「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」共同代表の佐藤三郎さんや石塚健さんらが呼びかけ人となってこの4月14日に神戸市で「~総選挙敗北を見すえ 立ち直りの途を探る~ とめよう壊憲 ! 護憲結集! 討論集会」と名づけられた集会の開催が計画されていることは何度か私も弊ブログなどでご紹介してきましたが、同集会参加の呼びかけを市民とともに護憲共同のもう一方の当事者である革新政党4党(日本共産党・社会民主党・新社会党・緑の党日本)にもしたところ、社民党及び新社会党、緑の党の3党からは「出席予定」の回答があり(社民党:服部良一さん(前衆議院議員)、新社会党:松枝佳宏さん(委員長)、緑の党日本:長谷川羽衣子さん(共同代表))、共産党からは「不参加」の回答があったということです。
 
以下、上記集会への共産党の「不参加」回答に対する一個の私としての私見=批判を述べてみたいと思っているのですが、共産党はあくまでも私たち革新市民(「革新市民」の定義は広原盛明さんの「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ(6)」の第3段落をご参照ください)が護憲結集を実現していくためには必要不可欠と考える政党としてのパートナーです。したがって、私が以下述べようとする同党批判は、同党に期待するがゆえの批判、すなわち提言的批判ということであって、同党を貶める意図を持つ批判ではありえません。しかし、批判である以上、遠慮会釈なく書くつもりですから、そこには辛辣かつ辛口の批判も当然含まれるでしょう。しかし、それでも同党を貶めようとする意図はまったくないということです。「どこにただすべき問題点があるか、前進のために何が必要かについて、党内外の」(「参議院選挙の結果について」2010年7月12日 日本共産党中央委員会常任幹部会。注4)「外」からの「掘り下げた自己検討をおこなう」(同左)に資するための批判のつもりです。誤解をあらかじめ避けるためにそのことをはじめに特に注しておきます。
 
さて、共産党が上記集会への「不参加」の理由を述べている回答の全文は以下です(しんぶん赤旗 2013年3月31日付掲載)。はじめに私がいまから述べようとする論の前提として掲げておきます。
 
■「4・14神戸討論集会」 建設的な意見交換とは無縁 共産党 実行委に不参加の回答(しんぶん赤旗 2013年3月31日)
 
日本共産党中央委員会は29日、4月14日に神戸市内で予定されている「とめよう壊憲! 護憲結集! 討論集会」の実行委員会代表にあてて同「集会」への参加要請に応じられないとする全文次のような回答を送りました。
 
「4/14 とめよう壊憲! 護憲結集! 討論集会」への参加案内を頂きました。「4月14日・神戸市勤労会館で開催される集会」での「忌憚(きたん)のない意見交換」に参加をとのことですが、以下の理由で、日本共産党は、この「集会」には参加しません。
 
案内文書によれば、この集会では、広原盛明氏(都市計画・まちづくり研究者)が「講師」として60分の「提言」をおこない、参加を要請されている四つの政党(日本共産党・社民党・新社会党・緑の党日本)がそれぞれ15分発言した後、「フロアー討論」「集会まとめ」をそれぞれ60分、10分でおこなうというのが、「集会」の内容です。
 
案内文書は「集会」で特別の時間を与えられて話す広原講師について、「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」などの標題もあげて氏の「精力的な発言」に言及し、「私たちは、広原提言に多くの示唆を受け・・・」などとのべたうえで、「講師紹介」では、広原氏のブログから次のような一節を紹介しています。
 
――(「革新政党」が総選挙で)歴史的な惨敗、大敗を喫した・・・にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ない・・・/選挙総括にはいわば政党の未来がかかっているのであり、キチンとした総括ができない政党には「未来がない」と言っても過言ではない・・・。
 
そのブログでは、広原氏はさらに次のようにも言っています。
 
――"護憲戦略〟を再構築する・・・ためのまず第一歩として・・・公開討論会形式にして革新政党の選挙総括や参院選挙方針の問題点を有権者の間で広く議論する、「外部第三者委員会」といった形で党外に選挙総括を依頼し、党独自の総括と対置させながら公開討論で問題点を探り出す・・・。
 
