以下は、「阿修羅掲示板」の「オリバー・ストーン日本は悪事に加担している。恐ろしい龍は中国ではなくアメリカだ』」という記事を無批判に「拡散」する者への警告の反論です。

広島チ~1

オリバー・ストーン
の原水禁広島大会の講演内容を紹介している転載元のブログが各種のデマゴギーの発生源のひとつとなっている「阿修羅掲示板」ということですから注意して見ました。

①ご紹介されているオリバー・ストーンの原水禁広島大会の講演内容を掲載している「阿修羅掲示板」の記事は以下のようです。
◇オリバー・ストーン「日本は悪事に加担している。恐ろしい龍は中国ではなくアメリカだ」(投稿者 パラサガン 日時 2013年8 月8日)
 
②しかし、その「阿修羅掲示板」の記事の元記事は以下の記事のようです。
KABASAWA YOUHEI BLOG
 
③そこでそのKABASAWA YOUHEI BLOGを見てみました。同ブログ記事に書かれている翻訳記事についてどこにもその出典を示す説明なりリンクなりの記載はありませんので同記事は同ブログ筆者(椛澤洋平氏)自身の翻訳記事のように見えます。
 
④しかし、下記のブログに一言一句違わない同じ内容の翻訳記事がありました(ただし、③の記事の方に多少の省略あり)。
オリバー・ストーン監督講演@広島
 
同翻訳記事の筆者はreservologic氏。そして、そのreservologicをクリックするとreservologic氏は「kaz hagiwara(萩原 一彦)氏という方であることがわかります。 さらに「以下、8月6日に広島で行なわれた映画監督オリバー・ストーン氏の講演の翻訳を連続ツィートします」(kaz hagiwara(萩原 一彦))という記述から同記事は同氏が翻訳した記事であることもわかります。そこからさらにKABASAWA YOUHEI BLOGの記事は萩原一彦氏の翻訳記事の出典先をも示さない(出典先を示すのは「引用」、「転載」の最小限のルール)無断引用の記事(というよりも盗用記事)であるということも判明します。
 
⑤結論:「阿修羅掲示板」の記事は上記に見たようにその出典先も示さない盗用記事のさらなる孫引き記事ということになります。このように「阿修羅掲示板」の記事は少し調べればすぐに真贋のわかるようなたぐいのことをもなんの調べもせず、あたかもそれが真であるかのように流通させていきます。こうしてデマゴギーは形成されていくのです。私が冒頭で「各種のデマゴギーの発生源のひとつとなっている『阿修羅掲示板』」と批判しているのは左記のような事実を指しています。
 
もう一点。
 
オリバー・ストーン氏の講演内容自体にも問題がありそうです。上記の萩原一彦氏の翻訳連続ツィート⑦にはオリバー・ストーン氏の講演の翻訳として以下のような記述があります。
 
「しかし、私が日本について見る事の出来なかったものがひとつある。それは、ただのひとりの政治家も、ひとりの首相も、高邁な道徳や平和のために立ち上がった人がいなかったことだ。いやひとりいた。それは最近オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人だ。」
 
下記は上記のオリバー・ストーン氏の発言に対応する動画部分です。萩原一彦氏の翻訳は多少の省略(要約)はあるものの正確であることがご確認できるものと思います。


(2:28頃~参照)

さて、上記のオリバー・ストーン氏の言う「最近オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人」というのはどうやら鳩山由紀夫氏のことを指しているようです。萩原一彦氏の「オリバー・ストーン氏は東京で鳩山由紀夫氏と会う事になってるらしい」云々というツイットからも類推できますが、「オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人」という認識は孫崎享氏の『戦後史の正体』等の著述にも散見できます。オリバー・ストーン氏はどうやら孫崎氏の「外務省外交官中心史観」に影響されているらしい*ところも見受けられます。

*この私の推測には以下のような事実も与かっています。
①オリバー・ストーン氏の原水禁世界大会2013における広島講演の通訳者は“Peace Philosophy Centre ”ブログ主宰者の乗松聡子さんであったこと。
②その乗松聡子さんと『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』(早川書房 2013年)におけるオリバー・ストーン氏の共著者のピーター・カズニック氏とは2006年以来の知友であること。
③乗松聡子さんの著作には『戦後史の正体』の著作者の孫崎享氏を評価する記述が見られること。また、鳩山由紀夫氏を好意的に評価しているらしい記述も見られること。
上記から、私は、乗松聡子さん→ピーター・カズニック氏経由でオリバー・ストーン氏にも孫崎享氏の『戦後史の正体』の影響、すなわち孫崎氏の鳩山氏評価の影響が伝播しているらしいとも推測します。


(3:40頃~参照)
 
