小倉利丸さん(富山大学教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)は、今回は、ウクライナ問題に関して、同国のLeft Oppositionという「ウクライナの左翼の少数派」(イギリス『LeftEast』編集委員会)のメンバーのひとりのZakhar Popovych氏がロンドンの英国下院で行ったスピーチの訳出をされています。前回に引き続いてさらに小倉利丸さんの訳出を最新のウクライナ情報のひとつとしてご紹介させていただこうと思うのですが、今回の小倉さんのZakhar Popovych氏の論の訳出紹介については私には少なくない疑念があります。
 
その第1はZakhar Popovych氏はなにゆえに英国下院という場所でこの論のスピーチを行ったのかという疑念です。また、英国下院はなにゆえに「ウクライナの左翼の少数派」のそのまたひとりにすぎないZakhar Popovych氏という人物をわざわざ英国下院にまで呼んでスピーチさせたのかという疑念です。英国下院の議会がZakhar Popovych氏という外国人を招致してスピーチの機会を与えたとは私には思えません。イギリスの法律に詳しいわけではないのでよくわかりませんが、私の政治常識から考えても、議会が一般の外国人を招致してスピーチさせるという慣習はおそらくイギリスにおいてもないのではないかと思います。では、この「スピーチは、ロンドンの英国下院で行なわれた」とはどういうことか? 私の想像では、日本でいうところの「院内集会」のようなものが下院の一室で行われた。Zakhar Popovych氏はその「院内集会」(具体的には某政党の某議員)に招かれてスピーチをしたということではなかったかと思います。そういうことなら理解できます。しかし、そうであるならばその旨注しておく必要があるように思います。「スピーチは、ロンドンの英国下院で行なわれた」という説明ではZakhar Popovych氏はいかにも英国下院に招かれて演説したというように一般には受け止められるでしょう。詐欺商法の説明のようなものに私はまず第1に疑念を持ちます(ほんとうに英国下院でスピーチされたものであるならば私は自身の不明を詫びなければなりません)。
 
第2にZakhar Popovych氏のスピーチの内容に疑念があります。Zakhar Popovych氏はスピーチの「スヴォボダが関与している新政府を支持しない」の項では「重要な第二の点は、ロシアがクリミアから軍隊を撤退させるように圧力をかけることです。これは、正統性のある国民投票と独立の承認においての前提条件です。(略)私たちはヨーロッパの左翼にクリミアへのロシアの侵略を支持しないように訴えます」と述べています。こうしたスピーチを少数派(さらにその中のひとり)とはいえ果たして「ウクライナの左翼」がするものか? 私には疑念があります。疑念はまだありますが、推測の域を超えるものではありませんのでこれ以上の疑念の提起は控えておきます。
 
小倉利丸さんの「ウクライナのLeft Oppositionの活動家によるマイダン運動に関する報告」の訳出を以上の私の疑念を前提にしてご紹介させていただきます(以下、強調は基本的に引用者)。

 
訳者前書き
このブログではこれまでもウクライナの情勢における左翼の活動に焦点をあてて、いくつかのテキストを紹介していきた。ウクライナの情勢は、日々変化をしており、以下に紹介する3月中旬に行われたLeft Oppositionの活動家によるスピーチは、今では幾つかの点で、特に、ウクライナ全体の民衆自身による政権の腐敗を一掃し、ロシアともEUや米国の思惑からも自立した下からの意思決定の可能性が大きく後退しているという点で、もはや左翼の期待の多くは裏切られたかにみえる。
 
しかし、重要なことはむしろ、革命の勝敗ではなく、左翼が何を主張してきるのかである。ウクライナの外にいる私たちばかりでなく、ウクライナの情勢を間接的にしか知る手立てをもたない多くの左翼にとって、ウクライナの民衆の運動をどのように理解すべきかについて未だに困惑のなかにあるようにみえる。
 
