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本ブログの「今日の言葉」の2014年5月11日から同年5月29日にかけての記録です。


集団的自衛権の行使容認の根拠
として、最高裁砂川事件判決の代わりに政府が持ち出してきたのが、自衛権行使の範囲を示した1972年の政府見解「集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」だ。(略)政府は72年見解をベースに、73年には政府の国会答弁で、(1)わが国に対する急迫不正の侵害がある(2)これを排除するために他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと−−との「自衛権発動3要件」を示した。この3要件を政府は現在に至るまで、自衛権の発動として武力行使する際の要件にしてきている。これは、(1)と(2)の二つの条件が満たされて初めて武力行使が可能となり、行使する際には(3)の必要最小限度にとどまるべきだ−−と定めていると一般的には解釈されてきた。これに対して、今回の政府の考え方は、(3)の必要最小限度に重点を置くことで、(1)の条件を満たさなくても、「必要最小限度」であれば集団的自衛権も行使できるとの見解を導き出そうとしているとも受けとれる。(略)「これでは何でもできることになりかねず、スーパー必要最小限度になってしまう」との声すらある。(
毎日新聞 2014年05月11日

国家総動員法(略)の国会審議の過程で、有名な
「黙れ」事件が起きている。(略)「黙れ!」と叫んだのは、陸軍省の説明員として出席していた佐藤賢了。(略)法案の精神や個人的な信念を滔々と演説した佐藤に「やめさせろ」「やめろ」と野次が飛んだ。そのとき、政府の説明員に過ぎない佐藤が、国会議員に対して「黙れ!」と怒鳴りつけたのだ。軍人の傲慢極まれりという象徴的事件として語られる。戦後、半藤は、その佐藤賢了をインタビューしたことがあるという。佐藤は、次のようにまくし立てたそうだ。「いいか、国防に任ずる者は、たえず強靱な備えのない平和というものはない と考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは幻想にすぎん。いいか、その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」半藤は述懐する。「この元軍人には反省という言葉はないと、そのとき思った。(略)いま、政治の場での、憲法解釈変更の集団的自衛権行使論議をみていると、奇妙なほど佐藤賢了氏の壮語が想起されてくる(略)国家総動員法の成立が国家滅亡の一里塚となったような危険を、集団的自衛権はこの国にもたらす。そんな予感が消せないでいる。」(澤藤統一郎の憲法日記 2014年5月11日

(承前)5月10日付毎日の「保阪正康の昭和史のかたち」(略)「『
統帥権の独立』は、明治憲法には明記されていないが、この語が昭和前期を軍事主導体制一色に染めたことは否定できない」「統帥権を手にした軍部は、やりたい放題、国民の生命と財産の保全なんか二の次であった」(略)「憲法が、昭和のある時期から、こうした不明朗な語を用いることで権力構造を歪めてしまったのはなぜだったのか。私たちは今この事実と向き合う必要がある」(略)保坂は、今を昭和前期の過去になぞらえる。(略)「安倍内閣の閣議決定が憲法よりも上位に位置し、それを主権者の国民には知らせない『特定秘密』にするという時代私は恐れるのである」半藤保阪も、保守陣営の人という印象が強い。その両人がそろって、戦前の歴史と比較した安倍政権の危うさを、ここまで深刻に語っている。(略)半藤は、集団的自衛権行使論議が行われる時代の状況を、国家総動員法の時代を想起させるものという。総動員法成立の後3年で、日本は太平洋戦争に突入している。 保坂は、「解釈改憲+特定秘密保護法≒統帥権干犯論」という定式を掲げている。なるほど、憲法がないがしろにされるときは、戦争が近づいているときなのだ。 昭和史研究者の貴重な警告を、真剣に受けとめねばならないと思う。(澤藤統一郎の憲法日記 2014年5月11日

