今回(2012年)の東京都知事選のことについても「ある感想」を書いておきます。

上記で「も」と言っているのはすでに今回の総選挙については下記のような記事を書いているからです。

2012 総選挙 とりあえずのある感想

東京都知事選は私にとってある意味総選挙よりも重たい、息苦しくなるほどの結果でした。吐く息がゼーゼーと息を切らして泣き叫んでいるような空しさのようなもの、悲しさのようなものがこみあげてくるのです。落胆と悲しみ(挫折感)の度合いが総選挙での「革新」の敗北の比ではありませんでした(総選挙の結末は私の中でも早くから予想されていました)。それだけ私にとって今回の東京都知事選への期待が強かった、ということだったのかもしれません(総選挙の結果にはまったく期待していませんでしたから)。

その私にもいまや東京という雑種文化都市の空気の色は保守一色(といっていいほど)に染め上っているという認識は十分にありました。前回(2011年)の東京都知事選では石原慎太郎261万5120票、東国原英夫169万669票、渡辺美樹101万3132票というひとことでいって保守票といってよい合計の票は東京の当日有権者の過半を優に超えるおよそ532万票もありました。そこから推しても今回の猪瀬直樹の433万8936票という獲得票は不思議でもなんでもありません。東京という雑種文化の街はその雑種文化の街にふさわしく今回は(この10年来もそうですが)いっせいに右バネに弾かれて猪瀬直樹という石原慎太郎傘下の超保守候補(元副知事)を選択したのです。考えてみれば、なるべくしてなった結果、といってよいでしょう。

ですから、私が息苦しくなるほどの悲しみを感じるのはそういうことではないのです。

今回の都知事選での実質的な革新統一候補の宇都宮健児さんの獲得票は96万8960票。この得票数は前回は革新統一候補は実現せず共産党(無所属)の単独票となった小池晃氏が獲得した62万3913票よりははるかに多い獲得票です。そういう意味ではこの96万8960票という獲得票は今回のような実質的な革新統一候補が実現していなければ決して獲得することのできなかった大量票ということはできるでしょう。

しかし、前々回の2007年の都知事選の際の一方の革新候補、浅野史郎氏の得票数は169万3323票、もうひとりの革新候補、吉田万三氏の得票数は62万9549票、両者を合わせると232万2872票。宇都宮さんの今回の96万8960票はそのときの232万2872票にははるかに及ばないのです。それも2007年都知事選のときは革新統一は実現していなかったのです。どうして革新統一がいまだ実現していなかった2007年都知事選時の革新獲得票にはるかに及ばなかったのか。その事実が私には空しくて、悲しくて、やりきれないのです。

たしかに候補者の知名度の問題はあったでしょう。浅野さんは元厚生官僚で1993年から2005年まで3期に渡って「無党派知事」として宮城県知事を務めたという実績があります。構造改革を標榜する「改革派知事」としてテレビを含むマスメディアにも頻繁に紹介され、その知名度は抜群でした。その浅野さんに比して宇都宮さんの知名度は元日弁連会長を務めたとはいえ一般的にはそう高いものではありませんでした。そうした知名度の違いが上記の獲得票、得票数の違いに表れているということは否めません。

しかし、私は、知名度の問題は決定的な問題ではなかっただろうと思います。2007年選挙のときのいわゆる市民レベル、とりわけ女性レベル(女性たち)の浅野さんコールは熱狂的なものがありました。その市民と女性たちの当時の熱狂的な「浅野コール」のさまの一端を当時の朝日新聞記者の早野透さんが上手にレポートしています。当時の記録として残していますのでご参考にしてください。

資料:朝日新聞コラムニスト早野透さんの浅野氏へのラブレター(2007年2月20日付)

上記のような燃え上がるような熱気が今回の都知事選には私の感じでしかありませんが、私には残念ながら感じられませんでした。これが今回の宇都宮氏の敗因の第一だろうと私は思っています。なぜ今回、燃え上がるような熱気がなかったのか(もちろん、私の見るところ、ということでしかありませんが)? 私の独断的な偏見を言えば、浅野さんはリベラリストでしたが、市民は宇都宮さんにはリベラスト以上のなにかしら「左翼」的な匂いを感じて敬遠気味の状態にあったのではないか。市民はリベラリストは好きですが、非論理的なので口に出しては言いませんが、おそらく「左翼」は嫌いなのです。「革新」といわれる市民についてもそういう傾向は免れがたくあるように私には見えます。これは、猪瀬直樹氏433万8936票という現象と対をなす市民の表層的でもあり、深層的でもある心理であるように私には見えます。日本という国はこれほどまでに深層レベルでも表層レベルでも「右傾化」してしまったのだ、というのが私の見立てです。私たちはこのような「右傾化」とどのようにたたかうか、が今後の課題になってくるでしょう。これもいうまでもなく「私」の見立てです。

もう一点。2007年選挙のときは「石原ノー」という共通の土俵のことは一応おいておいて、浅野史郎氏と吉田万三氏という革新同士のつばぜり合いがすさまじいまでにありましたが、そのときのある意味「強大」だったエネルギーが今回の都知事選では潜在的なエネルギーのまま放出されなかった、ということがあるのではないか、とも私は思っています。すなわち、下町のドブ川を越えてそのドブ川の先の家の一軒、一軒まで声を嗄らして候補者への一票を呼びかけ続けるという姿勢がかつての両陣営ともに欠落するところがあったのではないか。これも私のある意味傍観者とならざるをえなかった他県人としての岡目八目的な見立てにすぎませんが、その見方を私は捨て去ることはできません。

宇都宮健児さんの今回の革新統一候補の経験は次にきっと生かされなければならない、と私は強く強く思っています。
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