橋下大阪市長の「慰安婦は必要だった」発言が「世界的炎上」(産経新聞 2013年5月24日)を起こしていますが、その橋下発言に関連して安倍首相の「強制連行を直接示すような記述はなかった」発言がさらに「国内的炎上」を起こしています。


サキ報道官 
橋下氏発言は「言語道断で不快」と発言する
米国務省のサキ報道官
(AP=共同)

その発言の「国内的炎上」の態様を安倍首相の「強制連行を直接示すような記述はなかった」発言と安倍首相の盟友とブレーンの「従軍慰安婦は高給取りだった。だから、強制連行する必要はなかった」発言に関して参加メーリングリストの情報よりその深層を記録しておこうと思います。日本の右傾化の問題がこれほどポピュラーな問題になったことはこれまでないでしょう。そのいまもっともポピュラーな問題となっている真相、深層を読者とともに備忘しておくためにも。

【目次】
Ⅰ.安倍首相の「強制連行を直接示すような記述はなかった」発言のウソの証明
1 辻元清美氏(衆院議員・民主党)の「閣議決定」の変遷(非変遷)から見た安倍首相の主張のウソの証明
2 小林久公氏(札幌市在住)の情報公開請求で得た政府資料に基づく安倍首相の主張のウソの証明
Ⅱ.安倍ブレーンの「従軍慰安婦は高給取りだった」発言のウソの証明
1 小林久公氏(札幌市在住)の当時の朝鮮の実情に基づくウソの証明
2 増田都子氏(東京都学校ユニオン委員長)の当時の朝鮮の実情に基づく補充的ウソの証明
3 田島直樹氏の日銀調査に基づく「軍票の円」と「内地の円」と「朝鮮の円」の価値の違いから見たウソの証明

Ⅰ‐1
まず衆院議員(民主党)の辻元清美氏は「橋下徹大阪市長の慰安婦を巡る発言の背景となった安倍首相の『閣議決定』に関する発言について」(辻元清美ブログ 2013年5月23日)という論攷で「安倍内閣で『強制連行を直接示すような記述はなかった』ことを初めて閣議決定をした」とする安倍首相のウソを以下のように指摘しています。

日本維新の会の代表である橋下徹大阪市長の慰安婦を巡る発言が波紋を巻き起こしている。これは、安倍晋三総理の慰安婦問題についてのこれまでの認識と発言が、橋下発言を誘発したと考えられる。

河野官房長官談話について、安倍首相は、第一次安倍内閣で「強制連行を直接示すような記述はなかった」ことを初めて「閣議決定」(D)をしたとし、それを根拠に河野官房長官談話の見直しを示唆する発言(A・B)を繰り返している。また、橋下市長は、これらの安倍首相の発言を根拠に「強制連行はなかった」という趣旨の発言(C)を繰り返している。

しかし、ここで安倍首相がいう「閣議決定」は、歴代内閣の認識(E・F)と同じ認識を示したにすぎず、またすでに、1997年に橋本内閣でも同じ内容の答弁の閣議決定(G)がなされており、第一次安倍内閣であらたな事実を閣議決定したわけではない。

歴代内閣では、「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったが、関係資料の調査や関係者からの聞き取りなどから全体として判断し、河野官房長官談話となった」との認識が繰り返し示されている。すなわち、「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」ということは認めた上で、河野官房長官談話を発出したとの認識が示されてきたのであり、第一次安倍内閣での「閣議決定」もそれを踏襲したにすぎない。

したがって、「強制連行を直接示すような記述はなかった」ことを根拠に河野官房長官談話を見直すことはできない。

<安倍首相の発言>
A)「さきの第一次安倍内閣のときにおいて、質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものです。つまりそれは、強制連行を示す証拠はなかったということです。」(2013年2月7日・衆議院予算委員会)

B)「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を、日本は背負っている、安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある、孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない。」(2012年9月15日・日本記者クラブでの討論会〔野党党首時代〕)

<橋下市長の発言>
C)「河野談話は閣議決定されていませんよ。それは河野談話は、談話なんですから。だから、日本政府が、日本の内閣が正式に決定したのは、この2007年の閣議決定だった安倍内閣のときの閣議決定であって、この閣議決定は慰安婦の強制連行の事実は、直接裏付けられていないという閣議決定が日本政府の決定です。」(2012年8月24日囲み)
※安倍首相、橋下市長の発言は同種のものが多くあるため、一部を掲載。

両者の発言で、強制連行がなかったという根拠に挙げている「2007年の第一次安倍内閣での閣議決定」とは、辻元清美が提出した質問主意書に対する答弁(D)を指す。
※質問主意書とは、議員が政府に対して文書形式で質問をすること。それに対する政府の答弁は文書でなされ閣議決定して回答をする。

