以下は東京の弁護士の河内謙策さんがCMLなどいくつかのメーリングリストに投稿された記事に対する私の反論です。

注:固有名詞の削除など少しだけ文面を改稿しているところがあります。

河内さん

河内さんの論には最初の論点からして私としてさまざま批判はありますが、その余の問題はとりあえず傍らに置いておくことにして、あなたが標題記事を投稿されたメーリングリスト上で多くの人から批判されている点についてのあなたのご反論、すなわち論点5「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか」という論について批判を認(したた)めておきたいと思います。

あなたは5の論点についてもさまざまな弁明、または抗弁をされていますが、ここでもあなたのその弁明、または抗弁についての反論は後回しにして、はじめにあなたの論の問題性を提起されたBさんの初出の論点に立ち返ります。

何度も何度も多くの人から繰り返し指摘されていることですが、あなたはその論に次のように書いていました。

10月2日のデモについて国民の右傾化を心配するメールはネットに現れましたが、私は国民の右傾化を心配するよりも、日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだと思うのです。10月2日のデモについては、以下のサイトを見てください。
http://dogma.at.webry.info/201010/article_2.html
http://www.melma.com/backnumber_45206_4985751/

あなたの指示される http://dogma.at.webry.info/201010/article_2.html のサイトを見ると、まずはじめに否も応もなく目に飛び込んでくるのは日の丸、日の丸の旗の渦です。そして、次に目に飛び込んでくるのは多くのメディアからも出来レースだとして批判された例のアパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀賞受賞作文で独自の皇国史観を展開し、ときの自民党政府からさえ「政府の見解(村山談話、小泉談話)と異なる」という理由で航空幕僚長の職を更迭されたあの田母神俊雄の写真です。

私はあなたの指示されるサイトを開いて、一瞬にして日の丸の旗の渦が目の中に入ってきたとき、強い嘔吐感のようなものを感じるとともにその画面を直視するに堪えられませんでした。すべての人がそうだとは言いませんが、私の場合、その「日の丸」に象徴されるものは、あの戦争で生きようとして生きられず生命を失くしていった人びと(戦場にあった人も銃後にあった人も)への鎮魂の思い、またその人々を死に追いやった軍国主義という「思想」への深い軽蔑心、また憎悪心、です。私はもちろん戦中の人間ではありませんが、文学好きだった私が文学の中で追体験した「戦争」なるものに対する拒否反応は言葉には言い表しがたいものがあるのです。それは若いころ読んだ小林多喜二への尊敬につながり、『レイテ戦記』を著した大岡昇平の深い悲しみに自分の心を重ねることであり、『真空地帯』で自分の軍隊経験を描いた野間宏のあの癒えがたい慟哭をともに泣く、ということでもありました。「日の丸」が象徴するものは私にとってそうした負のイメージを否応なくともなうのです。

Aさんの河内さんが提示する「日の丸」に対する拒否反応に私は深く共感します。

あまりといえばあまりのもうされよう、もはや、なにももうす気になれません。/坊主憎けりゃ袈裟まで憎しですか。/中国の現政権(現体制)がいくら憎いからといって、/「左翼」とやら「平和運動」とやらがいくらフガイナイとお思いだからといって、/「日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだ」とはねえ!/しかも、そこで参照されている「日の丸」の渦!/こういうひとたちがニホンジンなら、わたしゃニホンジンじゃない、ありたくない。/こういうのが「日本を思う」ってことなんなら、わたしゃ、「日本」など「思い」たかない。

こうした批判はAさんや私だけでなく、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、そしてGさんからもありました。

にもかかわらず、Hさんは同じメーリングリストの返信で次のように言います。「愛国心やナショナリズムに対する対応(河内さんの論の②)については,河内さんに共感します」。Hさんのいわれる「愛国心やナショナリズム」の問題については後に河内さんの論を批判する際にあらためて触れようと思っていますが、論理をいう前にHさんが上記のようにいう感性は私には信じられません。Hさんの上記の感想は河内さんの指示されるサイトを見た上でのご感想でしょうか。そうであるならば私とHさんの感性とは決定的に相違する、と申しておかなければなりません。

