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澤藤統一郎さん(弁護士)と田中宏和さん(「世に倦む日日」主宰)は私から見てその政治的、思想的立ち位置を異にしています。しかし、今回の東京都知事選の評価については、宇都宮陣営に即して見る限り共産党主導の選挙だったという見方では政治的、思想的立場を超えて一致しているようです。それでは宇都宮陣営に即して今回の都知事選が共産党主導の選挙だったということはどういうことを意味しているか。その答えのヒントは下記のそれぞれの論者の論に示されているように思います。これも今回の選挙の参考言説、注目すべき論のひとつとして記録しておきたいと思います。
 
一本化派と反一本化派の死闘 - 誰が勝者で誰が敗者なのか
(世に倦む日日 2014-02-12)
 
都知事選の開票結果が出た直後から、宇都宮健児の支持者たちによる「一本化は間違いだった」とする轟音が喧しい。彼らの言い分によれば、2位につけたのは宇都宮健児であり、それに及ばなかった細川護煕は元々「勝てる候補」ではなく、したがって、細川護煕を「勝てる候補」として担ぎ、宇都宮健児に降りろと迫った一本化論は誤りで、一本化論者の誤りが証明された結果なのだと言い上げる。2/9夜から2/10にかけて、宇都宮健児を支持した者たちのTWには、このように勝利の興奮と高揚に溢れたものが圧倒的に多く、落選して敗北した悔しさを滲ませるものは皆無に近かった。宇都宮健児の選挙は、徹頭徹尾、2位につけることを目標にした選挙で、敵は舛添要一ではなく細川護煕だった自らの出馬の正当性と、一本化を拒否した政治的正当性を証明するための選挙だった。その総括を出し、自らの正当性を誇示するためには、細川護煕を上回る得票の結果を出さなくてはならないその意味では、彼らは確かに勝利したと言えるのだろう。彼らの立場に内在すれば、達成感はよく頷ける。だが、少し冷静に考えれば、この結果が、決して宇都宮陣営の勝利ではないことに気づく。都民が知事にしたのは舛添要一である。自民が推薦して応援した候補だ。宇都宮陣営が、細川護煕を非難する際に有効な武器として使った戦略特区についても、舛添要一は当然ながら安倍晋三の意向どおり導入を進める。

原発については、選挙翌日(2/10)の国会答弁で、安倍晋三が、都知事選の結果に言及しつつ再稼働への意欲を表明する事態となった。2/10のテレビ報道でその場面を見たが、都知事選の民意を再稼働の根拠にしようとする意図が明確に伝わる言動と表情だったではないか。われわれはこの政治戦に敗北したのである。再稼働に道を敷き、特区導入に道を開く最悪の結末を許してしまった。そうなった失敗の根本的原因は、言うまでもなく、対立候補を一本化できなかったことによる。数の上で圧倒的優勢に立つ自公候補に対して、挑戦者を一本にして戦う選挙ができず、脱原発の諸勢力が共闘することができなかったからだ。一本化して戦う選挙を組めていれば、白熱の接戦を演じ、投票率を上げ、薄氷の僅差で勝つドラマが可能だったかもしれない。少なくとも、選挙翌日に、安倍晋三が嬉々として再稼働を仄めかすなどという屈辱の結果は避けられただろう。想田和弘などが言っている、細川護煕は「勝てる候補」ではなく、一本化は誤りだったなどという愚論は、最初からその前提が間違っている。もしも、宇都宮健児の方が「勝てる候補」であったら、そう客観的に評価されていたなら、脱原発の文化諸人も、澤地久枝も、宇都宮健児での一本化に奔走したのであり、一本化を望む市民たちも、細川護煕の選挙事務所に電話をかけ、降りてくれと懇請したに違いない一本化はしなければならなかった
 
脱原発にせよ、反安倍にせよ、一本化することが重要で、誰に一本化するかは二の次の問題なのだ。想田和弘など宇都宮陣営を代弁する者たちは、一本化の意義を貶め、宇都宮健児の立候補を神聖化するために、一本化を要求した市民の切実な願いを、恰も細川護煕のための選挙運動のように表象をスリ替え、その動機と目的をスリ替えて矮小化している。あのとき、告示日(1/23)の前週である1/14の週、どちらかが降りなければならなかった。そうしなければ、舛添要一の勝ちが決まるからである。大急ぎでどちらかを降ろす必要があった。両陣営とも、市民の声に耳を貸さず、突っ張ったまま、降りるどころか調整の協議すら持たなかった。このとき、多くの市民が選んだのが、宇都宮健児を降ろして細川護煕に一本化する方法である。理由は二つある。一つは、マスコミの下馬評で細川・小泉の人気が高く、勝ち目があると見込まれたからである。もう一つは、政策と政見のスタンスが細川護煕の方が中道寄りで、左翼が担ぐ宇都宮健児よりも無党派の保守票を取れると考えられたからである。左翼政党が一本化に応じて、細川護煕の支援に回れば、左派票は漏れなく細川護煕に流れ込む。今日、左派票は組織票であり、東京では100万票の固定票である。以上の二つの理由で、脱原発を求め、反安倍の政治的勝利を得たい市民が、宇都宮健児に辞退を求めたのは必然で道理だった。1/12から1/17の時点で、「勝てる候補」は明らかに細川護煕だった。
 
