昨日5月15日の安倍首相の政府として「集団的自衛権」容認の閣議決定に踏み切ることを明確にした記者会見。多くのメディアと人が抗議と批判の声をあげています。
 
はじめに昨日の安倍首相の日本が「立憲国家」であることを否定する狂気の沙汰というほかない記者会見を「承」けて(という表現が正しいのかどうか)、8月2日に宮城県で講演する予定になっていた自身の講演会を中止することにした辺見庸の否定の弁をご紹介します。
 
「すべてはわかっている。言うまでもない。……小さな、笑うべきひとことに世界がある」。からだが攣っている。8月2日の講演を中止することにした。主催者に電話でお詫びした。ひどい日だ。さやかに見えたものが、けふは曖昧な腰つきになり、どろっとくぐもっている。じぶんには責任がないとだれもがおもっている。」(辺見庸「日録17」2014/05/15)
 
「じぶんには責任がないとだれもがおもっている」 とは、どういう事態を指しているのか? 以下は前日の「日録」の言葉。
 
憲法第9条がいよいよますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしてヘラヘラ笑っている。断念どころではない。飄逸どころではない。「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。/テーマは改憲問題」(丸山眞男『自己内対話』[1956年の手帖より])。これも、もう過去形で語られなければならない。これまでいくたび引用してきたことか。引用のたびごとに、警告が重みをなくしていった。転向、知識人、新聞記者、ジャーナリスト……という言葉は、すでに、なにごとも意味しなくなった。」(辺見庸「日録17」2014/05/14)
 
……の中には「私」も入っているでしょう。「だれもが」とあるのだから。その「私」が識閾の下で「じぶんには責任がない」と思っている、というのであれば、私たちは「根もとからくつがえす視力」を持つほかのすべはない。
 
やはり前日の辺見の「日録」には次のようにあります。
 
自明とされ、だれもがよく見なれた現象=〈いま〉を、根もとからくつがえす視力なしに、集団的自衛権行使容認のプロセスを断つことはできない。自明とされ、よく見なれた現象とは、よくよくかんがえれば、〈わたし〉じしんでもあり、それぞれが〈わたし〉を転覆する持続的意思なしには、この流れを阻むのはむずかしいだろう。多くの者は、このうごきに、ほとんどあらがわずして諦め、予め断念している石原吉郎もよくつかった「断念」は、だが、おもえばずいぶん怪しい言葉じゃないか。「断念」は、抵抗よりも、この国の湿度に受けいれられやすい。そうこうするうちにも、新たな戦前がきている。新たとはいっても、「総力戦」が戦われた1940年代への過程とどこか相似する点でも、「現在の戦前」は、ひょっとしたら、「かつての戦前」から連綿とつづいている川の眺めではないかとさえおもう。断絶はあるようでいて、結局、なにもなかったのだ。憲法第9条がますます死文化させられる。政権は憲法第9条を笑いものにしている。土足で蹴飛ばしている。断念どころではない。飄逸どころではない。(辺見庸「日録17」2014/05/14)
 
次は琉球大学名誉教授の高嶋伸欣さんの言葉。やはり15日付け。

本日の安倍首相の記者会見は、私的諮問機関にすぎないものをいかにも公的なものであるかのように見せかける政治的行為に、マスコミが加担するのが分かっていたので、TV中継は見ませんでした。その後、沖縄から「あのパネルの日本地図を見たか?」との怒りのTELがあって、NHKのNC9で確認しました。記者会見の舞台に掲示された地図の日本全図には
 
1 教科書検定の全体条件である北方4島は描き込んでいるが人口130万人が居住している沖縄県が全く描かれていない!ーーそれなのに海外から脱出した日本人が何人か載っている米軍の船舶が攻撃されるようなことが起こるかもしれない時に、その米軍の船を自衛隊が守れないのはおかしいから「集団自衛権の行使容認」なのだという!?
 
2 このパネルは首相自身がデザインに口出しをして今朝ようやく出来上がったものとか(TV朝日の政治部長談)
 
3 安倍首相の、沖縄県民の命の安全対策に真剣に取り組まないだけでなく、140万の命の存在さえ無視しているという本心がここに表れているではないか!
 
4 首相会見の場でこのことを指摘した記者が皆無!--記者クラブ、政治部記者の堕落は底なしか?
 
