【後編】

辺見庸4
 
 長いこと、一時間以上かけて、この黒塗りの手紙についてお話ししました。けれども、ぼくはまだ、手紙を塗りつぶした「真犯人」については言及してはいません。その究極の真犯人のことを考えながら、次の話をしたいと思います。
 
 みなさんはいかがですか、最近、ときどき、鳥肌が立つようなことはないでしょうか?  総毛立つということがないでしょうか。いま、歴史がガラガラと音をたてて崩れていると感じることはないでしょうか。ぼくは鳥肌が立ちます。このところ毎日が、毎日の時々刻々、一刻一刻が、「歴史的な瞬間」だと感じることがあります。かつてはありえなかった、ありえようもなかったことが、いま、普通の風景として、われわれの眼前に立ち上がってきている。ごく普通にすーっと、そら恐ろしい歴史的風景が立ちあらわれる。しかし、日常の風景には切れ目や境目がない。何気なく歴史が、流砂のように移りかわり転換してゆく。だが、大変なことが立ち上がっているという実感をわれわれはもたず、もたされていない。つまり、「よく注意しなさい! これは歴史的瞬間ですよ」と叫ぶ人間がどこにもいないか、いてもごくごく少ない。しかし、思えば、毎日の一刻一刻が歴史的な瞬間ではありませんか。東京電力福島原発の汚染水拡大はいま現在も世界史的瞬間を刻んでいます。しかし、われわれは未曾有の歴史的な瞬間に見あう日常を送ってはいません。未曾有の歴史的な瞬間に見あう内省をしてはいません。3.11は、私がそのときに予感したとおり、深刻に、痛烈に反省されはしなかった。人の世のありようを根本から考え直してみるきっかけにはなりえていない。生きるに値する、存在するに値する社会とはなにかについて、立ち止まって考えをめぐらす契機にはかならずしもなりえていない。私たちはもう痛さを忘れている。歴史の流砂の上で、それと知らず、人びとは浮かれはじめている。
 
【「社会の内面」が変化】
 
 政治は、予想どおり、はげしく反動化しています。それにともない、「社会の内面」がおかしくなりつつある。社会の内面というと何のことかと言われそうですが、たとえば、高校の教科書の問題、みなさんよくご存知だと思いますけれども、高校の日本史の教科書をめぐる神奈川県の話。あれだって歴史的な瞬間だと私は思っております。実教出版からの「高校日本史A」「高校日本史B」。それには国旗・国歌法に関する説明で、「政府は国旗の掲揚、国家の斉唱を強制しないということを国会審議のなかで明らかにした」「しかし一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という、誰もが知っている事実、むしろちょっと食い足りないくらいな記述があるのですけれども、実際には記述どおり、あるいはそれ以上のでたらめな監視、それから強制、処分があります。たとえば「君が代」をうたっているかどうか、口パクだけじゃないかどうかということを、わざわざ教育委員会とか、あるいは極右の新聞記者が監視しにきてそれをメモっていく。わざわざ学校や教育委員会に電話をかけて告げ口したり記事化したりする。極右というのも、非常に懐かしいことばですけれども、しかしいまや日常の風景になってしまっている。
 

 実教出版の日本史教科書の記述に対し、神奈川県の教育委員会が語ったのは、これまた私のような人間は唖然とするほかないわけですけれども、「国旗掲揚と国家の斉唱は、教職員の責務であり、強制にはあたらない」ということであります。腰ぬかすほどびっくりしてしまう。「君が代」斉唱と日の丸掲揚が、いつから教職員の論議の余地ない「責務」になってしまったのか。責務とは、自分の責任として果たさねばならないことがらであり、責任と義務を意味します。「君が代」斉唱は自分の責任として果たさねばならないことがら、でしょうか。私が若かったころは、こんなものは責務でもなんでもなかった。だいたい、建国記念日だって、神武天皇が実在しなかった人物であることは、まっとうな歴史家であれば常識であり、したがって、戦前戦中の「紀元節」にあたる2月11日を「建国記念の日」とする客観的な根拠はゼロという見方が大勢でした。国旗・国家法は基本的に戦前の日の丸・君が代の考えと変わらないのであり、それらの押しつけは憲法第19条〔思想・良心の自由〕の違反です。この点について、この国はもはや最高裁判断の大半も信じるに値しない基本的な「信の危機」にあると私は思っています。神奈川県教育委員会は「国旗掲揚と国家の斉唱は、教職員の責務であって、強制にはあたらない」と断定しています。この断定にもとづきふたつの教科書について、これを採用するなというふうに各高校側に圧力をかける。で、結果、高校側が採用希望を取り下げた、という経緯です。
 
 さらにおどろくのは、これを伝えたNHKのニュースが、これを関東版のローカルニュースとしてごく簡単に流したことです。全国版の、もっと上の価値のある、重要なニュースバリューのある問題としては、なんとかいう雑誌が、読者五十人に対してプレゼント当選と掲載しながら実際には三人にしかプレゼントを送っていなかった、これが、現下深刻に考えるべき不正な問題として全国ニュースで大きく取り上げていました。読者五十人に対してプレゼント当選と掲載しながら実際には三人にしかプレゼントを送っていなかった雑誌の虚偽と日の丸・君が代およびそれらをめぐる教科書にかんする神奈川県教育委員会の間違った断定。どちらが重要でしょうか? 問題の質としてどちらが重いでしょうか? 物事の軽重、上と下、白と黒が、逆になってしまっている。われわれは受信料を、ほぼ半強制的に支払わせられながら、ファシズムを買っている。わざわざお金をだして、ファシズムをなぜ買わなければならないのでしょうか。なにかおかしくはないか。
 
【日本の原ファシズム】
 
 ファシズムの原型、始原のファシズムのことを原ファシズム=ウル・ファシズム(Ur-Fascism)と言います。国家や共同体は、いかによさそうに見えても、大なり小なり原ファシズムの諸要素をふくみもつものですが、ウンベルト・エーコによれば、原ファシズムの第一の特徴は「伝統崇拝」です。日本ではまずもって日の丸・君が代という戦前・戦中とまったく変わらない表象への拝跪思想がウル・ファシズムにあたります。この思想は古くて、同時に新しく、およそ例外や平等な議論というものを認めません。日の丸・君が代にかんするきわめて狭量で、悪い意味で一貫した司法判断は、この国の司法の底流にも黒いタールのようなウル・ファシズムの心性が残っているのだということを気づかせてくれます。しかし、すべてにおいて司法判断が正しいわけもないし、あるべき良心と知性と歴史観は、日の丸・君が代に抵抗するのが自然ではないでしょうか。しかしこの問題について、他の深刻な問題でもそうなのですが、大激論の戦端が開かれたとはけっして言えません。
 