5月3日の(略)全国憲法研究会主催「憲法記念講演会」には、1000人を超える方々が参加してくださった。(略)講演は、
香山リカ(精神科医・立教大学教授)の 「憲法を『精神分析』する――精神科医から見た意義と解釈」と石川健治(東京大学教授)「エンジン・ステアリング・コントロール――クルマではなく憲法のはなし」。(略)二人の講演で浮き彫りになったのは、安倍政権が「他者」性を意識的に排除して、権力の自己抑制を喪失していること、そのことがもたらす立憲主義の深刻な危機である。日銀総裁や法制局長官、NHK会長などをすべて自分と同意見の人にすげかえ、自分と異なる意見の人を決して加えない諮問機関を憲法解釈変更の根拠に使うという異様・異常な政治手法の数々。(略)この安倍「新自己チュー政権」に対して、身内からも批判的な声があがり出した。岩波書店の雑誌『世界』6月号に、野田聖子自民党総務会長のインタビュー記事が載っている。5月号村上誠一郎元国務大臣に続く党内からの批判である。(略)今週以降、憲法をめぐる問題は正念場を迎える。(水島朝穂 今週の「直言」2014年5月12日

自明とされ、だれもがよく見なれた現象=〈いま〉を、根もとからくつがえす視力なしに、集団的自衛権行使容認のプロセスを断つことはできない。自明とされ、よく見なれた現象とは、よくよくかんがえれば、〈わたし〉じしんでもあり、それぞれが〈わたし〉を転覆する持続的意思なしには、この流れを阻むのはむずかしいだろう。多くの者は、このうごきに、ほとんどあらがわずして諦め、予め断念している。
石原吉郎もよくつかった「断念」は、だが、おもえばずいぶん怪しい言葉じゃないか。「断念」は、抵抗よりも、この国の湿度に受けいれられやすい。そうこうするうちにも、新たな戦前がきている。新たとはいっても、「総力戦」が戦われた1940年代への過程とどこか相似する点でも、「現在の戦前」は、ひょっとしたら、「かつての戦前」から連綿とつづいている川の眺めではないかとさえおもう。断絶はあるようでいて、結局、なにもなかったのだ(引用者注:だから「根もとからくつがえす視力」が必要、ということなのですね)。憲法第9条がますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしている。断念どころではない。飄逸どころではない。(辺見庸「日録17」2014/05/14

ナショナリズムの賞揚・昂揚は、無論、ロシアやウクライナだけではありません。アメリカもかつての「偉大なアメリカ」「
パクス・アメリカーナ」へのノスタルジアを隠しませんが、アジアでは、中国、韓国、台湾、ベトナム、フィリピンと、領土や歴史をめぐって、ナショナリズムのぶつかりあいが続き、武力衝突さえ起きかねない情勢です。インドの総選挙も、宗教と結びついたナショナリズムの台頭を示しています。そして、ほかでもない日本。冷戦崩壊後の「失われた20年」と「チャイメリカ(米中支配)台頭」を背景に、かつての高度経済成長、ジャパン・アズ・ナンバーワンへのノスタルジアを伴った、内向きのナショナリズムが、全年齢層に広がっています。隣国中国・韓国を蔑視したり憎悪する言説は、新聞でも週刊誌でも、テレビやインターネットでも日常化しています。そこにつけこんだ安倍内閣は、内向きから外向きへと「仮想敵」を設定し、安全保障国家、戦争ができる国へと、改造しようとしています。日本に帰国すると、「集団的自衛権」論議が、 政府の解釈改憲の方向で高まっています。本サイトは無論反対(「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」2014.5.15
 
「すべてはわかっている。言うまでもない。……小さな、笑うべきひとことに世界がある」。からだが攣っている。(略)ひどい日だ。さやかに見えたものが、けふは曖昧な腰つきになり、どろっとくぐもっている。じぶんには責任がないだれもが おもっている (引用者注:とは、どういうことか? 前日の「日録」には次のようにあります。「憲法第9条がいよいよますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしてヘラヘラ笑っている。断念どころではない。飄逸どころではない。「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。/テーマは改憲問題」(
丸山眞男『自己内対話』[1956年の手帖より])。これも、もう過去形で語られなければならない。これまでいくたび引用してきたことか。引用のたびごとに、警告が重みをなくしていった。転向、知識人、新聞記者、ジャーナリスト……という言葉は、すでに、なにごとも意味しなくなった」)。(辺見庸「日録17」2014/05/15

