松江市教育委員会(広島県)が原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」(原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている)を「描写が過激だ」などとして子どもが自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことがメディア各紙で報道されています。
 
はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」(東京新聞/共同 2013年8月16日)
はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」(毎日新聞 2013年8月16日)
「はだしのゲン」小中校で閲覧制限 松江市教委「描写が過激」(朝日新聞 2013年8月17日)


注:上記の毎日、朝日の報道でも触れられていますが、「松江市では昨年8月、市民の一部から『間違った歴史認識を植え付ける』として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出され」ていました。今回の松江市教委の措置は左記の「市民」の陳情に応えた形になっていますが、この「市民」なる者は在特会系活動家の中島康治であることが判明しています。中島康治は自らのブログで「嘘出鱈目はだしのゲンが、松江市の全小中学校で、自由に閲覧できない『閉架』扱いになったようです。/いや~陳情やらなんやらで地味に動き回ってよかったです」とこの「陳情」者が中島自身であったことを自慢げに吐露しています。

また、下記の中国新聞記事(8月17日付)には「残虐な場面を未発達な子どもに見せるのはよくない。天皇批判がある作品でもあり、閉架によって閲覧の優先度を下げたのは適切な対処だ」という今回の松江市教委の措置を評価する声も「市民」の声として掲載されていますが、この「市民」なる者も「『平和と安全を求める被爆者たちの会』なる団体、あの田母神俊雄を広島に呼んだ右翼団体」の代表であることが
判明しています。
 
首切り
松江市教委が「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な
乱暴シーンが小中学生には過激」などとする漫画「はだしのゲン」の一場面
子どもたちの見た戦争 
広島・原爆被災の現実(「絵本はだしのゲン」原画より)
松江市教委はこの現実は「過激ではない」とでも言うのか
 
この点について各報道は、いわゆる「識者」や市民の批判の声も以下のように伝えています。
 
「作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。」(吉村和真さん(京都精華大マンガ学部・教授) 毎日新聞)
 
「ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。」(尾木直樹さん(教育評論家) 同上)
 
「(中沢は生前)戦争や原爆を食い止めるためには、子どもにも残酷でもその悲惨さを伝えるしかない。ゲンは子ども向けに描写をやわらげたが、実際の残酷さはあんなもんじゃない」と語っていた。」(作者の中沢さんの妻ミサヨさん 朝日新聞)
 
「残虐なシーンは確かにあるが、子どもたちは『困難に負けず強く生きる』という作品の本質を見抜く力を持っている。子どもたちを信じて自由に読ませてあげてほしい」(渡部朋子さん(広島で平和活動に取り組むNPO法人「ANT―Hiroshima」代表) 同上)
 
今回の松江市教委の暴挙(私は「暴挙」と思いますが)への批判についてはおおむね上記の「識者」や市民の声に尽くされていると思いますが、加えて私も昨日以下のような批判をあるメーリングリストで述べました。
 
「現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲンを全巻保有しているが、全て閉架措置を取っている。古川康徳・副教育長は『ゲンは平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり、授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した』と説明する」(毎日新聞  2013年8月16日
 
日本も批准している「子どもの権利条約」第12条には子どもには「自己の意見を形成する能力」(自己決定権)があることが明確に規定されています。
 
第12条
1. 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする
 
また、同条約の第13条には「児童は、表現の自由についての権利を有する」とも明確に記されています。
 
第13条
1. 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
 
上記の毎日新聞記事で紹介されている古川康徳・松江市副教育長の「過激なシーンを判断の付かない小中学生」云々という認識は明白に「子どもの権利条約」の「思想」「規定」とは相容れませんね。「貸し出し禁止要請」されなければならないのは「はだしのゲン」ではなく、「市教委の言」あるいは「古川康徳・松江市副教育長の言」というべきでしょう。
 
さらに4年前に熊本県で同県の中学校教育研究会社会科部会が県内の中学2年向けの社会科テストで「川辺川ダム問題の賛否問う」という論述問題を作成し、試験問題として出したところ熊本県教委が「不適切」と判断した問題について(半数の中学校でテストの実施が見送られた)、 当時あるメーリングリストで次のような意見を述べたことがあります。児童、生徒の「自己の意見を形成する能力」(自己決定権)に関わる点に絞って要約再録しておきます。
 
同出題問題は「単純に『○か×か』を聞き、理由を問う問題」(毎日新聞 2009年3月3日付)としてではなく、出題者の意図としては「社会問題など、正解が一つでない問題に対して自分なりに考えて意見を言う。そうした中学生の判断の論理性」「生徒の社会的関心度」を見る問題として作成されたものでした。中学生ともなれば当然社会問題などに関心を持ち出す年頃です。それを「賛否を問う問題で、教育の中立性が保たれない」(球磨郡中学校担当教諭、熊本日日新聞 2009年3月3日付)とか、「学習指導要領に『発達段階を考慮し、抽象的で高度な内容や複雑な社会構造などに深入りすることは避ける』とあり、問題は配慮に欠け不適切」(県教委義務教育課、毎日新聞 同日付)などという理由をつけて、「近い将来、公民となる中学生が社会への関心を高め、公民的資質を育てるようにと考えた」(朝日新聞 2009年3月4日付)という社会科教師たちの熱意のある試みを否定的に評価し、いわんや「問題作成やチェック体制について」まで改善? を求めるという県教委の姿勢こそそれこそ「社会問題に対する認識や感覚が欠落している」(人吉新聞 2009年3月3日付)姿勢というべきでしょう。
 
熊本県教委が錦の御旗として掲げる「中学校学習指導要領」第2章第2節「社会」のトップに掲げられている「第1目標」には「広い視野に立って、社会に対する関心を高め、(略)公民としての基礎的教養を培い」とあり、その〔公民的分野〕の「1 目標」の(4)にも「現代の社会的事象に対する関心を高め、(略)公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる」とあります。左記にいう「現代の社会的事象」はそれが「社会的事象」である限り、当然賛否のある社会的事象を含みます。というよりも、それが「現代」であり、「社会的事象」である以上含まざるを得ない、というべきです。中学生ともなればその賛否のある社会的事象についても当然おのれの判断を持ち得ていいし、持ち得るはずです。18歳選挙権の導入が取り沙汰されている今日ではなおさらです。
 
今回のテスト問題はそうした中学生の判断の論理性を問う問題です。今回のテスト問題を作成した社会科教師たちの「出題意図」は、学習指導要領のネライの忠実な実践というべきであって、「不適切」どころか学習指導要領上「適切」な教育の実践、と評価するべきだと私は思います。

 
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