私は4月7日付けの記事で毎日新聞『風知草』筆者の山田孝男記者(編集委員)の「高村は何を説いたか」というコラムを「集団的自衛権限定行使容認」礼賛論として批判しました。そして、その際に「そういうこともあるのか、東京新聞や朝日新聞のような『集団的自衛権限定行使容認論』に対する毎日新聞自体としての社説はいまのところ書かれていません」と同紙総体としての編集姿勢に対する若干の疑義も述べておきました。
 
さて、毎日新聞は、私のようなカスバの男(いうまでもないでしょうが「カスバの女」のダジャレ。それも藤圭子の「カスバの女」)の疑義のせいではまったくないでしょうが、昨日の4月11日付けで「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」という社説を掲載しました。
 
同紙の社説のタイトルは「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」というもので、東京新聞の「集団的自衛権『限定容認』という詭弁」、朝日新聞の「集団的自衛権 砂川判決のご都合解釈」というタイトルにくらべて断定調の調子(メディアの一般的なタイトルのつけかた)では決して引けをとってはいませんが、東京新聞、朝日新聞と当の毎日新聞の社説の冒頭部分を比較すると次のようになります。
 
・東京新聞「集団的自衛権『限定容認』という詭弁」:
「限定的なら認められる、というのは詭弁ではないのか。集団的自衛権の行使の「限定容認論」である。政府の憲法解釈は長年の議論の積み重ねだ。一内閣の意向で勝手に変更することは許されない。」
 
・朝日新聞「集団的自衛権 砂川判決のご都合解釈」:
「牽強付会とはこういうことをいうのだろう。集団的自衛権の行使容認に向け、政府や自民党内で1959年の砂川事件の最高裁判決を論拠にしようという動きが出てきた。『判決は集団的自衛権の行使を否定していない』というのがその理屈だ。だが、この判決は、専門家の間ではそうした理解はされていない。都合のいい曲解だ。」
 
・毎日新聞「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」:
「集団的自衛権をめぐり、条件をつけて限定的に行使を認める『限定容認論』が政府・自民党で勢いを増している。安倍晋三首相も限定容認論で与党調整を進める考えを示した。『限定』というと抑制的に対応しているように聞こえるが、現在の議論は、議論の進め方、内容、法理論のいずれも疑問や問題が多い。歯止めがきかなくなる恐れも強い。」
 
東京新聞や朝日新聞とくらべて毎日新聞の社説の及び腰の姿勢は明らかというべきでしょう。何に対して? もちろん、ときの政権に対して、です。
 
メディアの本来のありかたを行動で示したピーター・ジェニングス(アメリカの三大ネットワークのひとつであるABCのニュース番組「ワールド・ニュース・トゥナイト」のアンカーを長年務めた。2005年8月没)の「メディアのいちばん重要な目的は、 どの政府に対してであれ、 一般大衆の側に立ってそれを監視し、日々疑問をなげかけること」であるという遺言、グレッグ・ダイク(英国の公共放送BBCの元社長)の「放送の中心的役割の一つは、時の政権を疑い、政権がいじめてきたら、立ち向かうことである」というブレア英首相への返信(「BBCのイラク関連報道は英政府に批判的過ぎる」というブレア英首相からの非難の手紙への返信)の言葉と比較してももちろん毎日新聞の論説委員諸氏の及び腰の姿勢はくらべようもないほど明らかです。

私は先の記事では実は次のように書いていました。
 
「(高村正彦自民党副総裁の「集団的自衛権限定行使容認論」を礼賛する)山田孝男記者(編集委員)の反ジャーナリズム性、反ジャーナリスト精神は雪どけのときの地盤のようにくっきりと露呈してきました。そういうこともあるのか、東京新聞や朝日新聞のような「集団的自衛権限定行使容認論」に対する毎日新聞自体としての社説はいまのところ書かれていません。山田孝男記者と同様、毎日新聞の編集委員総体が右派の思想に冒されているということか。毎日新聞総体としてのジャーナリズム性が問われている事態といわなければならないでしょう」。
 