5 この図版の原図は有識者懇談会の答申の中にある?--もしもそうであるならば、懇談会のメンバーの見識もこの程度でしかないということの証明
 
6 官房長官たち首相の側近たちも、会見の前に見ているはずなのに、この問題点にまるで気付いていない。
 
7 先日のTV朝日系のニュース・ステーションで育鵬社の公民教科書の巨大表紙をスタジオに用意したのに、その表紙の日本列島宇宙写真で、北方4島はちゃんと写っているものなのに、種子島以南の南西諸島を別の写真の張り込みで消していることをキャスターもコメンテーターも全く問題にしていなかった。もしあの時に、きちんと批判をしていたら安倍首相の周辺で今回のパネルのまずさに事前に気づいた者がいたかもしれない。そうはならなかったところに、沖縄からみての日本「本土」社会での沖縄軽視の風潮のはびこり具合が如実に表れているように、私には思われる。
 
8 こんなことで、また沖縄の人々を怒らせてしまって、安倍政権は何て幼稚で一本調子の政治しかできないのだろうかと、あきれるばかりだ。
 
9 5月21日の県教委による竹富町の採択単独地区化承認で、安倍政権による竹富町への育鵬社公民教科書押しつけ「作戦」の「全面的敗北」が決定的になる。その意味を引き立てるかのような安倍首相の今日の愚策は、「本土」の一員として恥ずかしい。
 
10 安倍首相と彼に迎合する一派よ、子供でも笑う愚作と気付けないお粗末さを、どう弁解するつもりか?
 
11 全国の教員の皆さん、是非、明日の新聞の写真にあるこのパネル部分を拡大コピーして、生徒に「この地図をどう思うか?」と尋ねてみて下さい。
 
12 併せて、生徒にはもう一つ質問を。「昨日、5月15日は何の日?」
 
13 答の一つは「沖縄の日本復帰の日!」
 
14 それなのに安倍首相は、その日に日本に沖縄が含まれていない日本地図を記者会見で掲げて全国に、もちろん沖縄にも、放送させた。昨年の4・28「主権回復記念式典」開催で沖縄の歴史に関する無知を内外に知られてしまった安倍首相がまたその無知蒙昧ぶりを全国に晒したことになる。
 
生徒たちはどう受け止めるか、教えてもらえれば幸いです。--沖縄ではまたどうでしょうか?
 
次にメディアの報道。「毎日新聞ニュースメール」(2014年5月16日)より。下記の記事の本数は圧巻というべきでしょうか? あるいは当たり前というべきでしょうか? また、あるいは上記で辺見の言う丸山眞男への反証というべきでしょうか? 身も蓋もないけれど、私はメディアのアリバイづくりだと思います。そうでなければ、高嶋伸欣さんが指摘される昨日の安倍首相の記者会見で使われたパネルに「人口130万人が居住している沖縄県が全く描かれていない!」にもかかわらず「首相会見の場でこのことを指摘した記者が皆無!」という現象は生じないでしょう。
 
安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は15日、集団的自衛権の行使を憲法解釈を変更して容認するよう求める報告書を提出した。
 
集団的自衛権:容認を指示 首相、憲法解釈変更に意欲
集団的自衛権:容認を指示 これでは筋通らぬ=政治部長・末次省三
社説:集団的自衛権 根拠なき憲法の破壊だ
集団的自衛権:容認指示 祖父以来の宿願 外務省勢力後押し
クローズアップ2014:集団的自衛権、容認指示 反発緩和へ「限定」
質問なるほドリ:集団的自衛権、起源は?=回答・飼手勇介
集団的自衛権:容認指示 米は「歓迎し、支持」
集団的自衛権:容認指示 中国「高度の警戒払う」
集団的自衛権:容認指示 かすむ立憲主義 解釈変更ありき
集団的自衛権:容認指示 事例挙げ支持訴え
集団的自衛権:安倍首相記者会見 要旨
集団的自衛権:容認を指示 「戦争への道」 被爆者ら反発
集団的自衛権:容認を指示 復帰42年の日、不信深く 「20万人の犠牲忘れぬ」--沖縄
集団的自衛権:容認を指示 「不戦」大きな岐路 国際協力の一つ/いつか徴兵制も 大学生、賛否割れ
集団的自衛権:容認を指示 「みなさんのお子さんやお孫さんが…」首相強調
集団的自衛権:容認を指示 危険な任務、現実に 自衛隊員ら懸念 「自分たちが標的」実感

