加藤哲郎氏(一橋大学名誉教授、早稲田大学客員教授)が近頃チンドン屋の就職口でも見つかったのか賑々しくテキ屋も顔負けの体の小泉純一郎ひとり芝居一座の前口上役を相つとめています。
 
曰く、
 
「久しぶりで「脱原発」「原発ゼロ」が、新聞の1面トップをかざりました。小泉純一郎元首相の、日本記者クラブでの講演・会見です。ドイツの廃炉とフィンランドのオンカロを現地で見て核廃棄物処理の不可能を痛感したうえの決断で、私が注目したのは、『人間は、意見が変わることがある』と、かつての原発推進から現在の脱原発への心境変化を率直に認めていること、もう一つ、原発ゼロは『首相が決断すればできる』という安倍首相への提言と世論への依拠。『過ちては改むるに憚ること勿れ』を地でいく元首相の脱原発行脚は、即原発ゼロ、再生エネルギーへの転換まで踏み込んでいますから、ホンモノでしょう。メディアの反応も、各社のスタンスがよく現れています。細川護煕元首相とも会談して、国民運動をよびかけている点でも、反原発・脱原発の運動には大きな援軍でしょう。」(「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」 2013年11月15日
 
ただし、断り書きもないではありません。「もっとも『過ちては改むるに憚ること勿れ』は、過去の政治責任を免責したり、曖昧にするものではありません」(同上)という。「ふり(~のふりをする、の意)」(断り書き)はテキ屋もお得意の芸当です。「ふり」はあったほうが真実味はさらに増すのです。テキ屋もこの手をよく使います。「だがしかし、お立ち合い、投げ銭やほうり銭はお断わりだ。手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、ほうリ銭はもらわない。しからば、なにを稼業にいたすかといえば、手前持ちいだしたるは、これにある蟇蝉噪(ひきせんそう)四六の蝦蟇の膏だ」(三遊亭円生噺「蝦蟇の膏」)云々。
 
しかし、『ああ同期の桜』(海軍飛行予備学生第14期会編)を愛読書とし(wikipedia『小泉純一郎』)、有事3法・有事関連7法を強行採決。自衛隊の海外派兵に道を開き、「平和憲法」の精神をズタズタにした稀代のポピュリスト首相(たとえば小泉の「ワンフレーズポリティクス」。小泉の「感動したっっっ!」は流行語にもなりました)であった小泉純一郎をこのように評価することは正しいことでしょうか?
 
辺見庸はかつて小泉純一郎が自衛隊のイラク派兵を閣議決定した日を「平和憲法にとっての『Day of Infamy』(屈辱の日)」と呼んだことがありました。 


「忘れもしない二〇〇三年の十二月九日です。名前を口にするのもおぞましいけれど、コイズミという一人の凡庸な男がいます。彼が憲法についてわれわれに講釈したのです。まごうかたない憲法破壊者が、憲法とはこういうものだ、『皆さん、読みましたか』とのたまう。二〇〇三年十二月九日、自衛隊のイラク派兵が閣議決定された日です。コイズミは記者会見をして憲法前文について縷々(るる)説諭した。こともあろうに、自衛隊をイラクに派兵するその論拠が憲法の前文にある、といったのです。およそ思想を語る者、あるいは民主主義や憲法を口にする者は愧死(きし)してもいい、恥ずかしくて死んでもいいほどの、じつにいたたまれない日でした。いやな喩えだけれど、それは平和憲法にとっての『Day of Infamy」でした。」(『いまここに在ることの恥』「憲法と恥辱について」毎日新聞社 2006年)
 
すでに述べていることの繰り返しなりますが、天木直人氏は、12日の小泉元首相の日本記者クラブでの脱原発記者会見について次のような見方を示しています。
 
「鳴り物入りで行なわれた12日の小泉元首相の脱原発記者会見は、はからずも小泉脱原発劇場の終わりを意味する記者会見になった。/なぜか。/それはもちろん小泉発言が、これまでの繰り返しに終始する無意味なものであったからだ。/しかしそれ以上に大きな理由がある。/それは小泉元首相が安倍首相の対中国強硬姿勢をこれ以上ない言葉で称賛したからだ。/脱原発はもちろんこの国の将来を左右する大きな問題だ。/しかし、それは日本が直面している大きな問題の一つでしかない。/日本が抱えている大きな政策課題は、米国に追従して軍事重視の外交・安全保障政策や新自由主義に突き進むのか、国民の生活を優先した平和、共生、アジア重視の日本を取り戻すのか、ということである。/脱原発はまさしくその試金石の一つなのだ。/脱原発支持者の中にも対中強硬論者はもちろんいるだろう。/しかし本物の脱原発支持者が、米国追従の日米論者やTPP支持の新自由主義者であるはずが無い。/すなわち小泉元首相は脱原発を唱えるにはもっともふさわしくない人物であることを自らこの記者会見で公言したのだ。/小泉元首相は大きなドジを踏んだ。/馬鹿の一つ覚えのように脱原発だけを吠えていればよかったのに、靖国参拝の裏話まで披露して自画自賛した。/これでは国民運動にはならない。/国民運動にならない小泉脱原発発言など、もはや何の意味も無い・・・(「はやくも馬脚をあらわした小泉脱原発記者会見」天木直人のブログ 2013年11月13日)
 
