すでにご存じの方も多いかと思いますが、「九条の会」呼びかけ人の大江健三郎氏、奥平康弘氏、澤地久枝氏の3氏はこの5月17日に記者会見をおこない、「九条の会のみなさんへ」というアピールを発表しています。同会事務局長の小森陽一氏(東大教授)によれば、「2004年6月10日の『9条の会』結成アピール以来、はじめての、すべての『9条の会』への行動提起」だということです。作家の大江健三郎氏は上記の記者会見で日本国憲法をめぐる状況は「9条の会」の「発足から一番危険な段階にさしかかっている」とその危機感を述べていますが、今回の「九条の会のみなさんへ」というアピールは「九条の会」呼びかけ人のそうした危機意識を反映したものといえるでしょう。

小森陽一:改憲反対の多数派形成を訴える(連帯・共同21 2013年5月28日)

さて、上記の大江健三郎氏ら「九条の会」呼びかけ人の危機意識は、いうまでもなく自民党を主軸とする保守・改憲勢力が衆院において3分の2の議席を優に超え、この夏の参院選挙しだいでは衆院、参院を含め国会勢力全体として3分の2超えをする可能性が強いという、すなわち、独裁政治による壟断(ろうだん)の危機という意味において戦後最大といってよい政治危機を背景にした危機意識です。

そうであれば、国会(衆院・参院)における改憲勢力の3分の2超えを阻止しなければなりません。そのためには非改憲勢力、すなわち護憲勢力の結集が必要です。そして、護憲勢力の結集のためには「9条改憲」阻止以前の問題として「96条改憲」阻止のための結集が必要です。「9条改憲」阻止という点では意見を異にしていても、「96条改憲」阻止という点では意見をともにするということは少なくありません。そのひとつの好個の例が先頃憲法96条「改正」に反対の学者が中心になって結成された「96条の会」(代表:樋口陽一東大名誉教授)ということになるでしょう。発起人には護憲派だけでなく9条改正を唱える改憲論者も名前を連ねています。「96条の会」には大同団結の思想(日本的な意味でも西欧的な意味でも)が息づいているようです。


96条の会 
「96条の会」を発足し、記者会見する(右から)山口二郎北海道大教
授、樋口陽一東大名誉教授ら=23日午後、東京・永田町(共同通信)

そうした「96条の会」運動の嚆矢となったのは「九条の会」の呼びかけ人のひとりでもある哲学者の梅原猛氏の思想であったかもしれません(さらに遡れば「嚆矢」の矢はさまざまなところに射掛けられているでしょうが)。その梅原猛氏の保守主義と「九条の会」の結びつきについて弁護士の澤藤統一郎氏がなるほどと思わせることを述べています。なるほどと思ってもこの点についていままで誰も指摘する人はいなかったわけですから(私が知らないだけかもしれませんが)卓見といってよいでしょう。以下、澤藤統一郎さんの「梅原猛も『平和憲法擁護』論者である」という論攷のご紹介。

梅原猛 
京都の5・3憲法集会iで講演する梅原猛氏
(2011年5月3日 於:京都会館第一ホール)

梅原猛も「平和憲法擁護」論者である
(澤藤統一郎の憲法日記 2013年5月28日)

本日(5月27日)の東京新聞夕刊文化欄に、梅原猛が「平和憲法について」と題した論稿を寄せている。話題とするに値する。

書き出しはこうなっている。
「改憲論議が盛んであるが、私は、‥『九条の会』の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である」

ところが、この「頑固な護憲論者」の9条論は戦力の不保持を主張しない。護憲勢力とは見解を異にして、「自衛隊という軍隊」の存在を当然とする。次のように、である。
「外国からの攻撃に対しては万全の備えをするがけっして外国を攻撃しない軍隊を持つことこそ日本の名誉ある伝統である。それゆえ、自衛隊こそまさに日本の伝統に沿う軍隊であろう」

東アジアの一触即発の危機も、平和憲法の下で解決を図るべきではないかとはするのだが、その根拠については次のように語られる。
「平和の理想を高く掲げ、内に死を賭してたたかう強い軍隊をもつ国には容易に外国が攻めてくるとは思われない」

要するに、侵略戦争と自衛戦争とは峻別できることを前提として、平和の維持のためには、自衛力たる強い軍隊が必要だというのである。死を賭してたたかう強い軍隊をもつことによって、他国からの侵略を防止することが可能とまで言うのだ。

梅原は、侵略する他国があり得ることを前提に、自衛のための軍隊が必要だという。が、同時に、その軍隊はけっして外国を攻撃しない、専守防衛に徹するというのだ。梅原流の解釈では、「専守防衛に徹する自衛のための軍事組織」は憲法9条2項に反せず、合憲合法の存在なのである。

その梅原が、「九条の会」呼びかけ人9人のひとりである。梅原こそが、九条の会の幅の広さを示している。梅原の論稿の立場は、我が国の多くの良心的保守派の人々の考えを代表するものと言えるだろう。自衛隊なくして国や国民の安全が守れるだろうか、安保と自衛隊あればこその平和ではないか、というものである。しかし、この人たちは同時に、戦争はご免だ。自衛隊を平和共存のバランスを崩すような強大なものにはしたくない。軍国主義の跋扈もまっぴらだ。そう考えてもいる。このような多くの人々を味方にしなくてはならない。

「九条の会」は国民の多数世論を結集して、9条改憲阻止を目標とする。ならば、専守防衛の自衛力容認論者を味方に付けずして、多数派の形成はあり得ない。9条改憲阻止の課題の焦点は、自衛隊違憲論でも自衛隊解体論でもない。自衛隊縮小論ですらない。9条2項の改憲阻止とは、自衛隊を外国で戦争できる軍隊にしないということなのだ。専守防衛からの逸脱を防ごうということである。

憲法9条2頂の現実の機能は、自衛隊がかろうじて合憲であるためには、専守防衛に徹する組織であることを必須の要件とするところにある。政府見解をして、「自衛のために必要最小限度の実力を保持することを憲法は否定していない」「自衛隊は専守防衛に徹する組織であるから「戦力」にあたらない」と言わしめているのは、9条2頂あればこそなのだ。

憲法9条2頂は、けっして死文化していない。これあればこそ、自衛隊は専守防衛を逸脱して他国で戦争することができない。たとえ、アメリカという大親分の命令でも。

その9条2項は、守るに値する。自衛隊の存在を合憲とする者にとっても、専守防衛でなければならないとするかぎりは。

だから、梅原猛は頑固な9条2項擁護論者であり、「九条の会」の呼びかけ人のひとりであり、貴重な「平和憲法擁護」の同盟の一員なのだ。

後注:こうした「大同団結」論を紹介すると必ずといってよいほど出てくるのが政策的見識も見境もそして節操もない足して2で割る式の安易な数合わせの論理に基づく「野党共闘」論です。最近では新「オリーブの木」構想と「緑茶会」の立ち上げがそれに相当するでしょう(拙論「新『オリーブの木』、あるいは『緑茶会」の提唱について』 2013.04.26 参照)。しかし、上記の「大同団結」論の提唱者の澤藤統一郎弁護士は「出がらし『緑茶会』には問題山積」という厳しい「緑茶会」批判の論を著した論者でもあることにご留意ください。政策のすり合わせのない野合は「大同団結」とは言いません。上記の「九条の会」や「96条の会」の例もそれぞれ「9条改憲」阻止、「96条改憲」阻止という明確な政策的合意に基づく「大同団結」です。そのことを忘れてはならないでしょう。

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