また、河内さんは、上記のような批判、疑問が多く提示されているにもかかわらず、その反論の書である標題メールでも「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか」として相変わらず田母神俊雄の写真が大きく掲載されたサイトを示しています。河内さんに上記のように標題記事についてメーリングリスト上で多くの人から批判された問題について反省する様子は微塵も見られません。私は河内さんの感性にも大きくノーと言っておきます。

河内さんは田母神俊雄に対してなされたこれまでの民主勢力、また平和勢力の数々の批判を果たしてご存知なのでしょうか? その批判の数々をいくつかピックアップしておきます。

まず第1に田母神俊雄なる前空幕長の参院外交防衛委員会での参考人招致での答弁に対するメディアの総批判。NPJのサイトに挙げられているだけでも20メディア以上に及びます。
*リンクの多くはリンク切れとなっていますが、各社社説の見出しを見るだけでもメディアがいかに田母神批判をしたか、ということがわかります。

第2。増田都子さんの「田母神俊雄(当時・航空自衛隊幕僚長)作文」徹底批判資料」(48頁)

*これもリンク切れになっていますが資料として添付しておきます。

上記についての増田都子さんの言葉: 
 
いつまでたっても逐条方式での全面批判がないので、しょうがない・・・私がやるしかない!?

上記についての太田光征さんの言葉:

この骨の折れる仕事を増田都子さんがやってくれました

第3。日韓ネットの渡辺健樹さんのメールから。

9・15ピョンヤン宣言7周年集会のご案内(CML 000843 渡辺健樹 2009年 7月 29日)

しかも、日本では、昨年の田母神・航空自衛隊幕僚長(当時)の論文問題に象徴されるように、いまなお加害の歴史を居直り正当化しようとする動きは後を絶ちません。そればかりか、加害の歴史に真摯に向き合うことなく、拉致問題を政治利用してあたかも日本人が一方的な被害者であるかのような世論作りが進行してきました。日本政府は、北朝鮮への「制裁」を繰り返し、日朝関係はむしろ最悪というべき状態に陥っています。とりわけ私たちは、在日コリアンへの人権侵害と弾圧を許すわけにはいきません。

第4。靖国神社での田母神の演説に抗議したカナダ人が不当拘束された件。


*上記における私の発言:

アホ右翼はどこまでもアホウヨにすぎませんから、とりあえずここでは相手にせず、「唾棄すべき芥」とのみ罵詈を浴びせておきます(時が来れば一斉除草しなければならないことはもちろんです)。それにもまして私が許しがたいものを感じるのは、本来シビル・サーバント(全体の奉仕者)としての使命を持つはずの警察がその自らの使命を放棄し、逆に権力を笠に着て、一部右翼の結託者となって明白な人権弾圧(上記ビデオ参照)の行使者となりおおせていることです。そして、その人権弾圧が日本国家によって容認されているということです(この人権弾圧に加担した警察官らがなんらの処分もされていないということは国家としてこの行為を「容認」しているということにほかなりません)。その人権抑圧の場所が靖国神社であったことは象徴的です。

第5。右翼の主張、また同メンバーなど

下記から明らかなように右翼の主張は「外国人参政権」反対、「人権擁護法案」反対、「夫婦別姓(選択制別姓)」反対、「女性差別撤廃条約選択議定書」反対などなどです。また、このような主張をするメンバーの中には河内さんご推奨の田母神俊雄氏、宮崎正弘氏、荒木和博氏なども含まれています。


第6。河内さんが「日本を思う人たちとの連帯を考えるべきだと思う」と推奨される田母神俊雄を会長として戴く「頑張れ日本!全国行動委員会」の10.2デモに続く10.16「中国大使館包囲!尖閣侵略糾弾!国民大行動」デモ(反中国デモ)の「深刻な実態」についての園良太さんのレポート(2010年10月20日付)。