 この国では知的な激論が長期にわたって展開され、テーマへの認識を深めていくということがまずありません。「万機公論に決すべし」などと言うけれども、公論なんてどこにあるでしょうか。まず自民党が党内で隠然と論を進め、政府お抱えの「知」なき御用学者、「知」なき識者らでなるインチキ諮問機関が一応討論をした体裁をとり、マスコミがそれを無批判に追認し、世間がそれをなんとなく受けいれていくというウル・ファシズムの古典的姿しかない。世論の醸成どころか世論を仮構する古くさいプロセスしかない。そこにはこういう問題があります。「個」の没却という問題がある。
 
 それはこういうことです。89年でしょうか、昭和天皇が亡くなりそうになったころ、私は外信部におりましたから、昭和天皇死去にかんする外電がくる。当時フランスはミッテラン大統領でしたが、昭和天皇が亡くなり国葬をしても、ミッテランは国葬に出席するべきではない、なんとならばヒロヒトは戦犯なのだから、という投書がフランスの新聞「ル・モンド」に載り、パリの特派員がそれを送ってきました。これは他国の新聞の読者のひとつの見識なわけですから、こういう感じ方もあるんだ、欧州の感覚のなかにはまだアンチ・ヒロヒトがあるのだなあと、私はデスクをやっておりましたので、これは出稿しようということになってこの原稿をだしたわけです。そしたら五分もたたないうちに、整理本部から部長クラスの人間がすっとんでくる。これはだめだと言うのです。なぜか。
 
 で、大声あげて、編集局のど真ん中で三十分、いや小一時間くらい言いあいをしたことがあります。問題はなんだったか。天皇がまだ亡くなってもいないのに、逝去を前提にした内容の原稿をだすのはいかがなものか、というわけです。いかがなものかもなにも、これはル・モンドに載った投書なのです。もうひとつは、天皇に「陛下」という敬称がついていないという。開いた口が塞がらないというのはこのことです。「ミッテランよ、日本の戦犯の国葬なんかにでるんじゃない」という投書なのに、わざわざ「陛下」をつける阿呆がどこにいるでしょうか。でも新聞というのは、こんな程度です。いまや議論すらないと聞きます。ぼくはよく尋ねるんです。新聞記者ないしは雑誌の記者なんかに訊く。いまこの社会のヒーローは誰なの? この社会の敵は誰か? それから、あなたがたはいまどんな議論をしているか? 最近喧嘩したか? 職場で怒鳴り合いをしたか? そんなことを訊くんです。すると、ヒーローもアンチ・ヒーローも敵もよくわからない、という。議論は特にない、怒鳴り合いはしないという。どうやら部下を「バカ」「やめちまえ」などと言うのはコンプライアンス上、絶対にいけないらしい。呼び捨てもいけない。大声、怒鳴り声、小突きあい、つかみ合いはもってのほか。そしたらぼくはもう、おそらく千回以上処分を受けてなければならないくらいのひどいことをやってきたわけですけども……。
 
【不自由を希求?】
 
 脱線しました。けれども、その「個」の戦い、つまり「どつきあい」と熾烈な議論が少なくなってしまったということです。なぜかはわかりません。だいいち、声が聞こえてこない。「いまは、人間の声がどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかり聞こえる時代です」と詩人、石原吉郎が言ったのは1972年のことでした。石原は深い絶望とともに、われわれは言葉に見放されている、とも嘆きました。41年後のいま、不思議なことに、私はまったく同じことを思います。われわれは言葉に見放されている。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりが聞こえる。いや、ひとの声さえも、心の底からの声は聞こえてこなくなっている。地声が聞こえない。なぜでしょうか? わたしはわかりません。ただ、声がとどかない、言葉に見放される状態というのも原ファシズムの特徴の一つではないかと感じます。言葉を失う過程、ひとの胸にとどける声を失うなりゆきは、とりもなおさず、人間存在つまり「個」の内奥への熱烈な関心を薄めてゆく過程にちがいありません。そして、人間存在= 個の内面への切実な関心をなくしてゆく過程も、ウル・ファシズムと関係があるように思えてなりません。テクノロジー、モノ、お金の獲得とひきかえに、ひとと言葉への無関心、無感動が「虚の波」として押し寄せています。人格はますます分裂的にしか存在しえなくなっている。日教組の「緑の山河」という歌と「君が代」を、ひとつの同じ口でなぜうたえるのか。苦しくはないか。悲しくはないか。うたいたくない歌をうたわせるというのは、つらいはずです。うたいたくない歌は、うたわなくていいはずです。なぜその自由もないのか。なぜその自由について堂々と議論できないのか。つまりこう思うのです。われわれはじつは、自由を求めてはいないのではないか。無意識に不自由を欲しがっているのではないか、と思うのです。不自由のほうがいろいろ悩まずにすむ。サルトルに言わせれば、「人間は自由という刑に処せられている」。自由のほうが主体的に考え、悩み、選択しなければならないぶん、まったくの不自由よりも精神に負荷がかかる。なぜなら完全な不自由状態にあっては、考える余裕も必要もないからです。ファッショ的不自由の麻薬的な「魅力」は、逆説的に言えば、ものごとを深く考えずにすむことです。ブラッドベリの『華氏451度』もそうでした。読書を禁じられた人びとは耳にはめた超小型ラジオや壁一面の大画面テレビからあたえられた情報だけで、深く悩むことなく暮らしている。ハクスリーの『すばらしい新世界』では、「社会の善良で幸福なメンバーになるためには、総合的理解の度合いはできるだけ低いほうがいい」という、意味深なくだりがあります。人間観、世界観、歴史観は浅いか、なにもないほうが幸福でいられる。読書などは「反社会的勢力」のやること、「テレビ壁」に囲まれて生きれば幸せ……といったディストピアは、しかし、もはやSFではなく、現実のものになりつつある。いまわれわれは、かぎりない不自由を求めてるのではないかとさえ私は思います。教科書記述の重大な問題、「日の丸・君が代」がア・プリオリな、議論の余地のない義務であるかのように、「責務」だと断言して恥じない。これはちょっとすごいなと絶句しますが、私も心のどこかでは、いまさら言挙げしたって空しいだけとあきらめかけているところもないではない。ひどいなと呆れる感性が、なんども呆れているうちに擦り切れてきているのかもしれません。「これは国民の責務である」と、かつてこの国の天皇制ファシストたちがいくたび言ってきたでしょうか。よくよく思えば、これなんです。びっくりしてしまう風景の変化。反論、議論の消失。さきほど私が言いました「よく注意しなさい。これは歴史的瞬間です!」と叫んだというのはハンナ・アーレントのお母さんマルタです。ハンナ・アーレントに対して1919年に言ったらしいのです。1919年というと、スパルタクス団の蜂起のころですから、現在とは本質的に時代の性質が異なります。しかし、価値観の底が抜けたような現在には「歴史的瞬間」がなくなったかといえば、それはちがう。「日の丸・君が代」の強制というニュースの重みが、景品を五十個送るべきところを三個しか送らなかったという話と逆転してしまう。現在とは、「よく注意しなさい。これは歴史的瞬間です!」「しっかり記憶しておきなさい」という人間が誰もいない。それが現在ではないでしょうか。

