本ブログのプラグイン(右端)に設けている「今日の言葉」の2014年1月20日から同年1月25日にかけての記録です。 

戦争

・地元テレビ、新聞が稲嶺ススムさんの当確を報じると歓声が上がった。4000票余の大差をつけての勝利は、金で心は売らない、という名護市民の良識の勝利である。投票日を間近にひかえて突然、500億円の「名護振興基金」を打ち出した石破茂自民党幹事長の発言は、名護市民の反発を買っただけだった。(
目取真俊「海鳴りの島から」1/20

沖縄にたいし自民党政府のやってきたことは、組織暴力団と本質的に変わるところがない。政治の位相生身のひとの生活の位相は、おなじ空間にあるようでいて、おなじ位相空間にはまったくない。前者は後者を負いはせず、支えもせず、ただ壊すのみである。 政治と生活は、畢竟、根本から対立する。どのみちすべてはめくりかえされ、 剥きだされる。言葉は日ごとにとどける意思をおびたものではなくなっており、いまよりさらにとどかなくなるだろう。(
辺見庸「日録4」2014/01/20

・政治思想史家、丸山真男さん(享年82)の記事を書くため著作を読み進め、ふと気になった。1933年、19歳で治安維持法違反容疑で検挙された丸山さん、激しい特高の取り調べにポロポロと泣き伏した夜のことを65年以降、ある小説の題名にちなんで「留置場での『いのちの初夜』」だったと語るようになった。小説とは、ハンセン病の診断を受けた北条民雄さんが療養施設に入所した最初の夜を描いた「いのちの初夜」。(略)登場人物は語る。「僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼(め)を持つ時、全然癩(らい)者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです」。(略)丸山さんの「大日本帝国の実在よりは戦後民主主義の虚妄に賭ける」という思想を支えたのは、19歳で体験した留置場での「初夜」だったのではないか。北条さんはこの作品で36年、文学界賞を受賞。翌年、23歳で死んだ。若くして他界した小説家と戦後民主主義のオピニオンリーダー。同じ年に生まれながら接点もなく、生きた時間も異 なる二つの人生は、「いのちの初夜という言葉で今も結ばれ、私たちに多くのことを物語る。2人は今年、生誕100年を迎える。(毎日新聞「発信箱」:「丸山真男と北条民雄」=小国綾子 2014年01月21日

・芥川龍之介が傾倒したフランスの文人、アナトール・フランスにこんな言葉がある。「大衆に対しては、いかにしてとか、どんな具合にとか言ってはならない。ただ、<そうだ>、あるいは<そうではない>と言わなければならない」。そもそも「大衆は断言を求めるので、証拠は求めない。証拠は大衆を動揺させ、当惑させる」からだ(略)この言葉、仏文学者の鹿島茂さんの小紙連載が本になった「悪の引用句辞典」(中公新書)からの孫引きである。鹿島さんは橋下徹大阪市長を評するのにこの引用句を用いたが、その<そうだ>と<そうで はない>の二者択一に政治を落とし込む手法の元祖として小泉純一郎元首相の名を挙げている。(「芥川龍之介が傾倒したフランスの文人、アナトール…」毎日新聞「余録」 2014年1月22日
 
・「失業者、世界で2億人突破」の記事にはとくに打ちのめされた。18世紀産業革命 後の一大事件として特筆されるべき世界史的なその内容もさることながら、日本の各メディアの①あまりのおどろきのなさ②あつかいの小ささ③視線の浅さーーに、したたかに打ちのめさ れた。(略)世界で貧富の差が拡大し、最富裕層85人の資産総額が下層の35億人分に相当するほど悪化したという。戦慄すべき富の集中 G-W-G'の基本になにか変化が生じたとはおもわない。ただ、G-W-G'の奥に、ひととして切実な関心をもつ者がほとんどいなくなった。儲け話、サクセスストーリーばかりだ。 貧者と弱者と失業者への共感と抵抗、すなわち人間への興味を失った荒野には、なにもない。この国には、政権の知能程度にみあったマスメディアしかない。ずっとそうだった。
辺見庸「日録4」2014/01/22

・彼の歌には他の『万葉集』歌人の誰にもない 自分自身 に対する皮肉、一種の「黒い 諧謔」に近い調子がある。たとえば、「風雑(まじ)へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば」ではじまる「貧窮問答」の長歌は、塩をなめて、濁酒を啜ることをいった後に続けている。……しかとあらぬ 鬚かき撫でて 我を除きて 人は在らじと 誇ろへど 寒くしあれば……自分自身を含めての対象への知的な距離は、子どもや老人から「我よりも 貧しき人」に到るまで、他の歌人には見えなかったものを、憶良の眼には見えるようにさせたのであろう。<加藤周一『日本文学史序説』(1999)>(Don't Let Me Down「貧窮問答」2014-01-24

・現在忘れられているのは、“メディア”(新聞・テレビ・ネットなど)の、ちがいではなくて、そこで発せられる《文章》の品位 である。“品位”という言葉を誤解してはならない。それは小ぎれいなレトリックを意味しない。 “文は人なり”を意味する。“文”は“顔”と同じく、そのひとを表す。“論文”であって も、 “文学”であっても、文字限定のツイートであっても、同じである。(Don't Let Me Down 2014-01-25
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