私はこの6月のはじめに「『止めよう壊憲・護憲共闘』4/14集会のパートⅡ、『6/30護憲円卓会議』のお知らせ」という記事を発信しましたが、その際に「大分でも『脱原発・護憲共同候補擁立を求める』運動が動き出し、私もその呼びかけ人のひとりに加わりました」という「護憲共同」問題に関して簡単すぎる地域的レベルの小報告を述べておきました。
 
以下はその続編としての報告ですが、残念な結果になりました。「護憲共同」を呼びかける人が「護憲共同」とはなにかという理念を持たず、ただ「共同」「統一」「大同団結」という言葉のプラスイメージだけで、すなわち中身のともなわないたんなる「時流に乗る」たぐいの「勢い」だけで無原則的に「護憲共同」を呼びかけるとどういうことになるかという典型例であるように思います。
 
以下、この地域的な「脱原発・護憲共同候補擁立のための呼びかけ」の呼びかけ人の辞任を申し出た私の弁です。「護憲共同」の今後の組織化のひとつの反面教師的事例としてご紹介させていただこうと思います。 
「以下のような呼びかけ文を持って、民主党大分県連、社会民主党大分県連、公明党大分県本部、日本共産党大分県委員会、緑の党おおいたに申し入れをしてきました。みんなの党や生活の党の大分県での事務所は、大分市内にはないので、郵送などで申し入れをしたいと思います」

ということですが、私は、「民主党」「公明党」「みんなの党」「生活の党」を「脱原発」政党とも「護憲」政党ともみなしていませんし、これらの政党を十把一絡げに「脱原発・護憲」政党とみなすことは結局のところ真の政治革新(「脱原発・護憲」政治の実現)にとっての弊害となるほかないと思っています。
 
そのことについて、私はこれまでもさまざまな角度から渾身をこめて記事を書き、かつ、論証もしてきているつもりですが、まずその私の批判の概論としては下記の記事が要領を得ていると思います。ご参照ください。
 
新「オリーブの木」、あるいは「緑茶会」の提唱について ――広原盛明さんの「嘉田新党(日本未来の党)はなぜ失墜したか~「極右第3極」の台頭、「保守補完第3極」の消滅~」という論攷に学ぶ(弊ブログ 2013.04.26)
 
上記の政党の政策的・理念的な問題点に対する私の指摘については下記の記事をご参照ください。
 
「党派を超えて新しい政治の流れをつくろう」という集会案内の抽象性とそれゆえの危険性について(弊ブログ 2013.04.20)
 
上記の政党群が「護憲」政党ではありえないことの最近の例証としては下記の事態があります。これらの政党は日本国憲法の根幹といってもよい「基本的人権の尊重」「個人の尊厳」(注1)を暴虐的に踏みにじる下記の「生活保護法」改悪法案に賛成票を投じて、いまは同改悪法案擁護に回っているのです(注2)。この事態はこれらの政党が決して「護憲」政党ではなく、「壊憲」政党であることを端的に示しています。許し難いことだと私は怒りを募らせています。
 
「生活保護法」改悪法案が衆院で賛成多数で可決 自民、民主、日本維新、公明、みんな、生活各党の暴挙を弾劾する(弊ブログ 2013.06.04)
 
注1:日本国憲法の根幹が「基本的人権の尊重」「個人の尊厳」であることについては、先の6月14日にあった「96条の会」発足記念シンポジウム冒頭の基調講演において樋口陽一さん(東大・東北大名誉教授・「96条の会」代表)が格調高く、論理的に語られています。この樋口さんの基調講演はユーストリームの録画でいまも観ることができます。ご参照ください。

樋口陽一氏の基調講演より(抜粋 38分10秒頃~)

私はかねがね学生たちにも日本国憲法の中で一番大事な肝心な条文をひとつだけ挙げろといわれれば、私は躊躇なく憲法13条という、「個人の尊重」というこの条文を挙げるということを繰り返して参りました。これはドイツの、戦後の、現代のドイツの憲法、元西ドイツ、現在は統一ドイツの憲法に当たる「基本法」という名前の憲法ですが、この憲法が「国民主権」より先に「人間の尊厳」をその第一条で掲げているのと同じ趣旨です。

ドイツや日本で実際「国民主権」を正面から否定する議論というのはいまどきないでしょう。で、日本だけじゃありません。イランだっておおいに問題のある選挙、国民主権のもとで大統領選挙を今週の何曜日ですかやることになっていますね。で、サダム政権で、あの人は国民、人民を基本とする政治の建前ですから、宗教政治ではありません。世俗政治ですからね。ですから、極端な宗教政治を現在なおしているいくつかの国を除けば「国民主権」を否定する議論はありません。むしろ「国民」の名を騙って自分の言い分を押しとおす。それに警戒しなければならないからです。