ハンナ・アーレントと母 
歴史的瞬間と泥の海

【歴史の大転換】
 
 2013年のいま、歴史の大転換が、まったく大転換ではないかのように、当然のように進んでいます。現在はたとえば、オーウェルの『1984年』にでてくる奇怪な社会と相通じる現象が、少しも奇怪とはされずに横行しています。この社会にはすでに「ニュースピーク」(新語法=newspeak)も「二重思考」(doublethin
k)も、文法と語彙、思考の単純化も、略語の多用も、『1984年』の世界とつながるものだらけです。で、先ほどらい問題にしている「責務」というのも、つまりはニュースピークです。責務というのは、本来自分の責任として果たさなければならないことがらですから、つまりわれわれの主体の内心ですね、心に密接にかかわる言葉なわけです。ですから「日の丸・君が代」など内心の自由を侵すことがらを「責務」とは言えません。戦争の協力だとか、あるいは外国人の排斥に通じるような教育方針も「責務」であるわけがない。昨今あちこちでおきている在日韓国人いじめに、これもまた私はあきれてものが言えない。怒りを禁じえない。私にも在日コリアンの友人がおりますけれども、私はこう言うつもりであります。「私の友人にその危害が迫ってきたら、必ず守る」と。つまり情勢はもう、口で言ってすむ段階をこえているのかもしれない。そして、マスメディアには、これまた所有格、属格のない、だれの新聞か、だれの放送か、ourかyour かtheir か、それがない。主体も人格もない、そんなものに頼ってはおれません。ぼくはどの団体にも、なんの組織にも所属していません。文芸家協会に入っていますけれども、それは国民健康保険をもらうためだけです。私は一切、なににも属さないということを、せめてもの「主義」にしております。この世でなににも属さず、なににも加担せず、なんてことは実際にはありえません。が、できるだけ単独でいたい、いかなる指示も受けずに単独で戦いたいとつとめております。ただ、いったん友人となった以上、その友人に危害が及ぶようであれば、私はどつきあいに応じようと思っています。いまのこの外国人排斥、在日コリアンの排斥、悪意に満ちた行動……これは絶対に許してはいけない。一部の動きであるとはいえ、無視できません。この動きがなにを発生源とし、今後どのように展開していくのかを考え注視し、反対していかなくてはならない。
 
 不自由を強制する、力によって他人を従わせる、無理強いをする。「日の丸・君が代」に関わる身体的行動がまるでア・プリオリに、生得的な、本有的な義務であるかのように公言するというのはですね、おそらくは、今上天皇でさえも、現在の天皇も、眉を顰めるにちがいないのです。天皇はかつて秋の園遊会で、将棋の米長邦雄・元名人に対し「(教育現場で「日の丸・君が代」が)強制になるというようなことでないほうが望ましい」と発言しています。この問題では神奈川県教育委員会など押しつけや強制、詭弁をなんとも思わない各地の教育委員会より、天皇のほうが常識的で、開明的、進歩的です。にしても状況は劇的に変化しています。いわゆる「慰安婦」の問題もそうです。安倍晋三は2007年、日本軍の慰安婦問題について「強制性については、従来から議論があったが、かつての定義である強制性について、それを裏づけるものや証拠はなかった」と日本軍に責任はなかったとし、これが現在のこの国の多数派の主張になっている。安倍は、戦争放棄をうたう憲法9条の「平和条項」についても「憲法9 条の規定は独立国としての要件を欠くことになった」「当時の米国の日本にたいする姿勢が色濃くあらわれているのが、憲法9条の『戦争の放棄』の条項だ。米国は、自らと連合国の国益を守るために、日本が二度と欧米中心の秩序に挑戦できないよう、強い意志をもって憲法草案の作成にあたらせた」と述べ、第二次世界大戦での日本人の戦犯問題に関しても「いわゆるA 級戦犯と言われる方々は東京裁判において戦争犯罪人として裁かれたわけだが、国内法的には戦争犯罪人ではない」と再三居直っている。また、中国との領有権問題については「この問題に外交交渉の余地などない。尖閣海域で求められているのは、交渉ではなく、誤解を恐れずにいえば物理的な力だ」と断言しています。核兵器保有に関しては2002年5月に早稲田大学で開かれた講演で「憲法上は原子爆弾だって問題はない。小型であれば……」とまで語ったことがあります。彼はこの考えをまだ捨ててはいないと思う。いざとなったら、戦術核ぐらいもって中国に対抗する、というのが安倍の好戦的な本音ではないでしょうか。歴史は目下、修正どころか安倍内閣により「転覆」されています。しかもこの内閣が世論の高い支持率をえてますます夜郎自大になっている。不思議で怪しい時代にわれわれはいる。
 
【ナチスに学べ?】
 
 耐えがたい局面はすでにおとずれています。結局は、どのみち戦端を開かざるをえない。戦端を開くのは個人です。個であると思うんです。個としていわば一歩も引かずに、不正義を睨む。暴力をふるえというのではないのです。でも睨みつける。絶対に引かない睨みつけかたというものがあるにちがいないのです。「注意しなさい。これが歴史的瞬間ですよ!」という声がいま必要です。にもかかわらず、「これが歴史的瞬間ですよ!」という人間がいないだけではなく、歴史が崩壊している、転覆されているという実感が何者かに奪われている。総毛立ったり、鳥肌がたつ、ということにさえ、どこかわれわれは慣れてきはじめている。一番恐いのはそれだと思うのです。歴史の崩壊だけではなく、われわれの内面が崩れはじめているのではないでしょうか。
 
 後で話したいと思いますけれども、フランス文学者の渡辺一夫さんの『敗戦日記』(串田孫一二宮敬編)という、素晴らしい本がありますけれども、敗戦の年に知識人の卑怯さを恥じて書いているわけですけれども、あまりにも遅すぎたのです。ぼくらは個人として、個として、実時間、実際の「いま」の時間ですね、つまり終わってから言うのであれば、それは誰だってできます。実時間に、あえて負け戦をやらなければならない。つまり、実時間に戦端を開く、実時間にどつきあいをするしかないのではないかと私は思うのです。
 
