あるメーリングリストに「杉並からの情報発信です」ブログの主宰者の山崎康彦さんの「『小沢一郎支援・検察・検察審査会糾弾』東京デモ行進のご報告」なる記事(注1)を共感的に紹介する転載記事を発信する方がおられました。その記事に反論して、ここで改めて山崎氏の論を批判するのも労力の無駄のように思いましたので、今回の東京第5検察審査会による小沢氏強制起訴議決についての適切な評価をしていると私として思われる下記の山田孝男さん(毎日新聞記者)の記事を紹介することで反論に代えることにしました。そしてその際その山田孝男さんの論は「一般的な良識的な市民の評価、または意見といってもいいのではないか」という私の意見を挿みました。

風知草:強制起訴は暴走か=山田孝男(毎日新聞 2010年10月11日 東京朝刊)

そうすると2人ほどの方から「私は、きっと『一般的な良識的な市民』には入らないのでしょうが、山田孝男さんの意見には、反対です。明白な起訴に当たる偽装があったとは思わないからです」、「どういう理由から、山田孝男さんの意見が『一般的な良識的な市民』の意見ということになるのだろう?(略)プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに、どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている。いったいいつまでやっているつもりなの?」という反論のような返信をいただきました。

下記はその「反論」のようなものに対する私の返信です。

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Sさん Seさん Kさん

私の考える「一般的な良識的な市民」の意見とはどういうものか、についてひとこと述べておきます。

以下、Sさんのご発言をひとつの例として。

「プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに、どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている。いったいいつまでやっているつもりなの?」(Sさん)

上記のSさんのご発言には「一般的な良識的な市民」としていくつかの問題があるように思います。

第1。「プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに」という杉さんの発言は、ご本人はそう自覚されていないのかもしれませんが、検察審査会制度そのものを否定する発言というべきものです。

Sさんは同審査会制度そのものを全否定されるお立場でしょうか?

現在の裁判制度は、起訴独占主義(起訴は検察官のみがすることができるという原則。刑事訴訟法247条)によって公訴権(被疑者を起訴する権利)は検察官によって独占されています。そうすると、起訴判断権を検察のみが持つため、その検察官の恣意的な判断によって、被疑者が免罪され、犯罪被害者が泣き寝入りする事態もある程度の頻度で起こりえます。現在の検察制度は少なくともそうした可能性を常に孕んでいる制度ということができますし、現実にそうした事態は度々生じています。

検察審査会制度はそうした検察のときとして暴走化する横暴で恣意的な判断を抑制・防止し、かつ、検察の世界にも民意を反映させる目的を持って戦後すぐの1948年に成立した制度です。刑事訴訟における正式の裁判に先立って、当該案件を起訴するに足りる証拠があるか否かを判断する同様の制度は予審、予審尋問、大陪審制度などの形で世界各国にもあり、「法の支配」の確立している国として「常識」に属する制度というべきですが、むしろ、日本の検察審査会制度は、「戦後GHQが日本政府に対し検察の民主化のために大陪審制及び検察官公選制を求めたのに対し、日本政府が抵抗した結果、市民決定に拘束力を持たせない妥協の産物として設けられたものである」という指摘もあります(wiki「大陪審」)。昨年の検察審査会法の施行で同審査会は強制起訴の権限を有するようになりましたが、上記のとおり民意を反映させるという点で問題が積み残されていた戦後における同法成立時の欠陥を補完したという側面を持っているともいわれてもいます。

上記のとおり強制起訴の権限をも有する検察審査会制度は「法の支配」の確立している国として「常識」に属する制度というべきものです(国によって制度の形は異なりますが)。それを否定するようなSさんのような考え方は、失礼ながら、「一般的な良識的な市民」の「常識」に反する考え方といわなければならないように私は思います。

第2。 Sさんの言われる「どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている」というご発言は、第一に「素人」という言葉の遣い方からもわかることですが、その「素人」で構成される検察審査会の意義をまったく理解していない発言といわなければなりません。検察審査会の有意義性については上記第1で述べているとおりです。第二に「どこのだれかもわからない30代」という言い方も同審査会制度のしくみをよく理解されていない発言といわなければなりません。