国際情勢の分析で世界最高の評価を得ている英誌
エコノミストが最新号で、安倍首相の安全保障政策を「Japan’s prime minister is right to start moving the country away from pacifism」と評価した。「日本の首相が平和主義から脱却しようというのは正しい」という意味だ。英語の「pacifism」は、日本の「侵略戦争の否定」という意味を越え、反戦、不戦、兵役拒否の意味を持つ。日本さえ何もしなければ地域の平和と安定は守られるという消極的な一国平和主義を改める安保政策の変更は正しいとエコノミスト誌が評価したわけである。これは大きな成果だ。(略)米紙ニューヨーク・タイムズはまだ、安倍政権に手厳しい。日本メディアはどうか。朝日新聞社説「集団的自衛権―戦争に必要最小限はない毎日新聞社説「集団的自衛権 根拠なき憲法の破壊だ」こうした主張は破綻している。国連憲章で明文化された集団的自衛権の行使を認めていない国は世界広しといえど日本しかない。(引用者注:もちろん、反対引用)(BLOGOS 木村正人 2014年05月16日

安倍首相は5月15日の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更の検討に入る意思を表明した。これは首相の私的諮問機関である(略)
安保法制懇の同日付の提言を受けたものだった。(略)形式的には安倍首相がその提言を受け入れる形をとっているが、そもそも安保法制懇自体が首相の私的アドバイザーの集まりであり、その人選は首相の意に沿って行われている。私的アドバイザー集団が首相の思いを実現するための提言を出したと考えるのが妥当だろう。しかし、それにしても戦後の方向性を根底から変えるといっても過言ではない過激な提言が、何の法的根拠もない首相の私的アドバイザーから出され、ただちに首相が記者会見でその受け入れを発表する。そして、首相が選んだ閣僚からなる閣議においてそれが閣議決定されれば、事実上の憲法改正を意味する日本の安全保障の基本的枠組みができてしまうというのは、あまりに安直に過ぎないか。今、日本が、戦後70年かけて脈々と築いてきた平和国家としての「戦後実績」の方向性を根底から変えようとしていることは、厳しく認識しておく必要があるだろう。(ビデオニュース・ドットコム 2014年05月17日

物事をありのまま写さず、こうあればいいと思う世界を撮ってきた。イメージ通 りの写真になるように計算し、演出も施している。けれどそれは特別な場所でも、著名な人々でも、珍しい出来事でもない。日常の片隅で見かけそうな、いつもと変わらない暮らしのワンシーンで、ユーモアのセンスを効かせ、敢えて演出の証拠を残した。日々の生活にはこんなにもすてきで美しく、微笑ましく、楽しい幸せな時間があることを、フランスの写真家
ロベール・ドアノー(1912-1994)はさりげなく伝えたかったのだろう。そうしながら写 真の可能性を探し続けた。(略)照れ屋でプライドが高く、七転八倒、奮闘している姿は決してほかに見せない。いい仕事をしている時ほど素知らぬ 顔してさっさとやってのけ、鼻歌まじりで「なあに、たいしたことはありません」なんて言ってしまう。なにより偉そうにするのを嫌った。そうして撮った写真からは、耳をすますとアントン・カラスの「カフェ・モーツァルト・ワルツ」が聞こえ、日常のなにげない光景がかけがえのないものに見えてくる。(日々の新聞 2014年5月18日読

(15日の安倍首相の記者会見は)作家の
保阪正康氏によれば、まさに「情念的感情的政治」にほかならない。保阪氏はいう。「5.15事件や2.26事件後、軍事指導者たちが盛んに『非常時』という言葉を使い、議員も庶民も世の中全体が『非常時』と思うようになった。しかし、両事件も満州事変も軍が自作自演したものだ」(略)ところが、これを前向きにフォローしようとしたのがNHK(政治部=政権部?)だった。岩田明子NHK解説委員は記者会見直後に、安倍首相の想いまで懇切丁寧に「解説」していた。報道機関としては異例の踏み込み方である。これまでも彼女やNHK政治部記者の解説は、「安倍総理大臣としては…」という形で、まるで内閣広報室の担当官のような説明の仕方が目立ったが、この日のフォローは際立っていた。特に夜7時のニュースはすごかった。「(記者会見の狙いは)国民にわかりやすく自らのメッセージを伝えることでした。(略)安倍総理大臣は、日本が再び戦争をする国になったといった誤解があるが、そんなことは断じてありえないなどと強調しました(略)」。「断じてありえない」というところは力がこもっていた。そして、行使容認を「限定的なものにとどめる意向」とやって、最後は「思います」と、自己の見解を披瀝してしまった。(水島朝穂「今週の『直言』」2014年5月19日

