政府は8日の閣議で、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ後任に小松一郎駐仏大使を充てる人事を決めました(東京新聞 2013年8月8日)。政府の憲法解釈を担う法制局長官の後任には次長が昇格するのが慣例で、法制局の勤務経験がない小松氏の起用は異例です。
 
対して、朝日新聞と毎日新聞はそれぞれ2013年8月9日付けで阪田雅裕・元内閣法制局長官への一問一答のインタビュー記事を掲載しました。
 
その阪田元内閣法制局長官は、朝日新聞のインタビュー記事においても毎日新聞のインタビュー記事においても「憲法規範として集団的自衛権の行使を容認するとはどういうことか。国際法上、集団的自衛権の行使と国連による集団安全保障措置への参加を超える武力の行使はすべて違法とされている。従って日本は国際法上、適法な戦争は全部できる国になるということだ。」(朝日)、「統治権力が(憲法を)自由に解釈できるなら、『法治』ではなく『人治』になる」(毎日。強調は引用者)と安倍内閣の法制局長官の首のすげ替えによる集団的自衛権の憲法解釈の見直しの「手口」に苦言を呈しています。
 
今回、阪田氏はとても勇気のある行動をとられたと思いました。同氏に敬意を表したいと思います。
 
とりわけ阪田氏の「統治権力が(憲法を)自由に解釈できるなら、『法治』ではなく『人治』になる」(毎日)という安倍内閣批判の言葉は、問題の本質に迫った深くて、鋭い批評の言葉だと思いました。
 
私たちは、これから、私たちの国の「安倍内閣」というあまりにも愚かしい統治権力のせいによって、私たち市民同士の間ではもちろん、諸外国の人々に対しても「(私たちの国は)法治国家です」と胸を張って宣言することができない。そういう日を迎えることになります。このままでは間違いなく。やがて・・・。まさに屈辱の日(Day of Infamy。「『法治』ではなく『人治』になる」とはそういうことだろう、と思います。
 
以下、朝日新聞(2013年8月9日付)と毎日新聞のインタビュー記事(同)です。最後に澤藤統一郎氏(弁護士)のこの件に関するコメントも附記しておきます。また、参考として、最後の最後に集団的自衛権行使容認派で安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の座長代理を務める北岡伸一国際大学長へのインタビュー記事と同インタビュー記事の解説記事も附記しておきます。ご参照ください。
(1)朝日新聞記事(2013年8月9日付)

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阪田雅裕・元内閣法制局長官(朝日新聞
 
(a)内閣法制局の元長官、集団的自衛権めぐる動きを批判
(朝日新聞 2013年8月9日)
 
 【藤田直央】安倍晋三首相が憲法解釈を担う内閣法制局のトップを代えるなど、集団的自衛権の行使容認に向けた環境整備を進めるなか、元長官の阪田雅裕氏が朝日新聞のインタビューに応じ、平和主義や法治主義の観点から批判した。
 
 新長官の小松一郎・前駐仏大使は、首相の意向を尊重せざるを得ない。だが、歴代首相が国会で表明を重ねた憲法解釈を変えることは、政府が9条の枠内で自衛隊の活動を模索してきた戦後の蓄積を崩しかねない。阪田氏はこうした手法の危うさを指摘した。
 
 「集団的自衛権の問題は日本国憲法の三大原理の一つ、平和主義に関わる。国会の憲法論議も圧倒的に9条に集中して積み重ねられてきた。そういう蓄積を無視し、今までのは全部間違っていたということが、果たしてあっていいのか」
 
 安倍内閣は憲法の柱である平和主義をめぐる新方針を、国会や国民が関われない解釈変更で実現しようとする。集団的自衛権の行使容認と9条の整合性について、阪田氏は「憲法全体をどうひっくり返しても余地がない」と語った。
 
 なぜ行使が必要で、歯止めはどうするのか。国民への説明は首相と小松氏の連帯責任となった。阪田氏は「法治国家として、9条がもし時代に合わないなら改正するのが筋だ」と主張。「万一憲法解釈を変えるなら、内閣として国民の大方が納得する説明が最低限必要だ。それが政治だ」と語った。
 
(b)阪田雅裕・元内閣法制局長官との一問一答 
「海外で武力、認める余地ない 解釈改憲は邪道」
(朝日新聞 2013年8月9日)
 
