承前
 
ある人の反論3 
たとえ専門家であっても、そして、そこで問題になっていることがらがたとえ「現在の通説と大きくかけ離れたものであっても、これを『真実と異なる』と簡単に断じることはすべきではない」ということでした。で、あるならば、素人ならば、すなわち一般人であるならば、素人は専門家と比べて専門的知識は圧倒的に少ないわけですから専門家さえ「簡単に断じることはすべきではない」ことならばなおさら「簡単に断じることはすべきではない」というように判断するのがふつうの態度というものではないでしょうか?
 
ここがおかしいと思います。専門家や権威は、それをそのまま信じる人がいてもおかしくはないでしょう。なぜなら、そのことに精通していると社会全般が認めているのですから。そういう自覚をもてば、偏りのない公正な結論を出すべく心がけが一番重要であることは当然のように思います。
 
一般人は、関心の高い人は当然ながら自分の意見を述べようとします。断定もするでしょう。自分が直接利害をもつこと以外,関係ない!知らない!では本当に寂しい世の中です。それはまさに利己的人間の社会と言えるでしょう。一般人が、この世の様々な事象に広く関心をもち考え意見を述べる社会が望ましいと私は思います。私たちは非専門家だ!専門家の意見を信頼してそれに従おうではないか・・こういう盲目の姿勢が専門家の気のゆるみを誘い、今回の福島の事故の原因になったという反省をもう忘れてしまったのでしょうか。
 
けれどもそれは、あくまで非専門家,権威でない方の意見であり、当然ですが受け取り側が知っています。無論、先のメールにも書いたように,悪ふざけは許されませんが,そうでなければ受け取る側が,一般人が考え書いたものだと知っているが故に問題ないでしょう。
 
それは、一般人が書いた内容が専門家の内容に劣るものであることを意味しません。“○○村”と言われますが,専門家の集団が私利私欲から(例えばお金をくれるとか、出世させてくれるとか)、調査の結果を歪めてしまうこともこの社会には多々あります。またそうでなくとも専門家任せの姿勢では、専門家の油断を導くでしょう。そんな場合は、その専門家集団の結論よりも、一般人の率直な直感の方が正鵠をつくでしょう。
 
先に述べたノバルティスの医学知見の事例は、まさにその道の超専門家、権威者が集団でデータをある方向に歪めた結論を導いたかどうかが問われています。こういうデータはものすごい微妙なのです。そのデータが公開されて、素人がつぶさにそれを見ても簡単には見抜くことができないと思います。それゆえにそのデータを解析し結論を出す専門家が,ある特定の結果が欲しい団体からお金をもらっていたとか、お金をもらっていずとも関わっていたとか、それが考慮される訳です。これが「利益相反」の意味です。
 
国会議員の公開の席上での「鼻血」の発言は、その国会議員の立場がどうであれ,明らかに今回の「鼻血問題」のずっと前の事象であり今回の「鼻血問題」との脈絡はありません。一方、医師会の調査は3万件以上、過去のデータを多数含むということですが、「鼻血問題」が起こった後の対応であり,今回の「鼻血問題」との深い脈絡があります。前回も書きましたが、安全だ!安全だ!というデータを見せられても疑惑は消えないのです。データを公開するから文句があるならそちらで調べろと言われても、3万件以上のデータを、そんな時間も労力も取れず無理です。また先に書いたノバルティスの知見のように、素人がぱっと見せられて、どうだ!間違いないだろう!問題ないな!と言われても判断不可能です。また素人がそんな無理な判断をする必要はないのです。
 
ある人への再反論3
第6。再び「一般人が『自分はこう思うと断定』しても問題ない」(第4の問題)という問題について。
 
はじめに〈自分はこう思う〉という「主観的な断定」と〈個々の主観の恣意を離れて普遍妥当性をもっている〉(大辞林)という意味での「客観的な断定」の違いについて整理しておきたいと思います。ある人は両者の違いを無視されている。あるいはおそらく無自覚的に混同されているように私には見受けられます。
 
「主観的な断定」は私もたびたび行います。「私はこう思う」という形で。上記の「私には見受けられます」という表現も一種の「断定」といえなくもありません。したがって、そういう意味での「主観的な断定」は、誰にでもありうる表現方法といえるものですし(左記の意味で「客観的」)、私も問題にすべきものだとは思っていません。ここで私が問題にし、石森弁護士も問題にしているのは、「『自分はこう思う』という主観的事実でしかないものを『いとも簡単に客観的事実として『断定』する」『美味しんぼ』の作者の表現姿勢の問題です。主観的事実でしかないものを客観的事実のように語ってはいけない、ということです。
 
