浅井基文さん(元外交官、政治学者)が前回の「ウクライナ情勢(中国政府の立場と見解)」(2014.03.16)という記事に引き続いて「ウクライナ政治の経緯と問題点(中国共産党対外連絡部発行誌所掲文章)」(2014.03.21)という記事を書いています。浅井さんは前回の記事ではロシア側、西側諸国(米欧)側の「いずれか一方の側を支持するのではなく、対話と外交によるソフト・ランディングを主張」する中国政府サイドの見解を良識ある見解として好意的に紹介していましたが、当然のことながら、今回の記事でもその立場は変わっていないようです。中国側立場の論攷を「主観を極力排し、客観的かつ公正に分析」していると評価しています。なお、浅井さんの左記の見方の前提には内政不干渉と民族自決原則という国際法上の二大原則の両立と平衡という考え方があることはいうまでもありません。
 
浅井さんが「ウクライナ問題に関する中国専門家の分析文章はこのところ質量ともに豊富ですが、この文章はピカ一です」と評価する中国政府サイドの論攷は以下のとおりです。引用者が太字で強調しているところは中国側立場の論攷で主にロシア側、西側諸国(米欧)側双方を批判している箇所です。
 
 
中国共産党対外連絡部が発行する雑誌『当代世界』3月号は、中国社会科学院ロシア東欧中央アジア研究所の張弘副研究員署名の「ウクライナ政権の危機とその'欧州ドリーム'」と題する文章を掲載しました。中国共産党対外連絡部発行の雑誌に載っている文章ですから、党中央の見解・立場そのものではないとしても、かなりの程度まで反映しているとみて間違いないと思います。
 
3月18日付の環球時報HPにはそのダイジェスト版が載っているのですが、朝鮮半島情勢のようにはウクライナ情勢をフォローしてきたわけではない、いわばにわか勉強中の私にとって本当に読み応えがある内容でした。主観を極力排し、客観的かつ公正に分析を心掛ける姿勢には快感を覚えるほどです。ウクライナ問題に関する中国専門家の分析文章はこのところ質量ともに豊富ですが、この文章はピカ一です。訳出して紹介します。  
 

ウクライナの反政府の騒乱と抗議は2ヶ月以上続き、双方に82人以上の死者と1000人以上の負傷者を出した。ところが、ヤヌケビッチ大統領が主要な反対政党の代表との間で2月21日に危機解決の協定を結んでから24時間も経たないとき、情勢は急転直下の変化を迎えた。議会が突然反対党に傾き、ヤヌケビッチを罷免するとともに、反対党の領袖であるティモシェンコを釈放した。ヤヌケビッチはそそくさと逃亡し、親西側政党が完全に情勢を支配した。
 
<民意無視がウクライナ社会の矛盾激化をもたらした>
 
  まず、欧州との一体化政策はウクライナ社会で広範な支持を得ている。ソ連解体後、ウクライナは西側の立憲民主制を実行した。この政治制度のもとでは、国家の公民に対する政治領域でのコントロールは弱まり、公民の政治参加の権利に対する西側民主政の影響は、選挙及びマスメディアを通じて不断にウクライナ人に及んで来る。西側民主制度の樹立に伴い、西側文化がかつてのソ連領であった地域で広範に伝播した。今やウクライナ社会における欧州との一体感は、地域、民族及び文化の境界を越えて、伝統的に親欧州であった西部住民だけでなく、大量の新世代のウクライナ人にも共有されている。ウクライナの独立以後に成長してきたこれら新世代の有権者は、価値観において強烈にウェスタナイズされ、欧州との一体化に対する経済的期待には強烈なものがある一方、国内の政治生活においては疎外されていて、政治参加に対する要求は極めて強い。
 
  次に、民族主義者は抗議する民衆の急先鋒だ。独立したウクライナ人はロシアの歴史問題に関する態度にこだわりが強い。独立後のウクライナの教育システムでは急速な「脱ロシア化」が進んだ。中学校の歴史教科書ではウクライナについて教えることが際立って重視され、特にカラー革命以後は、20世紀のいくつかの重要な歴史問題について書き換えが行われている。 即ち、ウクライナ独立後の中学校の新しい歴史教科書では20世紀の共産党政権による政治的迫害と鎮圧、ウクライナ民族の蜂起軍、共産党統治に対する反抗運動及びウクライナ大飢饉について大量かつ詳細に紹介している。ウクライナの教育部門によれば、歴史教育に関する新しい計画を実行することを通じて、ウクライナの子供たちは、ソ連政権がウクライナ人に対して行った民族絶滅の犯罪的行為及びウクライナ民族解放運動による共産党政権の制度に対する抵抗の歴史を詳細に理解することができるという。言語及び歴史教育は新ウクライナ社会の政治的人格形成に対して決定的な役割を果たす。 (浅井注:以上の指摘は、自民党と文部省・文科省の一貫した歴史教科書に対する書き換えの政策が今日の日本社会の右傾化の最大の原因であることを想起させずにはおきません。)ヤヌケビッチ大統領が欧州との一体化プロセスをいったん止めたことについてもロシア絡みの要素が含まれる。ロシアは、ウクライナとEUが経済一体化協定を結ぶことを阻止するため、ウクライナに対して巨額の借款と天然ガス価格引き下げなどの経済的措置を提供せざるを得なかった。これらの経済援助は瀕死のウクライナ経済にとって不可欠なものであったが、ウクライナの親欧州派の民衆にとっては間違いなく「強制的恩恵」だった。ロシアの経済援助は民衆の感激を獲得しなかったどころか、逆に民族主義の感情を激発することになった。その結果、民族主義者は親欧州政党が煽る中で街頭に繰り出し、ついに政権を転覆させたのだ。
 