魚釣台/尖閣諸島」問題で、日本国内の「反中国デモ」が激化・拡大しています。

10月16日の「頑張れ日本」や「チャンネル桜」が主催するデモは、六本木~中国大使館に向けて、実数3000人近くに膨れ上がりました(現場で見た知人によれば、約300人の隊列が9グループだったので、主催者が発表する「5800人」は明らかな水増しだろうとのことです[東本注:主催者側は当日の参加人数を5800人から3200人以上に訂正しています])。彼らが普段配るチラシには「中国人が水道に毒を入れる」などと書かれており、関東大震災で朝鮮人虐殺の理由となったデマと同じものを垂れ流すひどさです。また、17日秋葉原の在特会の残党系は、人数こそ200人超なものの(それでも十分多いですが)、繁華街で堂々と「日本から叩きだせ~!」といういつものヘイトスピーチをまき散らす。そして「オノデン」や「ソフマップ」の店頭に「中国人客に媚を売っている」などと押し掛け騒ぎ続けるという暴虐さでした。そしてデモ隊に帯同する警察は、それらをほとんど取り締まることなく放置しており、これも大きな問題です。

ただ、新しい現象からか、「魚釣台/尖閣」の領土問題への態度・解釈が定まらないからか、事態の深刻さに比べて平和や人権運動側の反対が立ち遅れてはいないでしょうか。そんな中、「ヘイトスピーチに反対する会」の若者2人が、16日の巨大デモ隊の前で抗議の座り込みを行い、プラカードと横断幕を掲げました。警察に排除されましたが無事でAFPに大きく報道されました。また17日秋葉原では、「mixi」を通して集まった様々な個人が反対行動をやりました。

17日のデモは余りにもひどい暴力でした。そして16日デモはそれよりは整然と見えてTVにも取り上げられていても、2人が座り込んだ瞬間に本性が出たとのことです。「中国人の乱入だ!」と決め付けた瞬間に集団で蹴りかかってきて、人種差別の暴言を全体であびせかけてきた。事態の深刻さと反対行動の必要性や可能性をお伝えしたくて、情報をまとめてお送りします。

最近までの「在特会」に対してがそうであったように、社会的に大きく問題にして、現場行動でも法的な面でも正面から抑え込むべきではないでしょうか? ここに挙げる個々人はダイレクトアクションや映像を駆使してがんばっています。ぜひ、連帯とそれぞれの場での行動をお願いします★

まずはこの深刻な実態を見て下さい。

10月16日の巨大デモ(参加者が倍増しています)
10月17日の秋葉原を主催した団体による上野での中国人観光客襲撃(これはひどすぎます)
10月17日の「オノデン」への襲撃映像
(略)
10月16日のデモへの反対座り込み・AFP通信の報道と写真
2人が警察に排除された時の映像(警察は反対行動をすぐに排除するのに、人種/民族差別をまきちらすデモは野放しにしています)
2人が行動理由を話した映像
(以下、略)

第7。坂井貴司さんの上記10.16デモに対する危惧の表明と感想

さらに大きくなった反中国デモ(CML 006021 2010年10月17日)
反日、反中の悪循環(CML 006028 2010年10月18日)

先ほど送った「さらに大きくなった反中国デモ」で、私は、ますます不気味な状況になってきました、と書きました。

しかし、状況は不気味を通り越して、憂慮すべき状況になっています。

10月16日に東京の在日中国大使館前で反中国デモが開かれるとの情報が、インターネットで中国全土に伝えられました。また、ネット上で中国製品ボイコットの呼びかけがなされていることや、10月2日に東京で行われた反日デモの様子がネット上で大きく伝えられています。

それに対抗して、10月16日、東京の反中国デモと同じ時刻に、中国四川省の成都市や翌17日に綿陽市で大規模な反日デモが開催され、日系デパートが投石され、日本車が破壊されました。

