前エントリ記事「『犬』シリーズの評価をめぐって」の追記にはこの問題を考えるにあたっての重要な指摘がいくつもあります。そういうしだいで追記の位置では読みすごされやすいので注意を喚起するためにもあらたなエントリを起こすことにしました(追記は項目別に並べ直しました)。

【「『犬』シリーズの評価をめぐって」の主題と要点】

追記1:前エントリ記事での私の意見の主意は、「権威」(この場合は最高裁)から「お前の『作品』は法律違反だ」と断罪された永井荷風はまたあの治安維持法体制下の中でも「時局におもねることのない『断腸亭日乗』を遺した稀有の作家でもあった、というところにあります(一個の例)。会田誠氏の作品の「犬」シリーズが「わいせつ」か否かを主題にしているわけではありません。主題はあくまでも「権威」です。

・「公共空間」(森美術館)という「権威」を問題にする人が逆に暗黙の前提として「時代の道徳観」(世論)という「権威」に依拠してモノを言っていないか(本人はそのことに気づかず「正義」と思いこんでいる)。

・そうした「権威」によって会田誠氏の犬シリーズをただちに「作画によるあからさまな児童ポルノであり、少女に対する性的虐待、商業的性搾取」 に結びつけることは正しいことか?

・「エロ・グロの境界」を描いたからといって作者の思想もそのままエロ・グロということにはならないだろう。

・「エロ・グロの境界」を描くことによって逆にエロ・グロの問題性がかえって浮かび上がってくるということもあるだろう(作者の意図のありなしにかかわらず)。

要は「犬」批判は短絡的ではないか、という問いが主題でもあります。

【報道】

追記2:主に映画情報を掲載しているシネマトゥデイ紙(2013年1月29日)によると、会田誠氏の問題の作品群を含む展覧会を開催している森美術館は、ポルノ被害と性暴力を考える会などの「児童ポルノ・障害者差別を容認している」という抗議を受けて現在その対応を協議しているとのことです。そのなりゆきを注視したいと思います。「会田誠の展覧会に抗議文!児童ポルノ・障害者差別を容認しているとの指摘」(シネマトゥデイ 2013年1月29日)

追記3:J-CASTニュースも1月29日付けで「会田誠展 天才でごめんなさい」への抗議問題を報じています。また、その記事の中で当事者の会田誠氏のツイートも紹介されています。「『首輪の全裸少女』作品に市民団体が抗議 会田誠展は本当に『性差別』なのか」(J-CASTニュース 2013年1月29日)

【会田誠氏の発言】

追記4:会田誠氏のツイートを見てみましたが、なかなか面白い。当然、ここ数日間の「抗議問題」についても触れられています。「(フェミニズムに)片足突っ込んで」いるフェミニストのお連れ合いの岡田裕子さんもご意見を開陳されています()。会田氏によれば、会田さんのお母さんも「頑迷なる初期フェミニスト」だったとか・・・

追記5:会田誠氏自身の「犬」シリーズについての見解。「学生時代に着想した『犬』シリーズは、我を殺してひたすら丁寧に描く、という職人的画家のシミュレーションです。タッチはあくまでも高貴さを目指しつつ、しかしモチーフには変態性欲を選びました。そのギャップの味わいを試してみたわけです。近代日本画、あるいは古美術的なものに異質な何かをぶつけて揺さぶってみたい、これが美術家デビュー以前の最初期にあったモチベーションでした。なので、ああいった切断・嗜虐志向は僕自身の趣味というわけではないのです。ロリコン気質はちょっとありますが。このシリーズにはまだ描いていなかった図案があったので、この機会に取り組んでみたという次第です。」(会田誠インタビュー ART iT (アートイット)  2008年10月号)

【会田作品及び「犬」シリーズの評価】

追記6:会田氏の画風と思想の関係(本文中の「美を考えないで美を生む『会田 誠』」 影山幸一も参照)についての理解には会田氏を評価するサイドの人の記事ですが次の記事も参考になります。「『会田誠 トリックスター』『会田誠 昭和40年生まれ』『会田誠 境界線』『会田誠 津田大介 対談』」(イソザキコム Archive for 11月, 2011

