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原発ゼロへ共闘 細川・小泉元首相『国民運動を』」という12日付けの東京新聞の記事を「当然のことと言え熱烈・歓迎です」というこんな人が「リベラル・左翼」を自称するのか、と呆れ果てる(というよりも、唾棄すべき*以外にない論評もありますが、次のような「リベラル・左翼」のふつうの論評(内容が「ふつう」ということではなく、これが「リベラル・左翼」としてはふつうの見方、の意)もあることに救われる気がします。

*こういう人たちによって日々「革新運動」は根腐れされていく。彼(彼女)らをもはや「リベラル・左翼」と呼ぶべきではない。彼(彼女)らは客観的に見て「革新運動」を根腐れさせるためだけにある「Dasein(存在)」、すなわち「The Dull(愚者)」というほかありません。

小泉純一郎2 細川護熙
 
「この二人の顔を並べると政界が歪んでいき、最後の止め日本列島が歪み切って、今の日本がある。弱者が虐め抜かれる格差社会が確立していったのである。正直「今更…。今の日本の歪みをつくりあげた二人が…。これに菅が並ぶとオンパレードとなる」正直な私の感想です。人間というものは過去の犯罪(私は大罪だと思っている、捕まらなかったとい(う)だけ、どれだけの国民が虐げられていることか)を全て総ざらいしていいものかと…。確かに保守層にはある程度の影響は与えることは間違いなし。/彼らが真剣に「脱原発」を発するのであれば、官邸前の集会に一国民として参加すべきである。過去の謝罪の気持ちを表明してからが一番の行動であると思う。」(「北海道は素敵です!!」2013/11/13
 
私も過去に小沢一郎の政治姿勢に関して「反省」ということについて次のように書いたことがあります。
 
「一般的にいって真の反省のないところに(キリスト教的な「懺悔」を比ゆとして用いますが)「新生」も「復活」もありえません。小沢一郎氏の場合、おのれの思想を真に脱原発の思想に改悛したというのであれば、民主党の政策を「原発推進」に転換した2006年当時のおのれの理念と思想を「強烈に反省」し、悔い改める必要がその「反省」の前提条件としてあるでしょう。しかし、その真の意味での反省は小沢氏からも民主党サイドからも一切聞こえてきません。「小沢一郎はその事に対して言い訳をする必要」があるのです。

また、昨日の小泉純一郎元首相の日本記者クラブでの「脱原発」講演について天木直人氏の次のような論評があります。「北海道は素敵です!!」ブログから孫引きさせていただきます。


いまこそ蘇る小田実の言葉(「天木直人氏の視点」2013/11/12)

きょう11月12日、小泉元首相が鳴り物入りで記者会見を開いて脱原発の思いを述べるという。
 
メディアが殺到するという。小泉劇場再びというわけだ。
 
もし小田実が生きていたらどう思うだろうかと私は思う。
 
私の長年の読者ならおわかりだろう。
 
「いま蘇る小田実の言葉」とはこういう言葉だ。
 
小田実が実践していたデモの真髄は、前後、左右、見ず知らずの者たちが、 その名前も、身分もあえて聞く事も、語る事も無く、ただデモの目的一つに共感して声をあげて歩き続けることだ。
 
そして小田実は言う。
 
デモには一切参加しようとしなかった者たちが、デモの目的が世の中に受け入れられるようになったとたんに自分のところに近づいてきて、耳元でこっそりささやく。「実は私も賛成していたのですよ」と。私はそういう者を一切信用しない、と。
 