しかし、いずれにしても、オリバー・ストーン氏の上記の鳩山氏評価は正しくないように私は思います。鳩山氏が「やめさせられた」理由の本筋は、外圧というよりも、やはり「『最低でも県外』と首相自ら公約しながら県民の心を8カ月間ももてあそび、『辺野古現行案』に回帰するという公約違反の裏切り行為」(琉球新報社説 2010年6月1日)への内在的な国民の怒りと見るべきものでしょう。この点について、たとえば沖縄在住の芥川賞作家の目取真俊氏も次のように見ています。
 
「昨年の鳩山政権発足から大して間を置かずに、「国外・県外移設」は難しいという閣僚の発言が相次ぎ、嘉手納基地統合案やキャンプ・シュワブ陸上案、勝連沖案など「県内移設」案が次々と浮上した。そのような動きを目にして、鳩山政権に対する〈一般県民のマグマ〉はすでに動き出していた。以来、県民の中に蓄積し続けた疑問、失望、不信、不安、幻滅、苛立ちが、〈鳩山首相の“裏切り”〉を契機に“怒り”として、いま噴出している。」(目取真俊「海鳴りの島から」2010-06-02
 
オリバー・ストーン氏の「私が日本について見る事の出来なかったものがひとつある。それは、ただのひとりの政治家も、ひとりの首相も、高邁な道徳や平和のために立ち上がった人がいなかったことだ」という認識も誤っているように思います。「首相」はともかくとして、「政治家」で「高邁な道徳や平和のために立ち上がった人がいなかった」という認識は明らかにおかしいでしょう。共産党や社民党の議員、そして沖縄の議員などの「平和のために立ち上がった」数々の闘争史を無視した暴論というべきです。オリバー・ストーン氏の眼は保守政治家にしか向いていないのでしょう。そのオリバー・ストーン氏を「映画監督オリバー・ストーン氏の講演が素晴らしい」などとただ闇雲に賞賛する。そうした世論の危険性(いつの場合も世論は両刃の剣の様相があります)ということについても考えたいものです。

追記:

ある人から以下のような批判がありました。

「外国から日本の政治状況を批判する文脈で「政治家」というのは、保守か共産かなどという枠組みではなく、まずは、日本を代表する政治家、です。首相やそれに準じる政治権力の行使に携わる政治家のことです。当たり前です。」

「あなたがアメリカの政治と政治家について論評するときに、ブッシュやオバマに代表される人物だけを取り上げ、ハワイ州でかろうじて州議会議員になれる程度の人物を代表として取り上げないのと同じです。それとも、アメリカの政治家を批判するときに、あなたは全米全州のすべての政治家を調べ上げてから論評しているのでしょうか。」

下記はその批判に対する私の応答です。

そうでしょうか? 


オリバー・ストーン氏はご指摘の文脈の箇所で「(高邁な道徳や平和のために立ち上がった人は)いやひとりいた。それは最近オバマ大統領の沖縄政策に反対してオバマにやめさせられた人だ」(注:おそらく鳩山由紀夫氏のこと)とも語っています。同氏のその評言は正しいとは私は思いません(本文の私の鳩山氏評価を参照)。鳩山氏を「ただひとり」の人と断定する彼の視野の狭さと眼の曇りを感じます。

オリバー・ストーン氏が日本の戦後政治の大状況(政治権力)を問題にしていることは理解できます。が、大雑把にすぎます。大状況は「政治権力」との対抗の中で形成されもするのです。その対抗関係がオリバー・ストーン氏の視野の中にあれば、「外国から日本の政治状況を批判する文脈」の中でのことだとしても、「(日本の戦後史の中で)ただのひとりの政治家も、ひとりの首相も、高邁な道徳や平和のために立ち上がった人がいなかった」などという大雑把にすぎる断定は決してできなかったはずです。

たとえばイェール大学、ベルリン自由大学、ミュンヘン大学、コロンビア大学の講師や教授なども歴任し、国際的知性派のひとりに数えられることの多かった評論家の故・加藤周一がフランスの講演でフランスの政治を語ったとして、同国の政治の対抗関係を無視して語るようなことがかつてあったでしょうか? それなりに加藤周一の本は読んできましたが、私の記憶の限りではそういうことはありませんでした。

そういうことと考え合わせて見るとよくわかることです。オリバー・ストーン氏の広島講演での評言が「当たり前」だとは私は思いません。やはり、私の指摘した同氏の一節の評言は誤まっていると思います。

また、ハワイ州の州議会議員の問題は「大状況」(国家的政治権力)の問題ではありません。が、国会の与党・野党間の権力闘争の問題は「大状況」を構成する必要的要素の問題です。そのことと地方議会議員の問題を混同して論じるのは適切な論じ方とはいえないでしょう。

それに私の前便での論の主題はオリバー・ストーン氏を貶することではありません。同氏を理性に基づいて評するのではなく、ただ単に闇雲に持ち上げる両刃の剣としての「世論」というものについての違和を述べようとするものでした。もう一点、デマゴギーとはなにか、という点についても。

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