ手」に手を染めたというわけだ。
 
しかし、当時の政府・法制局はポツダム宣言を履行する日本国憲法という本質、特に徹底した非軍事化を要求する同宣言の趣旨を担保するものとしての第九条ということは理解していたから、第九条の解釈を変更するとしても、徹底して自己禁欲的でなければならないという意識は働いていた。アメリカの身勝手な要求とポツダム宣言との間での苦肉の策として、法制局が編み出したのが、「第九条は国家固有の自衛の権利まで否定しているとは言えない」という理屈だった。しかし、その理屈自体が無理やり編み出したものであるから、「自国が攻撃されていないのに、他国が攻撃されたときに、その国と一緒に戦う」という集団的自衛権行使までは到底認める余地はありえない。固有の(個別的)自衛権はあるということですら無理やりの解釈でこじ開けたわけだから、それをさらに広げて集団的自衛権行使も憲法九条は認めています、などということはありえないということだ。第九条について考えるときには、ポツダム宣言を抜きにしては語れないし、抜きにした議論はあり得ないということを、私たちは片時も忘れてはならないのだ。法制局はポツダム宣言を口にしないが、そういう認識は踏まえていると思う。
 
もう一度繰り返すが、ポツダム宣言は日本の徹底した非軍事化を要求している。日本はそのポツダム宣言を忠実に履行することを約束し、それをアメリカ、イギリス、中国などは受け入れて日本の降伏が実現した。だから、ポツダム宣言下では、日本が軍事化するということはありえない話なのだ。ギリギリの固有の自衛権のみが辛うじて認められている。それが集団的自衛権までも認めるということになったら、日本はポツダム宣言を忠実に履行するという厳粛な国際約束を一方的に破ることになる。
 
わたしたちはポツダム宣言が戦後日本の原点なのだという認識を再確認しなければならない。日本国憲法はポツダム宣言を履行するための国内法としての本質が明確にある。そのことを踏まえれば、集団的自衛権行使などということはそもそも考える余地もない、ということが自動的に出てくる。
 
中国にしても韓国にしても朝鮮にしても、日本に対する視線はポツダム宣言に基づいている。かれらからすれば「ポツダム宣言で戦争しないと国際的な約束をしたではないか。だから、わたしたちは日本を許したのだ。戦争する国になるというのはとんでもない」という話になるのは当然だ。
 
日本は国連憲章を受け入れて、国連に加盟したから、国際法上は集団的自衛権というのは国家の権利としてあるとは言える。それは国連憲章五一条に書いてあるからだが、日本国憲法は国際法より上に立つ法規だから、日本国憲法によって集団的自衛権行使はありえない。
 
8.法制局による自衛権の拡大解釈
 
戦後、法制局はなにをやってきたのか。初めは、非常に小さく限定的に解釈していた自衛権を法制局はどんどん大きくしていった。国際紛争解決の手段としての戦争ができないというタテマエは維持せざるを得ないが、固有の自衛権の範囲を限りなく拡大しようと解釈改憲を繰り返してきたのが法制局である。ただし、法制局は解釈改憲だとは絶対にいわないけれども。
 
例えば、自衛権はあくまでも自分を護るための実力行使だから、海外派兵はありえない。ところが、法制局は、一九八〇年頃から、「海外派遣」と「海外派兵」とを分けるという説明をしはじめた。それはどういうことかというと、実力を行使することを目的とした自衛隊の海外派遣は、憲法が禁じる海外派兵だけれども、実力行使を目的としない自衛隊の海外派遣は憲法の禁じるところではない、という主張だ。
 
次に、いわゆる「後方支援」に関しても法制局は無理やりの説明をして自衛権行使の幅を広げた。「後方支援」は、国際的に戦争の一部を構成する兵站に当たる。しかし、アメリカに対する後方支援を行うことを可能にするため、法制局は、戦場とは区別される地域での支援を行うことを憲法第九条は禁じてはいないとして、「後方地域支援」という概念を無理やりつくり出した。
 
さらに法制局は、「武力行使と一体化」という奇妙奇天烈な概念までつくり出した。「わたしは絶対に武力行使と一体化すると見なされる行動には関わりません。その限りで、アメリカに協力します。これは憲法の禁じる武力行使に当たりません」というものだ。
 
