のりこえねっと 
「のりこえねっと」の発足会見(2013年9月25日・東京都新宿区)

ある在日コリアンの青年団体(在日コリアン青年連合(KEY)東京)の発行する情報マガジンの最新号の特集は「日本のレイシズム・ヘイトクライム」。その巻頭に辛淑玉さんの「石原『三国人』発言から13年、いまヘイトスピーチとどう闘うか?――辛淑玉流「在日論」のススメ」というインタビュー記事が掲載されています。辛淑玉さんはいまや在日朝鮮人のひとりとして日本のリベラル・左派にとっても「在日」の人たちにとっても「日本のレイシズム・ヘイトクライム」を語る上で欠かせない存在になっているようです。その辛淑玉さんとはどういう人か? 私はすでに「辛淑玉」という人物像は「メディアというすでにコマーシャル化して久しい独自のフレームによって形成された情報」に基づいて主に日本のリベラル・左派によって形成された「理想化された虚像」ではないか、という疑念を提起していますが、在日コリアンの青年団体の雑誌で辛淑玉さんにスポットを当てた「日本のレイシズム・ヘイトクライム」特集が組まれたのを機に金光翔さん(韓国国籍の在日朝鮮人三世。岩波書店社員。元「世界」編集部員)という「在日」の問題をおのれと自らの「民族」のアイデンティティの問題として真摯に考え抜いている若い思想家の意見(アット・ランダムな一部の抜粋にすぎませんが)を参考にして改めて考えてみたいと思います。

ある在日コリアンの青年団体の発行する最新号の情報マガジンに辛淑玉さんにスポットを当てて特集が組まれています。辛淑玉さんをどのように評価するかはその人の「革新」のスタンスを推測する上でのひとつの試金石になりえますね。
 
辛淑玉さんについては、以下の金光翔さんのような見方もあることを私たちは知っておいた方がよいと思います。
 
以下、金光翔さんの辛淑玉さん評価を2、3ご紹介させていただこうと思います。以下は、金さんの日本の「革新」を標榜する者、また、「在日」を標榜する人への問いと批判でもあるでしょう。金さんが提起している課題(問いと批判)は私たちがいままさに直面している課題だとも思います。
 
「山口は、ある講演(山口二郎「岐路に立つ戦後日本」山口編『政治を語る言葉、2008年7月、七つ森書館)の中で、60年安保以降、本格的な「戦後レジーム」が完成したのであり、その「戦後レジーム」は、「内における経済的な繁栄と平等、外におけるそれなりの平和国家路線、この二つの柱をもっていた」と述べている。(略)そして、この講演の中で山口は、以下のようにも述べている。/「戦後日本は基本的には、平和と豊かさを達成し、かなり平等な社会を築いたという意味では成功したという評価があるわけです。そのなかでもちろん、そのような平和や豊かさは日本人だけで、そこからはじかれたマイノリティー、少数派がいたという問題があります。」(同書、58頁)

あまり物事がわかっていない人からすれば、この発言は、「良心的」に見えるだろう(山口も、自分でそう思っていると思う)。現に、同書には別の講演者として辛淑玉が登場しており、辛は司会の山口にエールを送っている(注1)。

だがこれは、誇張抜きに、恐るべき発言である。その意味が分からなければ、例えば、山口とは反対に、「日本社会には「在日」に対する差別なんてない」と言い張るネット右翼の例を考えてみればよい。こうしたネット右翼にとっては、日本社会の健全さを示す上で、在日朝鮮人に対する差別が存在している、ということであってはならないのである。その意味では、このネット右翼の場合、在日朝鮮人は、それなりの大きさがあるものとして捉えられているのであって、在日朝鮮人の処遇が、日本社会全体への評価を左右し得るものと見なされている。

ところが、山口の場合は、このネット右翼とは逆で、日本社会の健全さを示す上で在日朝鮮人への差別があるかないかは関係ないのである。つまり、山口においては、上のネット右翼とは異なり、在日朝鮮人の存在の大きさが極小化されているのだ。在日朝鮮人の処遇は、日本社会全体への評価とは基本的に無関係なのである。」(金光翔「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 4」2009-06-16)
 
「昔、同世代の在日朝鮮人同士との会話で、、「在日朝鮮人(問題)がメディアや「論壇」によって消費されている」ことが話題になった際、「消費されていることは確かだが、そのことを利用すればいいではないか。それは在日全体にとってもいいことだ」などと言う人物がいた。今の姜尚中らもまさにこれと同じことをやっているのかもしれない。だが、日本社会はそんなに甘くなく、また(脳天気な在日朝鮮人のようには)馬鹿でもないのであって、ヘゲモニーは必ず日本社会(日本人)側にある。辛淑玉や崔洋一のような人物が居丈高に振舞うことが許されるのは、彼ら・彼女らのあり方そのものが日本社会(日本人)に媚びたものであるからである。」(金光翔「マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(下)」2010-06-05)
 
「部落解放運動周辺の人々と密接な関係にある在日朝鮮人言論人といえば、辛淑玉がその典型である。辛は、最近では「私は、国籍を持つ韓国人だという意識を持ったこともないですし、北朝鮮の海外公民という意識もないし、日本人という意識を持ったこともないんですね。」などという発言すら行なっている(辛淑玉・金賛汀「対談 在日百年の歴史はもう一つの日本の姿」 『波』2010年6月号)。辛が、特に2002年の9・17以降、在日朝鮮人を日本人「同胞」として位置づけてもらおうと涙ぐましくかつ極めて有害な言動を繰り返している。

例えば、辛は、帰還事業で渡った朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)内の元在日朝鮮人について、日本政府は日本国への帰国を北朝鮮に対して要求すべき、と主張しているが(山口二郎編『政治を語る言葉』七つ森書店、2008年6月)、このような主張は在日朝鮮人を日本人「同胞」と位置づけない限り出てこない議論である。しかも、「人道的介入論」に利用されかねない、危険な主張と言わざるを得ない。だが、辛の立場は、梁の上記の主張(引用者注:右記本文参照)のある意味での帰結である。」(金光翔「在日朝鮮人言説の変容について(1)」2011-02-17)
 
上記ですでに述べましたが、私の辛淑玉さん評価は以下のようなものです。
 
「私がここで問題にしたいのは、いわゆる「リベラル・左派」と呼ばれる人々の間では、メディアというすでにコマーシャル化して久しい独自のフレームによって形成された情報によって「辛淑玉」というひとつの理想化された物語を創りあげ、その結果としての過剰な辛淑玉評価が幅を利かせてはいないかという疑念です。そこには実像の辛淑玉さんという人はいません。それは、リベラル・左派にとっても、辛淑玉さん自身にとっても不幸なことのように思います。辛淑玉さんは数年前に大分に来られたとき一度だけ講演を聴きに行ったことがありますが、講演の端々に垣間見えるその彼女の自信過剰のしぐさ(といっても、具体的なしぐさという意味ではありません)に少なくなく辟易した覚えがあります。(以下、省略。全文は右記をご参照ください)」(「私の辛淑玉さん評価と上野千鶴子さん評価 ――「のりこえねっと」の評価とも関連して」弊ブログ 2013.12.13)

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