主情的な孫崎享『戦後史の正体』評価が多い中で同書をオーソドックスに、あるいはスタンダードに読み解いているひとつの書評があります。といっても、私はこれがふつうの「読み」というものだろう、と思っているのですが、あまりに主情的な批評が多い。

ご紹介させていただこうと思います。

同書評は孫崎享『戦後史の正体』の論の非論理、論理の不整合のゆえんを見事に言い当てています。一読に値すると思います。

過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む
(Valdegamas侯日常
2012-08-11)

 感心できない本である。

 本書出版の動機は、著者が出版社から「高校生でも読めるよう
な冷戦後の日米関係」を書くように希望され、構想を考えるうち、
冷戦後に限らず、戦後の日米関係の通史として描くとを決めたそ
うである。とはいえ、本書は日米関係史としてははなはだ中途半
端なものである。その内容からして、日米関係というファクターを
(ママ)要因を重視した、戦後史(つまりタイトルどおり)とする方が
妥当だろう。

 本書はまず細部の不用意さが目を引くが、本書のような本はま
ずその示すアウトラインについて批判的検討をするべきだろう。
本書の概略をまとめたうえで、アウトラインの検討を行ないたい。

本書の概要

 著者は戦後日本の外交は、常に存在する強力な米国の圧力
の中で、どのような選択をしたかで語ることができるとする(p.6)。
 そして終戦以来続くその選択の軸は「対米追随路線」と「自主
路線」の二つである。

 「自主路線」は「日本には独自の価値があり、米国と日本が不
一致の局面では自らの価値を追求する」路線である。「対米追
随路線」とは、「強い米国に抵抗することはやめ、米国の方向性
に従いつつ、その渦中で利益を得る」路線であり、著者は前者
の「自主路線」の立場をとると明言している(vii頁)。

 また「自主路線」を唱えた政治指導者たちは、何らかの形で米
国政府(の謀略を担うCIA)や「対米追随路線」をよしとする日本
国内の検察特捜部(著者はその起源以来、この組織が米国と
深い関係にあるとする)、マスコミ、外務省・防衛庁/防衛省と
いった組織によって形成された「システム*1」によって排除され
てきたと著者は主張する(pp.368-371)。その渦中で著者は米国
の圧力や裏工作といった「謀略」が駆使されてきたと推測する。
(pp.8-13)

 著者は本文で終戦から21世紀まで、彼のいう「自主」の政治家
―重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、
田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護煕、鳩山由紀夫―と、
「対米追随」の政治家―吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根
康弘、小泉純一郎…その他諸々(鈴木善幸、竹下登、橋本龍太
郎、福田康夫といった一部の人々について、筆者は「一部抵抗
派(特定問題について米国の圧力に抵抗した人たち)」というカテ
ゴリを「おわりに」で唐突に設けている)―の政治家たちが、米国
の圧力にいかに翻弄されたか、また「自主」の政治家がいかに
排除されたのかを述べたうえで、下記のようなポイントを強調す
る。
1) 米国の対日政策はあくまで米国の国益を追及するものである
2) 米国の対日政策は、その環境変化によって変わる
3) 米国の圧力が大きかろうと、日本のゆずれない国益は主張す
るべきである
(p.366)

 そしてカナダのピアソン政権のように、米国に容易に屈しない、
毅然とした自主外交を行なうべきことを再度強調するのである。

本書の評価

 本書は「対米自立」「対米追随」で一切の政治指導者を区分け
し、さらに米国(および親米派「システム」)の意向「のみ」がその
生殺与奪を握ったという議論を展開した結果、少なからず困惑
する議論を展開している。三点に整理して考えたい。

