私は最近いわゆる「小沢礼賛」論に対して「反論の論」を述べることが多いのですが、その私の「反論の論」について誤解を生じさせている側面があるように思います。下記はそのことについての私のとりあえずの自己レス的エントリです。

私の最近のモノ言いが「小沢礼賛」とは逆に小沢批判のための批判、為にする批判のように受けとめられている方も少なくなくいらっしゃるようです。たとえば下記のような私の最近のモノ言いが一部の人たちの反感、あるいは顰蹙を買っているようです。


しかし、少しばかりの自助的見解を補足させていただくと、上記の「相も変らぬ」などという私のモノ言いは、本MLも含めて私の関わっているMLで非論理的というばかりでなく事実を歪めた「小沢礼賛」論を発信し続ける人たち、さらには郷原信郎氏から平野貞夫氏、岩上安身氏、上杉隆氏、宮崎学氏などなどに至る「小沢礼賛」論に与する人たち(誤解を避けるために一言しておきます。私は左記の人たちの言説のすべてにウソがあるとか誤っていると言っているわけではありません。たとえば郷原信郎氏の論など傾聴に値する論も少なくないと思っています。しかし、その傾聴に値する論が「小沢擁護」の論に展開するときその論に破綻が生まれる、というのが私の評価です)の手を変え品を変え次々と繰り出される「小沢擁護」の論(それも事実を歪めた論が多い)に業を煮やした末の表現であるという側面を持っています。そういう側面を持った表現である、ということを自助的に補足しておきたいと思います。

また、私の最近の文章は、上記のような事情もあって、ある論への反論として書かれたものが少なくありません。そうした反論の論は「反論」という性質上断面を切り取った体の文章になりがちだという側面もあります。したがって、その反論の論は、十全な目配りをした論ということができないだけに、読む人に誤解を生じさせる余地がかなりの程度あります。たとえば私は検察審査会制度を「制度」として支持する論を展開していますが、あたかもその論が今回の検察審査会の小沢強制起訴議決を全面的に支持しているかのように受け止められてしまうということがあります。実は私自身が小沢強制起訴議決について少なくない疑問を持っているのですが、そういうことが伝わらず、誤解されているようです。そうした認識は私にもあります。いまは多忙でできないのですが、この辺のところは今後埋め合わせをしながら論を展開していく必要性を感じています。
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