以下は、明日(すでに今日になっていますね)大阪である『つなげる。~旅×音×食×アート~』という若者の政治イベントをご紹介してくださった中谷綾恵さんのメールへの私の端書きとしての応答の言葉です。
 
中谷綾恵さん、ご投稿拝見しました。
 
「無投票・無関心層が多いといわれる私たち世代ですが、デモや集会、勉強会に行くと若者というだけで喜ばれる現状が悲しいよね」というのは若者として、というよりも一個の自立した人間として抱く当然かつ健全な違和感であろうと思いますし、「4割を占めるともいわれるこの層が選挙に行くことで、政治をガラッと変えようという思いを持って、10代、20代の仲間が集まり企画しました」というのも若者らしい感性の鋭い行動提起になりえていると思います。また、ご紹介されるFacebookコミュニティページでフェスタのチラシも拝見させていただきましたが、すてきなデザインだと思いました。

チラシ表 チラシ裏
 
が、一考していただきたいと思うことがあります。
 
そのFacebookコミュニティページに次のような記述があります。
 
「【スペシャル素敵ゲスト☆その4】
~日本の未来を語るベストセラー作家~
プロジェクト99%代表『安部芳裕』
 
このイベントは安部さんのお話を広めたい!と思って企画したと言っても過言ではない。それほどのキーパーソンです!」
 
上記の「99%」という言葉に関連して評論家の太田昌国さんは次のように書いています。その太田さんの問題提起について考えていただきたいのです。
 
「『格差NO』のスローガンを掲げて、ニューヨークで『ウォール街を占拠せよ!』という運動が始まったことが報道された時、私は、この運動の基本的な精神には共感をもちつつも、手放したくはない小さなこだわりをもった。『占拠』を意味するoccupy という語に対する違和感である。米国の歴史は、「建国」後たかだか二百数十年しか経っていないが、それは異民族の土地を次々と「占領」(occupy)することで成り立ってきた。この度重なる占領→征服→支配という一連の行為によって獲得されたのが、現在でこそ漸次低減しつつあるとはいえ、世界でも抜きん出た米国の政治・経済・軍事・文化上の影響力である。これが、世界の平和や国家および民族相互間に対等・平等な関係が樹立されることを破壊していると考えている私にとって、それが誰の口から発せられようとoccupyや occupation という語は、心穏やかに聞くことのできない言葉なのである。
 
同時に、1%の富裕層に対して『われわれは99%だ』と叫ぶ、訴求力の強い、簡潔明瞭なスローガンに対しても、その表現力に感心しつつも、留保したい問題を感じた。99%という数字は、米国のこのような侵略史を(現代でいえば、アフガニスタンやイラクの軍事占領を)積極的に肯定しそれに加担している人びとをも加算しないと、あり得ないからである。問題を経済格差に焦点化して提起する、新自由主義が席捲している時代のわかりやすくはあるこのスローガンは、99%に含まれる人びとの内部に存在する政治・社会上の矛盾と対立を覆い隠してしまう。」(「領土問題を考えるための世界史的文脈」『occupy という言葉に心が騒ぐ』 状況20〜21 2011年12月27日)
 
「99%」という言葉には太田昌国さんも指摘される上記のような問題群が孕まれています。その問題性のある言葉を違和感もなくおのれの組織の名前に冠して「プロジェクト99%」と名づける。そして、そのことに対して「恥」も「ためらい」も持たない。私にはそういう感性が信じがたいのです。少なくともそういう感性の保持者には少しはクエスチョンマークをともなう疑問を持ってみてもよいのではないでしょうか? それを「このイベントは安部さんのお話を広めたい!と思って企画したと言っても過言ではない」とまでおっしゃる。考えてみていただきたいというのはそういうことです。
 
安部芳裕氏のことについてはこちらの弊ブログでその悪口を少し書いています。しかし、その悪口は附録にすぎません。私の問題提起はあくまでも上記が主です。
 
*初めてのご投稿のようですので私として批判するのはためらわれましたが、1日、2日考えた末にやはり指摘しておくべきだ、と考えるに到りました。




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