前エントリで私は、会田誠展「犬」シリーズ評価をめぐって会田氏のパートナーでフェミニスト・アートの作家の岡田裕子さんのツイッター上での意見()を紹介しておきましたが、その岡田さんの論についてこの5日にあった「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」の主催者の前田朗氏(東京造形大学教授)が主に読解力不足が原因の無理解きわまる反論をしています。

その前田氏の反論の内容はこちらで確認していただくことにして、ここではその前田氏の反論への私の再反論を掲載しておきたいと思います。もちろん、前田氏の無理解の論を放置しておくことの負の影響の決して少なくないことを考えてのことです(前田氏と私との「論争」はフェミニズム問題以外の主題を含めて長年にわたっているので個人的評価への反論も含みますがその点はご容赦ください)。

なお、上記の「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」の報告には主催者側、参加者側の両者から次のようなものがあります。

(1)参加者側:「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」昼間たかし氏と渋井哲也氏の実況を中心としたツイート
(2)同上:「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」実況以外の反応
(3)主催者側(前田朗氏):「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」報告

追記(2月8日):なおまた、この問題については、森美術館と会田誠氏本人が2月6日付けで「会田誠展について」という公式メッセージを出しましたので追記しておきます(会田氏はご自身のメッセージを「あと少し書き足し」たそうです。近日中にアップされる予定のようです)。

さて、前田朗さんの岡田裕子氏批判に対する私の反論は次のようなものです。

(1)を見ると前田さんのご報告(3)にある「パネラーに対する誹謗中傷をしたり、反対意見の女性に駆け寄ってつかみかかったり」した人はどうやら昼間たかしというフリーライター氏のようですね。しかし、このハプニングを逆の見方をしている人がいます。

「さすがに主催者の意見に批判的な人に罵声をあげて掴みかかるとか、主催者が人を議論の対象じゃないと決めつけて退出を命令するとか、討論会と名乗る集会としてはどうなのかなぁという展開になっている『森美術館問題を考える討論集会』」

(1)を見ると「昼間たかし‏@quadrumviro:参加者から「座れ」とヤジが来たので「なにいってんだ!」と言い返すために近寄ったら、精神科の先生に取り押さえられ、前田氏に「出って行って下さい!」といわれ
とあるので(私はこの昼間氏のツイッター発言を必ずしも真だと思っているわけではありませんが)、この逆の見方をしている人は昼間氏が「精神科の先生に取り押さえられ」たところを見て上記のような視野狭窄の感想を述べているのかもしれません。いずれにしても公正な「実況」とはいえませんね(主観が勝ちすぎている)。

次に前田さんの論点に対する感想をいくつか。

> セクシュアリティがからむと頓珍漢な意見を述べて顰蹙を買ってきた東本さんらしい文章です。

「頓珍漢な意見」とか「顰蹙を買ってきた」などというのは前田さん個人のご意見、すなわち主観でしかありませんね。実際に私は前田さん以外からこの問題について「顰蹙を買っ」た覚えはありません。こうしたあなたの主観にすぎないことをさも「客観」のように言うところこそまさに「前田さんらしい文章」というべきところでしょう。

> 第1に、私たちは森美術館を批判しているのであって、NY事情など関係ありません。NYで問題があると思う人はそこで発言すればいいだけのことです。

私が会田誠氏のお連れ合いの岡田裕子さんの意見を紹介しているのはジェンダー関係のメーリングリスト上でのことです。
同メーリングリスト上ではさまざまな会田誠氏批判がありましたので(「森美術館批判」というよりも)、その批判に対するひとつのアンチテーゼとして「こういう意見もありますよ」という程度に岡田裕子さんの意見を紹介しているわけです。「森美術館批判」オンリーのアンチテーゼとして岡田さんの意見を紹介しているわけではありません。また、岡田さんの意見は、フェミニストアートの世界的基準をひとつの例証として日本のフェミニズム運動の限界性を指摘しているもので、岡田さんの意見を単なる「NY事情」の紹介などと矮小化するのは岡田さんの指摘の正しい読み方とはいえないでしょう。

