目下進行中の東京都知事選について毎日新聞の「風知草」の筆者の山田孝男さんが27日付けの同コラムで「思考停止から抜け出せ」という問題提起をしています。山田記者の問題提起の要旨は次のようなもの。
 
「原発ゼロ」は東京都知事選(2月9日)の争点にふさわしいか−−。世論は歩み寄りの余地がないほど割れているが、先週末、近所の映画館で遅ればせながら見た映画「ハンナ・アーレント」(2012年)が重要な視点を提供していると思った。哲学者、アーレント(1906~75)の、人間がなす悪についての考察が、原発と東京の有権者の責任という問題につながる−−と思われたのである。
 
アーレントはドイツ系ユダヤ人女性だ。ナチスに追われ、アメリカへ亡命。第二次大戦後、ユダヤ人虐殺に深く関わったナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマン(1906~62)の裁判を傍聴した。アーレントは、アイヒマンを「どこにでもいる平凡な人物」と見た。戦時下では誰でもアイヒマンになり得たのであり、イスラエルの法廷で被告席に座っていたのは人類全体だとも言える−−と米誌「ニューヨーカー」で論じた。これが激しい議論を呼んだ。アイヒマンは冷酷、残忍、狂気の極悪人−−という、戦後の支配的な歴史認識を侵したからだ。アーレントの断定。「世界最大の悪(600万人以上とされる20世紀のユダヤ人虐殺)は平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も、悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです」
 
戦時のホロコースト(大虐殺)と平時の原発事故に何の関係がある−−といぶかる向きもあろうが、似た側面があると思う。思考停止のまま、未完の巨大技術への依存を続ければ、時に途方もない惨害を招く。そういう中での都知事選である。なるほど、エネルギーの選択は国策には違いない。だが、難しいことは国が決める、専門家が決める、上司が決める、オレは知らん、自分さえ無事なら後は野となれ山となれ、という構えでよいか。
 
アーレントは米誌への寄稿「エルサレムのアイヒマン/悪の陳腐さについての報告」の最後でこう言っている。被告には殺意も憎悪もなかったにせよ、絞首に値する。なぜなら「政治においては服従と支持は同じもの」だから……。  都知事選に限らず選挙に臨む有権者が胸に刻むべき言葉ではないか。(「思考停止から抜け出せ」毎日新聞『風知草』山田孝男 2014年01月27日)

上記で山田記者が引用している「戦時下では誰でもアイヒマンになり得たのであり、イスラエルの法廷で被告席に座っていたのは人類全体だとも言える」というアーレントの言葉を理解するにはもう少し説明が必要かもしれません。この点を補足するため、以下、「流薔園」の筆者の「短評」を少し引用してみます。
 
『ハンナ・アーレント』において主題になるのは、アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』で抉り出してみせた「悪の陳腐さ」だ。(略)「ユダヤ人虐殺の中心にいた巨悪アイヒマン」という大勢の予断に反し、裁判を通して垣間見えるアイヒマンの人間性は「凡庸な小役人」のそれでしかなかった。アーレントは、上官からの命令を黙々と遂行する凡庸な官吏であるアイヒマンの思考力の欠如こそが未曾有のホロコーストを引き起こしたと看破し、無思考性と全体への埋没という「陳腐さ」が戦慄すべき「悪」へと倒錯したと結論づける。裁判の模様と並行して、アーレントとハイデガーとの交流が断続的に点景として描かれ、「悪の陳腐さ」へと抗する方途として自立した主体的な「思考」が示唆される。やがて、「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載された傍聴記がアイヒマン擁護でありユダヤ人を貶める文章だとのバッシングが起こり、アーレントは四面楚歌の状態となるが、不屈の精神で耐え抜く。ここにおいても主題となるのは、みずからの思考を貫く勇気あるいはハイデガー的な物言いをするならば思考の敬虔さである。(「映画『ハンナ・アーレント』短評」流薔園 2013-12-04)
 
もう一点、説明しておく必要があるように思います。上記の『風知草』で山田記者が「思考停止から抜け出せ」と指摘しているのは、「思考停止のまま、未完の巨大技術への依存を続ければ、時に途方もない惨害を招く」という言葉に示されているように、当代日本人の「科学至上主義」的傾向への批判と、それが信仰であろうと科学であろうとことの性質にはおかまいなくともあれ大勢の流れる方向に順応するというこれも「大勢順応主義」と評される当代日本人の思想風潮への警鐘のようなものですが(そして、その中には山田孝男記者流の政治的メッセージも含まれているようですが、私は、そのメッセージは、レス・ワース(より少なく悪い)の選択の訴え以上には支持しません)、 私が『風知草』のコラムで引用されているハンナ・アーレントの言葉と「東京都知事選」というキータームからシグナルとして受け取ったのは「思考停止は政治においては服従と支持を生じさせる」というメッセージです。
 
アーレントは、無思考性と全体への埋没という陳腐さが戦慄すべき悪へと倒錯する。上官からの命令を黙々と遂行する凡庸な官吏であるアイヒマンの思考力の欠如こそが未曾有のホロコーストを引き起こした、と『イェルサレムのアイヒマン』で結論づけました。そうして「アイヒマンの思考力の欠如」という一事例から「思考停止(思考力の欠如)は政治においては服従と支持を生じさせる」という一般論を導き出しました。アーレントによれば「服従」と「支持」はコインの裏表なのです。
 
ある集団の決定に疑いもなく「服従」し、その集団の候補者を疑いもなく「支持」するということが「無思考性と全体への埋没」(それは「同調圧力」に疑問なく従うという行為も含まれるでしょう)ということから生じたとすれば、その候補者への「支持」は危ういといわなければならないでしょう。これがハンナ・アーレントの言葉から受け取った私の彼女のメッセージの中身です。
 
結論は、私も『風知草』の筆者の山田孝男さんと同じです。「都知事選に限らず選挙に臨む有権者が胸に刻むべき言葉ではないか」。
 
と、言いながら、ひとことつけたさせていただこうと思います。とりわけ今回の都知事選ではそのことを痛感する、ということを。
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