【藤田直央】安倍晋三首相は8日、憲法解釈を担う内閣法制局の新長官に、元国際法局長の小松一郎駐仏大使を起用した。初の外務省出身の長官で、歴代内閣が違憲と解釈してきた集団的自衛権の行使を認める地ならしだ。
 
こうした動きは、「法の番人」と呼ばれる内閣法制局の側からはどう見えるのか。元長官の阪田雅裕氏が朝日新聞のインタビューに応じ、平和主義や法治主義の観点から批判した。概要は次の通り。
 
――集団的自衛権は同盟国などへの攻撃に反撃する権利です。歴代内閣は、憲法9条の下で行使は認められないとの解釈を示してきました。首相や自民党はこの解釈を変え、行使できるようにしようとしています。こうした動きをどう思いますか
 
今の憲法解釈は自衛隊が発足してからこれまで、政府が一貫してとってきた立場だ。9条の文言だけでなく、憲法全体の趣旨など、いろんなことをふまえていまの解釈が導かれている。そのうえで、60年近くにわたって国会での論議が積み重ねられた。法論理としては、今までの政府の解釈は非常に優れている。
 
これを変えることは、今までの理屈が間違っていたということだ。法律の理屈として別の正解を導き出さなければならないが、我々の頭では非常に考え出しにくい。取って代わる論理をどうやって見つけるのかなというのが、第一番の問題だ。
 
さらに言うと、憲法規範として集団的自衛権の行使を容認するとはどういうことか。国際法上、集団的自衛権の行使と国連による集団安全保障措置への参加を超える武力の行使はすべて違法とされている。従って日本は国際法上、適法な戦争は全部できる国になるということだ。
 
日本の憲法が米、英、中を含む他の国々と同じレベルの憲法規範になる。日本国憲法98条2項には国際法は守るとある。もし9条が集団的自衛権の行使を認めると解釈するなら、98条2項があれば用は足りるので、9条は格別の意味がない念押し規定でしかなくなる。日本が格別の平和主義ではなくなる。
 
いま中学校や高校の教科書には、日本国憲法には国民主権、基本的人権の尊重、そして世界に誇る平和主義を基本原理としていますとある。だからまず教科書を書き換えないといけない。そこはずいぶん国民の常識と違う。
 
――そもそも、どうして9条のもとでは集団的自衛権の行使が認められないのでしょうか
 
大前提として、9条で一番わかりにくいのは自衛隊が合憲だということだ。9条の1項(戦争放棄)は他国の憲法にも国際法にも例がある。パリ不戦条約やイタリア憲法に同じようなことが書かれている。
1項だけなら侵略戦争禁止という意味で、98条2項の入念規定と言えなくもない。
 
日本国憲法の非常に特異なところは2項だ。戦力を持たず、交戦権を認めないとある。にもかかわらずなぜ自衛隊の存在は許されるのかは9条の大きな一つの問題だった。55年体制下では圧倒的にその点について政府が追及を受けてきた。
 
政府はどう考えてきたか。9条だけでなく全体をよく見れば、憲法は前文に国民の平和的生存権、13条に国民の幸福追求権を規定している。国民が平和的に暮らせるような環境を整備し、人間として幸福を精いっぱい追求できる状況を保つことが、国の責務として書かれている。
 
外国から武力攻撃があれば直ちに国民の生命、財産が危機にひんする。これを主権国家が指をくわえて見ていろというのは憲法の要請かということだ。国民を守るために外国の攻撃を排除するだけの実力組織が必要。だから自衛隊の存在は許されると理解してきた。
 
他方で、自衛隊はそういうことのために存在が認められるのだから、それ以外の目的で海外に出かけて武力行使をするところまで9条が許容しているとは、憲法全体をどうひっくり返してみても読む余地がない。
 
我が国への武力攻撃がないわけだから、国民の生命、身体、財産が脅かされたり、国土そのものが外国に侵略されたりしているわけではない。そんななかで日本の領土、領海、領空を離れ、戦闘に及ぶことになる。従って集団的自衛権の行使、集団安全保障措置、多国籍軍への参加はできないと考えてきた。
 