 振り返ってみると、私がこの講演を思い立ってから、まだ一か月しかたっていません。にもかかわらず、この一か月に、あの麻生太郎という男、ボルサリーノの帽子をかぶったあのひとを見ると、私はなんとなくサルを思いだす、エテ公ですね。「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と、あのエテ公が言った。われわれはあれだけの暴論を苦笑してすませていいのか。お咎めはなにもない。そのまま彼は副総理の座にとどまっている。これはこういうことでしょう。ある日、誰も気づかないうちに平和憲法を「安倍憲法」に変えるようにナチスの手口に学んだらどうかね、と言ったのと同じことです。しかし、そもそもナチス憲法など存在したことがなかったのです。麻生は二重の間違いをおかしています。ワイマール憲法は1919年に公布、施行された20世紀民主主義憲法の先駆けといわれるドイツの共和制憲法です。ヒトラー支配下の「ドイツ第三帝国」時代にヒトラーはワイマール憲法にかわる新たな憲法を制定することはなかったので、ワイマール憲法は、形式的には、1949年のドイツ連邦共和国基本法ができるまで存続したことになります。しかし、それはあくまで形式上のことで、実際にはワイマール憲法は1933年の悪名高い「全権委任法」(「民族および国家の危難を除去するための法律」)の成立によって効力を失ってしまったのです。これは要注意です。ヒトラー政府に国会が立法権を委譲してしまったわけですから由々しい事態です。1933年にヒトラー内閣が成立するや、国会解散に踏みきり、総選挙を行いましたが、「突撃隊」が野党勢力の選挙活動を武力弾圧し、その選挙戦の終盤には国会議事堂放火事件が起きました。政府は、この事件を共産党の犯行と決めつけ共産党を徹底的に弾圧しました。選挙の結果、ナチスはかろうじて過半数を制したが、ナチスはこれを「大勝利」と宣伝し、その後の1933年3月23日、国会で可決されたのが「全権委任法」です。ナチス政権が成立すると、各地でナチ党員や突撃隊が州や自治体の権力奪取、クーデターを強行する一方で、反対派やユダヤ人への暴力的迫害を開始しました。「全権委任法」はナチスの無法支配をいっそう確固としたものにしたのです。

辺見庸5
 
 こうしてみれば、麻生の発言がいかにデタラメかがわかります。民衆はなにも気づかずに「全権委任法」を受けいれたのではなく、半数はこれに反対していたのに、それを暴力でねじ伏せたのがナチスでした。麻生はナチの「全権委任法」に学べというのでしょうか。なぜそれを新聞はもっと詳しく大々的に書かないのか。ナチスの手口に学べ。こんなことを平気で言えるのは日本ぐらいです。こういう感覚が平気になってる。この妄言をかばう者たちが増えてきている。これはどういうことなのでしょう。総毛立たないのか? 鳥肌が立たないのか? われわれは力なく笑ってしまう。冷笑する。またあの阿呆がやったかと。
 
【危ない秘密保全法案】
 
 それはちがうと思うのです。気流の変化に気がつかないと危ない。2008年に、麻生がですね、総理大臣になったときに、こういう演説をしています。「私、麻生太郎、この度国権の最高機関による指名、畏くも御名御璽をいただき」、御名御璽というのは天皇の判子です。「第92代内閣総理大臣に就任いたしました」と。「新総理の任命を憲法上の手続きに則って続けてきた統治の伝統があり、日本人の苦難と幸福、幸せと喜び、あたかも糾える縄のごとき。連綿たる集積がある」と。「その末端に連なるこの時、私は担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません」と。まあ自分で書いたんじゃなくて、秘書官が書いたにちがいないわけですけれども、しかし、戦後の憲政、国権の最高機関とはなんなのかと誰も本気で批判しようとはしなかった。これでは戦前の挨拶と同じです。「畏くも御名御璽をいただき」総理大臣に就任しましたと。これに抵抗を感じないのでしょうか。
 
 フランスのジャン・クロード・カリエールという学者先生が言ったことがあります。馬鹿と間抜けと阿呆という三種の愚か者のうち、特に阿呆が厄介であると。なぜかは論証されていないわけですけれども、ただ三種類の愚か者たちがいまの政権を牛耳っている。政権以外の各中枢も牛耳っている。われわれは彼らのパンツ代まで税金で払ってやっている。まことにこれは不条理というものです。ただし、私が敬愛してやまないイタリアの作家のウンベルト・エーコは言っています。「私たちは愚か者に学ばなければならない」と。賢者よりも愚者に学ぶべきである。これは言いえて妙です。愚か者に学べというなら、材料には、私自身をふくめてこと欠きませんから。
 
 さきほどの神奈川県の教科書問題、それから、安倍の終戦記念日のスピーチ。アジアに対する戦争責任に触れず、その謝罪を省略、というか拒んだ。それから集団的自衛権の解釈変更を狙った内閣法制局長の人事。自民党の幹事長は「集団的自衛権行使は憲法9条に抵触しない」と昨日も言ってましたけれども、ここまで公言するようになってしまった。それからみなさん、どうか特に注意していただきたいのは、秘密保全法案です。国の存立にとって重要な情報を行政機関が特別秘密に指定するというとんでもない法案です。これは通りますよ、このままいったら。いいんでしょうか? 政府や官庁が「国の安全」「外交」「公共の安全および秩序の維持」に抵触するとして、ひとたび「特別秘密」とすれば、国民に知られたくない情報を恣意的に隠蔽することが可能になります。たとえば福島原発事故がらみの情報が恣意的に「特別秘密」扱いとされ、「特別秘密」認定された原発情報の公開を求めてデモを呼びかけたりすると「不法な方法」による「特定取得行為」とされて処罰されかねません。情報統制だけではなく、思想弾圧をも可能とするのが「秘密保全法」です。これが可決されるようなことがあれば、日本はいっそう国家主義への道を邁進し、すでに歩みはじめているファッショ化が一気に加速します。
 
【日本版愛国者法】
 
 全体に、いまの安倍というひとが考えていることは、アメリカが9・11以降に全面的に法制度を変えていった、あのやり方に似てきているわけです。愛国者法です。安倍は日本版愛国者法をやりたいのではないでしょうか。すなわち、2001年の「米国愛国者法」(The USA PATRIOT Act)。つまり法律に非常事態下のような例外条項を作っていく。ついで、法の例外状態を常態化する。どういうことでしょうか。規模は小さいかもしれませんが、さっき言いました、手紙の黒塗りについてもそうです。
 
