以下は、「ひとりの女が死んだ。シム・タルヨン、享年83才。」の続編として書いたものです。
 だから、「また、ひとりの女が」です。また、ここでいう「女」は石垣りん(詩人)が詩の中でいう「女」の謂いです。
 「女」という言葉には重層的な意味が込められています。 
 私は「男」という言葉にも重層的な意味を込めています。「男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食(くら)ひて 思ひにふける と」と(右「フリーエリア」欄)。
 
2013年8月11日、また、ひとりの女が死んだ。李容女(Lee Yong-nye)ハルモニ。享年87才。私の知らない女。名もない女。あの暴虐の時代に暴虐の生を生き、血を吐くようにして生きてきた女。「ナヌムの家」から私のもとにその女の訃報が届きました。
 
2013年8月11日午前2時30分、 李容女ハルモニが死去されました。
 
故・李容女 略歴
 
1926年京畿道驪州で生まれる。
 
16歳でシンガポールを経て、ミャンマーでは<日本軍“慰安婦”被害者>の生活を余儀なくされた。
 
解放後、ラングーンの収容所を経て、翌年の1946年旧暦3月釜山港を通って帰国された。
 
ナヌムの家の生活は、1992年10月西橋洞から始まる。恵化洞明倫洞に住み、1995年に京畿道廣州市元党里に移行された。<ナヌムの家>新築工事現場の元党里ではテント生活をされながら、建築の仕事を助けられました。
 
2000年12月7日から4日間、東京九段会館で開かれた2000年、日本軍性奴隷戦犯国際法廷に出席

*引用者注:正式には「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。なお、李容女(Lee Yong-nye)さんは単なる「出席」者ではなく、「被害証言者」のおひとりでした。
 
そして、国内外の証言を通じ、日本の戦争犯罪を告発し、公式謝罪を要求する闘争をしました。
 
しかし、当時の<日本軍'慰安婦'被害>後遺症で精神的苦痛(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、ナヌムの家を数回にわたって入退所を繰り返しなさり、2012年12月<ナヌムの家>を退所。
 
息子と暮らしはじめる。
 
糖尿病を患っていたハルモニ、病院では禁止されていたお酒と煙草をやめられずにいらした。
 
実際ナヌムの家でも隠れてお酒を飲まれよく注意されていました。
 
息子さんの家でもずっと続けていらしたようです。
 
その後2013年8月家族から体調が悪いと連絡が入り一旦入院すると報告をもらいました。
 
そして今日、2013年8月11日に他界されました。
 
1926年2月10日、京畿道驪州生まれ
 
1941年16歳でシンガポールを経てミャンマーに強制連行
 
1946年釜山港へ帰国
 
1992年ナヌムの家入所
 
2013年8月11日(日)午前2時30分死去
 
葬儀場:京畿道医療院フォーチュン病院葬儀場4号室
 
石垣りんさんに「崖」という詩があります。その詩を李容女ハルモニの墓前に捧げます。

石垣りん
 



崖2 


『崖』   石垣りん
     (1920~2004・東京生まれ)

戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
 
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
 
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
 
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
――「表札・1968年・思潮社刊」より――


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