――首相は、日本を取り巻く安全保障環境の厳しさから、集団的自衛権の行使容認を検討すべきだという立場です
 
憲法が時代に合わなくなることはもちろんありうる。法律の場合、時代に合わなくなったらどうするか。政府が柔軟に解釈して、昨日まで適法だったことが今日から違法だなんてことはありえない。法律を新しく作り改正する。
 
だからこそ法治国家なのだ。憲法がおよそ改正できないならば話は違うが、手続きがきちんと書いてある。今の9条がもし時代に合わないなら、国民に十分説明し、納得してもらって改正するのが正しい道だ。
 
特に集団的自衛権は、国民にも相当覚悟がいる問題だ。安保法制懇(首相の私的諮問機関)で論じられていることは、頭上を米国向けのミサイルが通過するとか、公海上の米艦をどう助けるとか、あまり国民にぴんと来ない、直接に痛みがない問題だ。しかし集団的自衛権の行使ができるということは、過去の事例を見ても、現実に海外での戦闘に加われるということだ。
 
自衛隊員に犠牲者が出ることや、隊員が別の国の軍人を殺傷することも起こりうる。そういうものと国民が受け止めておくことがすごく大事だ。日本がPKO(国連平和維持活動)に最初に参加したカンボジアで1993年、文民警察官の高田晴行警視(岡山県警、当時33)が殉職された。こんなはずじゃなかったと国民が非常に心配した。
 
そういうことがPKOで起きる可能性は少ないと思うが、集団的自衛権の行使で戦闘に加わることになると、ベトナムを見てもイラクを見ても普通に起こりうる。国民の十分な覚悟が必要だ。その意味で憲法改正に必要な国民投票はしっかりやるべきだ。
 
――自民党が直近の衆院選、参院選で勝ち、首相は民意を得ました。だから首相は持論の集団的自衛権の行使容認を実現するため、憲法解釈を変えてもいいという考え方があります
 
民意はトータルとして示されている。経済政策も非常に大きかったし、消費税、社会保障制度の問題もある。いろんな事柄をパッケージで衆院選、参院選は行われている。
 
それと、民意を得たから法律を好きに解釈して執行していいなんてことにはならない。民意を得た政権は立法府で法律を作り政策を実現する。憲法改正はよりハードルが高いが、法治国家のルールに
のっとる努力をするのが政治のあるべき姿でないか。解釈改憲でいいというのは邪道になっていないか。立法府として自殺行為的な色彩がないか。
 
――小沢一郎氏などは、憲法解釈での政治主導を主張します。内閣法制局の解釈に頼ってきた政治家が悪い。選挙で民意を得た政権が憲法解釈を変えても構わないというものです
 
全く間違っているということはない。憲法だって生き物だし、時代が変わることは否定しない。解釈を一字一句変えちゃいけないなんてことはおそらくない。ただ、よく法制局が批判されるが、非常に遺憾だ。
 
内閣法制局設置法にあるが、内閣に意見具申する立場でしかない。決めるのはあくまで内閣。法律の議論は細かいから、国会では法制局長官が技術的な側面を含め政府を代弁している。
 
だから、集団的自衛権の行使を認めない憲法解釈も、歴代の内閣にはいつでも変える機会があった。だが、それが正当かどうか。日本国憲法の三大原理の一つの平和主義に関わり、国会の憲法論議も圧倒的に9条に集中して積み重ねられてきた。そういう蓄積を全く無視して、今までのは全部違っていたということが果たしてあっていいのか。
 
これまでの憲法解釈のすべての責任が法制局にあるようなとらえ方は非常に不本意だ。集団的自衛権の行使について、今までの解釈は違う、これが正しいということなら、内閣として国会でしっかり説明し、国民の大方が納得することが最低限必要だ。それが政治だ。
 
――内閣法制局としては、いびつな憲法解釈を出さざるをえないのでは
 
そうですね。荷は重いと思うが、あらん限りの知恵を絞って。でも、過去を全否定することだ。僕らも歴代内閣も否定される。内閣の側は法制局がそう言うから言っていたと言うかもしれないが、そんな軽いものではない。何度も質問主意書への答弁として閣議決定し、歴代の首相も国会で述べている。
 
――安倍首相は憲法解釈を変更する環境整備として、内閣法制局長官を代えました。こうした手法をどう思いますか
 
適材適所というご判断だろうから、私の立場では何とも。ただ、例えば私のようなものがその職にあれば、これまでの政府解釈はなぜまっとうなのか、どういう議論を積み重ねてきたかをご理解をいただくべくお話をさせてもらうことに非常に力を注ぐだろう。
 