  第三、これはウクライナ政権の信任危機である。代議制度の枠組みにおいては、有権者は選挙を通じて誕生した政府を通じて国家を管理する権力を間接的に行使する。しかし、この制度には一つの欠陥がある。つまり、選挙が終わった後は、政府の行動は有権者によるコントロールを受けない可能性があるということだ。政府の行動が著しく有権者の意思に反し、しかも有権者が政府に対する授権を臨時にストップする方法がない場合には、この政府に対する信任危機が爆発する。
 
ウクライナの場合、経済力が限られかつロシアに対するエネルギー資源の依存度が高いため、歴代政権は、ロシアとの経済関係を処理する際に有効な取引材料がない。2008年にティモシェンコ政権はロシアと天然ガス供給に関する長期契約を結んだが、この契約における価格計算の方式は石油価格に連動するものだった。ところが、国際金融危機が爆発した後、天然ガスの現物価格は大幅に下がる一方、石油価格は動かなかった。こうして、価格に対する見積もりを誤ったことにより、ウクライナがロシアから購入する天然ガス価格は結果的に世界最高となった。ヤヌケビッチ大統領はロシアと天然ガスの価格引き下げ交渉を試みたが、ロシアはロシアとの関税同盟への加入を価格引き下げの条件とする提案をしたため、ウクライナはこれを拒否した。ヤヌケビッチは、欧州との一体化をロシアと取引するカードとし、これによってロシアに価格引き下げに応じさせようとしたのだ。
 
  EUに準加盟する協定を署名する前夜のウクライナ社会は「欧州ドリーム」が沸騰する臨界点に達しようとしていた。人々はEUとの協定の基本的内容について十分に理解しておらず、「協定=欧州的生活」と単純に見做していた。ヤヌケビッチ大統領の政策が突然に向きを変えたのは、泥沼の危機状態にあるウクライナ経済のことを考えたためであったが、親欧的な人々の受けとめ方を無視してしまっていた。(ヤヌケビッチの行動は)熟睡している子どもを氷の穴に放り込むのと同じで、巨大な感情の落差に陥った人々は抑えが利かなくなった。彼らは次の選挙を待っておられず、抗議のデモさらには暴力手段で不満をぶつけることになった
 
<ウクライナは露欧米の哀れな「操り人形」になった>
 
  特殊な地理的位置にあることは、ウクライナの国内政治の分裂に周辺大国の介入を招くことを必然にしており、これら大国は、自らが扶植した代弁者を介するという手段で自らの地縁的安全保障上の利益を最大限に実現し、ウクライナを自らの国際政治システムの中に繰り入れようとしてきた。ソ連の解体後、西側とロシアとは地縁政治の呪縛から抜け出しておらず、西側社会はイデオロギー上ロシアを敵視し続けるだけでなく、NATOの東方拡大及び東側とのパートナーシップ計画によってロシアの地縁的安全保障の空間を圧迫した。ウクライナはロシアと西側との間の地縁政治上のすき間地帯にあるために、不幸にも大国の駆け引きのゲームにおける「人形」になってしまっている
 
  まず、ロシアが過度に政府間外交に依拠したことはウクライナ社会の極端な反発を招いてしまった。ウクライナとEUが協定を結ぶ前夜に、ロシアは政府間外交によって地縁政治情勢をひっくり返しはした(浅井注:ヤヌケビッチとの協定締結)が、ウクライナ社会の反露感情の爆発を招いてしまったのだ。
 
21世紀に入ってからは、インターネット及び情報伝達手段の技術の発展により、国家が情報をコントロールする難しさが増大し、人々が外交に参与する可能性が大幅に増大する結果になっている。このことは伝統的な外交方式に対しては大きな衝撃力となるし、伝統的外交のルールやスタイルに対して深刻な影響を及ぼさずにはおかない。国際関係における行動主体が日々多様化する背景のもとで、政府間外交に頼るだけではもはや国家利益を保障するには十分ではなく、パブリック外交はすでに新しい外交様式になっており、外交担当者としては本国及び他国の人々に対する影響をもっと重視する必要が生まれている。
 