極めつけは、イラク戦争で自衛隊をイラクに派遣することを正当化するために持ち出した「戦闘地域」という説明だった。法制局の理屈は、「戦闘地域に自衛隊を派遣することは憲法第九条が禁じている。しかし、非戦闘地域に自衛隊を派遣することは禁じていない」というものだ。
 
「海外派遣」にしても「後方地域支援」にしても「武力行使との一体化」にしても、「非戦闘地域」にしても、国際法的に言ったら、すべて、集団的自衛権行使の範疇に入る。ところが、法制局は日本語が孤立した言葉であることをいいことに、国際的に到底通用しない、いわば言葉の遊戯でしかない議論を大まじめで行ってきたのだ。法制局長官経験者が、集団的自衛権行使は憲法上認められない、解釈改憲は立憲主義に反すると公然と言いだしてから、彼らが護憲の担い手であるかのような錯覚に陥っている人が多いが、私に言わせれば、それはとんでもない話だ。
 
9.小泉でも超えられなかった一線
 
なぜ安倍政権が現在しゃかりきになって、集団的自衛権の行使に踏み込もうとしているのだろうか。その点を正しく理解する上では、一九八〇年代後半からの動きについても理解しなければならない。
 
湾岸危機・湾岸戦争前に「米ソ冷戦」が終わる。その事態を前にして、ソ連に軍事的に対抗することを存在理由としてきたNATOは、新しい時代における存在理由は何かという問題意識に基づいて、八〇年代後半からものすごい議論を行なってきた。したがって、湾岸危機・戦争が起こったとき、NATO諸国は間髪入れずに対応できる、思想的・政策的・法的準備ができていた。それに対して「一国平和主義」に浸りきっていた日本は主体的に行動できなかった。それに業を煮やしたアーミテージが「カネだけでなく、血も流せ」と迫ってきたというわけだ。ちなみに、NATOはこの戦争を踏まえて、一九九一年に新戦略概念というものを定めた。
 
日本は、一九九三年から一九九四年にかけて起こったいわゆる「北朝鮮の第一次核疑惑」と言われている事態でも翻弄された。朝鮮は、ソ連が崩壊し、中国も改革開放で朝鮮をかまっていられない状況に直面して、国際的に非常に孤立した。そういうときに、アメリカが朝鮮の核疑惑なるものを持ち出して、朝鮮に対して本格的な武力行使を行おうとした。そのときにアメリカは日本に、一緒になって戦争をしろ、日本全土を基地にしないと戦争を続けられないから、その備えを用意しろ、と要求してきた。

日本政府は慌てて検討したけれども、何もできなかった。それは当たり前だ。日本は平和憲法のもとで有事法制もない、国民総動員体制もないから、戦争ができっこない。カーター元大統領が金日成と話をつけたこともあって、戦争は辛うじて回避されたが、アメリカはそれに懲りて、国防次官補だったナイによる「ナイ・イニシアティヴ」で日本に迫り、日米防衛協力の指針が一九九七年にでき、日本をNATO化する動きがこれ以後本格化することとなった。
 
その後、NATOは「人道的介入」と称してユーゴ空爆を行い、一九九九年にさらに戦略概念の更新を行った。そして、それを基にして、二〇〇一年以後のアメリカの対テロ戦争にNATOは全面的に関わっていくこととなった。
 
日本は、九〇年代の後手後手の対応に終始した事態に懲りて、小泉政権のもとで、しゃかりきに動こうとした。アメリカと一緒になって、戦争できるようにしようとして、有事法制、国民保護法という名のもとの国民動員体制、日米同盟再定義と進んでいく。けれども、強引を極める小泉政権をもってしても、「集団的自衛権の行使は憲法上認められない」とする最後の一線は越えられなかった。その小泉政権で官房副長官を務めていたのが、安倍晋三氏である。安倍氏は小泉政権のギリギリまでの努力をみて、最後の一線を越えないことには対米前面軍事協力は行えないという問題意識を持ったのだろう。それが、安倍政権の問題意識ということだ。
 