だけど、従来から政府の解釈はおかしいと仮に思う人が組織の長になった場合は、そういう努力よりも、新しい内閣の意向に沿って解釈を変更するための理屈を、一つといわず二つも三つも考えることにエネルギーを注ぐのかな。
 
長官にもし過去の経緯を十分承知のない方が就任されれば、その方にご理解いただくための努力を、法制局の残りの幹部たちはやるとは思う。
 
――安倍首相は、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めることに意欲を示しています。阪田さんは小泉内閣での内閣法制局長官で、そのころ安倍首相は官房長官でした。当時、憲法解釈を変えたいという思いには接しましたか
 
いえ。当時は小泉内閣だったから。ご持論は承知していたが、今すぐ実現しろと言うたぐいの圧力を受けたことは全くなかった。ただ、次に首相になられることはわかっていたので、よくご理解をいただいておいた方がいいと思った。
 
政府は集団的自衛権をなぜ行使できないと理解してきたのか、(首相の祖父)岸信介首相の答弁はどういう趣旨だったのかといったことについて、お時間をいただいて話をさせていただいた記憶がある。
 
――岸首相の答弁とは
 
安倍さんが当時、岸首相は集団的自衛権の行使を全否定しておらず、行使できるものがあると答弁したと話されていると聞いた。しかし、岸首相の当時、集団的自衛権は国連憲章で初めて出てきた新しい概念で、一体何だろうと国際法上も議論があったことによる。例えば資金援助とか、我が国で言えば米軍への基地提供も集団的自衛権の行使にあたるんじゃないかという話があった。それで、岸首相当時の林修三内閣法制局長官が、仮に集団的自衛権に基地提供などが含まれるとすれば、我が国の憲法はそのすべてを否定しているものではないと答弁した。しかし、集団的自衛権で中核的な部分である武力の行使は憲法上できないともはっきり言っていた。そういうことを説明したと思う。
 
――その時の安倍官房長官の反応は
 
それはちょっと。ただ、そこで侃々諤々ということではなかった。
 
――首相は憲法解釈の変更で集団的自衛権を認めるという考えは変わらないまま、再登板しました
 
結果としてはそういうことですかね。
 
――最後に、そんな今の安倍首相に言いたいことは
 
総理がお考えになっていることを私がいいとか悪いとか論評する立場にないが、正面からぜひ取り組んでもらいたい。集団的自衛権の肝の部分が何かを国民にしっかりと説明し、万一憲法解釈を変えるような場合には、その論理と、それによって日本の平和主義が変質するということを、きちんと説明をしてほしい。
 
さかた・まさひろ 東大卒、66年大蔵省入省。内閣法制局第1部長、内閣法制次長を経て、04年8月から06年9月まで小泉内閣で内閣法制局長官を務めた。弁護士。69歳。
 
(2)内閣法制局:長官に小松氏決定 阪田・元法制局長官に聞く

無視できぬ、議論の蓄積−−阪田雅裕(さかた・まさひろ)
元法制局長官
(毎日新聞 2013年8月9日)
 
内閣法制局長官交代で、集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈の見直しは進むのか。阪田雅裕元内閣法制局長官(在任2004年8月〜06年9月)に聞いた。
 
憲法9条の解釈は国会での議論の積み重ねを踏まえて合理的に確定し、今日に至っている。それを理屈抜きに「私はこう考える」と変更することは許されない。統治権力が自由に解釈できるなら、「法治」ではなく「人治」になる。
 
憲法を含めて法律の解釈は論理だ。1人が「正しい」と思ってもだめで、みんなが納得する論理でなければならない。新しい目線で考える人が枢要な立場にいることに意味がなくはないが、それで直ちにすべてが解決するものではない。
 
法律が時代遅れになることはよくある。だからといって解釈を変えて時代に合わせるのは例外的で、法改正こそ議会制民主主義だ。憲法も96条で改正手続きを定めているのだから、必要なら改正の適否を国民に問うのが政治の王道だろう。
 