集団的自衛権にかかわる自公協議が「グレー・ゾーンの取り扱い」から始められるという展開は理解不能です。(略)(
グレー・ゾーンの問題は)直接的には集団的自衛権行使の問題ではなく、基本的に国連憲章第2条4(「武力の行使」)及び第51条(「武力攻撃」)という条文をどのように理解するかという問題です。公明党の支持母体である創価学会が解釈改憲に反対する姿勢を明確にした(略)以上、公明党としては、自公協議においては何よりもまず、解釈改憲に反対する民意に対して自公という政権与党がどう向きあうかを取り上げるべきだという態度を明確にするべきでしょう。(略)創価学会が国民世論を無視できないようになったという事実の意味することを重視したい思いです。(略)安倍政権の暴走はもはや押しとどめられず、日本は落ちるところまで落ちなければならない(略)のかなと考えるようになっていました。しかし、ここ数カ月来の各種世論調査における明確かつ力づけられる変化を見て、勝負はまだまだこれから、という気持ちになっています。世論の力が政治を動かすという真理、安倍政治の危険性そのものが安倍政治にストップをかけるという政治の弁証法が、今日本に起こりつつあるのではないでしょうか。(浅井基文のページ 2014.05.20

集団的自衛権行使容認のうごきをめぐり、「
だれが愛国者か、救国者か、棄国者か見きわめよう」(引用者注:松岡正剛)という、昔日も聞いたことのあるようなバカな議論が一部にあるよし。でてきたか、やっぱり。だれが愛国者か、救国者か、棄国者か……の問題のたてかたじたいが、おそろしく怪しい。危ない。集団的自衛権行使容認と9条死文化を、各人が各所でどのように拒み阻むかという問いと、それに沿うた身ぶり、発声のありようこそが、省察にあたいする。(辺見庸「日録17」2014/05/20

昨日(5月20日)の参院外交防衛委員会で、
横畠裕介内閣法制局長官が就任後初めて国会答弁した。(略)横畠氏は山本庸幸前々長官の次の長官候補だった。(略)安倍政権の思惑で、異例の外務省からの横滑り長官人事の割を食った。(略)安倍政権に疎まれたのだから立派な人物なのだろう。硬骨漢なのだろうとのイメージがあった。(略)まだこの記事だけでは分からない。政権は、横畠氏が安全パイであることを確認して新長官に据えたと考えるべきなのかも知れない。いや、人の信条はそんなにたやすく変えられるものではないというべきなのかも知れない。また、所詮官僚機構の中で抵抗は無理だと考えるべきか、この地位の大きさから政権への抵抗を期待可能と言うべきか。官僚機構の中の一個人の資質や健闘に期待するのではなく、世論の大きなうねりをつくることが大切ではないか。(「澤藤統一郎の憲法日記」2014年5月21日

「裁判は死なず」と言うべきでしょうか。司法の生命力を示した2つの画期的判決が出されました。関西電力大飯原発運転差し止め訴訟第4次厚木基地騒音訴訟です。(略)福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決(略)原告側の訴えがそのまま認められただけでなく、「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値を持つ」とし、差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるか」を挙げ、大地震が来た時に原発の冷却機能が維持できるかどうかについては関電の想定を「信頼に値する根拠はない」としました。(略)もう一つの、厚木基地周辺住民が航空機の騒音被害を訴えて国に飛行の差し止めや損害賠償を求めていた第4次厚木基地騒音訴訟(略)基地の航空機の飛行の差し止めが認められたのは全国で初めてであり、この点でまさに画期的な判決だと言って良いでしょう。この二つの画期的判決は、運動によって世論を変え、司法を動かすことが可能であるという教訓を示しています。(
「五十嵐仁の転成仁語」2014-05-22
 
人格権」……人間存在やその尊厳とわかちがたい諸権利の概念であり、憲法13条後段の「幸福追求権」からもみちびかれる基本的人権のひとつである。人格権は本来、私法上の権利だというけれども、「生存権」とともに、私法、公法のべつない普遍的概念であるべきだ。福井地裁判決は画期的というよりも、しごく「まっとう」なのである。たまにまっとうなことを言うと、びっくりされ、大騒ぎになり、わざわざ画期的と称されるほどに、この世はあまりにもまっとうではない。判決の要諦は、原発の根本的不可能性の指摘にある。しかし、トルコとUAEへの原発輸出を可能にする原子力協定が、自民、公明、民主各党の賛成多数で承認されたばかり。政府は原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ再稼働路線を鮮明にしている。この国の権力者は、自国だけでなく他国の住民の人格権までおかすのをなんら恥じていない。(辺見庸「日録18」2014/05/22) 

