先に、私は、毎週金曜日に官邸前で行われている脱原発デモ(官邸前抗議行動)()に対する警察のあまりにもおぞましい過剰警備の問題性に触れて、その対抗策として「請願デモ」というひとつの便法としての抗議の形態を提起したことがあります。しかし、その便法として提起したつもりの「請願デモ」にもやはり警察のデモ取り締まりの網の手は及ぶことがわかり、便法としての提起であったとしても、その問題提起を実際の路上で行使することの難しさ、いまだ実の熟さざるを思い、取り下げることにしました。

そういうことを弊ブログに書いたところ、ある人から次のようなサジェスチョンがありました。小田実が阪神・淡路大震災のあと被災者に公的援助をやれという「市民=議員立法」運動を起こしたときの「請願デモ」の様子についてのサジェスチョンでした。阪神・淡路大震災が発生したのは1995年1月のことですから、この「請願デモ」は、同デモにも規制の網の手が及ぶようになった国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」制定(1988年)以後のデモということになります。それでもある人の紹介される小田の下記の述懐によればなんともイキ(活き・粋)のよいデモであったように感じられます。このようなデモの形態は考えられないか? 官邸前デモ(抗議行動)に絡めて改めて思います。

★昨日の7月27日の官邸前脱原発金曜日デモにも多くの人が集
まったようです。いまや官邸前デモは、〈主催者〉のありやなしやや
その意志とは関わりなく、ふつうの市民の「脱原発」の意志の表明
の場として路上(権力の規制の及ぶ道)から広場(公共に開かれて
いる場所)をめざす市民的自由の表象としての独自のトポス(場)
を形成している感があります。それだけに広場への意志を封じ込
めようとする権力の意志、官邸前の警備もいっそう厳重さを増して
いるようです(こちらのブログの写真を参照) 。「広場」という言葉の
連想から私は堀田善衛の『広場の孤独』という小説を想い出します。
この小説の舞台は1950年7月の日本。いまだGHQの占領下に
あった日本という国にあって堀田にとっての「広場」とはなんであっ
たか? そして、2012年の「広場」はどういうものであるか? 堀
田は官邸前脱原発金曜日デモの「路上」の風景を見てなにを想う
か? そういうことを思います。

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ありし日の小田実

以下、弊ブログコメントよりある人のサジェスチョン。すなわち、小田実が歩いた「請願デモ」の風景の話。『生きる術としての哲学 ―― 小田実 最後の講義 ――』(岩波書店 2007年)より引用。
 
「東本さん、今回の論点とは違いますが、小田実氏が請願デモにかかわってこんな議論をしていた。探したら見つかりましたので、ご紹介させてください。

 
「社会には問題矛盾は必ずある。それは、まず職能を通じて解決すべきだと思う。医者はいい診療をする、先生はちゃんと教える、新聞記者はいい記事を書く、工場の労働者は変なものをつくらない。それでたいていの問題解決が図れるはずです。しかし、職能を通じて解決できない問題矛盾がある。仕方がないからみんなが集まる。相談し、議論する。議論しても埒があかない。この問題解決を阻んでいるのは何か、政府だということになったら、デモ行進をする。
市民が歩くデモ行進の特徴は、名刺交換をしないことです。そんな挨拶を抜きにみんな歩き出す。私はそれが市民社会の原形だと思う。そのときみんな職能人であることを離れて、市民になっている。学校の先生も、医者も、市民だ。それが私の「市民」の定義です。そういう市民が生き生きと動いている社会が「市民社会」で、そのうえで国家が成立すれば「市民国家」です。

たいへんおもしろかったひとつの実例を挙げます。私は「市民=議員立法」運動をした。阪神・淡路大震災のあと私は被災者に公的援助をやれという運動を起こした。主権在民だから市民が法律の原案をつくる。しかしそのままでは法律にならないから、その原案を議員全員に送った。やりたい人はいっしょにやろうじゃないかと手紙を書いた。議員のなかからやりたい人が出てきて、一緒に2年半かかって、法律ができた。

そのときにデモ行進をしようとした。ところが、議会の前はデモ行進できない。禁止されている。ひとつだけ便法があって、「請願デモ」ならできる。請願デモというのは、議事堂の前で代議士が待っていて、市民の請願を受け付ける。そういうかたちをとってデモ行進ができる。一緒にやるという超党派の議員たちとデモ行進をすることに決めた。共産党も民主党も社民党もいた。自民党はあとできた。だんだん議会が近づいたら、私の横で歩いていた代議士が慌て出した。「あそこで待っているはずのやつがいない」と言う。「あなた方が行ったらどうだ」と言ったら、議員たちがぞろぞろ行って、向こう側に立った。それで、「やあ小田さん、ご苦労さんです」と私の請願を受け取った。また歩き出したら、彼らは戻ってきた。漫画みたいな光景です。しかし、私は非常に重要な光景だと思った。なぜなら、議員だけでは解決できなかった、あるいはひとつの政党では法律はできなかった。市民と一緒に動くことでやっとできた。歩いている間は、彼は市民だ。請願を受けとるときは職能人だ。そしてまた市民として歩いた。」

以上、「生きる術としての哲学」より引用

「議員は議員という自分の「職能」では問題の解決はできなかった。だからこそ、「市民」と「共闘」してデモ行進をした。そのとき、議員も議員ではなかった。問題解決に現場で努力する「市民」のひとりだった。この現場の光景は「市民」の原点でもあれば、「市民運動」の原点、さらには、民主主義の原点、いや、「市民社会」の原点でもあった光景だ。」

以上、「随論 日本人の精神」より引用」

つけたし(東本注)。
 
なお、小田実の『生きる術としての哲学 ―― 小田実 最後の講義 ――』(岩波書店 2007年)のキャッチコピーには次のように記されています
 
「市民の立場から行動し発言し続けて逝った作家、小田実。本書は、氏が2001年から02年に慶応大学で行なった8回の「現代思想」講義を編む。9.11以後の世界をどう捉え、引き続く戦争の中でいかに生きるか。自身の語り下ろしによる小田実の”生きるための哲学”を、詳細な編者註や著作目録とともにわかりやすく提示。」
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