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「『福祉のパラドックス』を打破するために」の第3弾(注)としてブログ「すくらむ」紙の「生活保護改悪は福祉のパラドックスで『本当に困っている人』さえ救えずブラック企業を増大させる」(2013-02-22)という記事の中で紹介されている唐鎌直義氏(立命館大学教授)の「福祉のパラドックス」に関する講演(要旨)記録を転載させていただこうと思います。唐鎌氏のチャールズ・チャップリンの幼年時代の新救貧法(英国)と現在の「生活保護バッシング」(日本)の類似性の指摘についてはとりわけ感銘を受けました。

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貧しくとも逞しく- 『キッド』のワン
シーン。
ジャッキー・クーガンと。
(『チャールズ・チャップリン』より)


「福祉のパラドックス」とは、唐鎌氏によれば、「本当に困っている人」だけを救済しようとする福祉は、「本当に困っている人」さえも救済できなくなるという意味のようです。私の問題意識とも重なりますのでこのネーミングを私の今回の随時連載記事の標題としても活用させていただくことにしました。


なお、記事中の注(リンク)は読者の参考用として引用者が任意につけました。

注:(1)「福祉のパラドックス」を打破するために(1) ――日本共産党の安倍
   内閣の「インフレターゲット(物価上昇目標)」論への対抗政策としての「賃
  上げターゲット」論(賃上げ・雇用アピール)の提起
(弊ブログ 2013.02.16)

    (2)「福祉のパラドックス」を打破するために(2) ――ある農学生命科学研
   究者の「『ロスジェネ』の味方となる政党待望論」もしくは「『非正規雇用全
   面的禁止』規制論」
(弊ブログ 2013.02.16)

生活保護改悪は福祉のパラドックスで『本当に困っている人』
さえ救えずブラック企業を増大させる

唐鎌直義 すくらむ 2013-02-22)

 いまの日本における生活保護バッシングは、1830年代のイギリスの産業革命期の社会保障にまで後退させかねない危険性を持つものです。

 1834年にイギリスで成立した新救貧法の特徴は次の4つです。

 1つは、労働可能な人間に対する救済はすべて拒否。結果、どんなに悪い労働条件でも労働者は受け入れるほかないという惨状が広がりました。今で言えばブラック企業天国のような労働市場になってしまったのです。

 2つは、被救済者の地位は、働いている人間の中の最下層の生活水準以下にする「劣等処遇原則」を貫くこと。

 3つは、「本当に困っている人」のみを救済するため、劣悪な環境の救貧院に入ること=ワークハウス・テストを実施すること。

 4つは、全国で統一基準の救貧法運営が行われるよう救貧教区の合併、中央集権化をはかること。

 この新救貧法によって、貧困は犯罪と同列とみなされ(強調は引用者。以下同じ)バスティーユ監獄にもたとえられた貧民収容所の惨状をもたらすことになりました。

 チャールズ・チャップリンは、ロンドンの母子家庭で育ち6歳のときに救貧院に収容されています。2人の息子に食べ物を与えるために、自分は食べずに我慢し続けた母親は精神を病み、それでも新救貧法の適用を受けることを拒み続けましたが、家賃の滞納が続いたため大家が警察に通報し、母子別々に収容され、母親は救貧院で亡くなります。

 チャップリンの母親は、なぜ2人の息子に食べ物を与えるために、自分は食べずに我慢し続け精神を病んでまで、新救貧法の適用を受けることを拒み続けたのでしょうか?

 それは、「本当に困っている人」だけを選別して救済しようとする新救貧法で、誰しもが「国家公認の貧民」になって辱めをうけることだけは避けたいと思ったからです。

 「本当に困っている人」だけに新救貧法が限定されたとき、人間としての尊厳を大切にする人ほど、どんなに困窮しても新救貧法を受けたくない、「国家公認の貧民」というレッテルを貼られたくないと強く思うことになってしまうのです。

 こうして新救貧法は、絶望的な困窮に陥っている人でさえ二の足を踏む、できる限り回避すべきものとならざるをえません。これを「福祉のパラドックス」と呼びます。「本当に困っている人」だけを救済しようとする福祉は、「本当に困っている人」さえも救済できなくなるということです。

 それでは、なぜいま生活保護バッシングが日本社会で吹き荒れているのでしょうか? それは健康で一定頑張って働くことができる人たちが生活保護の受給を自分とは永遠に関係のない他人事と考えているからではないでしょうか。しかし、自分が本当に困ったときのことを考えてみる必要があります。困窮し、生活保護の受け手になるほかないような自分を真剣に想像してみてください。

 そもそも、日本には生活保護を受給することに対する根強いスティグマがあります。ヨーロッパでは、このスティグマをなくすために、福祉を「選別主義」から「普遍主義」へと転換してきました。「普遍主義」の福祉というのは誰もが当たり前のように受けられる公的サービスです。たとえば日本ならば「義務教育」を受けることは当たり前の「普遍主義」になっていますから誰もスティグマを感じたりしないわけです。逆に貧困を救済できなかったイギリスの新救貧法はまさに「選別主義」だったわけです。

 フランスにはRMIという「参入最低限所得制度」があります。「参入」というのは、労働市場への「参入」を意味していて、劣悪な労働条件の仕事には就かないことを選択可能にする国が最低生活を保障する福祉制度です。とりわけ、若者の労働市場への「参入」を支える所得保障制度は、雇用の劣化をストップさせる効果を持つと同時に、「失業者」も、所得保障による「保護受給者」も、いま働いている労働者の雇用劣化をストップさせるという一つの社会的地位として受け容れる社会をつくっているわけです。

 いまの日本は、非正規雇用とワーキングプアの増大、そして正規雇用でもブラック企業の横行などによって「働いたら普通に暮らせる社会」になっていません。こうした雇用の劣化を放置したままで、生活保護バッシングをして、「働けるのならば、働け」と、国民に「自立」を求めるこの国の社会保障制度では、孤独死・餓死・自殺などの悲惨な多くの事件を未然に防ぐことはできないのです。
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