 われわれは手紙を自由にやりとりできる。できるはずでした。その手紙の内容を、いちいち検閲、削除、抹消されたりしない。憲法上そうした当然の権利を持つ。持つはずでした。しかし、そうした権利を、権力が恣意的に例外条項をつくり取り上げてしまう。愛国者法もそうでした。これは戦時や非常事態下には人権を制限できる、という思想に基づいています。電話やE メール、医療情報、金融情報などの記録について当局の調査権限を拡大し、外国人に対する情報収集の制限も緩和し、テロに関係する行為と疑われるものについては司法当局や入国管理局が入国者を拘束したり追放したりする権限を強化しています。安倍というひとは、ことによると、「主権者とは、例外状態に関して決断を下す者である」というカール・シュミットの信奉者ではないでしょうか。シュミットは議会制民主主義に批判的な人物でした。例外状態とは究極的には「無法状態」であり、ナチスの「全権委任法」にも通じる考え方です。米国愛国者法はまるで『1984年』の世界そのものです。市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビによって屋内外の別なく、ほぼすべての言動が当局によって監視されている。『1984年』の支配党「ビッグブラザー」のスローガンは、「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」でした。いまとかさなるアイロニーがあります。まさか、というけれども、実際には日本だってクーデターが起きているのと同じじゃないですか。いつの間にか自衛官、保安庁の人間を何百人単位で増やす。一番最初に申し上げたように、目的、意味、意義、それらがわからないままに好戦的風景が立ちあがっていく。
 
 私は中国に都合二回、足掛け六年いました。学生時代から十年間、中国について勉強して、最後は追いだされて帰ってきたわけですけれども……。中国を、いまの政権はなめていると思う。安倍政権は、自国の姿が他国にどう見られているかということをわかっていない。自分はおとなしい性格なんです、自分は暴力をつかいません、というのは私どもの主観であり、自己申告にすぎないのであり、一国が平和的か好戦的かを決めるのはこちら側の主観ではないのです。それは中国であり、あるいは朝鮮半島のひとたちが感じていることなわけです。彼らには歴史的経験がありますから痛いほどわかります。怖いのです。いまの日本は怖ろしいのです。はっきり言ってぼくも怖い。これは何年も前から、安倍も言っていたし、そうなるだろうと私も思っていましたけれども、自衛隊に海兵隊方式の機動部隊を作る。海兵隊方式というのは、どういうことでしょうか。有事に備えたアグレッシブな機動部隊を作るということです。これは平和憲法に真っ向から反するものです。島嶼防衛というけれども、自分のほうから先制攻撃をかけたりするのが海兵隊です。それから敵基地先制攻撃の権利を有すると。現行憲法下でもそれは可能だというふうに、安倍というひとは、副官房長官の時代から言っています。そうした考えかたを安倍首相は変えていない。彼には「民族および国家の危難を除去するため……」といったせっぱつまった事大主義、復古主義的発想がある。しかし安倍の思想の危険性はマスメディアによって隠されたままです。われわれは慄然とさえしなくなっている。またかというふうに思ってあきらめてしまう。それから、石破茂というひとがいる。軍事オタクといわれている、あのひとは、「憲法改正により、軍事法廷を設置できるようにする。命令に背いた自衛隊員は極刑に処せるよう検討する必要がある」などと言いはじめている。これはもう愕然とするしかない。なにをしたいのか? いろいろな断片をつなぎあわせていくと、やっぱり立ち上がってくるのは、戦争をしたい、ないしは戦争を可能にする国家にしていくということであります。誰が、誰と、どうやって、何のために……という展望がない。ただひたすらそこに向かっていく。そのことをわれわれは、これ(黒塗りの手紙)を許すように、見すごすように、日々許しているのではないかと思うのです。
 
【知識人の弱さと卑劣さ】
 
 たしかに、会社のど真ん中で、あるいは職員室のど真ん中で、ひとと大声で、編集局のど真ん中で大声でやりあうというのは、恥ずかしいし、きょうび、流行らない風景だと思います。コンプライアンス上問題があるとみなされかねない。でも私は、もういたしかたないんじゃないか。たまには声を荒げて怒ってしまう、ちょっとこづいてしまうぐらいはいたしかたないんじゃないか、そのくらいはしかたがないんじゃないか。そう思います。徒党を組んでやるんじゃない。ひとりでやる。単独で、「それは違うのではないですか」と申し立てる。それでも命じられたら、メルヴィルの書いた『バートルビー』のように、「できたらしたくないんですが……」「できたら君が代を歌いたくないんですが……」こう言って、断りつづける。バートルビーは拒否しつづけて、結局、餓死してしまうわけですけれども。でもそう思うんです。「われわれ」とか「みんな」という集合的人称を信用してはいけない。そういう幻想への忖度、気遣いというものがいかに事態を悪くしているか。自分で少し自信がないなと思っても、声をあげて言う。モグモグとなにか言う。あるいは、つっかえつっかえ質問をする。理不尽な指示、命令については、「できたらやりたくないのですが……」と、だらだらと、ぐずぐずと、しかし、最後まで抗うしかないと思います。
 
 さっき言いましたが、渡辺一夫さんという正真正銘の知識人、インテリたち、このひとたちは本当に、戦時中に、堂々と言挙げしたのではなくて、日記に書きのこしていたわけですけれども、戦争反対について記していました。有名な『敗戦日記』の1945年3月15日には「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない」と書いています。凄まじい後悔であり、自省です。自己批判でもあります。ただ、あまりにも遅すぎました。1945年3月と言えば、十万人以上が殺された東京大空襲のころです。学徒出陣した教え子らはすでに多数死んでいました。渡辺一夫の反省はいかにもまっとうでも、遅すぎました。実時間でやろうとすることがなかったわけです。しかしながら、「知識人の弱さ、卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しない」の血を吐くような言葉を、われわれはいまにかさねて、再び想起しなければなりません。
 
 われわれにはこういう誤解がある。誤解するようにしむけられている。それはなにかというと、事態はそれほど悪くはない、という誤解であります。辺見庸が言うほどそこまで悪くない。普通の人たちはそういうふうに思っていない、と。「普通の人たち」ってなんでしょうか。それからひとりで意見を述べるということ。ひとりで意見を言う。ときには声を強めて、声を少し荒げて主張するということは、虚しいことなんだ。格好の悪いことなんだ。意味のないことなんだ。甲斐のないことなんだ……と毎日毎日、徹頭徹尾、教えこまれている。私たちの子供たちも、孫たちも、ひとりでなにか特異なことを言う、他と異なる自分独自の意見を発表する、ということは、とても虚しいことなんだ、全体のハーモニーを乱すからいけないことなんだ、と日々教えこまれてる。それが新聞記者にまで及んでいる。ですからいま、こういうことになってるんです。すべてのことがまかり通っている。
 
