夜明け前の常念岳 
夜明け前の常念岳(乗鞍岳)

私は今年のはじめに「「沖縄イニシアティブ」批判を「New Diplomacy Initiative」批判と読み替えて比屋根照夫「『沖縄イニシアティブ』を読む」を読む」という新NGO組織としての「ニュー・ディプロマシー・イニシアティブ(新外交イニシアティブ)」の立ち上げを批判する記事を書きました。知識人の志の確かさ、不確かさの問題として(追記参照。さらに25日付けで最終段落2段を若干改稿しました)。

追記:NDI(New Diplomacy Initiative)という新NGO設立の動き
は私にはあの悪名高い「
沖縄サミット」の際のかつての「沖縄
イニシアティブ
」の論者たちの動きとオーバーラップして見えまし
た。NDI批判として「沖縄イニシアティブ」を持ち出したのは私と
しては意味のあることなのです。「
『沖縄イニシアティブ』批判」に
おいて比屋根照夫氏(琉球大学法文学部教授。日本政治思想
史)の指摘する「発話者の『位置』」、「言論人・知識人の社会
的責任
」を問う問題として。それが私のいう知識人の志の確か
さ、不確かさということの意味です。(1月24日)


なぜ私は年のはじめに、すなわち今年最初の記事として新市民組織としてのニュー・ディプロマシー・イニシアティブの立ち上げを批判する記事を書いたのか?

その理由は、昨年末の総選挙における「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト」(ニューヨーク・タイムズ)党派としての自民党を国会で改憲を発議できるまで(衆議院議員のほぼ3分の2)に圧勝させた責任はひとえに民主党のこの4年近くの腐れきった政権運営の失敗にある、という私の認識にあります。

この民主党の4年近くの政権運営は単にこの4年近くの期間を政治的に無駄(ロス)にしたという政治責任にとどまりません。その腐れきった政権運営の失敗の結果、やっと終焉を迎えたかに見えた戦後連綿と続いた自民党の長期政権を復活させ、さらに少なくとも今後4年間、政治革新にとって致命的な合計8年間の政治的空白(ロス)の期間をつくりあげてしまったのです。その民主党の政治責任は言葉では言い現わせないほど重大です。若い人にとっての8年間は成長の8年間ということになるのかもしれませんが、老人、高齢者にとってはこの8年間は文字どおり生死にかかわる致命的な8年間の空白(ロス)ということにならざるをえません。その中の少なくない老人たちは8年後には屍になっているのかもしれないのです(この中には私も入っている可能性があります)。

ニュー・ディプロマシー・イニシアティブは国民全体に対してそうした重大な政治責任を負っている民主党のかつての党首、かつての総理大臣を講師に迎えて新NGO組織の設立プレシンポジウムを開くという。同新NGO事務局長の猿田佐世さん(弁護士)は「イベントに鳩山元総理を招いたのは『普天間基地の県外移設』を模索するも結局断念することになった過程が日本の外交の問題点、閉塞感を象徴していると感じたからでした」(琉球朝日放送報道部 2013年1月11日)と言う。しかし、それでよいのか。少なくとも8年間の政治空白をつくり、いまもつくりつつある民主党の元総理大臣の重大な政治責任を不問に付してそれでよいというのか。私はここにこの新NGO組織の政治認識の愚かさと至らなさを思わずにはいられないのです。反省のない政治認識はまたあらたな過ち、同じ過ちを犯すのは必定といわなければならないでしょう。まして、前政権は政治革新にとって致命的な合計8年間の政治的空白(ロス)の期間をつくりあげてしまったのです。その責任を問わない政治認識とはなにか。同じ過ちの轍を踏まない、踏ませないためには新しいNGO組織の政治認識をそうした政治認識が流通する以前に厳しく批判しておく必要があるでしょう。まして今年は参議院選挙の年でもあるのです。

いま、その夏の参議院選挙を前にして「日本の歴史を否定する右翼ナショナリスト」(ニューヨーク・タイムズ)の党派としての自民党政治を打倒するための共闘論議が盛んです。しかし、上記の反省を踏まえない共闘論議は同じ過ちの轍を踏まざるをえないでしょう。すなわち、政治革新にとっての政治空白の期間をまたぞろ長引かせるということにしかならないでしょう。単に数合わせの論理で政治の共闘を語ってもほんとうの意味の市民のための政治の再建はできない、と私は思います。いまのこの時期にこそ丸山真男のいう「方向性の認識」をともなう「現実認識」(『丸山真男セレクション』(平凡社ライブラリー)「政治的判断」p.358-359)の態度が私たちの「政治認識」の態度として重要になっている、といえるのではないでしょうか。

今年のはじめに新NGO組織としての「ニュー・ディプロマシー・イニシアティブ(新外交イニシアティブ)」の立ち上げを批判する記事を置いたのはそういう理由からです。

そのニュー・ディプロマシー・イニシアティブ(新外交イニシアティブ)の設立プレシンポジウム「新政権に問う ―日本外交がとるべき針路は―」が先の政権(民主党政権)の初代総理大臣の鳩山由紀夫氏を講師に迎えてこの10日に参議院議員会館1階講堂で予定どおり開かれたようです。