全てを日米関係で語ることは可能か

 第一に、日米関係で語りえないであろう事例への強引な日米
関係要因の発見・あてはめである。たとえば竹下政権を崩壊さ
せたリクルート事件を、軍事的貢献に消極的な竹下政権に不
満だった米国の(意を受けた検察の)謀略であることを示唆し
(pp.304-307)、福田康夫の辞任を、陸上自衛隊イラク増派、サ
ブプライム危機の時期大きな問題となった米国金融機関ファニ
ーメイへの融資要求といった米国の圧力への「抗議の辞任だっ
た」とする著者の議論(pp.350-554)は、どれだけの人間が説得
されるだろうか。日米関係という要因がその政権の存続に作用
したであろう事例も後述のとおり苦しい解釈が目立つが、その
前にこれらの無理やりな事例があることは指摘したい。

米国の圧力とは何か

 第二に、日本政治の生殺与奪を握る「米国の圧力」はどのよ
うな形で展開されるのかについての、議論の不十分さである。
米国の意向こそが日本の政治を左右した(左右できた)という
著者の主張は、確かに占領期、および独立初期に適用される
ならば理解できる。なぜならばこの時代、米国は多くの対日政
策におけるオプションを有していたからである。占領期はいわ
ずもがなであるし、独立初期は在日米軍経費の一部を日本が
財政負担する「防衛分担金」の扱いなどを典型として、米国は
日本政治に影響を及ぼしえた。
 米国が当初強硬な反対を行なったことで、一時は鳩山一郎
内閣を崩壊寸前まで追い込んだ1956年度の防衛分担金削減
交渉で、最終局面における米国の「譲歩」が米国の望む保守
勢力結集への努力とのバーター取引であったことを提示する
佐藤晋・中北浩爾などの研究は、そのような米国の「圧力」の
実在を大きく感じさせるだろう*2
 しかし、それ以降となると話は変わる。米国が日本に行使し
うる「圧力」は、防衛分担金のように日本政治を内部から制度
的に操作しうるものではなく(たとえば先述の防衛分担金は、
これは1952年の日米行政協定に基づくものであったため、19
60年の日米地位協定へ改定で消滅した)、日本の政治・経済
システムに対する純然たる「外圧」へと変わっていく。はたして
「外圧」はそこまで有効に機能しえたのだろうか。
 もちろん著者は序章でも掲げた「謀略」の存在をここぞとば
かりとりあげるのだろう。しかし著者のいう謀略の担い手とは、
あの、(著者も引用する)ティム・ワイナーが『CIA秘録』でその
実績が余すところなく描かれている、謀略の成功経験に乏し
いCIAである。
 キューバの指導者カストロの暗殺計画を数十回と立案して
は、一回も成功しなかったCIAである。政権の転覆工作では、
イランのモサデク、グアテマラのアルベンス、南ベトナムのゴ
・ジン・ジェム、チリのアジェンデといった、途上国でのわずか
な成功体験ばかりしかもたないCIAである。そのCIAが著者
の言うとおり、継続的に日本の政権を崩壊させてきたという
のなら、これは間違いなくCIA史を書き換える壮挙といえるだ
ろうが、そのようなことがありえるのだろうか。

 そもそも本書の構成そのものが、このような「米国の圧力」
を証明し論じることの困難さを示しているように思われる。
本書は「序章」を除く本文約340ページを、占領期(100ペー
ジ)、独立から安保改定まで(100ページ)、ポスト安保改定か
ら冷戦終結期(90ページ)、冷戦終結後(約50ページ)で分割
している。六十数年という期間に比して、最初の十五年(つ
まり「米国の圧力」が制度的にも鮮明に存在した時代)に割
いたページ数が大きすぎることが見てとれよう。

