浅井基文さんの「ウクライナ問題における論点」の第2回目。今回は中国の国際問題研究者の田文林署名の文章をとりあげて「民主(カラー)革命の評価」について論じています。浅井さんはありうべき誤解をあらかじめ予想して次のように言っています。「最近の中国言論界に現れている、民主(カラー)革命に対する分析に対しては、『共産党支配を擁護するための官制キャンペーン』というレッテル貼りではなく、その言わんとしていることを正確に認識する必要があると考えます」。浅井さんの「エジプト情勢に関して言えば、私はエジプト軍部のムスリム同胞団鎮圧を肯定する田文林の立場には素直についていけないものを感じています」という違和感の表明についても留意しておく必要があるでしょう。

3年前に「ホワイト革命」とも称されたエジプト革命」はいまどのような地点に立っているのか? この点については元共同通信ベイルート特派員で龍谷大学名誉教授の坂井定雄さんが本日付けの「リベラル21」紙に「シーシ元帥が大統領出馬を表明、大量死刑判決の2日後―革命3年後のエジプト⑤」というエジプトの現状を報告する記事を書かれていていますので浅井基文さんの「ウクライナ問題における論点」の論の後に転載させていただこうと思います。坂井さんの報告されるところが現在のエジプトの現状です。あわせてご参照ください(以下、中国論文の転載は浅井さんの強調部分のみ。その他の強調は引用者です)。
 
 
 
ウクライナでは2004年にオレンジ革命が起こり、2003年のグルジアにおけるバラ革命、2005年のキルギスにおけるチューリップ革命とともに「カラー革命」と称され、2010年のチュニジアを起点とする、「アラブの春」と総称される中近東北アフリカ諸国における民主化運動とともに、日本を含めた西側(特にメディア)においては手放しに歓迎する受け止めが支配してきました。しかし、中国においてはむしろ慎重な受けとめ方が主流です。
 
その原因として日本をはじめとする西側メディアが指摘するのは、共産党の一党独裁体制をとる中国としては、チベット、新疆などでの少数民族の分離独立運動に波及することを恐れているからだというものがほとんどです。そういう要素は確かにあると私も思います。 しかし客観的に見た場合、カラー革命は軒並み失敗していますし、アラブの春ともてはやされた民主化運動も、チュニジアを除けば、おおむね大きな困難に遭遇し、むしろ深刻な混乱、内部分裂に陥っています。他方、中国国内においては、その改革開放路線が巨大かつ着実な成果を生みだしてきた実績、特にその結果として今やアメリカと対等に渡り合う大国となっていることを背景として、国民的自信が顕著に高まっていることは否定できないと思います。

そういう自信は各方面で顔を覗かせるようになっていますが、中国の政治制度に対する確信と自信というのも見逃せない一つです。その自信は、「カラー革命、アラブの春が失敗に終わっていることの原因は、条件もないもとで西側のデモクラシーを機械的に導入することにある」、「途上国にとって必要なことは、中国が実践しているように、自国の実情を踏まえたモデルを自分自身の手で探し出すことだ」とする分析にもつながっています。
 
私は人間の尊厳・人権・デモクラシーという普遍的価値の実現を目指すのが人類史の歩みだという確信を持っていますし、日本においてはこの普遍的価値を実現することが現実の最大の政治課題(そのためには安倍政治・自民党政治に引導を渡すことが不可欠)だと認識しています。しかし、デモクラシーを実現している欧米諸国の歴史を見れば一目瞭然であるように、人権・デモクラシー(政治的市民的自由)を実現するためには、生存権の確立(経済的社会的文化的自由の実現)が欠かせないとも確信しています。「デモクラシーは多様な顔を持つ」というのが私の確信であり、欧米式デモクラシーのみがデモクラシーだとする思い込みは厳に慎むべきだろうと考えるのです。
 
そういう私の考え方からしますと、最近の中国言論界に現れている、民主(カラー)革命に対する分析に対しては、「共産党支配を擁護するための官制キャンペーン」というレッテル貼りではなく、その言わんとしていることを正確に認識する必要があると考えます。今回紹介するのは、中国国際問題研究員(ママ)の副研究員である田文林署名の二つの文章です(強調は浅井)。
 
ちなみに、エジプト情勢に関して言えば、私はエジプト軍部のムスリム同胞団鎮圧を肯定する田文林の立場には素直についていけないものを感じています。その理由は2点あります。
 
第一に、ムスリム同胞団出身のモルシ前大統領政権の執政が世俗派を中心とする反対勢力の動きでマヒし、国内政治経済情勢が混乱に陥ったことはそのとおりかもしれませんが、モルシ政権の失政が政情混乱の原因なのか、それとも反対派の執拗な行動がモルシ政権の行動の余地を狭めて情勢の混乱につながったのか、要するに因果関係が素人の私には判断できないのです。
 