注:福井地裁判決 2014/05/21
個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。
人格権は憲法上の権利であり (13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。


「美味しんぼ」作者、ブログに「休載は決まっていた」(朝日新聞 2014年5月23日)雁屋哲の書いた通りであろう。というより、『美味しんぼ』の連載のあり方は、相当前からそのようなものだった。この漫画は、『めぞん一刻』(高橋留美子)や『YAWARA!』(浦沢直樹)などが『ビッグコミック・スピリッツ』に連載されていた頃から、これらの作品に優るとも劣らない人気作だった。高橋留美子や浦沢直樹の作品は、数年しか続かなかったが、『美味しんぼ』は30年以上続いており、その間、原作者の雁屋哲や作画の花咲アキラは大儲けしたはずである。とっくの昔に作者たちは「セミリタイア」状態になっており、漫画は休載が主で、たまに掲載されるという認識を私は持っていた。念のためにWikipediaを参照すると、
2000年頃からは1年のうち大半を休むことが多くなっており、東日本大震災などの一つの主題を連続で描く時も途中休載することがあり、休載せずに完結することは少ない。と書かれている。もはや「セレブ」に属するであろう作者たちの「予定の休載」に、得意の陰謀論敵解釈を振りかざして大騒ぎする一部の「脱原発」派のていたらくには、開いた口がふさがらない。(kojitakenの日記 2014-05-24

著者は人体を超個体と呼ぶ。そこには細菌や寄生虫を含めて、多数の生きものが共存してきた。そうした「生態系」が現在壊れつつあり、あるいは壊れてしまっている。ヒトという超個体における生物多様性をどう回復していくか、それが著者の最終的な結論となると考えていい。最近『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書)を読んだ。一つ、印象に残った文章がある。「自然相手の職業 (農業者など) に就いているストーカーは不思議といない」。よりよい世界を作ろうとして、善意で災厄を招くのは、ヒトが繰り返して行ってきたことである。そうした世界を正すのは、じつは面倒で、ややこしいことである。この本はそれを丁寧に教えてくれる。一言にして尽くされる真理、そういうものを信じてはいけない世界になっていると私は思う。読むのに手間のかかる本だが、実際の世界はじつはこういうものである。病気を理解するにも辛抱が大切、というしかあるまい。(
養老孟司・評『寄生虫なき病』毎日新聞 2014年05月25日

朝日新聞社が24、25日に実施した全国世論調査(電話)で、安倍晋三首相が目指す憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について尋ねたところ、「賛成」は29%で、「反対」の55%が上回った。憲法改正の手続きを踏まず、内閣の判断で憲法解釈を変える首相の進め方については「適切だ」は18%で、「適切ではない」の67%が圧倒した。調査では、国会発議や国民投票を経て憲法を改正するのではなく、内閣の判断で解釈を変える首相の進め方について尋ねたところ、安倍内閣支持層や自民支持層でも5割前後、公明支持層では8割以上が「適切ではない」と答えた。また、集団的自衛権を行使できるようになったら、抑止力が高まり「紛争が起こりにくくなる」は23%で、周辺の国との緊張が高まり「紛争が起こりやすくなる」が50%だった。アメリカなど同盟国の戦争に巻き込まれる可能性が「高まる」は75%で、「そうは思わない」の15%を引き離した。(朝日新聞 2014年5月26日

先月、超高齢社会の現実と司法のズレを感じる判決が出た。(略)昨年8月、一審の名古屋地裁は男性の妻(91歳)と長男(63歳)に「見守りを怠った」としてJR東海側の請求通り約720万円の支払いを命じた。この裁判の控訴審で、4月24日、名古屋高裁は妻だけの責任を認定し、約360万円の支払いを命じた。一審、二審の判決は介護関係者にショックを与えている。まず家族介護の視点からは、遺族側代理人が次のようなコメントを出した。「高齢ながら、できる限り介護をしていた妻に責任があるとされたのは残念。(略)家族が常に責任と隣り合わせになれば在宅介護は立ちゆかなくなってしまう……」(略)こうした判決が続くようだと介護現場では認知症高齢者の「閉じ込め」や「拘束」が横行すると懸念される。終戦直後、滋賀県で戦災孤児や障害者のための施設「近江学園」を創設した
糸賀一雄は、「この子ら、世の光に」という言葉を残した。「この子らに、世の光を」ではない。障害を背負って生きる子どもたち、世のなかを照らす光に、と訴えた。そんな視点が、認知症ケアにおいても必要なのではあるまいか。(色平哲郎・佐久総合病院医師 2014年5月26日