【ここまで許してしまったもの】
 
 日本という国は、私は「あらかじめのファシズムの国」だと思っています。もともと日本という国家の成り立ちそのものが、ファシズム的なものがあると私は思っております。そのことと天皇制との関わり、天皇制に対する戦後民主主義、それから戦後の左翼、共産党をふくめた戦後の左翼、知識人、作家たちの天皇制に対する立ち居ふるまいとは一体どうだったのか、ということを考えます。なぜこの国は、惨憺たる敗戦を経験しながら、そして周辺諸国の人間たちを、何百万じゃない、千五百万から二千万人も殺しながら、なぜまた、かつて歩んできた道に近づこうとしているのか。なぜドイツのようなナチの完全否定、戦後補償の徹底、歴史の反省ということができなかったのか。ドイツはユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも、総額約6兆円を支払ったといわれます。日本がアジア諸国に支払った賠償額は約6千億円にすぎません。加えて、先の大戦で日本は侵略戦争をしておらず、慰安婦を強制的に徴用した事実も、南京大虐殺の事実もなく、朝鮮半島の植民地支配では鉄道や学校建設などの面でよいことをたくさんやった……などと歴史の転覆と全面的塗り替えがすすんでいます。昭和天皇の戦争責任を問う声はいつのまにかかき消えつつあります。それどころか、皇国史観とファシズムを称揚するような言動が、自民党その他のゴロツキのような政治家によってなされ、麻生の「ナチに見習え」発言にせよ、深刻な議論もなく笑い話で終わりになってしまっている。ここまで許してしまったものはなんでしょうか。戦後の民主主義はなにかと命をかけて戦ったことがあるでしょうか。戦後の民主主義にとって命をかけて戦うべき「敵」はいなかった、のではないでしょうか。ここに、私は、天皇制と戦後左翼のエートスとの関わりがあるような気がするのです。
 
 吉本(隆明)さんとは、何度かお会いして、長くお話ししていただいたことがあります。彼はしみじみと、自分には昭和天皇に対する「絶対感情」があるんだよね、という趣旨のことを言った。絶対感情というirrationalな情念。これはなんなんだろう。吉本さんのこれが、ぼくは、結局乗り越えられなかった最後の壁ではないかというふうに思う。共同幻想をいいながら、あの人自身は、自分の心のなかのヒロヒトを最期まで乗り越えることができなかったと思うんです。ですから、このことを話すと何時間もかかるので、はしょりますけれども、戦後の民主主義、戦後の日本の左翼思想と、それから天皇制、その延長線上の「一君万民主義」、スターリン主義、さらには死刑制度、この国が微塵も揺るがずに断乎として持ちつづけているこの死刑制度にも、戦後民主主義、天皇制、それから内面の天皇制を払拭できなかった戦後左翼の情念、こういうものが絡まりあった融合と生成と折りあいと、それから、およそ歴史的切れ目というもののないファシズムの時間的な連続性があるんじゃないかと思うんです。私は個人的にこれを「日本文化」の一側面だと考えます。文化とはその性質の本質的な是非を問わず、人間の生活様式の全体を指し、それぞれの民族、地域、社会に固有の文化があるのだとすれば、死刑制度とそれを正当化する日本の法制も、広義には日本文化あるいは「国民文化」、より正確には「恥ずべき国民文化」と言わなくてはなりません。われわれはぜったいにそこに居座るわけにはいきません。文化が文化として普遍性をもとうとするならば、既成の習慣的文化と戦い、国家と国民の幻想から脱する必要があるのではないでしょうか。これを破るのは「個」でしかない。欧州のどの国が、世論調査の結果で死刑を廃止したでしょうか。フランスは世論の力で死刑を廃止したでしょうか。ちがいます。ロベール・バダンテールら「個」の力の集合でやったわけです。それぞれの「個」のもちよる勇気と知。死刑廃止はそれにかかっています。ファシズムと戦うのもそうです。「個」の力の集合しかありません。それを戦後民主主義という顔のない、茫漠たる、ヌエのような、責任主体のない「善」に委託し、丸投げし、結局われわれは負けたのです。もともと戦後民主主義を最も根源的に批判したのは、吉本さんでした。吉本さんの業績は、原発を肯定したからといって、なくなるものじゃないというけれども、やっぱり、ぼくはおかしいと思う

辺見庸6
 
【禁中の薄明と刑場】
 
 冒頭で、人間で一番大事なのは、直感、直観であり、勘であり、第六感だというふうに申し上げました。学識でもない。勘が大事です。いつまでも直感にとどまるわけにはいきませんが、ものすごく大事だと思います。吉本さんにもおありになる。天才的な勘とひらめきがあった。過去形ですけれども、あった。でも、テクノロジーというものは自己修正するものだとおっしゃり、事故後も原発を否定することはなかった。ぼくはチェルノブイリにも行きましたけど、福島原発の被害は、とうの昔にチェルノブイリを越えている。人類史上はじめての巨大な過誤であります。それを毎日のニュースのなかで、われわれは日常のなかに平気で折り込んで、たいした問題でないかのように思いはじめている。これはおかしい。これもまたファシズムに対するわれわれの警戒心のなさと同じように、人間の感覚が麻痺していく過程としてとらえたいと思うのです。
 
 さて、ここでこれ以上踏みこむのは望ましくないと一般に思われている領域に立ち入ろうと思います。これは下品なことばで言うと、「ヤバイ話」です。で、ヤバイ歴史を、ぼくは六十八歳ですので、戦後と同じように歩んできたのです。昭和64年、1989年の出来事というのは、ぼくはある通信社の外信部のデスクをやっておりましたから、はっきり覚えているのです。昭和64年、1989年1月7日、天皇が亡くなりました。そうしたら、みんなで喧々諤々、討議をして決めたわけでもなく、沖縄のふたつの新聞をのぞいて、日本のほとんどの新聞が「崩御」と書いた。一人物の生物学的死を、逝去でもご逝去でもなく「崩御」と報道した。いまの、今上天皇が亡くなったら、また「崩御」と書くでしょう。ちなみに、英語には崩御にあたる言葉はありません。demiseはdeathの婉曲な表現にすぎませんし、天皇や皇帝の死を特化して表現する言葉は英語にはない。ここからして、この国はなにか奇妙なのです。ぼくがさらに感に堪えなかったのは、昭和天皇の大喪の儀でした。
 
 この先はどうか勘で、第六感で聞いてほしいと思うんです。皇族が亡くなった天皇に「拝訣」という儀式をやる、お別れをするわけです。で、遺体を棺に納める「お舟入り」というのがある。これが一般の納棺です。亡くなってから、いわゆる「崩御」から十日目に、「櫬殿十日祭」というのがある。櫬殿というのは、見たことがないのでわかりかねますが、天皇の棺が安置されている部屋ということです。埋葬までですね、陵墓、御陵の準備が進められる。その次にですね、ここからが、興味深いのですけれども、天皇の棺を櫬殿から、いわゆる殯宮(ひんきゅう)、殯(もがり)の宮というところに移動する。これを「殯宮移御の儀」というらしいです。殯宮というのは、皆さんお帰りになったら、辞書でもひいてみれば必ず書いてあります。で、殯宮というのは、一般の告別式にあたる「斂葬の儀」までの間、天皇の棺を安置するために、皇居内に設けられた仮の御殿であります。漏れ伝えられるところによると、この殯宮には灯りがひとつしか許されないということです。灯りがひとつだけ、どうでしょう、電灯ではなく、LED電球ではなく、おそらく蝋燭ではないでしょうか。
 