親米「システム」は論じられたか

 著者のこれまでの議論が指摘するように、このような直接
の「米国の圧力」を補完し、自発的にその意向を察知して行
動するものが、日本国内に埋め込まれた官庁・マスコミ・財
界の親米「システム」である。このような「システム」は確か
に存在するのだろう。しかし、この「システム」についての議
論は曖昧な人脈論に留まっている。検察ではロッキード事
件を担当した堀田力、陸山会事件(西松建設事件)を担当
した佐久間達哉が駐米大使館の勤務経験(一等書記官)が
あること(pp.85-86)、朝日新聞の論説主幹を務めた笠信太
郎が戦後CIA長官を務めるアレン・ダレスと終戦工作に関
わった経験などを著者は指摘してはいるが(pp.208-209)、
それはただ「米国と接触があった」という指摘にとどまって
いる。米国と何らかの関わりがある人間は「システム」に埋
め込まれたとでも言いたげな著者の記述を見ると、外交官
時代にハーバード大学研究員を経験しているのだから、著
者もまた「システム」の一員なのではないかと邪推すらして
しまう。
 私的な関心にひきつけていえば、評者は、「なぜ現代日本
は(過剰に)親米的なのか」という著者と少なからず重なる
問題意識を有している。CIAの謀略はともかくとして、とにか
く米国の意向に異常なほど注意を払う日本人が少なからず
存在することは事実であるし、その解明は評者自身の関心
事である(評者はそれが「システム」といえるほど横の連携
を持っているとは思わないし、ましてCIAと結託したり、疑獄
事件を何度も起こすとも思わないが)。しかし先述のように、
このような親米的な日本人の解明を、「米国と何か直接的
な関係があったか」で識別する著者の視角は貧弱なように
思われる。彼らの動機について、より踏み込んだ検討が不
可欠であろうが、本書はそのような問いには答えていない。

米国はいつ、日本の政治指導者を失脚させるのか

 第三に、日本における米国の利益を、米国にとっての日
本がどのような存在であるか、という点である。「自主路線」
が米国の国益と真っ向勝負する路線であるとするならば、
この点を明らかにすることは必要だろう。本書を読む限り、
著者は様々な要素のなかでも、「在日米軍の撤退(及び日
米行政協定の改定)」と「中国との関係改善」が、米国の
「虎の尾」であったと指摘しているように見える(pp.161-162、
p.218、pp274-275)。そしてこれに反したがゆえに、岸信介
(「在日米軍撤退」「行政協定改定」「中国との関係改善」を
追及)、田中角栄(「中国との関係改善」、資源外交を追求)、
そして時期を経るが鳩山由紀夫(「在日米軍撤退(県外移
転)」「行政協定改定(地位協定見直し)」を追求)は引きず
りおろされたのだという。しかし、これらは本当に米国の
「虎の尾」だったのであろうか。あるいは未来永劫そうであ
るのか。

「在日米軍の撤退」は虎の尾か

 重要と思われるのは、これらの「虎の尾」が本書の中で
バズワードと化していることだろう。著者は文中で「在日米
軍の(全面)撤退」を米国に求めた重光葵、同じく「可能な
限りの在日米軍撤退」を求めた岸信介らと、鳩山由紀夫
を並べて論じている。特に重光の構想を説明したあと、
「これにはみなさん、驚かれたのではないでしょうか。まだ
本当に弱小国だった1955年の日本が、米国に対して『12
年以内の米軍完全撤退』を主張しているのです。普天間
基地ひとつ動かすことさえ『非現実的だ』としてまったく検
討しない現在の官僚や評論家たちは、こういう歴史を知
っているのでしょうか」と鳩山政権の動きをあるべきもの
と賞賛している(p.161)。
 しかしながら、50年前と現在の在日米軍の状況は大き
く異なる。1950年代末の在日米軍は日本本土だけで892,
562千平方メートルの土地を利用し、8万7千人が展開し
ていた*3 。これと50年後、本土80,863千平方メートル・沖
縄228,076平方メートル、5万人が展開している*4現在の
在日米軍は単純な比較が可能だろうか 。
 50年代の広大な米軍基地は当時から米兵と日本国民
とのトラブルの温床、日本のナショナリズムを刺激する日
米間の難題となっており、1955年4月に米国家安全保障
会議で承認された対日政策文書NSC5516/1も、地上軍
戦力については撤退を勧告し、軍部も政治的理由から
1957年6月にはこれを承認するに至っている*5
 そのような「在日米軍の撤退」について一定のコンセン
サスが日米間に存在していた時代と、鳩山由紀夫政権
の時代に提起されたそれを同一線上に語ることは、バズ
ワード化の悪影響と思われてならない。「在日米軍の撤
退」が岸の「虎の尾」だったという説は、どうにも首肯しか
ねるのである*6

