私は以前に「前田朗さんの花崎皋平さんの最新刊『田中正造と民衆思想の継承』批判について」という文章を書きました。下記はその補遺のようなものです。(ある人に宛てたものですが宛名人の名前は省略します)

私は花崎皋平さんについて前エントリで次のように書いています。

「花崎さんはいうまでもなく『本を書いて自分の思想を述べることに主眼を置』いている作家、思想家です。(略)花崎さんはただ自身の生き方として『この社会から疎外され、差別されている辺境民、下層民、少数民族、在日朝鮮人、障害者など『弱者』とされる人びととの連帯や共生を第一義に追及する生き方』(『開放の哲学をめざして』1986年、p88)、『『地域』に根ざす生活者=住民の立場を根拠として、普遍的な主体たることをめざす』(『生きる場の風景』1984年、p153)生き方を選び取ろうとしているだけです。花崎さんの本を素直に読めばそのように読解するのは当然のことのように思えます。」

上記を別の言葉で言えば、花崎さんは自身を民衆思想家と位置づけてはいないが、民衆思想家に連なる生き方をしたいと強く志しているそういう思想家である、と。民衆思想家に連なる生き方を志している思想家を広い意味で民衆思想家と私たち(読者)が評価しても一向に構わないだろう、と私は思っています。そういう意味で、私は、あなたのおっしゃるように「花崎さんを民衆思想家として評価して」います。しかし、それは「矛盾」でもなんでもない、と自分では思っています。

花崎さん自身も民衆思想家を「定義」して次のように言っています。

「民衆思想とは、民衆の一員であることに徹し、地域に根ざした実践と経験に基づいて練り上げられた自前の思想を指す。それは必ずしも文字で書かれたり、著書となってひろめられたりするものではない」(『田中正造と民衆思想の継承』「第13章 田中正造の思想的可能性」p236)

「必ずしも」と言っているのですから、その意は、「文字で書かれたり、著書となってひろめられたりする」思想を非民衆思想として否定する、ということではもちろんないでしょう。事実、花崎さんのいう民衆思想家の中には著作家の石牟礼道子や森崎和江、田中美津も含まれています。

私たちにとって大切なことは「文字で書かれ」ているかどうかということではなく、そこで語られた、いま現に語られている思想をどのように受けとめるか、ということだろうと思います。その自身の受容によってある人を民衆思想家とみなすかどうかはその思想を受容した「私」の評価の問題です。その「私」の評価をあれこれと批評してもつまらぬことです。「私」の評価を「私」の評価として尊重する姿勢こそ大切なのだろうと私は思います。

先のエントリで釈迦の托鉢を例にしたのはもちろん宗教を論じるためではありません。近代的な用語でいえば、いわゆる「知識人」という非生産者と労働者・農民という生産者との関わり合いの問題として釈迦の托鉢を例にしたにすぎません。たとえば教師という仕事は生産労働に関わる仕事ではありません。しかし、その教師という仕事は地域にとって不必要か。説明しなくとも多くの人はノーと答えるでしょう。それと同じことの比喩として釈迦の例をとりあげたのです。また、教師は労働の対価をともなう仕事をしているが、田中正造の教えと学びの旅の流浪は対価をともなわないから単なる寄宿の族(やから)のような存在でしかない、という解釈が仮にあったとして、つまらぬ解釈です。たとえばボランティアの仕事は対価をともなわない仕事が多いですが、その仕事を寄宿の族の仕事といえるか、などなどあれこれ思い巡らしてみれば田中正造を単なる高等遊民とする論の浅はかさはわかるのではないでしょうか?
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/63-2a5797fb