革新政党の不振と衰退は目を覆うばかりだ、 総選挙の総括なき敗北は政党消滅への道に通じる――広原盛明さんの論攷のご紹介という前記事をエントリしたところ市民活動家(緑の党(きょうと緑の党)ジュビリー関西ネットワークATTAC京都)の内富一さんから次のような一通のレスポンスがありました。

問題は真のオルタナティブを社会運動側が提示できる(かに)かかっています。そういう意味では「伝統的な左翼」と新しい「緑の党」がどう協力できるのかも今後の日本の未来を決める重要なファクターでしょう。/不振を嘆くより、地域・地区レベルで連携可能な共闘=「統一戦線」をあらゆる場所で追求していきましょう!

以下、その内富一さんのレスポンスへの返信です。

内富さん、レスポンスありがとうございます。

「地域・地区レベルで連携可能な共闘=「統一戦線」をあらゆる場所で追求していきましょう」というご指摘は私もそのとおりだと思いますし、そうした努力は私としてもこれまでも続けてきたつもりです。

約10年前の大分県知事選挙の折、私は有志とともに「われ=われ・ネットワーク」という革新統一のための市民組織を立ち上げたことがありますが(下記記事参照)、そうした取り組みも地域における「革新統一戦線」を追求していくための試みのひとつでした。

大分に「無党派の風」は吹いたか―市民的(パブリック)なもの、庶民的(ポピュリズム)なもの、市民運動的(シビル=ムーブメント)なものについて(その1~4)(弊ブログ 2010.07.24)
筑紫哲也さんに送った8年前の手紙―2011年都知事選の革新統一のために(1)(弊ブログ 2010.10.06)
故筑紫哲也さんからの8年前の手紙―2011年都知事選の革新統一のために(2)(弊ブログ 2010.10.06)

また、これもやはり10年ほど前に「盟約5(ファイブ)」という市民組織の結成総会が大阪で開かれたことがありますが、私もその結成総会に参加しました。前エントリ記事でご紹介した広原盛明さんもその総会の参加者のおひとりでした。これも地域から全国レベルにおける「革新統一戦線」の追求の試みのひとつとして参加したものでした。広原盛明さんもおそらく同様のお考えで参加されたものだったでしょう(注)。

注:この「盟約5(ファイブ)」は市民運動家でジャーナリストの今井一氏がコーディネートしたものですが、この活動を通じて今井一氏に対する私の評価は厳しいものに変わりました。が、その批判の詳細はここでは省きます。

その後もさまざまなレベルでの「革新統一戦線」追求の試みを私なりに続けてきましたがその詳細もここでは省きます。

今回の広原盛明さんの論は「不振を嘆く」ものではなく、「総選挙の総括なき敗北は政党消滅への道に通じる」という政党への苦言をあえて発することによって「革新統一戦線」追及の試みをさらに実のあるものにしたいという広原さんの懇切の願いが込められている、というのが私の今回の広原さんの論の理解です。前エントリでご紹介した広原さんの論には「絶望」という言葉が遣われ、私も「絶望」という言葉を遣っていますが、その「絶望」という言葉には「希望」の思いも託されているのです。そのこともご理解ください。決して私は全的に「絶望」しているわけではありません。そして、おそらく広原さんも。(広原さんはこの問題について「絶望に近い気持ち」と表現しています)

内富さんも関与されている「緑の党」については私はわりと早くから疑義を発信しています。私のこの疑義の提起に対しては「緑の党」関係者からの誠実な応答はいまもってありません。私のこの疑義の提起は上記にも記した私のこの10年来の(もちろんこの暦年はさらに遡ることができますが)「革新統一戦線」追及の試みの失敗と挫折の政治経験とその政治経験の反省的思索に基づく疑義の提起です。この疑義の提起への誠実な応答(前々便でも述べたレスポンシビリティとしての応答(注))なしに私は「緑の党」を評価することはできません。私の地元においても「緑の党」への参加を誘われましたが断りました。

注:レスポンシビリティということについて哲学者の高橋哲哉さんはかつて『戦後責任論』(1999年、講談社/2005年、講談社学術文庫)という著作の中で次のように述べていました。

「責任はresponsibility(応答可能性)、すなわち呼びかけに応えるという応答関係に基づく。責任とは根源的には〈他者との関係〉に由来する。〈他者に対する責任〉である。そして、不正義の支配に対して、正義を求める訴えが発せられるとき、それに応える責任、すなわち不正義を裁き、正義を回復するジャッジメント(倫理的、法的判断)を行なう責任が生じる。「正義」は「人間の社会的条件の本質」であり、なにが「不正」かについての基本的合意のないところでは、平和な社会生活を営むことは困難であろう。」

ここでいう「レスポンシビリティとしての応答」とは上記の「呼びかけに応えるという応答関係に基づく」責任、すなわち「応答責任」のことを言っています。


是とするのか、非とするのか 「緑の党」(現名称:みどりの未来)は大阪・橋下市長を絶賛する元共同代表(尼崎市長)の稲村和美氏の評価を闡明にしなければならない(弊ブログ 2012.04.11)
「緑の党」準備会を再度、批判しておきたい ――是とするのか、非とするのか 「緑の党」(現名称:みどりの未来)は大阪・橋下市長を絶賛する元共同代表(尼崎市長)の稲村和美氏の評価を闡明にしなければならない(弊ブログ 2012.05.07)
■「緑の党」準備会批判を再掲した前エントリ記事の返信への応答(弊ブログ 2012.05.08)

なお、今年の参院選に向けた新しい市民運動としての政治運動のあり方については、私の謂わんとしたいことの論理をよく整序した上で(どのように言えばよく伝えうるのか、ということをいま考えています)近々発信したいと思っています。
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