> 第3に、女がやっても批判がなくて、男がやると批判があるのはおかしいという、根本的な無理解を露呈した文章を好意的に取り上げています。(略)セクシュアル・ハラスメントや性差別は、男が女に対して行うから問題なのではありません。権力関係を利用して行うことが基本です。

ここでも前田さんは岡田さんの指摘を矮小化しています。セクシュアル・ハラスメントや性差別の問題は根本的には「権力関係」の問題である、ということはフェミニストにとって常識の部類に属する「知」の問題といってよいでしょう(たとえば村上英吾著「研究者養成課程における権力性と性差別」参照)。グローバリズムフェミニズム展に呼ばれる作家でフェミニストの岡田さんがそうした「常識的知」すら知らないと考える方がむしろ非常識的です。

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グローバリズムフェミニズム展の会場となった
ブルックリン美術館・ミュージアム(NY市)


岡田さんがつぶやいた今回のツイッターでの論はツイッター上の論という制約から「権力関係」の問題まで論を拡張していないだけだ、というように理解するのがふつうの理解というものでしょう(ただし、岡田さんはこの点についてはなにも言及していませんので左記はあくまでも私の推測です)。また、セクシュアル・ハラスメントや性差別の問題は権力関係の問題であるという認識からは「男」や「女」という性的附従性は本質的な問題ではありえませんから「権力関係」の問題として「女がやっても批判がなくて、男がやると批判があるのはおかしい」という批判にも当然なっていくでしょう。それを「根本的な無理解」などという前田さんの論理の方が逆に「おかしい」のです。

> 第4に、そもそもフェミニズムを持ち出していることがお笑いです。(略)一部の人々は会田作品擁護のつもりで、フェミニズム叩きをして、論点すり替えに励んでいます。

私は「フェミニズム叩き」にはもちろん賛成しませんが、宮本節子さん(ソーシャルワーカー)の「会田誠展」批判がジェンダー関係メーリングリストを通じて短期間の間に急速に拡まり、今回のような抗議活動が展開される最大の契機になったのは事実です。私はそのジェンダー関係メーリングリストの参加者のひとりですからそのことは事実をもって立証できます。そして、そのジェンダー関係者の「会田誠展」批判がPAPS(ポルノ被害と性暴力を考える会)の抗議を含めて往々にして的外れな論であることが多い、というのは私がここ数回の弊記事で「引用」という形で間接的に立証していることでもあります。前田さんはその事実を見ておられないようです。

> 第5に、「単純な否定では無く、議論すべき作品である」などというのも、卑劣なごまかしです。森美術館に抗議した「考える会」や宮本節子さんたちは、「単純な否定」などしていません。きちんと議論しましょうと言って、自分たちの論拠を明快に提示しています。それを無視して、「単純な否定」などと虚偽のレッテルを張って非難するのは悪質なデマゴギーにすぎません。

宮本節子さんたちが「単純な否定」などせずに「きちんと議論しましょう」と言っていることは私も承知しています。しかし、私から見ればPAPSの主張には「単純な否定」の主張もあることは否めないことのように思います。たとえばPAPSの下記の主張などは「単純な否定」以前の問題、すなわち誤りというべきものです。

「カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象になっています」

こちら
のサイトが「フランスで、犬シリーズが収録された書籍が発行されて」いる事実をあげて、上記のPAPSの主張の誤りを端的に指摘しています。

岡田裕子さんの「それが単なるポルノか否か、単純な否定では無く論議すべき作品であるべきでしょう」という主張は「悪質なデマゴギー」ではありません。「虚偽のレッテルを張って非難」云々の批判も当然当たりません。逆に両方の非難のどちらとも実のところはあなたに帰すべき問題といった方が適切です。
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