以下のスピーチは、ウクライナの左翼を代表しているわけではないが、ウクライナの左翼がマイダンの運動で大きな矛盾を抱えながら、この運動が極右のイニシアチブに握られることをできうるかぎりの努力で回避しようとしてきたことを示しているマイダンでは、極右による左翼への襲撃が繰り返されてきたが、他方で、一見すると一つのアゴラ=マイダンなかには、複数の運動や行動が存在していたこと、マイダンの外でも、左翼による独自の行動があったこと、そして、街頭での闘争だけでなく、具体的に政府の腐敗を阻止するための地道な活動(政府の透明性を実現する情報公開の運動など)や東部の工業地帯での新興財閥に対抗する労働運動の存在などが紹介されている。
 
重要なことは、the Left Oppositionが、EUに対するスタンスとして、新自由主義には徹底して反対しながらも、EUがウクライナの社会正義の実現にとって、ロシアよりも可能性を秘めた存在であるという点で、期待していたという点だ。これは、欧米の左翼と進歩的知識人の声明(日本語訳は、「ウクライナをめぐる四つのテクスト」で「ヨーロッパの価値」として肯定された観点と関りがあるようにみえる。しかし、完全に西側の価値観に同調しているわけではなく、旧ソ連の労働法を高く評価し、労働者の権利の法的確立を要求する。この労働者の権利のためのたたかいは、法的にはソ連の労働法を、制度的には西側の裁判制度を要求するというように、何を評価し何を退けるのかを、単純な西と東、あるいはEUかロシアかといった二者択一ではなく、冷静な選択の戦略を持ちえているようにみえる。

同時に、極右の排外主義とナチズム思想への傾倒を徹底して排するとともに、資本の政治への影響力を切断し、資本の利潤の再分配を要求し、新興財閥支配(ウクライナのそれであれロシアのそれであれ)に対して労働者の権利を対置するという階級的な原則を明示している。
 
マイダンの運動について、以下のスピーチでは、基本的に大衆的な政府の腐敗との闘いであり、新興財閥支配との闘いであると位置づけ、左右の違いを越えて、これらの課題を共通認識としつつ、西欧社会が実現した程度の社会正義の実現という当面の目標が、ウクライナの地域的な分断を越えて合意可能な政治的な目標であろうと判断している。しかし、私は、極右の排外主義とナショナリズムが社会正義と矛盾せず共存するとは思えないが、この点については明言がない。また、新政権について、極右の参加を批判し、政治的には政権を支持できないとする一方で、形式的には現在のキエフの政権への承認を求めてもいる。クリミアについては、ロシアの介入を厳しく批判するが、ロシアの介入なしでの住民投票に基く分離については是認する。左翼が大きな社会的影響力を持ちえていないなかで、孤立を選択せず、可能なかぎりの状況への介入を試みており、これが、一見すると非常にわかりにくいスタンスに見えるのだが、基本原則は以下のスピーチでもかなりはっきりしている。それは、一言でいえば社会正義に基く社会主義の再構築ということだろうか。
 
ウクライナの社会主義の歴史は、ロシア革命の負の遺産を継承してきた。ウクライナの自立的な社会主義、共産主義運動は、マフノの運動のように、スターリンだけでなくトロツキーによっても徹底して弾圧された歴史をもつ。ここには、民族主義の問題も国際主義の問題も、プロレタリ独裁の問題も、農業問題も、ユダヤ人や少数民族の問題も、言語の問題も、宗教の問題も、そして、戦争と国家と国境の問題も、ありとあらゆる社会主義が解決しなければならない問題が存在してきた。そして、社会主義ソ連としてのウクライナを経てなお、ナチズムに傾倒する勢力が(若い世代においても)存在しつづけたことは、20世紀の社会主義が何に失敗したのかを知る上で、非常に重要な課題である。ウクライナの民衆革命における左翼の位置は、こうした歴史認識なしには理解できないだろうと思う。同時に、ウクライナであれどこであれ、伝統的な左翼がもはやその名に値しないなかで、左翼の創造的な復権の可能性を模索している点は、日本における左翼の可能性を考える上で、むしろ私たちに貴重な問題提起を投げかけてくれている。ウクライナの民衆が多くの苦難のなかにいる時に、左翼などというイデオロギーの問題に拘泥すること自体が、ある意味で不遜なことかもしれないが、そうであってもなお、ウクライナの問題をどのように見るのかは、わたしたち左翼が避けるべきではない課題である。(もちろん、同じことは、中東の「革命」にもいえることだ)
 
