昨年の11月から、私は、本ブログのプラグイン(右端)に「今日の言葉」というカテゴリを設けて、私の心に遺ったその日、その日の言葉と言葉の節を書きつけてきました。以下は、昨年の2013年12月21日から昨日の2014年1月18日までのその「今日の言葉」の記録です。
 
ハンナ・アーレントと母


宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。(「
澤藤統一郎の憲法日記」 2013年12月21日)

・わたしは『水の透視画法』を執筆中精神がかつてなく自由でいられた。(略)おそらく、マスコミが宿命的に依存し、それがためにファシズムさえもあおってしまう多数者の常識を、連載中あえて無視することができたからではないだろうか。それがわたしの精神の自由をささえた。(略)わたしという、よるべないひとりのこころが、読者という、よるべないひとりのこころに、か細い橋をかける行為。散文であれ詩であれ、文を書くとはそういうことである。「辺見庸『水の透視画法』(共同通信社2011)」 (Don't Let Me Down 2013年12月23日

変哲もない無変化の衣装をまとった激変(引用者注:直接的には安倍首相の靖国参拝を指している)が、いま生じている。もう「戦時」と言ってもよいだろう。(略)これは単純な戦前回帰ではない。なにひとつとして新しいものはないのに、もうこれまでのような手法では済みそうにない。ゴロツキたちが戦時を引きよせようとしている。あのゴロツキたちは、みずからを国家と同一視し、みずからを至上の位置に祭りあげ、倒錯に倒錯をかさねたすえに、ついに国家を自己崇拝するまでにいたっている・・・・(辺見庸「日録8」2013/12/27

・いまは権力の実相がきもちわるいだけではない。反権力を自称する者らの立ち居ふるまい、目つき、腰つきも、なにやら怪しい戦端は、ひとだのみにするのでなく、「個」がいま、みずからひらけばよい。惨めになんどでも負ければよい。『』のなかでは、できごと、あるいはエピソード が、 大状況であれ 些事であれ、 記憶と意識の襞に、 きっとそうでしかありえないだろう 「個」の濃い翳りと 不思議な逆説性 をおびた風景として埋めこまれ、見るわたしを「下品な浸透圧」からいっとき解放してくれる。(略) コビトが九州から電話をくれた。(辺見庸「日録8」2013/12/30

・中国とソ連はかつて全面戦争をしかねない緊迫した情勢にあった。核戦争を。そのことを、まったくそんな映画ではないのに、『』をみていて鮮やかにおもいだした。できごとと個の意識、できごとと個の認識、できごとと個の記憶、できごとと個の忘却、できごとと個の無関心、できごとと個の誤解、できごとと個の無関係…について。ダマンスキー島事件。文革の100万人デモ。まことに尋常ならざることを、実時間では、当然のようにながめていたりしたのだから、 人間集団とは、けだし度しがたい。戦争は目前にありえたし、 こんごもありえる。戦争は、 それが戦争とも意識されずに、ある日、ふと気がついたら、はじまっているだろう。『鏡』に挿入されたドキュメント映像は、どうしてあんなにもリアルなのだろうか。タルコフスキーじしんの恐怖の目がはりついている。あのころ、わたしは中国語の講師をしていて、テキストに『毛主席語録』をつかっていた。クレージーとはとくにかんじていなかった。その記憶に、いまごろ傷つく。戦争はありうる。(辺見庸「日録8」2013/12/31

・謹賀新年

年は唯黙々として行くのみぞ
去年今年貫く棒の如きもの    高浜虚子

罪というなら、ヒロシマ、ナガサキの経験をほぼ消費しつくして、観光的表象(というよ り“商標”)だけを残して、反核反戦の思想と魂の基地をつくることがついにできなかったこちら側 にある。 経験は、いつもかならず自動的に、認識を深めるというものではない。 フクシマ についても。(略)侵略戦争のかぞえきれないほどの加害責任を、東京大空襲とヒロシマ、ナガサキのホロコーストで、ご都合主義的に相殺する(略)ことで、いちどとして激烈な内省 をしなかった・・・(辺見庸「日録1」2014/01/02

・産経で安倍晋三と秋元康がにこやかに対談している。敵もさるものである。「強い日本」には、AKB48のようなサブカルチュアもあるのである。十代の娘のパフォーマンスと思っていると、アベノミクスや防諜法への道を歩いていたことになるのだ。安倍は大晦日に特攻映画『永遠の0(ゼロ)』を夫婦で観たという。硬軟取り混ぜたイデオロギーの注入には警戒が必要である。これに対して99%の側は、思想も武器弾薬も、不足している。(半澤健市「リベラル21/2014年の元旦6紙を読む」2014.01.03

・近日の辺見庸読書でいちばん印象的だった話(略)辺見庸が脳出血で倒れる少し前、早稲田大学文学部に客員教員として行った時のこと、その学部入口に“本構内での反社会的活動を禁じる”という看板があった。授業の冒頭、辺見が受講生に《反社会的活動とはなにを意味するか?》と問いかけたら、300人ほどいた受講生が《ウンともスンとも言わずに平然とこちらをながめていた》ということなのね。辺見はこれが自分が倒れる引き金になったよう な気がするとさえ言っている。あまりそういうことにこだわるのではないが、この文学部というのは、ぼくが通っていた所(略)、やはり“リアル”だった。(Don't Let Me Down「新年の手紙」2014-01-05