集団的自衛権について、政府は自衛隊創設から60年近く一貫して同じ解釈をしてきた。解釈を変えるのは、政府はこれまで解釈を間違ってきたということだ。どこが間違っていたのか、新しい理屈の方が論理的にどう正しいのかを国民にきっちり説明する必要がある。
 
集団的自衛権を認めると、国際法上許されない武力行使はできないというだけの「世界標準」の憲法になる。98条2項(条約及び国際法規の順守)があれば十分で、9条の意味がなくなる。国民の考える平和主義と整合するのかどうかは疑問だ。【聞き手・朝日弘行】
 
(3)澤藤統一郎氏(弁護士)のコメント

この薄汚い手口は「改憲クーデター」ではないか
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年8月9日)
 
ところで、ときに硬骨漢に出会う。大言壮語はしないが、節を曲げず、理不尽には昂然と顔を上げてものを言う。敢えて、火中の栗を拾うことを厭わないその姿勢が清々しい。
 
本日の朝日と毎日両紙に、阪田雅裕元内閣法制局長官のインタビュー記事が掲載されている。言葉は穏やかだが、内閣法制局の憲法解釈の見直しの動きを真っ向批判する内容の発言。朝日では、集団的自衛権の行使容認と9条2項の整合性について、「憲法全体をどうひっくり返してもその余地がない」と言っている。毎日でも、「集団的自衛権を認めると、9条の意味がなくなる。国民の考える平和主義と整合するか疑問」と言う。/本質的な批判であって、しかも分かりやすく、徹底している。「元法制局長官」の発言として、このインパクトは大きい。
 
朝日の記事の末尾に次の阪田氏発言がある。
 
--法制局は首相の意向に沿って新たな解釈を考えざるを得ないのでは?
 
「そうですね。僕らも歴代内閣も全否定される」
 
さもありなん。それでよかろうはずはない。阪田氏だけではなく、他の歴代長官も、歴代総理もそれぞれに発言あってしかるべきではないか。なにしろ、この「改憲クーデター」によって、「僕らも歴代内閣も全否定される」ことになるのだから。
 
(4)参考

(a)集団的自衛権行使、全面解禁提言へ 安保法制懇・北岡氏
(朝日新聞 2013年8月10日)
 
 【池尻和生】安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の座長代理を務める北岡伸一国際大学長が9日の朝日新聞のインタビューで、集団的自衛権行使をめぐる憲法解釈で、全面解禁を提言する意向を明らかにした。解禁した場合の自衛隊の活動は自衛隊法を改正して定めるべきだとの考えも示した。
 
 安保法制懇は2008年に集団的自衛権行使を認め、「米艦への攻撃」など四つの類型への対応を求める提言をした。北岡氏は「情勢が前より切迫している」とし、今回は4類型に限らない考えを示した。
 
 そのうえで、北岡氏は集団的自衛権行使について「日本が行使することを許される必要最小限度の自衛力に入る。法理的な禁止を全面的に解く」と明言。解禁に伴う具体的な行使の範囲については「全面的な行使容認とするかどうかは、(自衛隊の活動内容を定めた)自衛隊法改正の時の議論になる」と指摘した。さらに「自衛隊法を改正し、予算をつけ、装備を増やして訓練をし、ようやくできる」と語り、解禁即行使ではないことを強調した。(以下、略)
 
(b)専守防衛とは「攻撃ゼロ」でない 北岡座長代理一問一答
(朝日新聞 2013年8月10日)
 
 【聞き手・池尻和生】安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の座長代理を務める北岡伸一国際大学長との一問一答は次の通り。
 
 ――第1次安倍内閣での安保法制懇から5年近く経ち、安全保障環境はどう変化したと考えますか。
 
 「尖閣諸島など(第1次内閣で検討した)米艦防護はよりリアルな問題となった。北朝鮮のミサイルがフィリピン沖まで飛ぶようになった。私は、日本が行使することを許される必要最小限度の自衛力に、集団的自衛権は最初から入ると思っている。それが必要な状況がさらに強まっているというのが基本的な認識だ」
 
 ――前回の安保法制懇では米艦防護など4類型への対応を求めていました。
 
 「我々は今回、類型化を目指しているわけではない。法理的な禁止を全面的に解除するということだ。個別的自衛権に類型化ってありますか? 『北朝鮮から(攻撃が)海や空から来た時』、そんな類型ないでしょう」 (以下、略)
 
 
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