ウクライナのLeft Oppositionの活動家によるマイダン運動に関する報告(3月16日)
 
[下記のスピーチは、社会主義者の団体、Left Oppsoitionのメンバー、Zakhar Popovychによって、3月10日に、ロンドンの英国下院(庶民院)で行なわれたものである。]
 
私はLeft OppositionイニシアティブのメンバーのZakhar Popovychです。私は、マイダンに、その最初期から、赤旗を掲げて参加してきました。私はマイダン広場のテントに泊まっていたのではなく、ここ数ヶ月毎日広場に通っていました。
 
ユーロマイダンは大衆的な草の根の運動であり、作為的に作られた運動ではありません。
 
私は、ユーロマイダンの最初の大衆的なデモが起きた11月24日には赤旗を掲げて参加しました。2004年以来、キエフでこれほど多くの人々がデモに参加したのを経験したことはありませんでした。過去十年間、これほど多くの人々が参加した政治的なデモや公開のイベントはありませんでした。右翼のデモは、昨年、総勢でも数千人で、一万人を越えることはありませんでした。ウクライナの反乱軍の日ですらそうでした。最初のユーロマイダンのデモは総勢で5万人でした。これは、でっちあげられたものではありません。汚職、非効率的で貪欲な政府に怒ったキエフの市民による大衆的な行動でした。これは、ウクライナの人々を収奪する新興財閥の政府への反対運動でした
 
現在のウクライナの経済政治システムは、この強盗行為を出来る限り合法的かつ徹底的に行なうことができるように、新興財閥によって作りあげられたものでした。この政治システムは新興財閥によって完全にコントロールされ、租税回避を完璧に合法的でありふれた日常茶飯事にするような立法に支えられていました。もし、あなたがウクライナの新興財閥であれば、利益税を支払う必要は全くありません。これがウクライナの経済のルールなのです。最大の税負担は労働者や零細な事業者の上にのしかかっています。所得税(形式的には均一に課税されるのですが)でもそうなのです。事実、所得税率は逆累進です。労働者の賃金は実感では40%まで課税され、富裕な者は株の配当から「一律」で17%しか納税しません。
 
大半の人々にとって、ヨーロッパは正義、より正確にいえば、社会的正義を意味します。私はマイダンで多くの労働者や労働組合員に会いました。ルハンスク(ウクライナのまさに西部です)から来た鉱山労働者は私に、裁判所が公正であるべきだということを求めてマイダンに来たと述べた。「私たちは、裁判所が行動することを求めているんです!」ルハンスクのRoven’kiの鉱山独立組合のリーダー、Volodymyr Sokolovは私に語りました。私たちの組合活動家が違法な脅しに直面したとき、彼らの職場復帰の裁判闘争に3年間もかかる。実際、これは、雇用主は誰でも解雇できるし組合の要求に配慮する必要などさらさらないということを意味しています。私たちは、こうした裁判所の振舞いをやめさせたいのです。私たちは裁判制度を改革したいのです。私たちはこの国に法の支配を確たるものにしたいのです。EUとの連携協定は裁判所改革の義務付けを含んでいます。だから私たちは、政府がこれに署名することを要求しているのです。
 
これが、なぜ、我々Left Oppositionが、自由貿易協定を含まないEUとの連携協定を要求するのかの理由です。連携協定の政治に関する部分はまた、若干の矛盾した論点を含んでいます。しかし、一般的には、これは、ウクライナをより民主的にし、自由であり、法の支配を確たるものにすることを促すことになる。そしてウクライナの労働法は未だにソ連のそれを保持しています。多くの場合、この法律は雇用者よりも労働者に有利です。ウクライナにおけるソ連の労働法は維持されていました。ロシアのように廃止はされませんでした。私たちは、ソ連の労働法が実行されるように求めています。
 