最後にクレイグ・マーティンの2007年4月29日にジャパンタイムズに掲載された「日本国憲法の解釈ができるのは司法のみだ、ということをきちんと書いている英語の投稿記事」(訳者)の抜粋訳。著者クレイグ・マーティンは、「カナダ人の訴訟弁護士で大阪大学大学院卒。この記事の当時はペンシルバニア大学博士課程で、憲法と国際法の相互作用が武力の使用に課す制限を、憲法9条に関する日本の経験から研究していた」と原文の最下段に紹介があります。
 
原文:
Craig Martin
 
以下、訳者の抜粋任意訳
 
安倍首相は2007年4月、日本がある特定の集団的自衛のための活動を行うことが可能となるよう「憲法の現行解釈を見直す」べきかどうかという問題を検討するための「専門家委員会」の設立を政府が計画していると発表した。
 
米国は長らく集団的安全保障への日本のより大きな関与を促しており、その声明は安倍首相が初めてのジョージ・W・ブッシュ大統領との会談に渡米する直前に出された。………
 
安倍首相の政権が9条を改訂できるように改憲のためのアジェンダを進め続ける一方、国際的な安全保障活動に日本の軍事参加を可能にする方法で9条の「解釈変更」をするためのこの「専門委員会」の任務は、改憲プロセスが失敗する場合に備えての防止策として改憲への代替の道を確立する試みである。
 
それは憲法の意味を変更するのに憲法外の組織を採用する不正なプロセスであり、憲法自体において規定されている正統な修正手続きを迂回し、それにより立法府と日本国民を改憲プロセスにおける憲法上の役割から除外する。
 
「専門委員会」が求めるその「再解釈」は、その再解釈の結果行われる新たな諸政策が裁判で争われる場合に、政府の一部局で憲法解釈を行う憲法上の権威を実際にもつ司法(*内閣法制局)の介入をあらかじめ排除するためにおそらく利用されそうである。…………………
 
次に訴えるべきは、その「専門家委員会」は、憲法解釈を行う正式な権限を何ら持たない、まったくの憲法外の組織であるという点だ。再び強調しなければならない点は、これは政府が自らの検討しつつある政策のもっともらしい合憲性に対して憲法学者の助言を求めるというケースではない。これは、その問題に関して検討しながらこの夏を過ごした「専門家委員会」により与えられる権威的な解釈を基にした憲法の新たな意味である「変更された解釈」を政府が発表準備していることを示す、その証拠がある。
…………………
米国との条約義務に沿い、かつ国連憲章の下で政府がどのように自国の軍隊を配備するかという問題は法律内にあるよりはまったく政治と外交政策の領域内にあるだけでなく、政府はこの問題を何ヶ月も審議した「専門家委員会」の助言を入れてその政策をこの上なく注意深く慎重なやり方で打ち立てたと主張もするだろう。かくして、司法はこの政府裁量という複雑な分野に介入すべきではないという主張がまかり通るだろう。
 
私の意見では、司法の前に上がるべきその問題は実際純粋に法律的なものであるゆえ、そのような主張にはまったく説得性がない。…………
 
そのような集団安全保障活動を許すことになる「再解釈」を正当化する試みの背後にある理論は、ほぼ全面的に成果志向的である。 始まりの主張は、日本はそのような集団安全保障活動に参加することができるべきである、他の「普通の諸国」はそのような活動に実際従事しており、日本にはそのような活動に関与することが求められる国際的な義務があり、そこから、憲法の最も合理的解釈は日本がそのような活動に関与できるということであらねばならないということになる。安倍首相自身は最近、「軍事同盟」は「血の同盟」であり、米国軍隊が日本のために血を流すことになっているのに「日本の自衛隊は米国が攻撃されるときに血を流す準備が出来ていないように求められている」ことに不平を述べた。…………..
 
憲法解釈は法律上の問題であり、外交政策あるいや軍事上の要請の問題ではない。そして法律上の問題として、他国の防衛のために日本の軍隊に血を流すことを可能にするために安倍首相が望む「再解釈」は、憲法9条のいかなる合理的解釈ともまったく相容れず、さらに、最高裁によりこれまで規定された憲法9条の解釈に最も近いものとも相容れない。
 
訳者後記
安倍首相が2007年に開始した憲法解釈変更のプロセスは、G.W.ブッシュを初訪問する手土産だったことを、この記事は思い出させてくれる。 さらにこれは、国民投票による改憲が失敗したり、日本が参戦することに対して国民が訴訟を起こす場合まで想定しての動きだという。ここまで端的に教えてくれる記事が他にあるのだろうか。
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