以下、辺見庸の5月3日付けの「日録15」の要約転載です。朝日新聞労組週刊金曜日が批判されています。
 
同感です。
 
誤解されるかもしれないのでこれまでこういう書き方はしませんでしたが、やはり私の本音を少し記しておきます。
 
これらの新聞紙と週刊誌は少なくとも私を元気にさせない。しかし、明日死のうかという思いに少なくとも弾みをつけてはくれる。
 
人をここまで絶望に追いやっている、という自覚を朝日新聞という媒体に勤める記者と週刊金曜日という媒体に勤める編集者には少しは持ち合わせてほしい。
 
しかし、上記の私の気持ちを朝日新聞と週刊金曜日のせいだけにするのはやはり公平さを欠くだろう。
 
総転向時代」という現象が私をそうした絶望の淵に陥れるということ。
 
そういう思いに強くさせるということ。
 
私の娘もメディアにつとめている。肝に銘じてほしい。

藤崎孝敏画
 
「わざとらしさ」についてしらべていた。(略)朝日新聞労組がけふ開催した「言論の自由を考える5・3集会」のゲストに、道化師・田母神俊雄がまねかれたのだとか。おなじ催し物に10数年前わたしも呼ばれた記憶がある。「無変化の装いをまとった全面的変化(崩ー壊)が起こっている」(ミシェル・ドゥギー「パニックの記――主題・変奏・対位法」)ことはまちがいない。朝日新聞労組は「民主主義」をことさらわざとらしく演じてみせつつ、いわば「良心的に」ファシズムを誘導している。反ファシズムに似せたそれは、紛うことないファシズムの再演である。ほんらい恐怖をかきたてるべき「微妙で相対的な差異」(ドゥギー)は消滅したのではなく、怠惰で無知で傲慢なメディアのあんちゃん、ねえちゃんたちには、右も左も、クソもミソも、さっぱり見わけがつかなくなっただけのことだ。朝日新聞労組員の多くや、週刊金曜日編集部*は、反ファシズム運動にはかならずファシズムがまぎれこむこと、さらには、ファシズムはその身体に一見反ファッショ的なるものをすっぽり包含して、はじめて強靭なファシズムになりうることを、あまりにも知らなすぎる。佐藤優や田母神はファシズムの永続のためにとても有用である。いまいましいのは、死刑制度反対運動までもが国粋主義者、佐藤を請じいれていることだ。亀井でも佐藤でも有名ならだれでもいいということか。死刑反対運動も、その内部に、死刑を存続させることにつながるロジックと情動をもつにいたっているのではないのか。堕ちたか?総転向時代の幕開けである。
(辺見庸「日録15」2014/05/03)
 
引用者注1:辺見庸の「日録15」の4月30日付けに「雨。帰りの車のなかで、野中君から佐藤優というひとのことを聞く。数行しか読んだことがないので言う資格を欠くが、いやなかんじ。一見左翼的語法で国粋主義的思考をまぶしていることもわからないのだから、「週刊金曜日」の担当デスクはかなりのバカだ。それでも売れればいいというのなら、「週刊金曜日」は即刻解散したほうがよい。スキルがないだけでなく思想もインチキなのだから、読者から信用されるわけがない」とあります。

引用者注2:日本ジャーナリスト会議の「今週の風考計」(Daily JCJ 2014年5月4日)の以下の記事もメディアの「良心的」なポピュリズムへの誘導と「総転向時代」を象徴する格好の事例のように私には見えます。「小泉・細川両元首相らによる、脱原発を目指す「原発ゼロ・自然エネルギー推進会議」も、設立総会を7日に開く。発起人や賛同者に多彩な顔ぶれが並び、再生可能エネルギーの普及に向けた活動を広め、原発の再稼働や輸出に反対する活動を展開する。さらに原発を抱える首長も参加、これからの知事選挙や来春の統一地方選に向け、脱原発の一点で共闘する選挙戦略も視野に入る。過去にたどった両元首相の失政を払拭するためにも、「自然エネルギー推進会議」の中身と活動を充実させてほしい」。同記事にいう「多彩な顔ぶれ」とは次のような面々を指すようです(敬称略)。赤川次郎、安野光雅、梅原猛、香山リカ、小林武史、菅原文太、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、湯川れい子、吉永小百合、市川猿之助(東京新聞 2014年4月24日)。メディアには「いわくつきの小泉・細川元首相「保守」(いろいろな意味をこめてそう呼んでいます)コンビの主導で真に脱原発の方向に向かうのか」という疑問の視点、すなわち、ジャーナリズムの視点がまったく欠落しています。
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