D)「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」(2007年3月8日辻元清美提出)への答弁(2007年3月16日)
「関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」

安倍首相は、上記答弁の後段の部分だけを引用して、「強制連行を直接示す記述はなかった」とし、この部分を、河野官房長官談話を見直す根拠にしようとしている。

しかし、この答弁は、前段とセットになっていて、「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったが、関係資料の調査や関係者からの聞き取りなどから全体として判断し、河野官房長官談話となった」という内容になっている。

これは、歴代の内閣と同じ答弁(E・F)を繰り返したに過ぎない。

<歴代の内閣の答弁>
E)片山虎之助委員の質問に対する平林博官房外政審議室長による政府答弁(1997年1月30日参議院予算委員会)
「政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。」

F)板垣正委員の質問に対する村岡官房長官の政府答弁(1998年4月7日総務委員会)
「第一点は、先生今御指摘になられましたように、政府が発見した資料、公的な資料の中には軍や官憲による組織的な強制連行を直接示すような記述は見出せなかったと。第二点目は、その他のいろいろな調査、この中には、おっしゃったような韓国における元慰安婦からの証言の聴取もありますし、各種の証言集における記述もありますし、また日本の当時の関係者からの証言もございますが、そういうものをあわせまして総合的に判断した結果一定の強制性が認められた、こういう心証に基づいて官房長官談話が作成されたと、こういうことでございます。」

さらに、安倍首相は「いわばその重たい閣議決定をしたのは初めてであります」(2013年3月8日の辻元の予算委員会質問に対する答弁)と、歴代内閣で初めて、「強制連行を直接示す記述はなかった」ことを閣議決定したと答弁している。ところが、これも虚偽答弁である。

すでに1997年11月21日、高市早苗議員の提出した質問主意書に同じ内容の答弁(G)が橋本内閣によって閣議決定されている。

G)高市早苗議員の質問主意書「慰安婦」問題の教科書掲載に関する再質問主意書(1997年11月21日)に対する答弁書
「いわゆる従軍慰安婦問題に関する政府調査においては、発見された公文書等には、軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった。他方、調査に当たっては、各種の証言集における記述、大韓民国における元慰安婦に対する証言聴取の結果等も参考としており、これらを総合的に判断した結果、政府調査結果の内容となったものである」

上記のように、河野官房長官談話について、第一次安倍内閣で新しい内容の閣議決定をしたわけではない。第一次安倍内閣は、歴代の内閣と同じ答弁や閣議決定を繰り返したに過ぎないのであって、河野官房長官談話を見直す根拠は存在しない。

にも関わらず、第一次安倍内閣であたかも新しい認識を示したかのような答弁を繰り返し、河野官房長官談話を見直す根拠にしようとする安倍首相の姿勢は、国民をあざむこうとしていると言わざるを得ない。

また、こうした安倍首相の発言をもとに発言する橋下市長も認識不足と言える。

Ⅰ‐2

上記の辻元論攷は「閣議決定」の変遷(非変遷)から見た「第一次安倍内閣ではじめて『強制連行を直接示すような記述はなかった』という新しい内容の閣議決定をした」という安倍首相のウソの証明ですが、もっと直截的に情報公開請求で得た政府資料に基づいて安倍首相のウソを明確しているのが札幌市在住の小林久公氏の次の証言です。

安倍首相の「閣議決定」に関する発言について一言述べさせて頂きます。

この「閣議決定」で言っている文章は次ぎのものです。

「慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」(内閣衆質一六六第一一〇号)

この閣議決定の重要な点は、「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」ことが二つの条件付きで述べられていることです。

一つは、「同日の調査結果の発表までに」であり、もう一つは「政府が発見した資料の中には」です。

すなわち、河野談話発表までに、政府の「慰安婦」調査を行った内閣官房外政審議室に各省庁から集まった資料の中には無かったと述べている点です。

では、河野談話発表までにどのような資料を政府は集めていたのか、
また、河野談話発表後にどのような資料が発見されているのか、
そのことを明らかにしないまま、政府は、「強制連行の証拠は無い」と言い続けてきました。
そのことを皆様にお伝えしたいと思います。

情報公開請求で政府が集めた資料の公開請求をしたところ、「政府が行った聞取り調査の記録」以外の全ての資料が今年3月に公開になりました。

その中には、法務省が作成した「報告書」があり、「『慰安所における売春の強制』又は『慰安所における売春を目的とした女性の強制ら致』の事実が、オランダの行った戦争犯罪裁判(中略)起訴され有罪判決が言い渡された」との内容の記載があります。法務省が、「慰安婦」被害者の強制連行を証明する文書が存在するとの報告を出していたのですが、そのことを、政府は、今日まで明らかにしてこなかったのです。