毎日新聞論説委員諸氏はその私の疑義を負の形で裏づけてくれました、と私は感謝するべきか。
 
山田孝男記者を含む毎日新聞論説委員諸氏には改めてあの日本の名曲の三木露風作詞、山田耕筰作曲の「赤とんぼ」のうたにも匹敵する辺見庸作詞の「糞バエのうた」を進呈させていただきたいと思うしだいです。
 
「二〇〇二年に私がだした『永遠の不服従のために』(毎日新聞社刊、講談社文庫)という本で書いたことがあります。やつら記者は『糞バエだ』と。友人のなかには何度も撤回しろという者もいました。でも私は拷問にかけられても撤回する気はない。糞バエなのです。(略)世の中の裁定者面をしたマスコミ大手の傲岸な記者たち。あれは正真正銘の、立派な背広を着た糞バエたちです。彼らは権力のまく餌と権力の排泄物にどこまでもたかりつく。」(『いまここに在ることの恥』毎日新聞社 2006)
 
社説:集団的自衛権 限定容認論のまやかし
(毎日新聞 2014年04月11日)
 
集団的自衛権をめぐり、条件をつけて限定的に行使を認める「限定容認論」が政府・自民党で勢いを増している。安倍晋三首相も限定容認論で与党調整を進める考えを示した。
 
「限定」というと抑制的に対応しているように聞こえるが、現在の議論は、議論の進め方、内容、法理論のいずれも疑問や問題が多い。歯止めがきかなくなる恐れも強い。
 
限定容認論とは、日本の安全に大きな影響が出る場合に、原則として日本の領域や公海上での行使を認め、他国の領土・領海・領空での活動は、攻撃を受けた国から明確な要請があった場合に限る考え方だ。
 
◇現実の必要性踏まえよ
 
朝鮮半島有事に公海上で自衛隊と共同行動をしている米艦船が攻撃を受けた場合の防護、強制的な船舶検査(臨検)、機雷で封鎖されたシーレーン(海上交通路)の戦闘下での掃海活動などが検討されている。
 
安倍政権は当初、全面的に行使を容認したうえで政策判断による歯止めを目指したが、公明党の慎重論や世論に配慮して、限定容認に軌道修正した。「全面」が駄目なら「限定」でといわんばかりの議論の進め方は安易で乱暴だ。行使容認ありきで、現実的な必要性を踏まえた精緻な議論があまりに乏しい。
 
例えば米艦防護だ。自衛隊法95条は自衛隊の武器、船舶、航空機などを防護するための武器使用を、日本の領域外も含めて認めている。この武器等防護規定を使えば、現在の憲法解釈のままで米艦を防護できるという意見が政府内にも根強くある。
 
自民党の石破茂幹事長は、艦隊行動では隣の船は水平線の向こうにいるので、米艦への攻撃を日本への攻撃とみなすのは難しいと話しているが、よく議論する必要がある。
 
2003年の衆院安全保障委員会で、当時の秋山収内閣法制局長官は「我が国を防衛するために出動して公海上にある米国の軍艦に対する攻撃が、我が国に対する武力攻撃の端緒、着手と判断されることがあり得る」と答弁している。
 
この解釈によれば、距離が離れていても個別的自衛権で米艦防護が可能なケースがあるのではないか。
 
集団的自衛権の行使にあたっては個別の事態ごとに閣議決定などの手続きを踏むことが想定されるが、米艦が攻撃を受けている時に短時間で政府の手続きを終え、防護できるのかも疑問だ。現在の枠組みのほうが迅速に対応できるようにみえる。
 
朝鮮半島有事に対応するには、現在の憲法解釈のままで周辺事態法改正により米軍への後方地域支援を拡充することも議論すべきだ。
 
一方、朝鮮半島有事の臨検や、シーレーンの戦闘下での機雷掃海は、集団的自衛権の行使や集団安全保障措置への参加を容認しなければ困難との見方が多い。
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