 加えていうならば、著者が重視する「行政協定の改定」
もバズワードと化している。著者は行政協定の全面的改
定を志向していたと論じている(p.198)。確かに、岸は19
83年の回顧録で「もともと全面改定派だった」という議論
をしているが、彼自身が同時代的にそのような動き、発
言をした記録は見受けられない*7。せいぜい岸が望ん
でいた行政協定の改定とは部分改定であり、しかもそ
れは著者が重視する施設返還条件(第2条)の改定で
はなく、予算編成に関して米国に拒否権を与えてしまう
防衛分担金条項の削除(第25条)であった*8 。全面改
定は関してはむしろ著者の批判する(反岸派の倒閣運
動としての)河野や池田派がその推進力となったのであ
*9 。著者は岸が安保条約を改定し、続いて行政協定
を改定する「二段階構想」を有していたと主張しているが、
この主張に何らかの根拠はあるのだろうか(p.198)*10

「中国との関係改善」は虎の尾か

 「中国との関係改善」もまた曖昧な概念である。岸は
政経分離原則を掲げつつ、中国との貿易拡大を求め、
米国に日本の行動を説得した。これは事実である(pp.
214-217)。著者はこれが在日米軍撤退と並ぶ「虎の
尾」であったとする(p.218)。
 しかし、第一に1950年代後半のチンコムによる対中
貿易統制緩和問題(チャイナ・ディファレンシャル問題)
において、米国は(著者が好んで引用するシャラーも
指摘するように)日本のみならず、西欧の主要同盟国
とも対立していた。そしてアイゼンハワー政権内部でも、
アイゼンハワー個人に限らず、チャイナ・ディファレン
シャルを維持することは困難であるという認識が広が
っていた。1957年5月にはイギリスは日本に先駆けて、
統制離脱を宣言している*11。日本はこれに追随した
だけであった 。
 また、著者はアイゼンハワーがこれを認め、ダレス
は反対していたかのように語っているが、この頃には
ダレスも留保つきではあるが日本の中国貿易拡大を
容認するまでに至っていたことを指摘すべきであろう
*12
 第二に、「政経分離」原則を掲げ、中国との民間貿
易拡大を図ったのは岸だけではなかったことが指摘
できる。著者が「対米追随派」とする池田勇人である。
 池田政権は岸政権と同じく「政経分離」を掲げなが
ら(そして米国の反発を受けながら!)LT貿易協定の
成立を支援している*13。このような動きをとった池田
はなぜ「自主路線」の指導者でないのか、なぜ米国に
消されなかったのか。著者の見解を聞きたいところで
ある 。
 また、田中角栄失脚と「中国との関係改善」も不明
瞭である。著者の引用する、田中の急速な日中接近
がキッシンジャーを苛立たせたというエピソードはよく
知られたものであるが、その怒りがなぜ、どのような
理由で、田中を失脚させるまでに至るのか、本書で
は不十分にして語られない*14。1976年に発表された
田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」
を引用する形で、著者は身の程知らずの同盟国に制
裁が加えられたという解釈を採用している。素朴な疑
問であるが、身の程知らずな同盟国がお気に召さな
いニクソンとキッシンジャーは、同じく彼らを苛出せた
「東方外交」を推進したヴィリー・ブラントを、なぜ抹殺
しなかったのだろうか*15

 非常に長くなってしまったが、米国にとっての日本の
価値を考えるとき、「在日米軍の撤退」と「中国との関
係改善」を著者が重視している以上、これらの点を精
査せざるを得なかった。しかしながら、既に論じたとお
り、「在日米軍の撤退」も「中国との関係改善」もその
内実には複雑なものがあるし、岸にとっても田中にと
ってもそれらが日米関係において実際は大きな課題
でなかった。鳩山政権については別途検討が必要で
あるとここでは留保したいが、少なくともこれらを一様
に語ることができないことは間違いないだろう。