更に、法務省か報告書で報告した強制連行を証明する文書である東京裁判に提出された法廷証拠文書そのものについては、政府が未だに収集していないことも明らかになりました。

これらの文書の存在については、河野談話が発表された一ヶ月後の2007年4月17日に、林博文氏ら研究者が外国特派員協会において、『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』(注:リンクは引用者)として記者発表していますが、政府は、それらの文書を今日まで収集していないことも明らかになりました。

そして、歴代政権が、「強制を示す文書は無い」と言い続けてたのです。

もう一つ、日本政府は「強制を示す文書」を持っていますが、政府の「慰安婦」調査の担当部署は持っていません。そのことも明らかになりました。

それは、「慰安婦」被害女性が日本政府に謝罪と賠償を訴えた裁判の判決書です。そこには、裁判所が認定した強制連行の被害事実が書かれています。その判決書も収集せずに、「強制を示す文書は無い」と言い続けているのです。

次に上記の橋下発言と安倍発言を擁護しようとする立場からの「従軍慰安婦は高給取りだった。だから、強制連行する必要はなかった」発言について見てみます。この点についての保守側の代表的な意見は次のようなものです。

「次に戦中のソウルの新聞に『慰安婦至急大募集。月収300円以上、本人来談』のような業者の募集広告が、いくつも発見されている事実を指摘したい。日本兵の月給が10円前後の当時、この高給なら応募者は少なくなかったろうから強制連行する必要はなかった。」(「現代史家・秦郁彦 橋下発言の核心は誤っていない」産経新聞 2013年5月23日)

「日本維新の会の平沼赳夫国会議員団代表は22日、都内で講演し、旧日本軍の従軍慰安婦問題を巡る橋下徹共同代表(大阪市長)の(略)発言内容は『間違っていない』と擁護。『従軍慰安婦といわれている人達は私は『戦地売春婦』だと思っている。将校が逆立ちしても及ばない高給だ』とも述べた。」(「平沼氏『発言、物議醸す』 橋下氏に苦言」日本経済新聞 2013年5月23日)

以下、この点についての革新側の反論(要旨)を3本紹介します。

Ⅱ‐1
1本目は上記と同じ 小林久公氏の反論

「(秦)戦中のソウルの新聞に「慰安婦至急大募集。月収300円以上、本人来談」のような業者の募集広告が、いくつも発見されている事実を指摘したい。日本兵の月給が10円前後の当時、この高給なら応募者は少なくなかったろうから強制連行する必要はなかった。」

私は、この新聞広告は、「慰安婦」の斡旋を軍から請負った業者が、他の業者に対して、300円最大3,000円の前借金を支払うので、女性を斡旋してくれと広告を出したものと考えています。

その理由は、当時の朝鮮社会で新聞広告、それも日本語の新聞広告をだしても、庶民は、その広告を目にすることも読むことも不可能に近かったからです。

ちなみに、『朝鮮人強制連行』(岩波新書)によると、その時代の農村では、役場や学校以外では新聞をとっている家庭はゼロかほとんどない」と考えられており、また、当時の識字率は低く、解放直後のハングル理解率でさえ22%であったことを述べています。

この新聞広告が出されているのは、1944年夏から秋にかけてですが、この時期は、若い娘が一人身で居れば日本に引っ張られるとの危機意識が社会に蔓延しており、多くの母親が娘の結婚を急がせている時期です。いわば、「慰安婦」女性を捕まえようにも、甘言を弄して集めようにも、人がいない状況であったと思われます。そのような状況のもとで、業種同士の情報交換として、このような新聞広告が出され、そこに書かれている金額は、人身売買の金額であったと考えられます。

ちなみに、当時の兵の月給は、二等兵6円、上等兵10円、少尉70円、少佐220円、大将550円といわれています。

Ⅱ‐2
この点についての2本目の反論は増田都子さん(東京都学校ユニオン委員長)からのもの。

産経新聞の「(秦)戦中のソウルの新聞に『慰安婦至急大募集。月収300円以上、本人来談』のような業者の募集広告」というのは、「アホウヨ」さんといわれる人たち(笑)のサイトで、よく見かけます。「慰安婦募集広告」で検索したら、直ぐヒットしたのが以下です。せっかく(笑)ですから、ぜひ、クリックしてみてあげてください。
http://makizushi33.ninja-web.net/

これは、右側(「急募」ってヤツ)が、朝鮮総督府のハングル語機関紙である『毎日新報』に載せられたもので、左側が朝鮮総督府の日本語機関紙である『京城新報』に載せられたものです。

ウィキによれば、『京城日報』は「日本人を含め親日派とされていた人物達は、主に京城日報を購読していたという分析もある。」というシロモノです。ハングルの方の『毎日新報』だって同じでしょう。 朝鮮総督府の機関紙に載った「軍慰安婦募集広告」!!!