・人間というのは本源的に失見当識の傾向があるということではないのか。「人は、やましいところがないと信じておこなうときほど、存分に、また楽しんで、悪をおこなうことはない」とは、過去および現在のファシズムに共通する特徴でもある。ファシストたちとマスコミは連日「作話」を連発し、日々「意味の偽造」「歴史のねつ造」にいそしんでいる。おそらく、悪意さえない、重度のバカたちなのだ。(辺見庸「日録2」2014/01/07

・澤藤氏は、民主主義の内実を根底から問いかえし、いわゆる革新や左翼を標榜する勢力のなかに、同調圧力で少数者を切り捨てる、民主主義とは相容れない状況があることを明らかにしました。政治的スローガンの影に隠れて不正義を行っている人々に満身の怒りを覚えます。一人一人が民主主義を作り出してこなかったこの国の、危機的状況です。(Rocky 2014/01/09) 

・きたるべき(あるいはすでに到来した)戦争の時代を生きる方法とは、断じて強者への服従ではありえない 。人間(とその意識)の集団化、服従、沈黙、傍観無関心(その集積と連なり)こそが、人間個体がときに発現する個別の残虐性より、言葉の真の意味で数十万倍も非人間的であることは、過去のいくつもの戦争と大量殺戮が証明している。暗愚に満ちたこの時代の流れに唯々諾々と従う のは、おそらく、非人間的な組織犯罪に等しいのだ。(辺見庸『永遠の不服従のために』より。Don't Let Me Down「不服従について」2014-01-10

・その赤いランプのようなものを、鉄柵のこちらがわから、ぼんやりと眺めた。(略)知りあいはじぶんの定位をしっ ているだろうか。たぶん、よくはしらないのではないか。だれも、じぶんの定位をしらない。在るべき位置。わたしもしらない。(略)あの赤いランタンのようなもの、はそうすると、自己方位測定器ということになるのだろうか。(略)もしもそうであるならば、あの信号灯のようなものは、なるべ く雨に濡れたほうがよい。(略)そうしたら、「お前の海の 灰と影とを…」と、わたしもうたえるかもしれない。そぼふる雨か雪か血に滲み、かすかに点滅する、その赤いものを、わたしは胸骨に埋めこむことだってできるだろうに。いまはすっかりなにもかもが乾いている。(辺見庸「日録2」2014/01/11

・驀進する列車にはいつも、〈われわれは目的にむかって逆走する〉という、ひとすじの普遍性がある。 (略)北ゆきの超特急列車から降りたならば、「いまはもう、なにもかもが同じことだった。彼と墓のあいだを隔てるのは彼自身の死だけであった。すべてを諦めた彼は理性を備えた動物たちが住む、不条理で誤りに満ちた向こう側の世界から聞こえてくる、規則正しく打ちつける大粒の雨音を聞い ていた」という、ありえぬことことになりかねない。(辺見庸「日録3」2014/01/14

・そのかぎりにおいて、わたしとコロボックルだって、「なにかが起こった」の超特急列車の、もの言わぬ乗客なのだ。いまなにが起きているのかを手をあげて大声で問いもしない。列車を止めようともしない。どうすればよいのだろう。口を噤むことも、怒りくるうことも、「やつら」の存在認定(受容)にしかつながらないのだとしたら、ほんとうにどうすればよいのだろう。(略)こうなったら、ただ沈黙するのではなく、たぶん狂えばよいのだ。せめて行く先の仔細について、ひとり挙手して問うべきだ。ガルシンの「赤い花」のように戦い、なんどでも敗れればよいのだ(略)列車はぜったいに行くべきでない場にむかい爆走している辺見庸「日録3」2014/01/15

・社説には なんの緊迫感 もなかった。(略)「…やがて民主主義をむしばんでゆくだろう」だと。とっくの昔に 民主主義は むしばまれているではないか。社説は「情報保全諮問会議」成立のまことにいかがわしいプロセスや、座長に、もともと秘密保護法の積極擁護論者にして改憲論者そして元インチキ共産党員にして旭日大綬章受章者・渡辺恒雄が就任した、露骨なデキレースについて一言も批判していない。読売とナベツネへの配慮、忖度、おもいやり、諂いがれきぜんとしている。廃案にすべきだと言いつつ、そのじつ、秘密保護法を追認しているのがほかならぬこの朝日社説ではないか。(辺見庸「日録3」2014/01/16
 
澤藤統一郎弁護士による宇都宮健児氏及びその取り巻きに対する批判は、非常に深刻な問題はらんでいると思うのだが、なぜあまりクローズアップされないのか不思議に思う。この問題を「見て見ぬ振り」していられる神経が私には信じられない「kojitakenの日記」2014-01-18
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