この表現姿勢の問題については、「専門家」と「一般人」の違いはありません。専門家であれ、一般人であれ、誰であれ、主観的事実でしかないものを客観的事実のように語ってはいけない、ということです。これは一般に「コモンセンス」(常識、良識)と呼ばれる問題です。法律の言葉でいえば「信義則」の問題と言ってよいかもしれません。その誰であれ行ってはいけないことを『美味しんぼ』の作者はドキュメントとして行使している。その行為は批判されなければならない、と私は思います。
 
第7。ある人の議論のここでのもうひとつの問題は、いたずらに「専門家」と「一般人」との違いを強調しすぎているきらいがある、ということです。ある人は、「専門家や権威は」「そのことに精通していると社会全般が認めているのですから」、「それをそのまま信じる人がいてもおかしくはない」と言います。しかし、それは違うと思います。「専門家」や「権威」のその分野における見解は「尊重するべきだ」ということは言えます。しかし、そうは言えても、「そのまま信じる人がいてもおかしくはない」とは言えないはずです。「そのまま信じる」というのは「盲目的に」ということとほとんど同値です。そうした「盲目的」な態度は、宗教者の「信」の問題は別として、科学が進歩した時代の現代人のとりうるべき態度とはいえないでしょう。「専門家」であれ、「権威」であれ、その見解は、常に現代人(コモンセンスの人)としてのおのれの自意識を通過したものでなければならないでしょう。近代以来、すなわち、デカルトの「Cogito, ergo sum」の時代以来、現代人の自意識は、「そのまま信じる」という態度とは訣別してきたはずです。
 
一方で、ある人は、いわゆる一般人の意見について、「あくまで非専門家,権威でない方の意見であり,当然ですが受け取り側が知っています」とも言います。しかし、一般人を「あくまで非専門家、権威でない方」という決めつけ方も違っているように思います。戦前、戦後の一時期と比較して大学進学率、大学卒業者は抜群に上昇し、もちろん誇張ですが、いまや「総知識人時代」といわれる時代です。一般人の中には相当数の「専門家」も存在しているというのが現実です。一般人=非専門家という等式はいまや通用しがたくなっています。それを一般人=非専門家のように決めつけるのは時代錯誤的です。そうした二重の錯誤が「専門家」と「一般人」との違いを強調しすぎることにつながっているように見受けられます。
 
では、「専門家」と「一般人」の違いをどう見るか。この問題を考えようとする場合、チョムスキーの「社会分析と『専門家』」という論攷が参考になるように思います。以下は「社会科学」に関するチョムスキーの見解ですが、要点箇所のみ引用しておきます。
 
「イデオロギーの分析の場合、視野の広さと知力とがいささかあり、それに健全なシニシズムがあればたくさんだ。(略)こういうわけだからこそ、専門の訓練を積んだ知識人だけが分析的な仕事をできるといった印象を与えてはいけないわけだ。それがまさしく、インテリが信じ込ませようとしていることなのだから。インテリは、門外漢にはわからない、ふつうの人のうかがい知ることもできない企てに自分が参加していると称する。これはまったくのナンセンスだ。社会科学一般、とりわけ現代の事件の分析は、これに十分関心をもとうとする者ならだれにでも完全に手が届く。こうした問題の「深奥」とか「抽象性」とかいったことは、イデオロギーの取締り機構が撒き散らす幻想に属するもので、そのねらいは、こうしたテーマから人々を遠ざけることにある。人々に、自分たち自身の問題を組織したり、後見人の仲介なしに社会の現実を理解したりする力がない、と思いこませることによって、だ。(略)イデオロギーの分析の場合には諸事象をしっかりと見つめ、議論を深めていく意志があれば十分だ。デカルトの良識、「もっとも公平に配分されているこの世のもの」、これだけが必要なのだ…。デカルトの科学的なアプローチとはこのことだ――つまり開かれた精神でもって事実をみつめ、仮説を検証し、そして結論に到達するまで議論を深めていく意志のことだ。これ以上には、門外漢にわからないような特殊な知など、これっぽっちも必要ではない。たとえ「深奥」を究めるためでもだ。だいいちそんなものは存在しない。」
 
第8。「相馬郡医師会の鼻血に関する調査結果」は信用できるか、という問題について。今回の相馬郡医師会の鼻血調査は、『美味しんぼ』鼻血騒動が起こったから、その「鼻血」問題の真偽を確かめるために自民党環境部会が相馬郡医師会に調査を依頼したという経緯を経ての調査ですから当然「『鼻血問題』が起こった後の対応」であることはいうまでもありません。しかし、そのことと相馬郡医師会の鼻血調査に信憑性はあるかという問題は別のことです。過去に「安全だ!安全だ!というデータを見せられても」そのデータは信用できるものではなかったから今回も信用できないという論理は成立しません。
 