これから分かることは、

① 朝鮮総督府=日本政府の支持・許可(もちろん、文書はありませんけど)の下に、「(日本)軍慰安婦募集」の広告が出されている。

② 小林さんが書かれていますように、当時の植民地朝鮮ではハングルでさえ読めない貧しい人が多かったのであり、ハングルにしろ、日本語にしろ、朝鮮総督府の機関紙を購読して、それが読める、という階層は「慰安婦」被害女性たちとは無縁の階層であり、まして「17歳以上30歳迄」「17歳以上23歳迄」の若い朝鮮人女性たちが、これを読んで「募集」に応じる、なんてことは、当時の植民地朝鮮では、まず有り得ないっ!?

③ 朝鮮総督府の機関紙に載せられた広告を見て、「おっ、これは、儲け仕事になる」とか思って、「17歳以上23歳迄」「17歳以上30歳迄」の若い女性たちを集めた「業者」は、たとえば村長(面長)ぐらい以上の新聞を購読できる階層であり、『毎日新報』の広告は韓国人業者で、『京城新報』の広告の方は「今井紹介所」とあって、こちらは明らかに日本人業者であり、日本軍の指示下での韓国人業者、日本人業者とも若い朝鮮人女性を「高額なカネ」で釣って「軍慰安婦=性奴隷」としようとしていたことが明らかである。

④ 当時でも、日本政府は「醜業婦女売買禁止国際条約」(1910)や「婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約」(1921)に加盟しており、 これらの条約では、婦女子に対する暴力、脅迫、詐欺による売春の強制や未成年に対する勧誘は「本人の承諾を得たるときと雖」「罰せられるべし」としているので・・・当時、成年は21歳・・・朝鮮総督府は、本来、こんな「広告」は拒否し、国際条約違反の犯罪・人権侵害として、これらの業者を取り締まる立場にあったのに、こういう犯罪「広告」を載せてあげているので、朝鮮総督府=日本政府は「慰安婦=性奴隷」犯罪の共犯である。

まとめると、「現代史家」秦郁彦氏が持ち出された「慰安婦 至急大募集」という「広告」は、「日本軍慰安婦=日本軍性奴隷」犯罪の紛れもなき「物証」です。つまり、「橋下発言の核心は誤っていない」どころか、「橋下発言の核心」は、完全に「誤ってい」るんです。

Ⅱ‐3
さらにこの点については下記のような観点からの反論もあります。田島直樹氏の反論です。

◆産経新聞
現代史家・秦郁彦 橋下発言の核心は誤っていない
◆日経新聞
平沼氏「発言、物議醸す」 橋下氏に苦言

じつは、この2つには共通したメッセージがあります。

(秦)戦中のソウルの新聞に「慰安婦至急大募集。月収300円以上、本人来談」のような業者の募集広告が、いくつも発見されている事実を指摘したい。日本兵の月給が10円前後の当時、この高給なら応募者は少なくなかったろうから強制連行する必要はなかった。

(平沼)「従軍慰安婦といわれている人達は私は『戦地売春婦』だと思っている。将校が逆立ちしても及ばない高給だ」とも述べた。

つまり、この2人の老人は、『慰安婦は高級売春婦』だったといってるのです。本当でしょうか?

(略)実はカラクリがあるのです。

従軍慰安婦には現地の「軍票」で報酬が支払われました。それも中間搾取されて。それに対して日本兵の俸給は誠に貧給ながら、「円」で内地に残る家族に支払われました。

「軍票の円」と「内地の円」「朝鮮の円」は、等価ではありません。1943年44年のビルまでは、「軍票の円」は「内地の円」に比べて数千分の一の価値しかなく、1945年8月戦争が終って、実家に送金しようとしたときには、18万分の1に下落していました。(日銀調査)

詳細はこちらをご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p8

秦、平沼ともにこうしたカラクリを、十分承知の上で語っているのです。

「高級売春婦だった」という悪宣伝は、かつてWEB上に散々あったのですが、著名人の口から語られる、という新段階に立ち至ったようです。

※従軍慰安婦の「仕事」には曜日によって「将校」相手か、「兵士」相手かの割り振りがあって、週の半分以上は「将校」相手をさせられたようです。部隊隊長の中には慰安婦を「現地妻」のように独占して、部下将兵から、顰蹙をかった者もいました。(米軍調書)

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