では会田誠は?
アートと何の境界なのだろう。
エロ?テロ?オタク?
そんな疑問には意味はない。
なぜならアートに境界がそもそもないのだから。
        (「会田誠 津田大介 対談より)

追記7:以下の論も有用な論だと思います。ただし、「『PAPS』なる団体から、性暴力展示に対する抗議文が送付されたことで、様相が変わった(参照)。会田作品では1990年頃から既に暴力に晒される少女が登場していたし今更感が拭えない」という部分は私もそう思いますが、「(『PAPS』は)団体の名前を売りたいために有名な芸術家をターゲットにしたのでは、という疑いも感じる」という部分は筆者の思い込みにすぎない誤解でしょう(弊ブログ筆者は『PAPS』に近い人たちに(メーリングリスト上での)知り合いが多いのでほぼそう断言できます)。また、同記事中の下段にある「意見」欄もいちいち例示はしませんが参考になる意見も少なくなく見受けられるように思います。「『会田誠展:天才でごめんなさい』を観て考えたこと」(Blogos 2013年02月01日)

追記8:平野啓一郎‏さん(芥川賞作家)の「犬」シリーズ評価。会田誠さんの『犬』シリーズは、彼の勝手な妄想ではない。古くは高祖の妻呂后が、高祖の死後、寵愛を受けていた戚夫人の「両手足を斬りおとした。その美しい目をとり去った。耳をつんぼにさせ、薬で口をきけなくした。それを厠に置いて『人ブタ』と名をつけた。」(『司馬遷』武田泰淳)とある。」(続く)「僕はむしろ、このサイトに書かれているような都市伝説に基づく作品だと理解していた。そうしたデマに顕在化した欲望が主題となっている。そんなことはみんな分かりきって見ていると思ってたけど、意外とそうじゃなかったというのを今回知った。」(承前

【「犬」シリーズは「児童ポルノ」取締法に抵触するか(諸外国の事例)】

追記9:「犬」シリーズは主要先進国においては違法な児童ポルノとして処罰の対象となるか、についての一考察(すちゃもく雑記 2013-01-28)。その中に「フランスでは犬シリーズが収録された書籍が発行されている」という指摘もあります。「カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象になっています」とするポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)の主張への実証的反証の提示といえるでしょう。

【パロディとしての「会田誠展」抗議文】

追記10:パロディとしての「会田誠展」抗議文も出ました。批判しようと思えば背広というサラリーマンの象徴としてのイコンを用いて批判することもできる。すなわち、ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)の抗議は的外れそのもの、というアイロニー。題して「もし森美術館への抗議文をサラリーマンも書いてみたら」。

森美術館館長
南條史生殿

謹啓

私たちは貴館において現在開催されている「会田誠展 天才でごめんなさい」に関して、以下の抗議文を提出するとともに、今回の展覧会に関して下記の要求を申し入れします。

森美術館への抗議文 貴美術館が現在公開している会田誠展において展示されている「灰色の山」シリーズなどの一連の作品に対して、またそれらを公開している森美術館に対して、私たちは以下の強い抗議の意志を表明します。

この「灰色」シリーズで描かれているサラリーマンたちはスーツ姿で遺棄され(しかも六本木ヒルズ商業棟で売られているような高級ブランド品ではなくロードサイド量販店で1着1万円均一で売られているような仕様)、かつて社員旅行で訪れた温泉宿ではじけていたバラ色の人生La Vie En Roseではなくドブネズミのように描かれており、作品名もず
ばり「灰色の山」となっています。さらに、これらの作品の中でサラリーマンは表情が伺えず、このような逆境でさえ社命とあらば受け入れあるいは冷え切った家庭より居心地が良いと思っている、せめてカラオケではブルーハーツで「ドブネズミみたいに美しくなりたい」とがなりたてるサラリーマンの心意気は全く無視されています。

これらはまず第一に、作画によるあからさまなサラリーマン差別であり、サラリーマンに対する職業的虐待、商業的性搾取です。日本においては現在、服装による差別は違法とされていませんが、英国の映画「さらば青春の光」においてはモッズ姿の少年が描かれており、まだ髪がハゲてなかったスティングがセクシーだったこともあってスーツ姿が即ダサイと扱われておりません。日本でもやがてピタTシャツによる経営者が再登場するでしょう。このようなものを貴美術館は堂々と公開しており、これはサラリーマンに対する職業的搾取に積極的に関与するものです。