投票結果が出た後で、「細川護煕は『勝てる候補』ではなかった」と言うのは、無意味な結果論であり、今の現実を過去に遡及して投影する狡猾な表象詐術であり、当時の一本化の希求と運動を否定するための悪質な詭弁である。確かに、細川護煕は無能で無策で、結果から見れば「勝てる候補」の資質ではなかったが、だからと言って、宇都宮健児が「勝てる候補」だったかと言うと、決してそのようなことはない。宇都宮健児は、デフォルトで「勝てない候補」であり、理由を説明するまでもなく、陣営内でも陣営外でも、宇都宮健児が当選すると考えていた者は一人もいない宇都宮健児の出馬と選挙は、負けることを前提として政策を訴え広める選挙であり、左翼党派が勢力を維持し拡大するための「社会運動」だった。選挙は手段であり、目的は別のところにあった。左翼の自己防衛と組織維持の選挙だった。それを見抜いていたからこそ、左派を含めた市民は、宇都宮健児に降りるよう迫ったのである。細川護煕は、1/18の時点で、呆気なくマスコミに掌を返され、切り捨てられ、マスコミが吹かす追い風を止められる。冷たい逆風を吹きつけられ、徐々に「勝てる候補」から「勝てない候補」に変わって行った。1/10から1/17の時点に立ち戻れば、細川護煕は疑いなく「勝てる候補」であり、市民の期待はそこに集中していた。そして、告示は目前で、時間がなく、どちらかに一本化するしかなかった。誰に一本化するか即断しなくてはならず、文化諸人が細川護煕での一本化に動いたのは当然だ。
 
今後、今回の「一本化」問題について議論が続くことを想定して、少し整理したい。「一本化」には、時期によって幾つかのフェーズがある。第1フェーズは、猪瀬直樹の辞任が決まって、誰が候補に出るのだろうという憶測がめぐらされていた段階である。細川護煕が登場する前の助走路。すぐに宇都宮健児が飛び出し、社共が推薦して固める進行となった。自公は調整を続けていたが、正月明けから舛添要一に絞られて行く推移となる。公明と都議団が候補者選定の主導権を握り、安倍晋三の介入を排除して無難な線に落ち着いた。民主はオロオロしたまま、候補擁立ができず、右派の松原仁が仕切る形で舛添要一への相乗りに傾いていた。海江田万里は、常会開幕を控え、野党第一党として自民との対決姿勢を訴求するため、相乗りは回避したいと焦燥していた。年末だったか、正月だったか、吉田忠智が管直人に宇都宮健児でどうかと打診し、管直人に「宇都宮さんでは勝てない」と即座に断られた経緯があった。言わば、これが情報として残っている最初で最後の一本化の協議である。その後、管直人の名前は全く出なくなった。民主の都連を松原仁と長島昭久の右派が牛耳っているからであり、代表の海江田万里が菅直人を嫌って干し上げていたからである。「黙ってろ」という仕置きだったのだろう。本来、脱原発の文化諸人は、このとき素早く、宇都宮健児降ろしと左派リベラル統一候補の模索に動くべきだったのだ。小泉純一郎とも率先して協議するべきだった。細川護煕の出馬が浮上した後で、受け身で動くべきではなかった。
 
この第1フェーズで、宇都宮健児は、すでに「勝てない候補」であり、出ても負ける候補であり、衆院選小選挙区の共産候補と同じところの、固有で理想的な政策を訴えて存在感を示し、左翼陣営を結束させるだけの使命を帯びた、落選必至の「噛ませ犬」の候補だった。本命となる自公候補に勝つためには、幅広く無党派層の支持を集められ、マスコミ(朝日・毎日)の風を受けられる、左色の希薄な、リベラル候補を立てることが必要だった。重要だったのはこの段階での一本化であり、下からの市民からの動きだった。(中略)
 
 
「一本化」とは 、畢竟、宇都宮健児を降ろす政治である。そして、反安倍の統一候補で都知事選を戦うことだ。自公候補に勝つため、降りてもらわなくてはならず、降ろさなくてはいけなかった。第1フェーズ、第2フェーズ、第3フェーズ、「一本化」を求める市民の政治は、ことごとく左翼に封殺され、阻止され、失敗に終わった。「一本化」をめぐる昨年末からの攻防は、反「一本化」で固めた左翼党派の組織とシンパが、宇都宮健児の出馬と選挙を鉄の団結で守り抜き、熾烈な防衛戦に勝利して凱歌を上げた政治戦(内戦)である。(後略)
 