検察審査会委員は、同審査会法第10条によって、市町村の選挙管理委員会によって同市町村の選挙人名簿に登録されている者の中からくじで無作為に選出されるしくみになっています。当然、同選挙人名簿に登録されている者の年齢、年代は多様であって今回の同審査会委員が平均年齢30歳強であった、というのは「くじで無作為に選出される」という同審査会委員の選出のしくみから見ても故意ではなく偶然に属することといわなければなりません。仮にその同審査会委員の選出の過程に意図的なものがあったとするならば、市町村の選挙管理委員会に不正があったと断定しなければならないことになりますが、同審査会委員の氏名等は特定の司法関係者以外には非公開です。したがって、現在の民主的体制下で「非公開」のものを強制的に検閲するというところまで政治権力の力が及ぶとは常識的に考えられませんし、何人もの選挙管理委員会委員が立ち会う「くじ引き」、またその過程に不正が仕掛けられるということも常識的に考えられません(そこに不正が仮にあったとすれば当然同くじ引きに立ち会った選挙管理委員会委員は全員逮捕されるということにもなります。選挙管理委員会委員がそこまでリスクを冒してまで不正を挙行することも当然考えられません)。

したがって、Sさんの第2の見方、考え方も、「一般的な良識的な市民」の「常識」に反する考え方といわなければならないように思います。

もう一度上記のSさんの発言を引用します。

「プロが膨大な時間と税金をかけて、それでも起訴できなかったのに、どこのだれかもわからない30代の素人にまた起訴されている。いったいいつまでやっているつもりなの?」

Sさん。そしてこれはSe(注2)さんにもKさんにも当てはまることだと思いますが、そこまで言われるのでしたら検察審査会法ができてすでに60余年経ちますが、これまで小沢強制起訴以前に同審査会法について「ケシカラン」とどこかで問題提起されたことはありますか?

また、JR西日本福知山事故や明石歩道橋事故における検察審査会の「起訴相当」議決も当然「シロート民間人」の議決でしたが、その議決は「ケシカラン」ものだったとお考えでしょうか?

また、上記のJR西日本福知山事故や明石歩道橋事故における検察審査会の「起訴相当」議決について、「シロート民間人が検察の判断にケチつけてケシカラン」と抗議なさいましたか?

そういうことはしないで今回の小沢強制議決についてだけ「ケシカラン」などというのはまったくスジが通りませんし、また、「一般的な良識的な市民」のすることでもないだろう、と私は思います。

また、Kさんのご発言に即してひとこと。

Kさんは先のメールで「岩上氏の伊波沖縄県知事候補インタビュー」という情報を流されています。そうすると、Kさんは、沖縄問題について「普天間基地の即時撤去」、同基地の「国外・県外の移設」の主張を掲げて沖縄県知事選を戦っている伊波さんを支持されているということになりますが、あなたがもう一方で支持される民主党の小沢氏は下地島や伊江島を「移設」先の代替候補地に挙げて「県内移設」を主張しています(産経新聞 2009年12月30日付)。

小沢氏のこうした「県内移設」案は、普天間基地の無条件閉鎖と国外・県外移設を切望している〈沖縄の民意〉とは明らかに相容れないものといわなければなりません。

あなたがそれでも小沢氏を支持するというのであれば、あなたは沖縄・普天間基地の無条件閉鎖と国外・県外移設を真に望んでいない、ということになるのではありませんか? 

Kさんはこの矛盾をどのように考えますか?(注3)
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注1:山崎康彦さんの記事については私はいくつかのメーリングリストに次のような発信をしたことがあります。「幾つかのメーリングリストに『杉並からの情報発信です』ブログの主宰者の山崎康彦さんという人の論考をなにか重要な論点を提起している論考であるかのように読みなす何人かの人がいて同氏の論がしばしば引用される傾向がありました。/私にとっては山崎さんの論は荒唐無稽な論のたぐいにすぎないのですが、上記のような事情で山崎さんの論を一度根底的に批判しておく必要を感じました」(弊ブログ 2010年8月9日付)。

注2:Seさんから「お答えしますが同審査会法が改正されて強制起訴権限をもったのは60年もたっていないと思います」という返信がありました。しかし、この返信は問われている本質にまったく応えた返信になっていません。良心的に問いの本質に応えようとするならば、同審査会法改正前のことを持ち出すのではなく、昨年から施行された同審査会改正法以後のJR西日本福知山事故や明石歩道橋事故における検察審査会の「起訴相当」議決についてSeさんとして「ケシカラン」と考えるのか。また、Seさんとして抗議したのかどうか。その点について応えるのがスジといわなければなりません。本質の問題に応えようとせず、本質から外れた回答でその場しのぎをする。嘆かわしいことです。

注3:Kさんからは「小沢さんでも誰でも今の所は県外移転、国外移転は政権側になると難しい交渉でなかなかなのかなと思うのと、国民が沖縄のことを自分たちの問題として捉えるには我々の努力が足らないのかもしれません」という返信が返ってきました。「我々の努力が足らない」などという人ごとのような返信をするのではなく、Kさんとして問われている矛盾について自分としてどのように考えるのか真摯に向きあった応えをするべきではなかったでしょうか。これも本質から外れた回答でその場しのぎをする回答の見本のように私には思われます。嘆かわしいことです。
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