極右は組織的に左翼をユーロマイダンから排除しようとしましたが、これは成功しませんでした。
 
ユーロマイダン運動が右翼反対派によって主導権が握られているのは事実です。そして、この右翼のうち最も組織化が進み影響力の大きい部分が、極右のスヴォボダ党であることも事実です。私は、この党をヒットラー主義の伝統を継承しようとするものだと考えています。これは単なる主張でもなければ「ヒットラー主義の論証Argumentum ad Hitlerum」でもありません。スヴォボダの指導者の幾人かは、ウクライナ語でヒトラーやゲッペルスの遺産を広めることで精力的に活動しています。たとえば、スヴォボダの主要な理論家、ミカルチシン[Mykhalchyshyn]氏[1]は、ゲッペルスの「国家社会主義のABC」を、NSDAPの25の綱領やエルンスト・レームの「なぜSAなのか」などとともに翻訳出版しました。Mykhalchyshynによるアクチュアリティと時事問題の説明とともに、これらは皆、現代のウクライナのナチのがらくたをなしています。例えば、彼は、「革命的国家社会主義者」と題されたテキストの著者でもあります。
 
大規模なデモが終息するや、ナチの人口密度が劇的に増加しました。11月27日に赤旗がスヴォボダ系のC-14の活動家によって破壊されました。旗はぐしゃぐしゃにされ、私たちの旗の多くは、ずたずたにされ、あとかたもなくなりました。その数日後、マイダンの数十人の左翼や労働組合員たちが右翼の武装集団に襲撃されました。
 
11月29日夜に、あたかもユーロマイダンは終息したかに見えました。数百人のラディカルな学生だけが広場に残りました。しかし、ご存知のように、30日の早朝、機動隊が暴力的な攻撃を仕掛け、再度、抗議のうねりが高まりました。
 
新たな大衆運動のうねりが広場に拡がるや、ナチスは組織的に、この運動に影響力を及ぼすほどの力もない少数勢力であること自覚しました。左翼社会主義者のプロパガンダは、大規模なデモがあるたびごとに行うことができましたし、マイダンの外ではいつでも可能でした。
 
12月初旬に、私たちはいくつかの左翼のイベントをマイダンの外、主に、キエフのダウンタウンで企画しました。そのひとつにでは、200人が、警察の暴力に反対する力強いデモを行ないました。残念ながら、当局は適正な法的手続きに基づいて承認しませんでした。というのも、私たちにとっては、キエフの市当局にデモ申請の許可をとることは非常に困難だったからです。それで、スヴォボダによってこのデモがのっとられました。しかし、だれも、警察もナチも私たちを攻撃することはできませんでした。私たちは全く治安上の問題をかかえていませんでした。
 
12月9日の大デモで、私たちはマイダンに、別の「自由マイクロフォン」のステージを設置して介入することに成功しました。真新しいバナーとポスターを掲げ、私たちのアジテーションは、これまで同様の社会主義を内容とするものでした。
 
戒厳令が敷かれて以降、運動の性質は変わり、人々は左翼の主張に耳を傾けるようになりました。
 
数週間が過ぎ、みなさんも想像できると思いますが、政府は私たちの要求に一向に何ら応答をせず、人々の怒りは日増しに高まりました。政府は、野党のリーダーとすら交渉の意志を全く示さないことで、私たちが諦め、絶望するのを待っていました。抗議運動の参加者の数が激減するなかで、政府は残る抗議参加者への弾圧を決定しました。
 
1月16日に戒厳令が議会を通過し、19日に施行されました。抗議参加者は政府に激昂し、暴動が発生しました。人々はマイダン広場から出て、議会へ通じるHrushevsky Streetの警察を攻撃しました。
 
ベルクート[機動隊]への最初の攻撃は主としてネオナチの右派セクター[Pravyi Sektor]が組織しました。彼らは、極右スヴォボダ以上に過激です。しかし、続く数日、普通の人々や極右とは全く違う人々がこの闘争に参加しはじめました。数千人が車のタイヤを大量に持ち出して火を点けて燃やしました。活動家たちのなかにも、主としてロシア語を話す者やキエフの郊外から来た多くの若者など、様々な人々がいました。これは、主としてウクライナ語を話しウクライナ西部の村から来た人々からなるマイダンの広場の人々とはきわめて違う人々でした。
 