オバマ政権としては、集団的自衛権行使問題を乗り越えないと日米同盟の完結はありえないと踏んでいる。だから、今度の安保法制懇の報告にもいち早く歓迎を表明した。
 
オバマ政権の対外戦略を特徴づけるのは、アジア回帰/リバランス戦略だ。その狙いは、対等が著しい中国を軍事的に牽制し、押さえ込むことにある。しかし、アメリカ経済を浮揚させることもオバマ政権の最大課題であり、その点からすると、いまや世界第二位の経済大国である中国との関係を増進させることも至上課題であることをオバマ政権は熟知している。「抑止」と「関与」という相矛盾する要請をともに満たすという課題をオバマ政権は抱え込んでいるのだ。対中抑止力を高めるために、安倍政権の集団的自衛権への踏み込みは歓迎する、しかし、米中経済関係を壊すことに直結するような、安倍政権の対中強硬一本槍の政策に対しては距離を置く。日本のアメリカへの信頼をつなぎ止めるためには、日米安保条約は尖閣にも適用があると言わざるを得ない。しかし、安倍政権が暴走する危険性に対しては、領土問題の「軍事的解決はあり得ない」と釘を刺すことを忘れない。要するにアメリカ・オバマ政権が日本に対して求めているホンネの部分は、アメリカの言うなりに動く日本であれ、ということだ。
 
ところが、安倍政権がわたしたち主権者国民に、「アメリカの言いなりになるためには集団的自衛権行使への踏み込みが不可欠です」と正直ベースでアプローチするとしたら、いくら保守的な人でも、「とんでもない」と反発することは目に見えている。だから、安倍政権は中国脅威論を押し立ててくるというわけだ。もともとは朝鮮脅威論だったのだが、二〇一〇年の尖閣問題以来、ここぞとばかりに中国脅威論を言い出した。つい先頃までは「北朝鮮がミサイルをとばしたらどうする」式の議論だったが、今や、「中国が攻めてきたらどうする」「尖閣に中国の武装集団が上陸したらどうする」式の議論が国内を席巻している。中国が日本を攻めてきたらどうする、と言われれば、多くの日本人は「それは大変だ。アメリカに守ってもらわなければ不安だし、そのためにはアメリカと協力することも必要だ」ということになる。これは多くの世論調査が示しているとおりだ。まさに尖閣有事、日中対決を全面に押し出すことによって、オバマのアジア・リバランス軍事戦略に参加することへの国民の支持を獲得するというのが安倍政権の本音だと思う。ただし、安倍政権の危険極まりない本質は、中国脅威論が対米軍事協力を正当化するための煙幕であるにとどまらず、本気で中国とことを構えようとしていることだ。そのことを端的に示すのが、今回の安保法制懇の報告がことさらに提起した「グレーゾーン」だ。
 
10.安倍政権の狙いは戦後政治の否定
 
安倍政権が最終的にめざすものは何か。単に集団的自衛権行使、憲法九条の「改正」だけではない。戦後政治そのものを否定することだ。かれにとって、ポツダム宣言を受け入れて、平和国家として生まれ変わった日本ということがそもそも気に食わない。だから、それを全否定したい。かれのやりたいことは、具体的には以下の四点がある。第一、戦後史観を皇国史観に改める。第二、「国民が国家の上に立つ」あり方を改めて、「国家が国民の上に立つ」あり方として、国家あっての国民とする。第三、象徴天皇を元首天皇にする。第四、日本国憲法を「自主」憲法に改める。この四つを盛り込んだのが、自民党改憲草案である。
 
国際社会で、「力によらない」平和を構築するというのが憲法九条の理念だ。ポツダム宣言を受諾した日本にとって軍事立国はあり得ない。日本が勝手にポツダム宣言を否定して戦後国家のあり方を変えるということは、戦後の東アジアの国際秩序を否定するということでもある。そのポツダム宣言をなきものにすることを狙って、安倍は靖国参拝をしている。領土問題は、ポツダム宣言第八項にしたがって解決済みだ。そこでは、日本が領土として認められたのは、北海道、本州、九州、四国だけで、残りのすべての島は連合国(米英中ソ)が帰属を決めるとしている。日本は、自分の固有の領土であるとかないとか、言う立場にない。それを安倍は否定しようとしている。そして、憲法も憲法三原則プラス立憲主義を否定するというところに、かれの狙いがある。
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/912-5b885c58