どうしてこうした無思慮、思考停止の論理を展開してやまないのでしょう? 結果としてガセネタとなっています。

上記はNPJのインターネット・メディアに掲載されている広河隆一氏(「デイズ・ジャパン」発行・編集長)の「最初の小児甲状腺がんの症例の報に接して」(DAYSから視る日 2012年09月28日)の記事のことについて言っています。そして、その無思慮、思考停止の記事をこれもまた無思慮、思考停止状態で掲載するNPJ編集部に対して言っています。
 

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広河氏は上記記事で次のように言っています。

「今回の小児甲状腺がんの発症は、時期が早すぎるため、放射能とは関係ない、つまり原発事故とは関係ないと医学者たちは言う。そして8万人に一人という数字は、ふつうでもありうる数字だと言う。しかしこれまで彼らは、小児甲状腺がんは100万人に一人しか現れないと繰り返し発言していたのではなかったか。8万人に1人発症するのが普通だというなら、福島県の子どもの人口30万人余に対して、これまで毎年平均して3-4人の小児甲状腺がんが現れていたとでもいうのか。そんなデータはあるはずがない。」

しかし、「8万人に一人という数字は、ふつうでもありうる数字だ」などと「医学者たち」の誰が言ったというのでしょう?

そんなことは誰も言っていないでしょう。上記の「8万人」という数字が出てくるのは次のような記事です。

「東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会(座長・山下俊一福島県立医大副学長)が11日開かれ、事故発生当時18歳以下を対象とした甲状腺検査について、1人が甲状腺がんと報告された。/甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは約8万人」(共同通信 2012/09/11)

「これまでの調査で425人が『一定の大きさのしこりなどが見られるため2次検査が必要』とされた。60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された。」(産経新聞 2012.9.11)

事実は、甲状腺検査で結果が判明した約8万人のうちの「1人ががんと判断された」ということでしかありません。誰も「8万人に一人という数字は、ふつうでもありうる数字だ」などとは言ってはいません。どうして広河氏はこのようなウソをでっちあげるのでしょう? 私にはなにかに憑かれている、としか思えません。

また、「小児甲状腺がんは100万人に一人」という数字についてもこちらのブログ記事によれば次のような文脈で使われています。

「福島県立大学の鈴木教授は『小児甲状腺がんは100万人に一人から二人の頻度といわれていたが、自覚症状が出てから診察する場合がほとんどで、今回のようにすべての子どもを対象とした検査の前例がないため、比較できない』と述べた。」(元記事は朝日新聞 2012年9月11日)

上記の記事、読めばわかるように福島県立大学の鈴木教授は「小児甲状腺がんは100万人に一人から二人の頻度といわれていた」とこの件に関するこれまでの医学界における常識的知識を紹介しているだけで、自ら進んで「小児甲状腺がんは100万人に一人から二人の頻度」などと主張しているわけではありません。鈴木教授はその現状の医学的知識を紹介した上で「(これまでの検査は)自覚症状が出てから診察する場合がほとんどで、今回のようにすべての子どもを対象とした検査の前例がないため、比較できない」と医者、科学者としてきわめて常識的な回答をしているだけです。広河氏(「デイズ・ジャパン」編集長)に「これまで彼らは、小児甲状腺がんは100万人に一人しか現れないと繰り返し発言していたのではなかったか」などと責められ、批判されるいわれはなにもないといわなければならないでしょう。第一、現状の事実を説明することと、「小児甲状腺がんは100万人に一人しか現れないと繰り返し発言していた」と、すなわちその事実を主張することとはまったく性質を異にします。私には広河氏はインネンをつけているとしか思えません。

内部被ばくの危険性に警鐘を鳴らすのはきわめて重要な課題だと私は思っています。しかし、内部被ばくの危険性をいうために、あまりにつくられた、あるいは思慮のないウソが多すぎる。あるいは全体を見ることのない非科学的な一面的な主張が多すぎる。あるいは主観に凝り固まった言い掛かりのたぐいの主張が多すぎる。このようなことではいけない。結果として脱原発の課題の実現とは真逆する負の営為ということにしかならないだろう、と私は逆に警鐘を鳴らしたいと思います。

1986年のチェルノブイリ原発事故をひとつの契機にして私たちの国の脱原発運動は空前の高まりを見せたことがあります(たとえばこちらこちら(結論部)を参照)。しかし、その脱原発運動は一過性のカーニバル(お祭り騒ぎ)のような高揚をもたらしただけで数年の高揚の後弱体化してしまいました。私はこのときの脱原発運動が市民の間に広く、そして深く根づかなかったのは、その広く深い地下茎の層としての市民との間での脱原発理念の共有化という最重要な課題を放擲し、自分たち仲間内だけに通じる論理、すなわちひとりよがりにすぎない論理に溺れて、さらに自らはそのことに一向に気づかない、そういう意味でまさしくひとりよがりという意味で特異なそのときの脱原発運動の主張と論理に起因するところが大きかったのではないか、と見ています。私たちはいまこのとりかえしのつかない挫折の経験を再び繰り返そうとしているかのように私には見えます。私の警告の背骨にはこのような私の見方があります。広河隆一氏を批判するのもそういう理由からです。

注:いわずもがなのことを申し上げておきます。私はこの件に関して鈴木氏の言説の意味するところ(もっと一般的に言えば人の言説の意味するところ)について述べているのであって、それ以上の意味はまったくありません。
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