戒厳令施行後、キエフ市民の大半は非常に怒っていました。そして、活動家たちが殺された後、より一層怒りが高まりました。マイダン広場は、「普通の」夜であれば数百人の人々なのですが、数千人の人々に埋めつくされ、徹夜で広場に留まりました。この大衆的な行動が、多分、警察が準備していた攻撃からマイダンを守ることになったのです。
 
誰もが警察が強襲して占拠するだろうと思っていました。皆が機動隊が攻めてくると確信していました。新たな立法によれば、デモ参加者は皆、犯罪者だとみなされました。参加者の中には右翼もいましたが、ラディカルな左翼(主としてアナキスト)もいました。大部分のデモ参加者は野党や外国人嫌いな極右に批判的でした。石や火炎瓶が警察隊に向けて多数投げつけられ、警察官に怪我人もでました。残念なことに、何人かの若者たちは、死者が何人か出た後ですら、あたかもゲーム感覚のようにふるまっていました。とはいえ、これは、ウクライナの 民主主義を求めたウクライナの様々な国籍やエスニックグループが参加した反乱だったのです。極右は確かにいましたが、これは、より幅広い運動の文脈のなかでのことなのです。
 
人材も不足していませんでした。広場の高齢の人々は、前線の闘士たちに石やタイヤを運びました。高齢の女性たちは、孫の世話をしながら火炎瓶にガソリンを詰めていました。ジャーナリストとして私自身も最前線にいながらこうした状況を享受しました。
 
「友よ!カクテル(モロトフ・カクテル=火炎瓶:訳注]を受けとって!」と目出し帽をかぶった少年が丁寧な口調で歓迎してくれた。これを断わるのはなかなか難しかったのですが、なんとか自制しました。この少年は私の躊躇と記者証に気づいてそれ以上何もしませんでした。
 
このような印象的な大衆行動に直面して、政府はデモ参加者に対して強制力を行使しないことを決定しました。どのような広場排除の試みも多数の負傷者や死者すら出す結果になるだろうからです。この大衆行動、これが反民主的な非常事態諸立法の導入を阻止したのですが、マイダン運動の最も反民主的な諸要素を誘発することにもなりました。警察との最初の闘争の後に、極右のネオナチ集団は増え、この運動の指導者を標榜するだけの力を得ました。
 
「ウクライナ議会」と文部科学省占拠における左翼
 
左翼もまた数を増やしました。今回の革命は2004年のオレンジ革命とは全く違っています。今回は騒々しいんです!マイダン広場にはメインステージだけでなく、「オープン・ユニバーシティ」とか「オープン・マイクロフォン」のステージなど屋外の公開の討論の場がたくさんあります。もちろん、占拠された屋内の建物でも本当に多くの議論が展開されていました。
 
Hrushevsky通りの1月19日の闘争の後に、左翼の学生の連合体がウクライナ議会の一部を占拠しここで組織的なアジテーションを企画しました。
 
困難な状況でしたが、左翼はマイダンでも以前よりも受け入れられるようになりました。そして、主として左翼と進歩的な活動家たちによって組織された学生センターがウクライナの議事堂でも組織的に介入しました。左翼の出版物やパンフレットがここで配布され、そのなかには私たちの10の宣言[日本語訳]もあり何千部も配られましたし、私たちも公開の討論に参加しました。
 
多くの議論、講義、映画の上映もありました。さらにまた、私たちの雑誌、Spilneの最新号を並べたりもしました。これは大成功でした。私自身はコミュニストであることを表明して、新興財閥を直ちに排除し権力のあらゆる地位から富裕層を排除する社会的な浄化を簡潔に要求するプレゼンテーションを始めました。強調しておきたいのは、the Left Oppositionの社会変革のための10の論点すべてが心から支持され賞賛されたことです。このウクライナの議事堂ホールにはウクライナ西部から来た反コミュニストを自認する人々がいましたし、東部から来た反バンデーラ主義[1909ー59、ウクライナ民族主義社組織OUNの指導者]を自認する人々もいました。しかし、彼らは皆社会的正義が必要だと信じていましたし、社会的な浄化のラディカルなプログラムを支持していたのです!社会的正義の理念がウクライナを団結させていましたし、唯一この理念だけがこの団結を可能にするものなのです。
 