で、国民全体がひとつになっても、ひとりひとりの個人を「非国民」として扱ってはならないというのが、私ども、今日見渡すところ私と同年程度の方もかなりいらっしゃいますけれども、われわれの戦中体験はそのことをまざまざと思い起こさせてくれます。それだけの重みを持つ「個人」というキーワードを改憲案の13条は「人」という言葉に替えております。「人」というのは要するに動物でも植物でも犬でも猿でもないたしかに「人」です。で、そのような言葉の差し替えをすることによって「個人」という言葉が持ってきた重みというものを消し去ろうとする。

で、どれだけの深刻な意味を持つのか。ほかの条文に立ち入って議論することはここではできません。今日の直接の目的でもありません。で、ひとつ申し上げたいのは、誰でも注目する、あるいは注目さざるをえない国防軍、自衛隊から国防軍へという大きな変化。その国防軍もいま申し上げた大きな基本構想の大転換。「個人」ではなく「人」だ。「人類普遍の原理」じゃなくて、日本は日本で好きなことをやるんだ、という全体的な構造転換。まさに憲法という意味でのコンスティチューションにとどまらず、基本構造、世の中の骨組みでのコンスティチューションの大転換の中に位置づけられる国防軍だ、ということにどうぞみなさんのご注意をうながしたい。

注2:たとえば民主党は「改悪案の質疑でも、『貧困に苦しむ方の声なき声を代弁します』(山井和則衆院議員)などといいながら、衆院段階で形だけの『修正』を加えるとさっさと賛成に回り、『政府案は申請のハードルを高めるものではない』(同)」などと積極的に「生活保護法」改悪法案擁護の側に回っています(「生活保護改悪 民・み・維・生 自公の暴走後押し」しんぶん赤旗 2013年6月22日)。
 
私はこの呼びかけの発起人が地元のメーリングリストに発信したはじめの「脱原発・護憲共同候補擁立のための呼びかけ(案)」(2013年6月6日付)を見たとき、その「呼びかけ(案)」には「大分県内の政党および参院選立候補予定者各位」と記されているだけで、具体的な呼びかけ対象としての政党名は記されていませんでしたが、同時に「脱原発・護憲共同候補擁立のため」という呼びかけの目的も記されていましたので呼びかけ対象はあくまでも「脱原発・護憲」政党に限られるのであろうと思っていました。そして、どの政党が「脱原発・護憲」政党といえるのか、どの政党を呼びかけ対象にするのかについては呼びかけ人間で討議されて決められるのだろうと思っていました。また、どの政党が「脱原発・護憲」政党といえるのかどうかについてはそのとき意見を述べればよいとも思っていました。
 
ところが、呼びかけ人として応募した者にはそのことについてなんの相談もなく、また、会議を招集して呼びかけ人間の意見の集約と一致をはかるという当然の手続きもなく、当初案にはなかった「発起人」という名称をあらたにつくって同「発起人」と「呼びかけ人」の差別化をはかり、その発起人の独断で上記の呼びかけ政党を決めています。こうした民主主義的な手続きを無視した決定はいかに時間がない中でのことだとはいえ正当性も正統性も持ちえません。
 
そして、なによりも、上記で述べたように呼びかけ政党としての「民主党」「公明党」「みんなの党」「生活の党」を「脱原発」政党とも「護憲」政党とも私としてみなすことはできません。こうした呼びかけは、その呼びかけ政党群を一律に「脱原発・護憲」政党とみなすことによって、その政党群の実際としての「脱原発・護憲」政策(実際は「非脱原発・壊憲」政策)を市民として許容、容認、認知することにつながり、真の意味の「脱原発・護憲」政策が急務の課題として求められているときにその政治的弊害はとりかえしのつかないものになりかねません(注3)。
 
注3:上記の私の指摘に関しては下記の澤藤統一郎さん(弁護士・「日本民主法律家協会」元事務局長)の下記のご指摘もご参照ください。私と同様の問題意識からのご指摘だと私は思っています。
 
出がらし「緑茶会」には問題山積(澤藤統一郎の憲法日記 2013年4月30日)
 
したがって、私は、このような愚行を許容することはできませんので、呼びかけ人を辞退させていただきます。

関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/598-5ec297a0