「kojitakenの日記」ブログの主催者の古寺多見氏も小泉元首相の脱原発記者会見について次のように書いています。
 
「朝日新聞(11/14)の社説が小泉純一郎の「原発ゼロ」を取り上げていたのに呆れた。あんなのは山本太郎の「天皇お手紙事件」と同じで、勝手にやらしておいて相手にしなければ良いのだ。最初に小泉の「原発ゼロ」を毎日新聞で宣伝した山田孝男という記者が文藝春秋に何やら書いているらしい。私は読んでいないが、どうやら小泉は安倍政権のエネルギー政策を「脱原発」に転換させることによって、安倍政権の長期化を狙っているらしい。そんな小泉に「エール」とやらを送る野党の人士には失望を禁じ得ない。もっとも、小沢一郎には失望も何もしない。夕刊紙に「小泉・小沢 共闘」などと見出しが躍っていても鼻で笑うだけである。そもそも小泉と山本太郎を支持することほど有害な「リベラル・左派」系の「脱原発」派の自殺行為はないのであって、山本太郎は自らの公式サイトにこんなことを書いている。(以下、略)」(「小泉純一郎や山本太郎への支持は「脱原発」派の自殺行為」kojitakenの日記 2013-11-14)
 
これも繰り返しになりますが、細川・小泉元首の「原発ゼロへ共闘」を記事にした12日付けの東京新聞の記事について「北海道は素敵です!!」ブログの主宰者も次のような見解を述べています。
 
「この二人の顔を並べると政界が歪んでいき、最後の止め日本列島が歪み切って、今の日本がある。弱者が虐め抜かれる格差社会が確立していったのである。正直「今更…。今の日本の歪みをつくりあげた二人が…。これに菅が並ぶとオンパレードとなる」正直な私の感想です。人間というものは過去の犯罪(私は大罪だと思っている、捕まらなかったとい(う)だけ、どれだけの国民が虐げられていることか)を全て総ざらいしていいものかと…。確かに保守層にはある程度の影響は与えることは間違いなし。/彼らが真剣に「脱原発」を発するのであれば、官邸前の集会に一国民として参加すべきである。過去の謝罪の気持ちを表明してからが一番の行動であると思う。」(「北海道は素敵です!!」2013/11/13
 
さらに台風26号による土石流災害で死者35人、行方不明者4人(11月16日現在)の多くの犠牲者を出した伊豆大島の「大島測候所」の廃止と当時の小泉内閣の責任を追及した東京新聞の宇佐見昭彦記者の「述懐」を引用して小泉元首相の脱原発記者会見を批判しているのは「vanacoralの日記」の主宰者のvanacoral氏。次のように批判しています。
 
11月2日付エントリーに掲載された東京新聞記事を執筆した記者による述懐。この日(12日火曜日)に小泉元首相による脱原発記者会見が行われた事を考えると味わい深い。小泉『脱原発』はいいとしても小泉政権が犯した過ちは厳しく批判する距離感を保ち続けなければなりません。」(「小泉行革が潰した『大島測候所』」vanacoralの日記 2013-11-13)
 
以下は、その記事に引用されている宇佐見昭彦記者の「述懐」(前文とゴチック部分のみ抜粋)。
 
「多くの犠牲者が出た伊豆大島(東京都大島町)の土石流災害では、住民の命を守る防災情報伝達の不手際が次々と明るみに出た。同時に、地域の防災拠点だった大島測候所を、人員削減のために廃止してしまった気象行政のあり方が問われている。(略)「民間でできることは民間で」と叫び、「行政減量・効率化」を掲げる小泉純一郎首相(当時)のもとで二〇〇六年、測候所の原則全廃が決定。首相のブレーンでつくる有識者会議では、委員たちが測候所の早期全廃を迫った上に、気象庁全体を非公務員型の独立行政法人にしようという議論もあった。気象庁は生き残りのため、測候所を差し出した格好だ。」(「記者の眼/伊豆大島 測候所廃止の影/防災「効率化」危うさ露呈」東京新聞 2013年11月12日)
 
こうした過去と現在を見据えた上での小泉純一郎「脱原発」発言批判に比べて冒頭に掲げた加藤哲郎氏の論のなんと薄っぺらのことか。辺見庸のいう「Day of Infamy(屈辱の日)」を「もっとも『過ちては改むるに憚ること勿れ』は、過去の政治責任を免責したり、曖昧にするものではありません」というおまけのような付け足しの言葉だけで反故にしてよいものか。できるものか。
 
この加藤哲郎という御仁は30代のはじめの頃までは出版労働者として優秀な「地を這う」ような共産党員だったようですが、人から「先生」と呼ばれてチヤホヤされる大学教授という職を長くつとめているうちにどうやらハンナ・アーレントの母マルタが幼いハンナにむかって叫んだという「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です」という「悟性の声」を聴きとる能力を失くしてしまったようです。「悟性の声」は必ずしも「知性」の声をして現われるわけではありません。永山則夫が幼少年期を母親たちと暮らしていた青森県北津軽郡板柳町のボロ長屋。「2階中央のガラス窓の内側に永山がいて、殴られたりどなられたり、ぜったいに見てはならぬものを見てしまったり、ときには殴ってはならない者を殴ったりしていた」「あのボロ長屋のトイレの臭気」を「惛い記憶箱のなかで」(辺見庸「不稽日録」(「私事片々」)2013年7月31日)思い出すことができるかどうか。その記憶も「悟性」の重要な要素です。その「ボロ長屋のトイレの臭気」はいまの加藤哲郎氏にとってはすでに思い出しようもないしろものになっているのかもしれません。これでは「ボロ長屋のトイレの臭気」をも含む「歴史的瞬間」の声、匂いは「悟性」しようもないでしょう。

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