労働者管理と全ての富裕層の選挙権剥奪という私たちの要求は好意をもって受け入れられました。
 
私のプレゼンテーションは2月17日に行なわれました。そして18日に大々的な弾圧があり、議事堂から退去させられ残念なことに私たちのすべての機材などを失ないました。しかし信念まで失なったわけではありません。一週間後に再度議事堂を占拠しました。そこには私たちの機材はなにひとつ残されていませんでしたが。
 
文部科学省
 
マイダンのもうひとつの左翼の行動の事例があります。ヤヌコヴィッチが失脚してすぐ、ラディカルな学生たちが文部科学省の建物を占拠しました。ここで重要なことは、スヴォボダのメンバーのこの建物への立入りを認めなかったことです。新政権では、文部科学省は、スヴォボダに割り当てられたポジションでした。彼らは、過激な党のメンバーであるFarionではなく穏健なKyiv Mohyla Academy大学の教区牧師、Mr. Serhiy Kvitを指名しました。
 
Kvitが最初にオフィスに入る前に、彼は学生たちの前で教育と科学技術についての彼のプログラムを擁護しなければならず、必ずしも上品とはいえない学生たちの多くの質問に答えなければなりませんでした。更に、彼は学生たちによって準備された行程表の計画に署名させられたのです。
 
そして私たちは現在、この行程表に沿って進めているところです。学生集団が行程表の実施では実権を握っているということを忘れるべきではないでしょう。
 
the Left Oppositionの私の仲間や私自身は、現在、情報開示プロジェクトに関わっています。コンピュータによる自動化技術の優秀なエキスパートであるMs.Kejovaが文部科学省の自動化システムを開発しており、すべての省の台帳の生データをインターネットで公開することになるでしょう。文科省次官のMs. Inna Sovsunはこのプロジェクトに配慮を与えており、4月1日前には公開されるだろうと確信しています。それ以降毎日データは更新されることになるでしょう。
 
私は皆さんがこの生データをダウンロードしてその内容を分析するようお願いします。たぶん、英国のエキスパートは、ウクライナの文科省の管理運営の適正化でなんらかのアドバイスをしてもらえるのではないでしょうか。その次には、私たちは、文化省のデータの開示を計画しています。
 
マイダンを支援するクルィヴィーイ・リーフの労働者たち
 
このウクライナの革命の民主的社会的な性格に関して、私たちが確信をもっているもうひとつ重要なことは、独立した労働組合の役割です。クルィヴィーイ・リーフは南東部の大工業都市です。ここは、大多数がロシア語を話す典型的なウクライナ人の大都市です。
 
ほぼ100万人の人口で、大部分は、鉄鉱石や鉄鋼を生産する鉱山や製鉄の労働者として工業企業に雇用されている産業労働者です。ウクライナ東部の多くの都市は脱工業化され1990年代の危機以後衰退しつつありますが、クルィヴィーイ・リーフはそうではありません。ご存知のように、工作機械と製鉄での大きな落ち込みがありましたが、鉱業ではそれはありませんでした。この都市は、鉄鉱山の町です。通りの埃も赤い色をしています。
 
マイダンも小規模の商売の人々によっても始められました。しかし労働者の役割は今や最も重要なのです。マイダンアはここでは大きな運動でした。しばしば5000人を越える人々が抗議に加わりました。これと比べれば、親ロシア派のデモは100人足らずにすぎず、多くても2、300人にすぎません。しかもその多くはマイダンからやてきた市民やアジテータで、親ロシア派の人々とは誰なのか、なぜ彼らはロシアの三色旗を掲げているのかを知りたいと思っていました。これが人を騙すための企みだというのは、この町では、誰も親ロシア派の人間を知りませんでしたし、市民社会や労働組合や政治活動で活発に活動してきた親ロシア派の人物などいませんでしたから。プーチンのような人物なら会いたがるような、何人かのバイカーがいました。しかし誰も彼らが誰なのか知りませんでした。以前この町で会った者はいなかったから。現在、10名ほどの親ロシア派の人々が地方政府ビルの近くにピケットを張っています。
 