政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません。今度の「集会」はこの「広原提言」を受けて、広原氏を「講師」に、政党代表と「忌憚のない意見交換」をおこなおうというものになっています。このような「集会」が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です。
 
いま、護憲を掲げる市民や政党にとって必要なことは、思想・信条・党派の違いを超えて、憲法改悪反対の国民多数派の結集、改憲派を圧倒する世論形成に全力を尽くすことです。日本共産党は、そうした確固とした方針のもとに奮闘していることを申し添えます。
 
上記の要請文の差出人の佐藤三郎さんはこの共産党の回答を受け取った感想を次のように述べています。
 
「4/14神戸集会への不参加回答を紹介した3/31付けの赤旗記事(略)を読み直し、おどろき、戸惑い、そして悲しくなりました。/『60分の広原講演、60分の4党発言、それらを受けて60分のフロアー討論』が、どうして『政党の自主的活動への不当な介入、干渉』になるのか、どうして『憲法改悪阻止の…ための建設的な意見交換の場になりえない』と断定されるのか、理解できませんでした。」(集会賛同人宛ての経過報告(2013年3月31日付)より)

 私も佐藤さんとまったく同様の感想を持ちますが、その感想に一点追記すれば(そして、それが、私の今回の共産党批判の主論点になるのですが)、私は、共産党中央委員会が上記の公開討論集会の内容が「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」になるという謬見を持つに到ったその根幹には広原さんの下記のような同党6中総批判の論に同党指導部層が強い反感を持ったということがおそらく要因として大きな部分を占めているだろう、と推察します。

広原さんは「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ(10)」で共産党6中総決定の冒頭の部分を紹介した上で次のような同党6中総批判をしていました。
 
まず同党6中総決定の冒頭の部分の広原さんによる紹介。
 
「第2次安倍晋三内閣が弱肉強食の新自由主義の全面的な復活をめざし、憲法9条改定を現実の政治日程にのせようとし、さらに過去の侵略戦争を美化する「靖国」派をその中枢にすえていることは、日本の前途にとってきわめて危険なものであることはいうまでもありません。くわえて、日本維新の会という憲法改定と新自由主義の突撃部隊ともいうべき反動的潮流が衆院で第3党の地位を占めたことも重大であります。こうしていま、日本政治はその表層だけを見れば反動的逆流が猛威を振るっているようにも見えます」(しんぶん赤旗 2013年2月9日)

 次に広原さんの上記の6中総決定批判。
 
「この一節を読んだ時、正直言って私は自分の眼を疑った。小見出しが「政治の表層では逆流が激しいが、深部で古い政治の矛盾が蓄積」とあるように、当面する政治危機を単なる“表層の反動的逆流”だと見なして「慌てることはない」と諭しているのである。つまり言っていることは、総選挙で大敗したことには落胆せず、「全体を綱領の立場でつかみ、反動的潮流を恐れず正面から立ち向かうとともに、日本社会の深部で蓄積されている変革へのエネルギーに信頼を置き、未来への大局的な確信をもってたたかうことがいま何よりも大切だ」ということなのだろう。/確かにこの主張は、当面する情勢に眼をつぶっていれば正しいと言えるのかもしれない。(略)だが、夏の参院選を目前にした現時点において“大局的確信”を強調することは、当面する政治情勢の分析を放棄したのも同然であり、選挙方針としても何も言っていないのに等しい(強調は引用者)。要するに、「負けても負けても挫けずに頑張れ」と言っているだけのことである。」(リベラル21 2013.03.09)

 こうした広原さんの6中総決定批判が同党指導部層には「政党が正規の機関で決定した総括や方針」への「不当な介入」、「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」のように見えたのではないでしょうか。