第二点として、エジプト軍部が政権を掌握するとしても、それだけでエジプトの安定と回復が実現するとはとても思えないのです。そもそも、エジプトの民主化運動はムバラク軍事独裁政権に対する反対運動として起こったわけですから、シーシ国防相が大統領になるとして、その暁にムバラク政権時代とは異なる政策でエジプトの政治・社会を建て直すことができるのかどうかは、素人の私にはやはり判断できる材料の持ち合わせがありません。
 
この2点について、田文林文章はヒントとなる判断材料を提供していませんので、私としては物足りなさを感じるわけです。
 
1.「ウクライナ 早熟が'壊れたデモクラシー'を導く」
 
この文章は、3月21日付の人民日報海外版のウェブサイトに掲載されたものです。

ウクライナの現在の混乱した局面という災いの根っこにあるのは、1991年に独立したときに導入した西側の政治制度である。西側のデモクラシーがウクライナの「政治土壌に合わない」からこそ、ウクライナは「民主化の落とし穴」に陥ってしまったのだ。
 
多くの人は「デモクラシーは良い」と言うが、この西側の制度がウクライナに移植されたとき、「壊れたデモクラシー」の典型になってしまったのはいかなる原因によるものだろうか。原因は各方面に及ぶが、その中で重要な一点は、「良いデモクラシー」は本来的に贅沢品であり、それが正常に機能するためにはいくつかの条件が必要だということだ。その条件とは、比較的高い経済水準、層の厚い中産階級の存在、成熟した政党制度、コンセンサスのある政治文化などである。そのほかにも、国家が整備されていて国家・民族の整合性があり、人々が共通のナショナル・アイデンティティを備えていることも必要だ。これらの条件が備わっていない場合には、民主化は人々の間の民族的、教派的対立を激化するだけになってしまう。ウクライナは正にこれらの必要条件を欠いているのだ。
 
正常な状況のもとにおいては、民主政治における多元的競い合い及び政党間の組み合わせは、立場、利益などの後天的な違いに基づいて決められるべきであって、先天的な教派、民族及び地域的な違いに基づくべきではないはずだ。ところがウクライナ人の民族的、地域的アイデンティティはナショナル及び国家的なアイデンティティよりも強い。こういう状況のもとでは、ウクライナで開始された民主化プロセスは東西の民族的、地域的違いをますます激化させてしまう。
 
以上から簡単な道理が分かる。政治的な変革は、国家の興亡及び土台安定にかかわる問題であり、「大きな流れに従う」ことはもちろん、「むやみに突っ走る」ということであってはならないということだ。政治制度の優劣を判断するカギは、その制度が富国強兵を実現し、総合的国力を増進するかどうかを主として見るべきであり、いわゆる「民主化」を実現するかどうかということではないのだ。したがって、政治制度の選択に当たっては国情、民情、社会的条件と結合させる必要があり、機械的にやることは「虎を描こうとして犬のようになってしまう」(野心が大きすぎて失敗するたとえ)ことになり易く、国家をして「民主化の落とし穴」に陥らせることになる。習近平はかつて、「靴が足に合っているかどうかは、自分で履いてみてはじめて分かる」と形容した。即ち、ある国家の発展の道が適合しているかどうかについては、その国家の人民だけが発言権を持っている。こういう実事求是、即ち具体的問題を具体的に分析する科学的な態度は、西側の抽象的な「普遍的価値」よりもはるかに第三世界の国々にふさわしいものなのだ。
 
2.「ムスリム同胞団弾圧 エジプト軍部の危険な一手」
 
この文章は3月27日付でやはり人民日報海外版のウェブサイトに掲載されたものです。文章はエジプト国内情勢についてかなりスペースを割いて説明していますが、ここでは、今回のテーマに関係する部分だけを訳出して紹介します。

政治勢力の多元化あるいは二大政党対決は、政治的繁栄及び「民主と自由」の表現であるかのように見える。しかし、タイにおいて、民主化後に現れた赤シャツ派(タクシン派)と黃シャツ派(反タクシン派)の政治的対立、及びウクライナの民主化後における親西側勢力と親露勢力との角逐の結果は何かといえば、最終的には国家及び社会の分裂の深まりであり、国家及び人々の全体的な利益は深刻に損なわれた。エジプトの民主化プロセスで出現した世俗派と宗教勢力との対立もまた、エジプト社会の分裂、政治的消耗、国家空転などの一連の危険な状況を生みだした。事態を成り行きに任せてしまうならば、エジプトは結局「失敗国家」あるいは「半失敗国家」となってしまうだろう。
 
シーシ元帥が大統領出馬を表明、大量死刑判決の2日後―革命3年後のエジプト⑤(リベラル21 坂井定雄(龍谷大学名誉教授) 2014.03.31)
 