鉱山独立組合の指導者たちは、マイダン評議会the Rada Maidanに選出された12名の中にもいます。鉱山組合のコーディネーター、同志Jurii Samoilovは、マイダンの自衛部隊の主要なユニットである「鉱山の100人」の指揮官です。自衛は大変重要なことです。というのも、リナト・アフメトフ[Rinat Akhmetov]やとりわけロシアの新興財閥が所有する鉱山の管理は、会社が雇った組織的なチトゥーシキ[titushki][訳注]の部隊をもっているからです。この部隊は抗議参加者を襲い野党指導者の事務所に放火したりしているのです。マイダンの自衛部隊はこうした攻撃の後ではじめて形成されました。
 
現在。「マイダンの100人」は地域の警察と一緒に市中パトロールに参加し多忙です。
 
マイダンが始まった当初、鉱山労働者は私に、一般論として我々はマイダンを支持するが、マイダンは我々の革命ではない、と語っていました。しかし、今、彼らはマイダンが自分たちの革命だと感じており、私たちもまた、マイダンは私たちの革命だと感じています。少なくとも、クルィヴィーイ・リーフでは。
 
スヴォボダが関与している新政府を支持しない。
 
新政府はスヴォボダのネオナチ志向の指導者たちと協力しており、20名の閣僚のうち3名がそうです
 
こうした人々は人種差別的なウクライナの新帝国を確立することに本気で夢中になっているというのは本当です。マイダンで彼らが叫ぶスローガンは、「世界に冠たるドイツ」をウクライナ語にしたものです。この帝国は核兵器と大陸間ミサイルで武装されるべきものだという観念をでっちあげています。信じていただきたいのですが、ウクライナにはこれを可能にする資源があるのです。ドニプロペトロウシクのミサイル工場はいつでの操業可能です。新に任命されたドニプロペトロウシクの知事と悪名高い新興財閥のコロモイスキ[Kolomoisky]は、このミサイル工場を視察したばかりです。koromoisukiはウクライナのユダヤ人会議の指導者ですが、この会議は彼が右翼や反労働者にならないように阻止していません。
 
しかし、ナチのようになろうとする意思は、自然に生まれるということではありません。大衆運動のプレッシャーのなかで、彼らは自らの戦争や外国人排斥のアジェンダを推し進めることはできません。問題は、もしウクライナがロシアとの戦争になるとすれば、このファシストのアジェンダが多分社会に受け入れられるかもしれないという点にあります。
 
現在、政府はマイダンの社会的なスローガンを完全に忘却しています。政府と財界の間に境界を設けるかわりに、ドニプロペトロウシクとドネツクでは知事として新興財閥が任命されました。信仰財閥には彼らの資産の10%に課税すべき(将来的には貧困層と分けあうことになるでしょう)というマイダンの要求のかわりに、大企業への課税について何ひとつ聞かされずIMFの全ての要求を完全に受諾するという正反対の宣言を聞かされています。
 
結果として、私たちは、この政府を正統性のあるものとして受け入れています。これは明白に、マイダンにおける大衆的な草の根の運動のうねりの上に形成されました。そして、この政府はその責任をマイダンに負っています。私たちは、世界の全ての政府に、とりわけロシアに、この政府を承認するように訴えます
 
しかし、私たちは、政治的にはこの政府を支持しません。私たちは、情報開示プロジェクトのような若干のローカルなイニシアチブでは、実質的な意味で政府を支持します。しかし、政府がモニュメントの破壊を支援したり、政府の言語立法のイニシアチブを支持しません。口実として戦争の脅威を利用して、新政府はソヴィエトのモニュメントを破壊したり極右の活動家を警察や軍に入れて過激派を支援しています。一般的に私たちは、新政府は、戦争の脅威を煽ろうとする愛国主義や反共ヒステリー、そして逆に、このヒステリーによる戦争の脅威の扇動を支持しません。
 