いま問われる「外交」のありかた 新たなシンクタンクを設立(琉球朝日放送報道部 2013年1月11日)

そのプレシンポジウムで鳩山元総理大臣は自らの退陣の契機となった沖縄米軍基地の『辺野古現行案』回帰の決定について次のように語ったようです。

「沖縄の皆さまのご意向を尊重して『最低でも県外にしたい」と。その考え方は間違っていたとは思いません。勝手に外務省や防衛省が解釈して、最後には辺野古に戻すという議論しかないんだよという方向で」、と。

しかし、上記の琉球朝日放送報道部の記事を読むかぎり、この鳩山元総理大臣の『辺野古現行案』回帰の決定の責任をすべて官僚のせいにする無責任きわまるプレシンポジウムでの発言について、同組織事務局長の猿田佐世氏(弁護士)及び同組織の新理事4名(鳥越俊太郎氏(ジャーナリスト)、藤原帰一氏(東京大学教授)、マイク・モチヅキ氏(ジョージ・ワシントン大学教授)、山口二郎氏(北海道大学教授))が何らかの異議を申し立てた形跡はありません。

マイク・モチヅキさん:「外交政策は専ら専門家に任されているが、最終的に国民の声をきちんと反映すべきだ」

鳥越俊太郎さん:「一番現実的に変わるきっかけになりうるのは、沖縄の問題だと思う。期待しています」

藤原帰一さん:「日米関係を支えてきた人たちがどういう人たちかというと、アメリカでは共和党政権の人たち、日本では自民党政権の人たち。これまでの人たちの議論ではないものを出していきたいと思っています」

猿田佐世さん:「シンクタンクはあまり日本にはないが(米国では)常にプラティカルな提言者がいるわけです。ちゃんと学術的にも裏を詰めており、実務的な感覚も忘れないと。提言をしていって、国境を超えるような提言をしていきたい」

*上記の琉球朝日放送報道部の記事にはNDIの理事のひとりの山口二郎さんの発言の記載はありません。

鳩山元総理大臣のプレシンポジウムでの発言に関してはみんなピントはずれの発言ばかりです。もちろん、文脈は違いますが、鳩山元総理大臣の発言に対する批判は同組織の理事、事務局長からはおそらくなかったのでしょう。これが「ニュー・ディプロマシーという意味はもっと市民の声をディプロマシー=外交に反映していきましょうということなんです。市民の声が外交に反映されるようにしたいと」(猿田佐世事務局長)という「市民の声」の第一弾です。彼ら、彼女たちの政治認識を「私はここにこの新NGO組織の政治認識の愚かさと至らなさを思わずにはいられないのです」というのはしごく当然というべきではないでしょうか。

しかし、上記のような鳩山元総理大臣の発言に関してはもう2年半以上前にウチナーンチュの次のような的確な批判があります。

 
総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになった(太字は引用者。以下同じ)といったらしい。おそろしいことだ。(→毎日新聞 2010年6月12日)
(中略)

外務大臣をしているひとが、沖縄のひとびとが『やむを得ない』とおもう状況をつくるといっている。(→共同通信2010/06/09)

こんなにもあからさまに、敵対され恫喝される沖縄のひとびとは、この国の主権者ではないんだろうか。沖縄は、はからずもこの国の在り方の根源をみつめざるえないポジションに立たされている。立たされ続けている。むごい在り方の。むごい在り方で。
(中略)

総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。私たちは沖縄で生きる民であることをやめることはできないので、どれほど役所の意思が固かろうとも踏ん張るしかない。一国の総理大臣の職がお気楽なものだとは思わないが、やめられるだけお気楽だとは言ってのけたい。外務大臣は、沖縄の民の踏ん張りを切り崩してやると恫喝しあからさまに沖縄の民に敵対してみせてくれる。なんという国家政府であろうか。怒りは深いところで胎動している。
(中略)

感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。私は温厚なヘタレだからキレないが、ウヤファーフジにその「感謝」は、「あんちまでぃ ちゅー うしぇーんなぁ、ぬがらちならん」と叱られると思う。ましてや死んでも死に切れない地獄の戦火で逝った先輩たちには・・・
(「曳かれ者の小唄」 なごなぐ雑記 2010年6月14日

さらに次のような歴史学者(東京大学史料編纂所教授)の最近の鳩山氏評価の言葉もあります。

この二つの壁(引用者注:アメリカの壁と日本の財界の壁(par.6-8))を破って「脱原発」を実現することは容易なことではない。この二つの壁が存在するということは客観的な事実、社会科学上の事実である。その壁を破るには、それが「壁」であることを認識するのがどうしても必要である。ぎゃくにいうと、それが「壁」であることが認識されれば、この「壁」は崩すことができる。しかし、鳩山氏が、普天間移転をいってすぐに投げ出したのは、その壁の存在を明示せずに、普天間移転という主張をしたからである。主観的希望のもとに政治家が行動するなどというのは話しになったものではない。
(「未来の党(?)と歴史学」 保立道久の研究雑記 2012年12月6日

彼我の認識の差はあまりにも大きい、といわなければならないでしょう。
 
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