「戦後史の正体」は見えたか

 つらつらと疑問点を連ねていったが、本書は「自主
路線」「対米追随」という枠組みにすべてを押し込み、
説明をしようとしたことで無残な失敗をしているという
のが実態の本である。既にまとめたとおり、①とても
対米関係のみで失脚が語りえない政権への強引な
解釈、②不明瞭な「米国の圧力」、③不明瞭な米国
の国益、など、著者の枠組みはいたるところで破綻
を生じている(細かな事実理解の問題については機
会があれば別項を設けたい)。著者の掲げる前提
(米国は自国の戦略のままに動く、日本も国益を守
るべきだ)は正しいかもしれないが、その前提になっ
ているのがこの「全能の米国」を相手取った倒錯し
たマゾヒズムのような戦後史認識では救われない。

 本書を一読したとき思い出したのは、森田朗がカレ
ル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』に言
及した一文である*16。日本異質論の一冊としてベス
トセラーとなった同書について、多くの批判がなされ
たのにもかかわらず、その主張が支持されている理
由を、森田は次のように論じている。

というのは、本書における著者の論法は、
著者が主張しようとすることをラフな枠組
で示したあとは、その枠組について詳細
な説明を加えその主張を論理的に証明
していくのでなく、もっぱら具体的な事例
を次々に挙げることによって読者を納得
させてしまうというスタイルをとっているか
らである。いうなれば読者を事実で圧倒
して説得する方法であって、このような
スタイルで叙述されているかぎり、著者
の主張が必ずしも一定の事実を根拠と
して展開されているわけではないので、
個々の事例について反証しても有効な
反論にはならない。(略)事実はまだ多
数見つけ出すことができるからである。

 『戦後史の正体』についてもこのような指摘は当て
はまるであろう。「対米追随」「自主路線」というラフ
な枠組みを通じて、ひたすらエピソードをちりばめる
ことで本書は構成されている。評者は今回、森田の
議論を意識して、個々の事実の指摘というよりも、
この枠組みやその前提となるものを検討してみた。
 また、森田は同じ書評で、下記のような反論がこ
のような書籍に有効ではないかと指摘している。

このような論法の本書に対し、反論を
試みることは容易ではないが、その
一つの方法は、著者が豊富な例をあ
げて主張しようとしたことについて、
事例を一々吟味して反論を試みるの
ではなく、むしろ著者が幅広く論じて
いるにも関わらず、あえて論点として
取り上げなかった点に注目してみる
ことであろう。

 このような指摘は極めて重要であろう。本書が
何を語っていないのか―あまりに語っていないこ
とが多すぎるように思われるが―を合わせて検
討することで、本当の「戦後史の正体」が明らか
になるであろう。

引用文献
・『一九五五年体制の成立』 中北浩爾/東京大
学出版会 2002年
・『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる
政治・外交・軍事』 中島信吾/慶應義塾大学
出版会 2006年
・『「日米関係」とは何だったのか―占領期から
冷戦終結後まで』 マイケルシャラー・市川洋一
/ 草思社 2004年
・『歴史としての日米安保条約――機密外交記
録が明かす「密約」の虚実』 波多野澄雄/岩
波書店 2010年
・『日米関係の構図―安保改定を検証する』 原
彬久/日本放送出版協会(NHKブックス) 1991
・『日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索』
坂元一哉・有斐閣 2000年
・『日中国交正常化の政治史』 井上正也/名
古屋大学出版会 2010年
・『日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官
僚たちの挑戦』 服部龍二/中央公論新社(中
公新書) 2011年