きょう11月12日の東京新聞が細川元首相のインタビューを掲げている。
 
その中で細川首相もまた脱原発を強調している。そして小泉首相との共闘さえ口にしている。
 
石破自民党幹事長までもが「目指すと事は同じだ」といい始めている。
 
これからもそのような者たちがどんどんと出てくるに違いない。
 
まさしく小田実の言う「信用できない」者たちだ。
 
しかし、それでも彼らが脱原発に向けて本気で行動を起こし、そして結果的に日本が脱原発の国に向かうのであれば、少なくとも脱原発に関しては、私は評価したい。
 
その意味で、きょうの記者会見の見所は小泉首相が新しい発言をして今後脱原発に向けてみずから行動を起こすことをほのめかすかどうかだ。
 
これまで同様にオンカロ視察の体験を繰り返し、私は脱原発論者になったというばかりで終わるなら、 小泉首相の評価はまだ定まらない。
 
しかしそれでも私は小泉効果を歓迎する。
 
騒がれる事自体がこの国を脱原発に向かわせる。
 
同じ脱原発を唱えても、それが左翼や弱者から発せられる限りは広がらなかったものが、支配者側から発せられれば、メディアが騒ぎ、国民に広がり、結果として政治を動かすことになる。
 
そう私が繰り返して言ってきた事が証明されるからだ。
 
そして小泉首相が脱原発実現に貢献した時こそ、私がいうところの「飛んで火に入る夏」なのである。
 
安倍首相の進める一連の対米従属、新自由主義の原点を作った小泉政治の誤りが問いただされることになる。
 
こんどこそ逃げられない。逃がさない。
 
おもしろくなってきた。
 
本日付けの「天木直人のブログ」では天木氏は昨日の小泉脱原発記者会見に関してさらに突っ込んで次のように発言しています。
 
はやくも馬脚をあらわした小泉脱原発記者会見
(「天木直人のブログ」2013年11月13日)
 
鳴り物入りで行なわれた12日の小泉元首相の脱原発記者会見は、はからずも小泉脱原発劇場の終わりを意味する記者会見になった。
 
脱原発を訴える朝日、毎日、東京各紙は一面トップでこれを大きく取り上げて小泉元首相による脱原発国民運動を起こしたいと思っているようだが、そうはならない。
 
なぜか。
 
それはもちろん小泉発言が、これまでの繰り返しに終始する無意味なものであったからだ。
 
しかしそれ以上に大きな理由がある。
 
それは小泉元首相が安倍首相の対中国強硬姿勢をこれ以上ない言葉で称賛したからだ。
 
脱原発はもちろんこの国の将来を左右する大きな問題だ。
 
しかし、それは日本が直面している大きな問題の一つでしかない。
 
日本が抱えている大きな政策課題は、米国に追従して軍事重視の外交・安全保障政策や新自由主義に突き進むのか、国民の生活を優先した平和、共生、アジア重視の日本を取り戻すのか、ということである。
 
脱原発はまさしくその試金石の一つなのだ。
 
脱原発支持者の中にも対中強硬論者はもちろんいるだろう。
 
しかし本物の脱原発支持者が、米国追従の日米論者やTPP支持の新自由主義者であるはずが無い。
 
すなわち小泉元首相は脱原発を唱えるにはもっともふさわしくない人物であることを自らこの記者会見で公言したのだ。
 
小泉元首相は大きなドジを踏んだ。
 
馬鹿の一つ覚えのように脱原発だけを吠えていればよかったのに、靖国参拝の裏話まで披露して自画自賛した。
 
これでは国民運動にはならない。
 
国民運動にならない小泉脱原発発言など、もはや何の意味も無い・・・
 
私はこの数年来の天木直人氏の論調には批判的なのですが、この天木氏の論調には賛同します。正論だと思います。
 
人間が生きていくうえでチャラにしていいこととチャラにしては(忘れては)いけないことがあるように思います。たとえば、戦争(アジア侵略)の記憶。関東大震災の際のデマによる朝鮮人大虐殺の記憶などは決して忘失してはいけないことでしょう。水に流してしまってはいけないことがあるでしょう。
 
それらを一緒くたにして「水に流して」しまっては「たらいの水と一緒に赤子を流す」たぐいの誤りを犯すことになってしまうでしょう。

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