しかし、仮にそういうことであるならば、政党外にいる一般市民は「政党が正規の機関で決定した総括や方針」についてなにもものを言うことはできないということにならざるをえません。しかし、どのような機関の総括や方針であれ、市民は自由に批評することはできますし、批判する権利もあります。これを「言論の自由」というのですが、そうした「言論の自由」の行使を「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」のように仮に考えているのであれば(その「考え」は一般にいう論理的なそれではなく、おそらく識閾中の「論理」ならぬ「論理」。「論理」と「感情」のあわいのようなところから発せられる「組織防衛」的心情に基づく内向きの視点からの「感情論理」のようなものだと思いますが)、そういう見方、考え方は正しくないというほかありません。

また、共産党は、2010年7月12日付けで発表した「参議院選挙の結果について」という日本共産党中央委員会常任幹部会声明で上記でも引用しましたが「どこにただすべき問題点があるか前進のために何が必要かについて、党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け掘り下げた自己検討をおこなう決意です」と述べたこともあります。広原盛明氏という党の外にいるひとりの市民・研究者の意見の表明――「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」と題された一連の論攷――を「政党の自主的活動への不当な介入、干渉」のように言い為すのはその「方針」とも明らかに矛盾するでしょう。

共産党は上記の「『4・14神戸討論集会』 建設的な意見交換とは無縁 共産党 実行委に不参加の回答」で「政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません」とその「不参加」の理由を述べていますが、公開討論はいうまでもなく公開の場で自由に議論を戦わせる場でしかなく、それ以上でも以下でもありません。たとえ仮にその場でなんらかの合意なり、結論なりが出たとしても、その合意なり結論なりを「決定」するのはその公開討論の場に参加したそれぞれの各団体、各機関の専決事項であり、公開討論の場での合意なり結論なりに各団体、各機関の「総括」や「方針」を「変えさせ」るなんらの強制力もないことは説明の必要もないほど自明なことでしょう。その公開討論の場でしかありえないものに対して共産党は「政党が正規の機関で決定した総括や方針を、公開討論で変えさせようなどというのは、政党の自主的活動への不当な介入、干渉に他なりません」などと曲解以外のなにものでもない非難の矢を向けています。しかし当然、その「非難の矢」は当たるはずもありません。

さらに同党はその当たらない曲解の矢を継いで「このような『集会』が憲法改悪阻止の国民的共同を広げるための建設的な意見交換の場になりえないことは明白です」とも言います。しかし、この矢も曲解に基づく非難の矢でしかありませんから、前矢と同じように当たるはずもありません。

さて、最初の広原さんの問題提起に戻りたいと思います。広原さんは「革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ」の第1回目の論攷で次のように言っていました。

「昨年の総選挙以来、(略)革新勢力の収縮と後退が露わになるなかで、戦後民主主義を担ってきたリベラリストたちがいまなお不屈の闘志と強靭さを発揮していることは心強い。私自身もほぼ同世代に属する一員なので、これに負けず劣らず論陣を張りたいところだが、今度ばかりは少し落ち込んでしまってなかなか筆が進まない。/なぜかくも気が重いのか。理由は2つある。ひとつは革新政党(社民党、共産党)の得票数の落ち込みが並み大抵のものではなく(私自身はもう少し頑張れるものと期待していた)、歴史的な惨敗・大敗を喫したという厳しい選挙結果に圧倒されたからだ。もうひとつは、にもかかわらず選挙総括が現実を直視したものになっておらず、その体質に絶望に近い気持ちを抱かざるを得ないからだ。」

上記で広原さんの言う「落ち込」み、「絶望に近い気持ち」は革新政党(社民党、共産党など)に期待するがゆえの「落ち込」みであり、「絶望に近い気持ち」であって、「革新勢力の収縮と後退」を憂うるあまりの悲嘆であることは明らかです。その憂いから発している広原さんの問題提起を私たちは政党であれ、個人であれ、憂いを憂いとして純粋に受け止めたいものです。その純粋さを受け止めるある意味での度量の深さと拡がりにこそ今後の革新の展望を切り開く「力」が隠されているのではないか。私はそう思います。共産党には上記の公開討論集会の参加について再考していただきたいものです。

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