クーデター後のエジプト最高権力者、シーシ国防相兼軍総司令官は3月26日、国防相を辞任し、6月までに行われる大統領選挙に出馬することを表明した。エジプトのメディアはこぞってシーシの圧勝を予想している。シーシの出馬表明は、エジプト南部のメニア地方裁判所が、ムスリム同胞団の支持者529人に集団死刑判決を宣告した2日後。さらに内務省当局が同様の罪状で、新たに2件、同胞団支持者計919人をやはりメニアの裁判所に集団起訴することを命令してから数時間後だった。英BBCによると、昨年3月のクーデター以後、逮捕された同胞団員と支持者は約1万6千人で、うち2,147人が起訴され、残りの大部分が処分未定で違法に投獄されたままだ
 
ムスリム同胞団は2011年の「1月25日革命」の中心的な一翼を担ったが、革命を先導したのは、「4月6日運動」をはじめリベラルな若者組織だった。そのリーダーだったマーヘル、アデル、ドウマの3人は、軍事裁判で民間人を裁く憲法上の制度に反対するデモを無許可で行ったとして逮捕・起訴され、重労働3年の判決を受けて獄中にいる。また12月以来、デモと集会をすべて警察の許可制にする厳しい規制法で、リベラルな人権団体の活動家たちが相次いで逮捕され、スピード裁判で有罪判決を受け、投獄された。
 
そして、革命3周年記念日の1月25日にカイロはじめ各地で行われたデモ規制法抗議デモでは、人権団体や若者たちが1千人以上逮捕され、警察署で殴打、電気ショック、座れないほどの監房への詰め込みなどの、ムバラク時代そのままの拷問が行われた。
 
これが、「革命3年後のエジプト」の現実だ。昨年7月のクーデターは反革命だった。
 
それ以後の暫定政権での周到な準備を経て、シーシは選挙で大統領に就任し、軍の力を背後に、裁判所、警察そしてメディアまで支配する強権的な独裁政権を築くことを目指しているに違いない。
 
▽集団死刑判決にきびしい国際的非難
死刑判決された529人の罪状は、モルシ大統領の逮捕・投獄に抗議する支持者たちのデモがメニア地方の警察署を襲撃、副署長を殺害したという容疑。裁判はごく短時間の1回目を開いたのち、2回目は被告、弁護団側が一人もいない法廷で判決が下されただけ。検察側は被告たちの取り調べに弁護団の立ち合いを拒否、判決には被告個人ごとの罪状は示されず、被告集団全員に対する死刑判決だった。
 
同胞団の最高指導者バディーエは、死刑判決が下された529人のなかにも、新たに起訴された2件の裁判の被告団にも含まれていている。新たな裁判の一方はサラムート市でデモ隊が警察官ら6人を殺害し、51人に殺人未遂を行ったという容疑で被告は715人。もう一方はメニア地方で国家施設を攻撃したという容疑で被告は204人。いずれも、検察側は、被告の取り調べに弁護士の立ち合いを一切拒否した。
 
わずか2日間の裁判での集団死刑判決に対し、国連人権機関、欧米諸国、国際人権団体は直ちに厳重な非難を声明した。ピレイ国連人権高等弁務官は「この集団死刑判決は、近年の史上前例のないことだ」「性急な集団裁判は、裁判手続きの異常な欠如だらけで、国際人権法に違反している」と非難
 
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは「この集団死刑判決は、エジプトの裁判制度の欠陥と恣意的な運用の奇怪な一例であり、この不正義は取り消されなければならない」と声明した。
 
▽エジプト史上最大の集団死刑判決
今回の集団死刑判決は、エジプト史上最大の裁判所による死刑判決だ。1952年の革命後、70年の死去まで最高指導者を務めたナセルは、54年にナセル暗殺を計画したとして、ムスリム同胞団の最高指導者を含む幹部7人を逮捕、裁判で死刑判決を下した。しかし、その後減刑され、釈放された。さらに64年、やはりナセル暗殺計画の容疑で同胞団の思想的指導者クトゥブはじめ同胞団メンバー多数を逮捕、うち6人に裁判所が死刑判決を下し、66年に処刑した。
 
ナセルの後継者になったサダト大統領は、イスラエルとの平和条約締結後の1981年にイスラム過激派「イスラム・ジハード運動」の兵士たちによって暗殺された。逮捕された犯人5人に死刑判決が下され、82年に処刑された。
 
その後のムバラク政権時代でも、一般犯罪での裁判で毎年、20~30人程度の死刑判決が下されているが、執行状況は不明。
今回のような529人に上る集団死刑判決は、上級審で(エジプトは2審制)で減刑される可能性はあるとはいえ、エジプト史上まったく異常なことなのだ。
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