中国3都市で大規模反日デモ 計1万人超、尖閣めぐり抗議
中国・綿陽でも大規模な反日デモ 若者らが暴徒化
西日本新聞 

デモ隊の主役は若者たちで、「小日本(英語のジャップと同じ意味)は出て行け!」・「小日本を滅ぼせ!」・「小日本人を殺せ!」と叫び、日本資本のデパートに投石し、日本料理店の窓ガラスをたたき割りました。

日本の反中国デモや中国製品ボイコットが、中国の反日デモを呼び起こしたわけです。

10月16日の反中国デモは5800人(注:上記東本注参照)を動員して「成功」しました。次に開催されれば、もっと大規模なものになり、日本各地の広がることが予想されます。そうなれば、中国の反日運動は拡大するでしょう。それに対抗して、日本の反中運動が支持を集め、拡大するでしょう。

日中双方の反感と敵意が、市民レベルで激化する可能性が大きくなってきました。

すでに中国では、そこに住む日本人が隣人の中国人から「小日本人は出て行け!」とののしられたり、日本では中国人が「シナ人がでかい顔をするな!」と怒鳴られたり、アルバイトをクビになるといったことが起こっているそうです。

お互いが歯をむき出しにして憎しみあうという悪循環が生まれつつあります。

経済で日中はこれまでになく密接な関係にあるというのに、市民レベルで互いが嫌悪感と敵意を抱くという状況になっています。

グローバリズムだと言いながら、実は偏狭なナショナリズムが激化するという皮肉な事態を私は憂慮しています。


さて、河内さんの論点5「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモをどう評価するか」という論の中身のいくつかの問題について幾ばくかの反論をしておこうと思うのですが、はじめに指摘しておきたいのは、河内さんの論に特徴的な第1文のはじめに一般論(正論)を述べて、次の文節の具体論では独自の見解を展開する、という自己言及(排他)的ともいえる論法についてです。一見してその文は真か偽か見分けがたいのです。

たとえば河内さんは論点5の①のはじめで「私は、まず人を右翼か左翼かで簡単に分類すべきでない」と述べます。この論はまさに正論で、そのとおりだといわなければなりません。しかし、河内さんは次の文節では次のように述べます。「そのように分類してきたのが日本の『左翼』であり、それは深刻に反省すべきであると考えています」。またさらに「その考えの根底には「左翼は右翼に優位している」という暗黙の前提があり、そのように分類するのが自分であるという左翼のエリート主義にも問題があった」とも述べます。左記の論を正論というべきでしょうか。これまでの「左翼」が「人を右翼か左翼かで簡単に分類」してきた、また「その考えの根底には(略)左翼のエリート主義にも問題があった」と断言するからにはそれなりの論証が必要ですが、河内さんはただ「まだその影響を完全に脱しきれていない私が言うのですから、信じていただきたい」というだけです。左記の論は客観的には主観的な論というほかないものです。これが河内さんの論法です。この主観的な論の反論は後で述べます。

もうひとつ例を挙げます。河内さんは論点5の②のはじめで「私は、民族とか、国家というものに慎重なアプローチをとるべきだ」と述べます。この論もまさに正論というべきです。しかし、その後に続く文では「私の見た多くの『左翼』と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えています」と述べます。この論を正論というべきでしょうか。この論も河内さんの主観の開陳以上のなにものでもありません。これが私のいうところの自己言及(排他)的な河内さんの論法なのです。こうした論法を私は正攻法的な論法とは思いません。論には人を納得させるに足る論の展開が必要だと私は思うのですが、河内さんの論はその論の展開がねじれている(おそらく貝の殻のような強固な「主観」によって)、といわなければならないのです。

