森中さん
 
ダイヤモンド・オンラインの2014年5月30日号に掲載されているジャーナリストの江口晋太朗氏の「問われているのは日本のプリンシプル 民主主義のプロセス軽視の行使容認に反対」という論を「冷静」な論と評価されておられるようですが、見る目を誤っていると思います。
 
江口氏の論はたしかにその冒頭で「たとえ憲法改正ではなく解釈改憲とはいえ、国のあり方を規定する憲法に対する認識を問うものに対して、主権者である国民の共感なしに行うのは、そもそも国民主権の原理に反する行為である」と述べて「集団的自衛権」の行使容認には反対するスタンスを示していますが、その論では「議論を通じ、投票などによる国民の理解も得られた上で、運用ルールに対してもより明確に定めることができれば、集団的自衛権の行使は可能かもしれない」とも述べています(p1)。
 
上記の論で「投票」とあるのは「投票などによる国民の理解」という言葉からも国民投票のことを指しているでしょう。そして、上記の論に「議論」とあるのも「国会の中での議論」のことではなく、「国民の間での議論」を指していることはこれも文脈上明らかです。
 
そうであるならば、上記の江口氏の論は、憲法96条1項前段の国会発議要件(各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議)を軽視して同上1項後段の「国民投票」要件のみを特に重視しているという点で立憲主義の重要性を言いながら、その立憲主義のなんたるかをよくわきまえないきわめて主観的な論であることを指摘しておく必要があるでしょう。
 
憲法学の泰斗の樋口陽一東大名誉教授は憲法96条の国会発議要件について次のように述べています。
 
「96条はこれは憲法の前文の言葉ですけれども『正当に選挙された国会』で三分の二以上の合意が得られるまで熟慮と議論を尽くす。それでもなお残るであろう三分の一の意見を含めて十分な判断材料を国民に提供するのが国会議員の職責である。――96条の意味はそういうことであるはずです。」(「『96条の会』発足記念シンポジウム講演」26:14頃)

憲法研究者の上脇博之さんも「姑息な安倍改憲の危険性~96条先行改憲、解釈改憲、立法改憲~」という論攷の中でこの点に触れて次のように述べています。
 
「日本国憲法の改正手続は、国民投票だけで決まるのではなく、国会の発議とセットですし、かつ国会の発議なしには国民投票もありえないのです。それゆえ、国会の発議を軽視することは、日本国憲法の硬性性を正しく理解していないことになります。」
 
国会発議要件を軽視した憲法改正「国民投票」論は、上記に見た立憲主義の本質性を理解していないがゆえにしばしば危険な論へと転化します。橋下大阪市長の「日本の憲法改正手続きの一番の特徴は『3分の2以上』の発議ではなく、最後に国民投票にかけるということだ」という江口氏とほぼ同様の憲法改正「国民投票」論は集団的自衛権の容認、憲法「改正」容認の主張とセット売りの主張であったことを顧みれば、そのことはほぼ自明でしょう。
 
江口氏の論を安易に「冷静」な記事と評価するのは危険なことのように思います。
 
ただし、解釈改憲、集団的自衛権容認に抗するための憲法研究者、ジャーナリストなどの大同団結、統一戦線の立場からは、江口氏のような論者との共闘もおおいに重視しなければいけないことは言うまでもありません。
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