これらは第二に、サラリーマン=負け組男性を安売りスーツに5足千円の靴下を穿かせQBハウスの10分カットで裁断処理し、サラリーマンを最も露骨かつ暴力的な形で会社に従属させ、オフィス機器以下の社畜として扱うものです。これは、描写を通じた暴力の一形態であるとともに、すべてのサラリーマンの尊厳を著しく傷つける下劣な差別行為です。作者あるいは貴美術館はこのような表現を通じて社会の常識や権威に挑戦しているつもりかもしれませんが、実際にはそれは、小遣い月額3万円以下サラリーマン一般を金銭的に従属的な存在として扱っている社会の支配的価値観に全面的に迎合し、それをいっそう推進するものに他なりません。それは反権力どころか、権力の露骨な行使そのものです。

第三に、これらの作品は、量販店のスーツ装着のサラリーマンに対する差別と侮蔑の行為です。デフレが原因であれ能力主義の結果であれリストラにより収入ないしその一部を失っている人々を愛着ある窓際の事務椅子と一緒くたにして遺棄物扱いすることが許されるでしょうか? これのどこが反権威や反権力なのでしょうか? あなた方は、これらの
作品を当事者が目にすることで、どれほどの深い衝撃と精神的ダメージを受けるかを想像したことがあるのでしょうか?

第四に、このような二重三重に差別的で暴力的である諸作品を、森美術館のような、金満なヒルズ族が女連れで闊歩してそうなリア充施設が堂々と公開し、宣伝し、多数の入場者に公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化することであり、社会におけるサラリーマンの小遣い搾取、サラリーマンに対する暴力と差別、窓際族に対する侮蔑と差別を積極的に推進することです。たとえば、アメリカやヨーロッパ、かつて「エコノミック・アニマル」として白人の心胆寒からしめたサラリーマンが、女装したりヴィレッジ・ピープルのような格好もせずに「作品」であることなどありうるでしょうか? あなた方がやっているのはそういうことです。

第五に、作品の中には、不要サラリーマン遺棄をあからさまに描写しているものもあり、これは自治体の廃棄物・リサイクル条例違反にあたる可能性があります。これらの作品はなんだか若者のアベック(※定年間近のサラリーマンはこの用語使用が義務づけられています)が多そうな展望台とセットで入館料1,500円を払わなければ入場できませんが、広く公開されていることに何ら変わりはありません。また中学生以下なら入館料500円を払えばリストラされたサラリーマンの子どもでも鑑賞することのできる状態で展示されており、これは青少年健全育成条例違反にあたる可能性があります。また、「灰色の山」シリーズを含む諸作品は、森美術館の正式のホームページに掲載されており、それは何らゾーニングされておらず、子どもでも簡単にアクセスできるものです。

私たちは、以上の観点から、森美術館による今回の展示に強く抗議するとともに、サラリーマンの尊厳を著しく傷つける諸作品の撤去を申し入れます。また、私たちは、森美術館の高級ブランド推進的立場、その差別性と格差肯定的姿勢、サラリーマンに対する差別推進の姿勢について、今後も広く世間に問題提起していく所存し、下記を要求するものです。

一.「灰色の山」展示に当たっては、「サラリーマンをみだりにいじめたり棄てたりすることは法律で禁止されています」という但し書きを付すること

一.日本政府はハローワーク等の諸機関を通じてサラリーマンのリサイクルに努めており、あくまで一時的な保管場所であることを明記すること。

一.サラリーマン1,000体に1の割合でウォーリーを描き入れること。ただし、同率によりサラリーマン金太郎を描き入れた場合はこの限りではない。


一.サラリーマン10,000体に1の割合で島耕作を描き入れ、「時代によってはうまいことヤレ、かつ逃げ切りができたこと」を明示すること。

一.天気のいい日に布団を干すこと(ただし、紐育爆撃に充てた場合は布団乾燥機による代替を可とする)

           2013年1月30日

サラリーマンの明日と明後日の晩酌を考える会世話人

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