 昭和天皇の時は、松の間が殯宮となったといいます。で、棺が殯宮に移されるときに、斂葬までの一か月の間、昼夜途切れることなく、誰かがご遺体に付き添うわけです。まさに秘儀と言いますか密儀と申しますか、これは私が記者のころは編集局で言い合ったものです。「なにをするんだろう」「誰がどうやって寄り添うんだろう?」と妄想をたくましくしたものです。これは大きいんです。日本という群落の内面や美意識を考えるうえで非常に大きいことなんです。おそらく一本の蝋燭だけで斂葬までの一か月の間、昼夜途切れることなく誰かが付き添う。このことを「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」というらしいです。これは秘密であり、密語の森であり、謎です。開高健に言わせれば「苔のようなアジア」というか、ケースは異なるけれど、宮柊二の言う「応答に抑揚低き日本語よ東洋の暗さを歩み来しこゑ」の「東洋の闇」でもあります。言ってみれば、吉本隆明の天皇に対する絶対感情というのも、これに関わってくると私は思っている。禁中の薄明と刑場……という、なにやら畏れおおいイメージも個人的にはどうしても禁じえない。日本独特の、覗いてはいけない、触れてはいけないという、独特の、ぼくにもありますが、闇のなかの微妙な神経細胞のようなもの、ツタのような触手……。そこまで言ってはならない、そこまで見てはいけない、そこに触れてはならない、それを問うてはならない……と。部落差別もそうした神経細胞から生まれてきたものかもしれない。コリアンに対する差別感情も、淵源はそうなのかもしれません。私の偏見でもありますでしょうけれども、この殯の宮のような薄闇からでているいわく言いがたいものは、明文化されない日本の様々の分野に派生しているのではないでしょうか。私はそのような仮説をたてているわけです。
 
【ファシズムの培養基】
 
 つまり、蝋燭一本、一か月、死体に付きそう、その写真を撮らせてくれ、取材をさせてくれというマスコミは、欧米にはありえても、日本にはないんです。なぜか自制する。自制してしまう。控える。訊かない。問わない。天皇に対して、「面と向かって君が代を歌われるお気持ちはどうですか?」なんて訊きはしない。それはわれわれのなかにもある。われわれのなかにも、なにかそれはやってはいけない、殯の宮を覗いてはいけない。われわれの内側に、じつは殯の宮の一本の蝋燭の灯りみたいなものがあって、ものごとを曖昧にする。論理を曖昧模糊とする。ですぎない、そのままとっておくというところがある。薄明のなかにそうして放置したものが、ファシズムとして培養されて、立ち上がってくる。いま、立ち上がってきているのではないかと思うのです。この殯の宮の薄明、薄暗さというのは、死刑という制度の薄暗さとどこか似ているような気もするのです。日本というものの、見えるようで見えないことを、非常に怖がっている中国の人たち、あるいは朝鮮半島の人たち、あの人びとの感覚と生理はあながち間違っているとも言えないのではないかと思うのです。わけのわからない怖さというのは、じつは日本にはある。われわれの内面にあるのかもしれない。ということを、だれかが切開しなければならない。その殯の宮に、陽を差させて、中身を全部覗くまでは、日本というものの、内なる、隠微で陰湿なファシズム、その培養基というものは、変わらないと思っているわけです。
 
 このことをみなさんがどう思うか、私はわからないし、私の言葉が、どこまで届いているかもわからない。わからないですが、なにかものを考えるきっかけやヒントにしていただければと思うのです。明らかな存在物、有機的に生きている人間を「非在者」のごとく語って、「確定死刑囚」というものを、三十数年間にわたって拘禁する。死刑制度をわれわれは抽象的にではなく、薄闇に放置するのでなく、もっと身体的に、肉感的に、切実な肉体として考えなければいけない。「ああいやらしい。なぜ人間には身体があるんだろう」。サルトルは小説中の人物にそう語らせました。そうなのです。死刑囚にも私たちにも皇族にも、心と身体というやっかいなものがあるのです。そのことを率直に認めなければならない。それから、もうひとつ言えば、とするならば、天皇、天皇家の人たちを、人間として人間身体として、どう考えるべきか。それはじつは昔のほうが言っていたわけですね。中野重治も書きました。天皇を天皇制から解放せよ、と。昔の人は言いました。いま誰が言いますか? 誰も言いやしない。天皇制というものはじつは、藤田省三も言っているけども、純粋な天皇主義者というものはいない、「天皇制的俗物」というものはいると。「天皇制的俗物」とは、建前は天皇の絶対を語りながら、実際には自分の恣意をつらぬくという、いわば天皇制利用主義です。自民党政治の底流にはこれがあり、いまも根深く残っています。
 