闘いすんで日は暮れて…(澤藤統一郎の憲法日記 2014年2月10日)
 
都知事選が終わった。「圧勝舛添氏211万票」(毎日)、「細川氏らに大差」(読売)という、面白くも可笑しくもない結果。いくつかの印象を感想程度に述べておきたい。
 
まずは、投票率のあまりの低さについてである。
大雪が外出の意欲を阻んだのは投票前日の2月8日だけのこと。選挙当日の9日は、積もった雪こそあれ、近所の投票所まで足を運ぶことに差し支えるほどだったとは思えない。まったく影響なかったとは言わないが、投票率46.14%は盛り上がりに欠けた選挙だったというほかはない。
 
この都知事選限りのものであればよいのだが、政治というものの総体としての地盤沈下が進行しているのではないかと不気味である。有権者の主権者意識や、政治参加意識、あるいは民主主義が衰退しつつあるのではないか。そもそも議会制民主主義が揺らいではないだろうか。
 
この低投票率が細川護煕候補への逆風となった。思いがけない惨めな負け方。陣営が語っているとおり、風を恃むだけで組織力のない選挙戦の無力をさらけ出した形。素人衆団が右往左往するだけだった前回宇都宮選挙の二の舞となった。
 
一方、自民・公明・連合、そして共産の各組織はフル回転したようだ。
本日の毎日の夕刊で、平沢勝栄・選対本部長代理が「永田町日記」の2月6日の記事として語っている。「組織票は、自民がフル回転して120万、公明が60万。無党派層を取り込み最低250万票は欲しい」 これが、低投票率でやや目算が狂ったものの、組織票がものを言ったことになる。
また、東京選出の全衆議院議員には、秘書を一人づつ舛添陣営に送り込むことや、集票のノルマが課された。全国の各国会議員には都民100人以上の名簿の提出を求めたという。「公認候補以上の力の入れ方だ。猪瀬直樹、石原慎太郎両氏の都知事選でもここまでやっていない」とのこと。
 
なお、平沢は告示直後の「日記」の記事として、舛添の勝利を確信し、その勝因を「相手(対立候補)に恵まれたこと」と言っている。「相手」とは細川候補だけのことで、その他の候補はまったく眼中になかったようだ。
 
共産党もフル稼働だった連日の赤旗紙面は、突然救世主が地上に舞い降りたかのごとくに「素晴らしい候補者」を持ち上げた前回選挙とは様変わりで、振り子は反対に大きく振れた。全国から運動員を東京に集中させてもいる。外から見る限り、宇都宮選挙は共産党の選挙となった。そして、前回の無能な選対本部とは打って変わって、選挙運動実務のスムーズな進行が見て取れる。時期を接しての同じ候補者の同じ知事選で公約もほぼ同じ。選挙運動のやり方を変えて、得票数では97万票から98万票に、得票率では14.5%から20.2%に伸ばした。
 
しかし、それが精いっぱいのところ。私は宇都宮君には、「立候補をおやめなさい」と言い続ける。今回選挙で革新の共闘にふさわしい清新な候補者を立てることができれば、細川氏の立候補もなく、本気で勝ちに行く選挙ができたはず、というのが私の確信である
 
まことに意外だったのが、極右候補・田母神俊雄の泡沫とは言いがたい得票。61万票で得票率12.5%。これは恐るべき事態ではないか。61万票とは、かつて共産党の党内候補が知事選で獲得した得票に匹敵あるいは凌駕する。12.5%は、前回都知事選の宇都宮君の得票率(14.5%)と大差ない。
 
安倍と田母神は、この選挙ではねじれている。しかし、安倍晋三の「極めて親しいお友だち」である百田尚樹が、田母神の応援演説を買って出て物議を醸したのは2月3日のこと。安倍・百田・田母神は一つのラインにつながっており、安倍の心情は、舛添よりは田母神に遙かに近い。安倍が田母神やその同類と本気でグループを結成すれば、いやも応もなく、対抗のための反ファシズム統一選線を模索せざるを得ない。その日は、案外近いのかも知れない。
 
今回、脱原発運動を担ってきた広範な人々が脱原発二候補の「一本化」を願った。一本化とは、当然に細川候補への一本化だった。告示前も選挙期間中も、それ以外に一本化の選択肢はなかった。宇都宮君を支持した勢力が、今、ドングリの背比べに少しだけ勝ったとして、脱原発を誠実に願う立場から一本化実現に向けての発言をした人々を非難するようなことがあってはならないと思う。舛添211万票の右翼別動隊として、田母神が61万票をとっているなのだから。

*太字強調は引用者
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