データに疑義があるのであれば、そして、データ疑義を提起するのであれば、原則的に同疑義を主張する者に立証責任はあります(wikipedia『説明責任』)。データは偽造されたものであるのか、あるいは改竄されたものであるのかについてはコンピュータの専門家に調査を依頼すればすぐに判明することです。疑義を提起する以上、費用、時間等を含めてその程度のリスクは負わなければなりません。特別な場合を除いて(原告では証明資料が入手しがたいなど。しかし、今回の場合は違います)「素人がそんな無理な判断をする必要はない」ということにはなりません。素人で判断が無理だという場合は専門家の助けを借りればよいのです。
 
バルサルタンの臨床試験疑惑の場合は、医学的に測定されないはずの血液に関するデータが論文にあることに一人の医師が気づき、日本循環器学会にメールで通報したことが疑惑表面化へのきっかけになったといわれています(毎日新聞 2014年6月2日)。
 
第9。関連して、東京新聞2014年6月7日付けに掲載された玄侑宗久さん(作家、福聚寺住職)の『美味しんぼ』批判をご紹介しておきます。『美味しんぼ』批判者を原発推進勢力などと言うべきではありません。玄侑宗久さんは「原発には私も反対です」(ビッグコミックスピリッツ25号)と明確に述べています。
 
うゐの奥山」其の弐拾七「福島の真実」?(東京新聞 2014年6月7日)
 
「福島の真実」が書かれているというので「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中の漫画『美味(おい)しんぼ』を読んでみた。すると、原作者の雁屋哲(かりやてつ)氏の分身とも思(おぼ)しき山岡某が、福島第一原発を視察しての帰京後、鼻血を出す。さぞや甚大なストレスだったのだろうと、同情して読み進めたのだが、やがて双葉町の元町長だった井戸川克隆氏が作中とんでもないことを言い出す。「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」。そして一緒に福島に同行した二人も「自分も鼻血が出た」と同調し、かくて福島では鼻血が出やすいけれど、それが隠されているという「真実」ができあがっていたのである。
 
笑っちゃいそうだが、笑いにはならない。なにゆえこのような「真実」ができあがるのか、深刻に考えるまえに、一応、富岡町、葛尾(かつらお)村、大熊町、元の都路(みやこじ)村などの知人に訊(き)いてみた。誰にもそんな認識はない。多くは血ではなく、鼻から乾いた嗤(わら)いを漏らした。
 
不快には思いつつも、しばらく放置していたら、五月四日になって雁屋氏が自らのブログに不適な文章を載せた。「私は自分が福島を二年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘(うそ)を書けというのだろうか」
 
二年間に六回の取材がどの程度熱心なのかは分からないが、これは双葉町の抗議文にもあるように、そもそも事実に反している。「誰かさんに」どころか、「自分たちに都合の良い嘘」と呼んでもおかしくない話である。
 
鼻血については、これまでにも札幌に避難した母親が参議院で訴えたことがある。しかしいずれも急性被曝(ひばく)とは考えられない以上、むしろ甚大なストレスを疑うのが医学的な常識というものだろう。
 
怯(おび)えや緊張、慣れない福島滞在によって呼吸があさくなり、自ら活性酸素も増やしてしまい、弱っていた鼻腔(びこう)の粘膜が破れたのではないか。あるいは粘膜の再生を促すビタミンAの不足も疑ったほうがいい。強い怯えが体調をどれほど左右するものか、甘く見てはいけない。だからこそ、怯えながら取材した人々や、故郷を離れて見知らぬ土地で暮らす人々のストレスこそ甚大だと思うのである。
 
全国各地の放射線量の推移や、国内での放射線量の偏りなど、少し広く深く、放射線について学んでは如何(いかが)だろうか。どこの国でも放射線量は場所によって偏りがあるわけだが、現在の日本は、福島県も含めて恰度(ちょうど)カナダと同じ程度の線量分布である。少しでも余分な不安を解消し、鼻の粘膜が回復することをお祈りしたい。
 
だいたい、鼻血が出るのにそれを人に言わず、隠している人が大勢いるという話を雁屋氏は信じたようだが、もしもそれが本当なら、私も是非(ぜひ)取材したい。いったいどういうわけで隠すのか、どうしたら隠し果(おお)せるのか、知りたいではないか。
 
ああ、谷岡ヤスジ氏の「鼻血ブー」という、長閑(のどか)な驚きの表現が懐かしい。
 
(福島在住の作家、僧侶)
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