東日本大震災の後、以前に増して言葉に迷うようになった。「頑張って」は誰かを傷つける。「被災地、被災者」と束ねたくない。「がれき」「絆」「寄り添う」。使いたくない言葉が増えていく。(略)取材にかこつけ尋ねて回った。(略)映画監督の
園子温さんは「震災後の表現は、より誠実でなければいけない。どんなに稚拙で未熟な表現になろうと一歩を踏み出すこと。それが誠実だ」と背中を押してくれた。(略)詩人の長田弘さんは「詩にできるのは半分だけ。書くことは、言葉にできない残りの半分を大事にすることでもあるんです」と静かに言った。それ以来、締め切りまでに記事に書き切れなかった言葉や、言葉にならない「残り半分」を書きためることにした。見捨てたくないものには、せめて時間をかけてみようと。書き切れずに一度はあきらめた人の物語を半年ぐらいあたため、納得してから書き直す、なんてことが増えた。手のひらからこぼれ落ちそうなものに目をこらし、沈黙から言葉が生まれるのを待つ−−詩人たちから教わったこと。(毎日新聞 「発信箱」: 小国綾子2014年05月27日

漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」の連載「美味しんぼ」の東京電力福島第1原発事故による健康影響の描写が
議論を呼んだ。(略)福島市内の仮設住宅で暮らす避難者に話を聞くと、程度の差こそあれ、どの人もこれらの描写に不快感を抱いていた。浪江町から避難してきた遠藤義雄さん(73)は鼻血の描写に「『みんなこうなる』という誤解を生む」と懸念した。富岡町から子ども4人と避難先を転々とした高野京子さん(32)も「これから(古里に)帰ろうとしている人がいるのに、根拠もなく『住めない』というのはひどい。福島に来ようとする人もいなくなってしまう」と心配した。一方で、競うように「遺憾の意」を表明する政府や政党、県などに冷ややかな視線を送る被災者もいる。(略)浪江町から福島市に避難する北郷淳さん(67)は「健康影響に関する情報が十分でないから不安を抱く。国も県ももっと調べてほしい」と注文する。(略)政府は美味しんぼ騒動の源にある被災者の「不信感」を軽視しているように見える。「正しい情報を正確に素早く伝える」−−。この基本的な姿勢を守らなければ、原発事故収束も、風評被害の解消も、そして福島復興もうまくは進まないだろう。(毎日新聞「記者の目」岡田英(福島支局) 2014年05月28日
 
5月21日付『産経新聞』は,広島大学に勤務する韓国籍の准教授の授業で,従軍慰安婦の問題が取り上げられたことを批判する記事を第1面に掲載した。(略)聴講していた学生のひとりがこの授業内容を不快に思い,『産経新聞』に投書したことを契機に,『産経新聞』は,同じ授業を聴講していた他の学生への取材や,当該准教授にたいする充分な取材をおこなうことなく(略)この記事をつくりあげた。(略)この記事が出されて以降,広島大学には"抗議"の電話等が殺到している。(略)かつてドイツでは,政権獲得前のナチス党が,その青年組織に告発させる形で意に沿わない学説をもつ大学教授をつるし上げさせ,言論を萎縮させていった歴史がある。(略)学問の自由は日本国憲法が保障する基本的人権のひとつであり,大学の授業で教員は,自身の学問的信念に基づいて教育研究を行う自由をもつ。(略)公正な報道をもって社会の木鐸の機能を果たすべき新聞が,学生の1通の投書をもとに、特定の教員の講義内容を攻撃することは、学問の自由への侵害であるとともに,著しく公正を欠くものである。(略)広島大学内外のすべての大学人にたいして,今回の事態に際し,特定報道機関その他からの言論への圧力を許さず,ともに学問の自由を守る行動をとるように訴えるものである。(日本科学者会議広島支部 2014.5.23)(日本科学者会議 2014.5.29
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