【究極の「真犯人」はわれわれ】
 
 きょう、一番最初に私は、花鳥風月のようなことをお話ししました。カメムシとかタマムシとか、ウマオイを見たということを申し上げました。私が思ったのはこういうことなんです。ウマオイの美しさ、あの鮮やかに透きとおる新鮮な緑の素晴らしさといったらなかった。で、こう思ったのです。死刑囚たちにですね、なぜウマオイを見せてはならないのだ、と。死刑囚が句集をだして、俳句の本をだして賞をもらったのであれば、なぜ小声でもいいから「よかったね」と言ってあげることができないのだと。言ってあげる「個」が、ひとりだっていたっていいではないか。きょうただちに死刑制度を廃止できなくても、死刑囚をもっと人間扱いすることはできるはずです。これはすべてに通じます。例外がない。「個」をもとうとしない。獄外にいる私にまで黒塗りの手紙を送りつけて、脅しをかけてくる。これが民主主義ですか? 死刑囚たちになぜウマオイを見せてはいけないのか。たぶん、ぼくよりもよっぽど素晴らしい詩を書いたりする。句を詠んだりするかもしれない。スケッチをするひともいるかもしれない。なにもしないひとがいるかもしれない。でもいいじゃないですか。見せたらいいじゃないですか。宇宙のすべてのものは歪みのなかに存在しているといいます。なぜ決まったとおりにやらなければいけないのでしょうか? 法律はいま、例外状態になって崩れてきているのです。にもかかわらずすべてに規則を適用しようとする。学校でもどこでも、正常な規則があるかのごとき言い方をする。それより先に人の心に得心のいくことをすべきです。ウマオイの美しさを、子どもたちに、死刑囚に、いわゆる「確定死刑囚」に見せて、なにが悪いのでしょうか? ウマオイがいたら、ウマオイを見せる。綺麗だな。じゃ、ちょっとだけな。これは譬えですが、あれを見ろよ、ちょっとだけな、と。「個」として言う人間がいない。理屈だけは言う。もうこの国はだいぶだめになっていると。飲み屋で新聞記者たちが言う。うちの社はもうダメですと。でも「個」として、身体を張って、じゃ五分だけウマオイを見ようぜ、と言う人間がいない。つまり例外者がいなくなってきている。例外がないってなんでしょうか? ファシズムです。ファシズムというのは、全員が黒シャツを着ることじゃないんです。銃を持って行進することでもない。例外がない。孤立者がいない。孤立者も例外者もいないってなんでしょうか? ファシズムであり、不自由な状態なのです。われわれは自由ではなく不自由を求めている。ウマオイを死刑囚に見せない。手紙を塗りつぶす。それは不自由の強要なわけです。それは死刑囚に対する強要だけではない。獄の外にある、われわれに対する威圧です。われわれは妄想し、考え、悩み、詩を書き、歌をうたい、好きな歌をうたい、あるいは嫌いな歌をうたわない。みんなNHKの「花は咲く」をうたって、どうするんですか? いまはどこにも戦線、つまりフロントラインはないのかもしれません。見わたすかぎり、どこにも境界のないのっぺりとした地平にわれわれは生きているのだと思います。どこにも戦線はないかもしれない。でも目を凝らしてよく見れば、戦線だらけではないですか。世界は「世界内戦」と言われるほどのかつてない内乱状態です。世界規模の内乱です。枢軸国も連合国もない。古い国民国家像はすでに溶解し崩れてきている。身のまわりでも価値の体系が危うくなっている。人の世はここまで堕ちることができるのか、と息を呑むばかりです。獄外が獄内に対し、倫理的優位にあるということはもはやできません。死刑制度はますます根拠を失ってきているのです。死刑が「確定」するという法的プロセスは、人間存在を前提とするあらゆる法に照らしても無効であり、ぜったいに無効であるべきです。「個」が「個」として生きてあることの目的、意味、意義の消滅、わからなさが、苦悩なき空無が、私はファシズムだと思うのです。
 
 きょうお集まりのたくさんのみなさん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。「ひとり」でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです。われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。ウマオイを見せることです。死刑囚にでも、子供たちにでも、見せる。その心根、勇気、心の自由を私たちは確保すべきです。いま、語ることは語ることの無意味と戦うことです。怒りは怒りの空虚に耐えることです。お遊戯の指で、ほんものの時はかぞえられません。地上のその明るさで、地中の闇をはかることはできない、といいます。死刑制度と死刑囚についてもっともっと思いをめぐらしましょう。手紙を黒く塗りつぶした「真犯人」について、最後に告げなければなりません。「真犯人」は、それを許してきた、われわれなのです。死刑を存続させている究極の「真犯人」は、権力であるとともに、それを許しているわれわれなのです。
 
 きょうはもっと話すつもりで来たのですけれども、会場の関係でぜったいに9 時10分でやめてくれと言われておりますので、この辺にいたします。ほんとうに長い間、お聴きいただきありがとうございました。(了)

引用者補記:
辺見庸は「骨の鳴く音」(『眼の探索』所収)の中で、永山則夫処刑の日(1997年8月1日)のことを次のように書いています。
 
「思えばむごい夏ではないか。塀のこんな近くにも、時計草や白粉花や立葵やカンナが咲き乱れて、烏揚羽は光に黒い粉をきらめかせ、亀は亀とて、生あくびをしながら甲羅干しだなんて。さなきだに、この狂おしいばかりの蝉時雨。

壁越しに、よしや人を縊る音がしたとしても、不意にゴキリと鈍く骨が鳴いたとしても、縊れる音はかき消され、やがては塀の内も外も昨日と同じ、縹(はなだ)の色に一面が暮れ果てて、何もなかった事になるのが落ちではないか。

・・・私には一幅の騙し絵に見えたから激しく危ぶんだのだ。まばゆい光に、ものみなさらされつくしているようで、人も塀も樹木も亀も魚も、じつのところ、示し合わせて陽気に振舞い、あのことを、あの音をなかったことにしようとしているのではないか、と。」(
眼の探索』朝日新聞社刊)

さらに2013年7月31日付けの辺見の日記「不稽日録」にも次のように記していました。
 
「そう、明日8月1日は永山則夫の命日だ。1949年6月27日、この世にひとつの生をうけた男は、1997年8月1日の午前に、全身を瘧のようにうちふるわせて監房からの連行に抵抗し、あらんかぎりの声でいくたびか絶叫したものの、刑務官たちに制圧され、東京拘置所の刑場で絞首刑に処された。しいて区切れば、たぶん、その日以来である。わたしがいわば穏和な死刑反対者からあまり穏和ではない死刑反対者になったのは。あるいはこう言ってもいい。死刑という徹底的に抽象概念化され、おそらく抽象概念と錯覚されることによってのみ長くなりたちえている最悪の国家的儀式を、より具象的、人間身体的にかんがえはじめたのは、会社を辞めた翌年の1997年8月1日からである。改築前の東京拘置所のまわりをいくどとなくうろついた。絶叫がまだ壁にしみついてはいないか、草木はそれを聞いていなかったか、頸骨や舌骨が砕ける残響をどこかにただよわせていないか、気配をうかがったものだ。あらゆる種類の死刑を抽象概念ではなく、肉感的に官能的にかんがえるようになった。永山が獄中ですぐれた作家になったから他の者と区別して想像したのではない。それはちがう。青森県北津軽郡の板柳町はいま、 気温21℃、風向は北西、風速は3m/s、湿度は94%であるという。なんてこった!こんなことがいっぱつでわかるなんて。肝心なことはなにも、なにひとつわからないというのに。しかし、永山が母親たちと暮らしていたあのボロ長屋(いまはないであろう)のトイレの臭気は、わたしの惛い記憶箱のなかで、この湿気である、ますます濃くなるばかりなのだ。板柳町に行ったのは、病気に倒れ、ヨイヨイになる前のことだった。永山がいたボロ長屋のにおいは、変わらずにわたしの胸骨にしみついたままだ。2階中央のガラス窓の内側に永山がいて、殴られたりどなられたり、ぜったいに見てはならぬものを見てしまったり、ときには殴ってはならない者を殴ったりしていた。あの窓だ。あの窓の内側だ。」(「不稽日録」(「私事片々」)2013年7月31日)

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