*1:特に著者はこのような表現を明確につかっ
ているわけではないが、便宜的に使用する。
*2:佐藤晋「鳩山内閣と日米関係―防衛分担
金削減問題と大蔵省」『法学政治学論究(慶應
義塾大学)』33号(1997年);中北浩爾『1955年
体制の成立』(東京大学出版会、2002年)、第
4章。
*3:『外交青書(1957年9月)』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-2-1-2.htm
*4:防衛省・自衛隊ホームページ「在日米軍施
設・区域(専用施設)面積 (平成24年3月31日
現在)」
http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_sisetsu/sennyousisetumennseki.html
*5:NSC 5516/1 “Policy toward Japan”
(April 9, 1955)
http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p1/d28
;中島信吾『戦後日本の防衛政策―「吉田路
線」をめぐる政治・外交・軍事』(慶應義塾大
学出版会、2006年)、第5章。
*6:いささか意地の悪い指摘となるが、在日
米軍の撤退があらゆる時期にゆずれない
米国益の一線であるならば、米軍の「常時
駐留」の否定(つまり在日米軍撤退)を掲げ、
「有事駐留」を政策方針とした民社党をCIA
が資金援助していたことを、著者はどのよう
に説明するのだろうか。民社党へのCIAの
資金供与はマイケル・シャラー(市川洋一訳)
『「日米関係」とは何だったのか―占領期か
ら冷戦終結後まで』(草思社、2004年)、第9
章。
*7:岸信介『岸信介回顧録―保守合同と安
保改定』(広済堂出版、1983年)第9章。岸
の回顧録は『岸信介回顧録』の他に『岸信
介の回想』『岸信介証言録』などもあるが、
いずれも東南アジア外交の意図等、後付
け的な説明(同時代的に全く違うことを言っ
ている、あるいはそもそもそういった発言が
ない)が多く、証言のみで何かを語るのはリ
スキーであると思われる。この辺は岸のソツ
のなさを感じなくもない。
*8:波多野澄雄『歴史としての日米安保条
約―機密外交記録が明かす「密約」の虚
実』(岩波書店、2010年)、第4章;アメリカ
局安全保障課長(東郷文彦)「日米相互協
力及び安全保障条約交渉経緯(昭和35年
6月)」『1960年1月の安保条約改定時の核
持込みに関する「密約」問題関連』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/taisho_bunsho.html
*9:原彬久『日米関係の構図―安保改定
を検証する』(日本放送出版協会、1991年)、
第5章;波多野『歴史としての日米安保条約』
第4章;前掲「日米相互協力及び安全保障条
約交渉経緯」。
*10:岸の「二段階」構想としては、むしろ坂
元一哉などが論じる①旧安保条約の修正
による不平等関係の是正、②憲法改正と
本格的な相互防衛条約への発展が指摘さ
れるが、「二段階」として安保と行政協定が
語られるのは前代未聞であろう。坂元の指
摘する「二段階」構想については、『日米同
盟の絆―安保条約と相互性の模索』(有斐
閣、2000年)、第4章。
*11:シャラー『「日米関係」とは何だったの
か』、第5章;高松基之「チャイナ・ディファレ
ンシャル緩和問題をめぐってのアイゼンハ
ワー政権の対応」『国際政治』105号(1994
年)。
*12:Memorandum of a Conversation Bet
ween Secretary of State Dulles and
Prime Minister Kishi (June 20, 1957)
http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p1/d189
*13:池田政権期の日中関係と米国の反応
については、井上正也『日中国交正常化の
政治史』(名古屋大学出版会、2010年)、第
4章;シャラー『「日米関係」とは何だったのか』、
第9章。
*14:一般的には、ニクソン政権は田中に不
満を持ちながらも、それを追認するほかな
かったと言われる。井上『日中国交正常化
の政治史』第8章; 服部龍二『日中国交正常
化―田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑
戦』(中公新書、2011年)、第4章。
*15:ニクソン政権のブラント観については、
ヘンリー・キッシンジャー(岡崎久彦監訳)
『外交(下)』(日本経済新聞社、1994年)第
29章。もっともギョーム事件がCIAの陰謀で
あったと著者がするならば、このような見解
はつじつまがあうだろう。
*16:森田朗「書評『日本/権力構造の謎』」
『法学論集(千葉大学)』5巻2号(1991年)
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