  次に、EUとアメリカの一方的な政策が反政府デモ行動に対するコントロールを失わせることを助長した。EUとアメリカは自らの地縁政治上の利益から出発し、反政府デモ行動を公然と支持し、ひたすら大統領及び軍隊に圧力をかけ、強制的手段で暴力活動を抑えないように要求した。欧米のこのような政策は、反対党の不断にエスカレートする政治的要求を鼓舞するだけでなく、テロリストが暴力に訴え、したい放題にする結果を招き、最終的に大規模な殺傷事件を引き起こした
 
<ウクライナ新政権はいかなる挑戦に直面するか>
 
  ウクライナにおける政権交代により、2ヶ月以上にわたった政治危機は今や最終段階に入っているが、暴力の衝突が生みだした社会的な損害を短時間で解消することは困難である。新政権は多くの困難と挑戦に直面している。
 
  まず、親露の東部地域の分裂を回避する必要がある。親西側政党が街頭政治の手段で民選の大統領を倒したことは新政権の合法性を弱めるものであり、東部地域の親露派住民の統一国家に対する確信に影響を与えるものであって、分裂回避は新政権が直面する最大の試練となる。欧州との一体化についてはウクライナ社会の多数の支持を得ているが、ロシア人が多数を占める東部地域、クリミア及びハリコフ州が独立を画策する可能性を排除できない。ロシアの態度は、短期的には、ウクライナの国家としての安定と領土保全に対して影響を及ぼすもっとも大きな要素となる。今回の政権交代はロシアがウクライナを引っ張り込もうとしてきた計画をぶちこわしたし、プーチンが精力的に進めてきたユーラシア連合構想にとっても大打撃だろう。如何にしてロシアに理性的にウクライナで被った地縁政治上の挫折を受け入れさせるかは、新政権の能力を試すだけでなく、それ以上にアメリカ及びEUの外交的知恵を試すことになろう。
 
  次に、すでに破産した国家経済に如何に対処するかだ。ヤヌケビッチが2013年末にEUとの協定に署名することをとりあえずやめた重要な原因の一つは、ウクライナ経済がすでに崩壊の崖っぷちにあるということだった。グローバルな経済危機は原材料輸出に依存するウクライナ経済のやりくりを難しくし、財政危機及び債務危機が合わさって、EUとの協定に署名することによる外部的衝撃及びロシアの制裁に耐えることを至難にしている。2ヶ月以上の政治的混乱により、ウクライナ経済はほぼ破産している。独立以来の同国経済の制度転換は紆余曲折を経たが、20余年を経た今日、経済発展レベルは1990年の水準を回復するに至っていない。特に2008年の国際金融危機の勃発以後、ウクライナ経済はさらなる困難に陥り、2013年の予算の赤字規模は国内総生産の5%に迫り、経常収支赤字に至っては国内総生産の8%近くに達しており、ウクライナとしては中身のある外国からの援助を極めて必要としている。新政府が欧州との一体化を進めるとなれば、ロシアからの低廉な価格でのエネルギーの供給を確保することは難しく、EUとの連携協定を進めればロシアの貿易上の制裁を受けることは必然だ。グローバル経済が相変わらず危機のもとにある背景のもと、EUとアメリカが巨額の援助を行うかどうかはさらに観察する必要があり、ウクライナ経済は短期的に多くの困難に見舞われるだろう。
 
  第三、親西側政党陣営内部の関係は調整が待たれる。長期にわたり、ウクライナの親西側政党は互いに争い、烏合の衆の状態にあった。政党間に協力と妥協が欠ける政治文化は、今後の新政権の不安定をもたらす可能性がある。2004年のカラー革命の後、親西側のユーシェンコ大統領とティモシェンコ首相による執政開始後間もなく深刻な衝突が勃発し、議会の繰り上げ選挙を余儀なくされ、政府はわずか3年の間に4回も改造を繰り返した。今回のウクライナ政治危機の中で勝利した親西側政党においても、この非協力・非妥協の伝統が健在だ。デモに参加した組織の中には、ティモシェンコが指導する全ウクライナ連合「祖国」だけではなく、UDAR(打撃党)及び極端な民族主義の全ウクライナ連合「自由」などの新興政党があり、勝利の果実をどのように分け合うかはティモシェンコにとっては大きな挑戦だ。このほか、過激な政治組織を如何になだめすかすかということも新政権が直面する厄介な課題だ。「右翼軍」、「百人団」、「ウクライナ反抗軍」(浅井注:日本語訳が不明なので中国語をそのまま引用しています)などの過激な民族主義及びネオ・ナチの軍事組織は反対党の指導者のコントロールを受け入れない。これらの組織をどのように扱うかはかなりの難題である。
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