ある人から藤原紀香を広告塔として活用することに何の差し障りがあるか、という問いが私にありました。

その人の問いは次のようなものです。
 
藤原紀香が「秘密保全法」を批判するブログを書いたことを称える行為は、彼女が偽りの護憲派であったとしても、その政治姿勢全体を支持するものではないし、彼女が支持する石原を応援することにもならないし、憲法改悪阻止の運動を妨害することにもならないと思います。だったら藤原紀香を広告塔として活用することに何の差し障りがあるのかと思います。運動がどこまでの幅を許容できるかは、大事なことだと、最近、レイシズムとの闘いの場面で、つくづく考えさせられる出来事がありました。果たして「正しい反レイジスム運動」とは何か(以下、略)。

藤原紀香3 
藤原紀香? 俺は全く評価しないね
 
以下は、私の応答です。
 
この藤原紀香「特別秘密保護法案」パブコメ問題で私が提起している問題は「言論人・知識人」(場合によっては「芸能人」も含む)の倫理観、政治的志操のありかたの問題についてです。
 
その問題の在り処を一言でいえば、すでに引用している言葉ですが、比屋根照夫さん(琉球大学法文学部教授。日本政治思想史)がおっしゃっておられる「言論人、知識人とは、過去・現在・未来についての自己の言説に断固として社会的責任を持つ立場にある人間のことを指す」という「言論人、知識人」(広義)の立ち居振る舞いはいかにあるべきかという問題です。
 
一般的に人は昨日言ったことに対して責任を持つ必要があります。昨日が仮に10年前のことであったとしてもその意味は本質的には変わりません。変わらないはずです。言論に責任を持つ「言論人、知識人」(広義)であればなおさらだろう、という話です。
 
あなたがおっしゃるように「藤原紀香が『秘密保全法』を批判するブログを書いたことを称える行為は、彼女が偽りの護憲派であったとしても、その政治姿勢全体を支持するものではないし、彼女が支持する石原を応援することにもならないし」、「藤原紀香を広告塔として活用することに」実利的な意味では「何の差し障り」もないだろうと私も思います。
 
しかし、「憲法改悪阻止の運動を妨害すること」にはなると思います。

第1に倫理的な意味においてです。「昨日あんなことを言っていたのに、今日そのことを昨日のことがなかったように言う。内面的な思想はともかく表面的な言説さえ改めればそれでいいんだ」という風潮が仮に蔓延ったとすれば、大衆運動におけるその思想的、倫理的な悪影響ははかりしれないものがあるでしょう。大衆運動の源泉は大衆の素朴な「正義の実現」願望(TPPの問題にせよ、消費税の問題にせよ、その根本の感情は「TPP反対は正義なんだ」「消費税反対は正義なんだ」という大衆の素朴な感情でしょう)に根ざしているだろうと私は思っていますが、その「正義」の正体の一角が実のところ根腐れしていたとなると大衆の「正義」感情はボロボロになるでしょう。そのボロボロの「正義」感情ではもはや大衆運動は覚束ないでしょう。大衆運動の源泉自体がなくなったわけですから。
 
第2にある意味で実利的な意味でもそうでしょう。抽象的に言いますが、市民が主催する講演会に精神の根腐れした講演者が講演に立ったとします。その根腐れした言説は市民の精神をもやがて蝕んでいくでしょう。賛成しない人もいるでしょうが、たとえばある陰謀論者の反原発講演を想像してみましょう。その講演の反原発運動に対する負の影響は実利的な意味でもはかりしれないものがあるように私には思えます。
 
第3に総体として革新運動に与える負の影響についてです。口では脱原発を唱えながら投票行動においては非脱原発政党に投票する。今度の参院選でもこのような事例を私たちは何件目撃したことでしょう? いまは脱原発運動への負の影響についての事例を述べましたが、このことは「憲法改悪阻止」の運動においても同じことが言えるでしょう。
 
このようなことでは残念ながら世の中は変わりようがない、と私は思わざるをえません。
 
はじめの問題提起の事例に戻ります。

沖縄サミット 
九州・沖縄サミット2000
 
「言論人、知識人とは、過去・現在・未来についての自己の言説に断固として社会的責任を持つ立場にある人間のことを指す」と言表した比屋根照夫琉球大学教授はどのような脈絡の中でこの言を発したのでしょう。比屋根氏とかつて研究と運動をともにした高良倉吉氏ら琉大三教授はあの悪名高い「沖縄サミット」(2000年開催)の際にこれも悪名高い「沖縄イニシアティブ」なる宣言を沖縄タイムス紙に発表しましたが、その宣言は、「沖縄を代表する知識人の看板をもって日本国の施策に呼応し」、軍事力の行使を含めた日米軍事同盟の容認を前提にした沖縄の基地の容認、基地との共存論、国策への同化を説く体のものでした。比屋根教授は「高良氏らの基地容認・共存論、国策への同化論は、沖縄戦後歴史学の成果・遺産の放棄・否定である」としてかつての学問の友を激しく糾弾せざるをえなかったのです。この高良氏らの論の提起によって沖縄の基地反対闘争がいかに打撃を被ったか。いまに続く沖縄・高江のヘリパッド基地建設反対闘争を想起すれば比較的容易に想像がつくことではないでしょうか。
 
藤原紀香を広告塔として活用することに何の差し障りがあるかどうか。私は結果として差し障りがあると思うのです。上記に見たとおりです。ただし、「安易な広告塔としての活用は」という前提をつけたいと思います。あなたもおっしゃるとおり藤原紀香さん自身の「秘密保全法」への疑問の提起は正しいものだと思いますし、それ自体は称賛しても貶すようなことではないだろう、と私も思っています。

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