戦争ヒステリーの扇動を阻止し、実際に戦争になることを食い止めるために、この国を政治的に再度統一する道を見出さねばなりません。そして、このことは、過激なナショナリズムの土台の上にではなく、社会的正義のアジェンダの上において可能なのです。ウクライナの東部や南部の多くの人々が新政府を全く信用していないというのは本当です。しかし、彼らはプーチンや親ロシアの過激派も信用していないのです。議会の地域党のメンバーがあっという間に心変わりしたことがウクライナの東部と南部の有権者に裏切られ、排除されたという感情を生み出したことを銘記すべきです。形式的には、ウクライナ議会は絶対に正統性をもっていますが、かつての議会第一党の地域党は、現在では1議席もありません。クリミアの有権者は彼らに心底怒っています。この事実は、例えば、クリミア議会での演説で、この発言者はクリミア地域党の新指導者を自ら宣言するなど、分離主義のプロパガンダによって組織的に利用されているのです。
 
したがって、ウクライナ政府に総選挙を要求することが最も重要なことなのです!
 
評議会(ラーダ)の再選挙は、東部と西部のウクライナの代表が一緒になれる唯一の方法です。現在の状況のなかで、選挙の不正を行うのは非常に難しいし、議会の構成が現実に人々に信認されている代表からなるように大きく変化すると確信しています。また、社会的正義のアジェンダがこうした側面を促すだろうとも確信しています。
 
同様に重要な第二の点は、ロシアがクリミアから軍隊を撤退させるように圧力をかけることです。これは、正統性のある国民投票と独立の承認においての前提条件です。そうでなければクリミアは困難な経済危機のなかで未承認の国家のままになるでしょう。空路もなく、水道の供給もなく、観光客もいない等々ということになります。そして準戦争状態がウクライナの極右によって 民主主義と社会的正義のアジェンダを抑圧するために利用されることになるでしょう。私たちはヨーロッパの左翼にクリミアへのロシアの侵略を支持しないように訴えます。私は、また、あなたがたがはっきりとロシアの侵略に反対だと強く表明すべきだと思います。もちろん、国際的監視団が、可能な限り、クリミアには必要です。
 
言うまでもなく、ウクライナの市民社会や若干の政府機関でも皆さんの技術的な支援を必要としています。私は、文部科学省における腐敗をなくすための生データ情報開示のイニシアチヴのことを念頭に置いています。[2]これが全省庁に拡大されるだろうことを期待しています。英国は文書開示のプロジェクトで重要な経験をもっています。皆さんのアドバイスと支援を私たちは歓迎します。
 
どうか独立した労働組合を支援してください。彼らの大半は工業地帯に封じこめられており、ウクライナの大きな政治にほとんど影響力を持てていません。彼らの組織を建設するために力を貸してほしいのです。彼らは新興財閥とは別の彼ら独自の労働党を必要としています。しかし彼らにはそうした党建設の経験がほとんどありません。
 
最後に、新政府に入った極右に対してはいかなる違法行為も許さないということを示すことが大切です!
 
そして、ヨーロッパの活動家と個人の皆さんが、こうした問題を論じるためにキエフに来られることを歓迎します。キエフでこうしたことを自由に話すことができますし、多くの聴衆からの関心が寄せられると思います。
 
[1] http://politosophia.org/page/mykhalchyshyn-vatra.html
 
[2] http://pit.org.ua/ArticleSection/News/7058.aspx
 
訳注
藤森 信吉「革命成就したウクライナ現地リポート」では次のように述べられている。
「アルセナール駅に近い議事堂前のマリンスキー公園は、政府側が市内撹乱のために主として東部ウクライナから動員されたチトゥーシキ(Titushki)と呼ばれる暴力集団のキャンプ地であったが、多数の簡易トイレを残して昨晩のうちにすみやかに撤収した後だった。市民の多くが防具と武器で身を固めているのは、本来、このチトゥーシキに対する自衛のためであるが、危険が去った今では自らの信条を表すアイテムとして機能している。」
 
出典
http://www.marxisthumanistinitiative.org/international-news/ukraine-left-opposition-activist-reports-on-maidan-movement.html .
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