具体的な反論をいくつか。

上記論点5の①の主張について。河内さんは①で「人を右翼か左翼かで簡単に分類してきたのが日本の『左翼』であり、『左翼は右翼に優位している』という左翼のエリート主義に問題があった」と言います。河内さんが「左翼」というとき多くの場合日本共産党のことを指しているのだと思いますが、共産党にそうした思想傾向が存した(いまも存している)ことは、河内さんと同程度に「左翼」歴のある私の目から見ても否めない事実のように思います。おそらくそれは戦前のいわゆる日本共産党査問リンチ事件の事例に端的に見られるように治安維持法下の特高警察の弾圧から同党を防衛するための同党に潜入しようとするスパイの摘発、右翼との対峙の必要性というところに端を発したもので、そうした党防衛の思想が戦前からの党幹部らによって戦後にも継承されたものと見ることができるように思います。戦前の同党幹部らは例外もむろんありますがおおむね「エリート」出身の幹部であったということもあって、そこに「左翼エリート主義」の残滓があったことも否めない事実のように思います。

しかし、いうまでもないことですが、一般の共産党員の圧倒的大多数は労働者階層の人びとです。単に労働者階層というだけではなく文字どおり下積みの労働者党員も多いのです。この一事をとってもエリート主義をすべての「左翼」に拡張することは明らかに無理があります。「『左翼は右翼に優位している』という左翼のエリート主義があった」というのは、東大教養学部の自治会委員長という経歴を持つ河内さん界隈だけで通用する話というべきものでしょう。

河内さんと同じようにかつて「左翼」の経験を持つAさんも「わたしは、『右翼的』な行動だから『連帯』できないと言いたくはない。世間からはあきらかに『右翼的』だと見られるような行動であっても、ばあいによっては連帯できるかもしれないし、連帯しなきゃいけないかもしれない」と言っています。また、世間から「左翼」と見られているDさんも「少なくとも、私は『右翼はケシカラン』『右翼と協調しよう、ということがケシカラン』という主張はしていません。(略)そうである以上『左翼が正しい、右翼は間違っている』などということを前提にはしない、できない」と言っています。同じ「左翼(的)」でもAさんやDさんのような考え方も現にあるのです。あなたの主観と経験だけを前提にして「『左翼は右翼に優位している』という左翼のエリート主義に問題があった」などと「左翼」の歴史を概括するのは自己の経験のみを絶対視するあまりにも「ジコチュウ」的なものの見方、考え方というべきではないでしょうか。

河内さんの上記論点5の①でいう「デモなどという様々な思想の人たちが結集する行動体を簡単に右翼のデモと決め付ける愚はさけなければならない」、また「ある団体やデモを指導者の思想で割り切るのは非常に危険な思想」という論法も上記で見たような自己言及(排他)的な論法というべきものです。この主張も主張それ自体としては正論というべきものなのですが、あなたが田母神俊雄を会長として戴く「頑張れ日本!全国行動委員会」の主催するデモをあくまでも「日本を思う人たち」のデモと言い張る以上、「デモなどという様々な思想の人たちが結集する行動体を簡単に右翼のデモと決め付ける愚はさけなければならない」という一見正論じみた主張は、結局、自己の主張を正当化しようとする露わな意図を持つ「ジコチュウ」的な論となるほかない、といわなければならないのです。

論点5の②の主張について。前便のはじめの河内さんの論に特徴的な論法の指摘の節のところでもその指摘との関わりで少しだけ触れておいたことですが、同?の主張の「私は、民族とか、国家というものに慎重なアプローチをとるべきだ」という河内さんの論はそれ自体の論としては正論というべきであろう、と私も思います。問題はその後に続く文の「私の見た多くの『左翼』と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えてい」るという河内さんの論断の当否です。

河内さんが上記のように論断されるのは、「民族とか、国家」の問題は「論理」の問題という以前に「感情」の問題、それも民族としての「感情」の問題である、と考えておられるからでしょうが、そしてその河内さんの思念に私は共感はしても反対するものではありませんが、河内さんの上記の論断は当たっていないように私は思います。河内さんが指弾される「左翼」と平和主義者の多くも「民族とか、国家」の問題は「論理の問題」という以前に第一に「感情」の問題として捉えているように私には見えます。

そのひとつの事例として現代の広義の「左翼」の代表的論客のひとりといってよいと思いますが、哲学者の高橋哲哉氏の著書『靖国問題』(ちくま新書 2005年)の第1章「感情の問題」の記述を少しだけとりあげてみます。高橋氏はその第1章で「靖国」裁判での日本側被告の証人にたったあの戦争の遺族のひとり、岩井益子の陳述書の慟哭、

靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれ出し、それが見渡す限り、戦士達の血の海となって広がっていくのが見えるようです。

と、同訴訟原告の高金素梅(台湾先住民族(タイヤル族)出身の女性立法院議員)の以下の叫び、

見よ、見よ、私の皮膚には鳥肌が立ちはじめ、私の目からは涙があふれ出し、熱い血がこみ上げてきて脳天を直撃した。私はついに、自分がいったい誰なのかをはっきり知ったのである。

をとりあげて次のように言います。「日本軍の戦争がもたらしたおびただしい人々の『血の海』ぬきに、靖国神社や靖国問題を論じることはできない」。「靖国」の問題は第一に「感情の問題」として考えるべきであろう、と。現代の「左翼」のひとりである高橋哲哉氏も「民族とか、国家」の問題を考える上での「感情」の問題の重要性を説いています。

もうひとつの事例として16年にわたってソ連と中国に亡命していた共産党の故・野坂参三氏が1946年1月に帰国したときの「民主戦線によって祖国の危機を救え」と題する講演の中で「真の愛国者はだれか」と訴えた演説。この演説を現代の論客のひとり小熊英二氏は「〈民主〉と〈愛国〉」(新曜社 2002年)の中で「マルクス主義の歴史観や『国民国家』という言葉によって表現されていた〈天皇に抗するナショナリズム〉も、戦争という共通体験から生まれた、『真の愛国』という心情のうえに成立していた」(p127)と評しています。

河内さんの「私の見た多くの『左翼』と平和主義者は、これを論理の問題だと考えて、その危険性をプロパガンダすればよい、と考えてい」るという論断は正しいというべきでしょうか。それは文字どおり「私の見た」範囲でのあなたの観察するところの評価にすぎないものといえるでしょう。そのあなたの評価を一般論に拡張して「左翼」と平和主義者一般に適用しようとする姿勢は私は正しくないと思います。

だから、その正しいとは思えない評価を基準にして現在の「左翼」と平和主義者一般の思考のあり方を「あまりにも単純な思考である」と断罪するあなたの姿勢も正しくない、ということにならざるをえません。

あなたが今回の尖閣沖漁船衝突事件に関して日の丸の旗を林立させた「頑張れ日本!全国行動委員会の組織しているデモ」について「それは明らかに民族的怒りです」と言っても、その「民族的怒り」は右翼の専売特許ではなく、その右翼のショヴィニズム(盲目的な愛国心)、ナショナリズム(国家主義)に対する「左翼」の煮えたぎるような「民族の怒り」でも十分ありえるのです。「左翼」は決して「感情」の問題を否定しているわけではないからです。

上記で述べたことは、Hさんがあるメーリングリストで提起されている問題の応えにもなっていると思います。「左翼」は決して「自己の所属する国家を愛する心。自分の育った郷土を愛する心に根ざす愛国心」(『現代政治学小事典』有斐閣 1978年)を無視しているのではなく、ショヴィニズムやナショナリズムとしての「権力組織としての国家を愛する愛国心(国家主義)」「他国への配慮に欠けた独善的な愛国心」(同左)を拒否しているのです。教育基本法改悪に反対したときの私たちの「愛国心」批判を想起していただきたいと思います。河内さんの推奨する田母神俊雄を会長として戴く「頑張れ日本!全国行動委員会」のデモを主催した「日本を思う人たち」の「愛国心」は、上記の『現代政治学小事典』のいう「他国への配慮に欠けた独善的な愛国心」というべきだからあなたが標題記事を投稿されたメーリングリスト上で多くの人が河内さんの論への反対表明をしているのです。
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